●十ペエジ
「初めて見た時、思わず震えた。あまりに彼女に似ていて。そして思ったのだ。もし……私と彼女の間に、子供が授かっていたら、こんな子が生まれていただろうかと」
出来心だった……後悔が滲む声でそう旦那様は呟いた。
彼女にそっくりな顔なのに、子供の目が昏く淀んで苦しんでるさまを見ていられなかった。
彼女を救えなかった分、似た顔の子供を救うことで罪悪感を減らせるかもしれない。そう思って子供を買い、養子にした。
「しかし……すぐに後悔した。子を持ったことがないから、どう接していいかもわからない。何より悠之介の顔を見る度に彼女を思い出す。身勝手な話だが、悠之介の顔を見る度に苦しくて……目をそらし続けた」
父親になりそこない、だからといって身勝手に捨てるわけにもいかず。どうしようもなく持て余したまま、死を待ちつつ、ゆっくりと十年生きてきた。
静かに死を待ち望んでいたはずが、自分が死んだら悠之介はどう想うのだろうか? そう考えると……死にたいなんて言えなかった。
「私の出来心と身勝手さで、悠之介の人生をゆがめたくはない。悠之介の昏く淀んだ目が少しづつ明るくなって、彼女みたいに朗らかに笑うようになったのは嬉しかった。だから……お前には幸せな人生を歩んで欲しい」
そう……口にした時、旦那様は今まで見たこともない程、優しい笑顔を見せられた。
それはまさしく我が子を愛する父親だ。旦那様は気づいてないのかもしれないが、十年ともに暮らすうちに、御坊ちゃまを本気で子供のように愛していたのだろう。
御坊ちゃまもそう感じられたように見えた。目元を潤ませて笑みを浮かべる。
「貴方は……父親のなりそこないだといいますが、僕は貴方を父だと思っています。だから死んで欲しくない」
そう語る御坊ちゃまの目には一切の迷いがない。旦那様の本心を知ったからこそ、吹っ切れたのだろう。
「私を……父だと慕ってくれるのか? 父親らしい事は何もしていないというのに」
信じられない……という風に旦那様は首を横に振る。
「この十年、僕は衣食住、何不自由なく暮らし、学校にも通わせてもらえた。平穏な日々を過ごせた。貴方のおかげです」
まっすぐに慕う御坊ちゃまの言葉に、旦那様は眩しい程に眼を細め、唇を振るわせた。
「気持ちは嬉しい。だが……私は彼女以外の人間の生き血を吸わないと決めたのだ」
「それなら……その人に似た僕の血ならどうですか?」
御坊ちゃまの言葉に私も驚いたし、旦那様は驚きを通り越して思わず叫んだ。
「馬鹿者! それが嫌で黙っていたのだ!」
大きく叫んで体力を消耗したように、ぜいぜいと荒く呼吸を繰り返す。病み衰えて震えながら、御坊ちゃまを鋭く睨みつける。そこまで怒鳴られても御坊ちゃまは一歩も引かなかった。
「なぜ嫌なのですか?」
「言わなければわからないのか? 血を吸われる快楽に溺れるお前など見たくもない。お前は好きに生きろ。それが私がお前に求める全てだ」
旦那様は深呼吸を続けながら、噛み付きそうな程、獰猛な視線を向ける。鬼気迫る程に恐ろしい旦那様の表情を見ても、御坊ちゃまはまだ引かない。
「そんなに必死に嫌だ……というくらい、僕の血が飲みたかったのですね」
そう言って御坊ちゃまはシャツのボタンを外し、首筋を露にした。男性にしては色が白い肌は滑らかで、青い静脈が透けて見え、私も思わずぞくりとする程美しかった。
旦那様は反射的に手を伸ばしかけ、ぎゅっと眼をつぶって、必死に堪えるような仕草をした。
「やめろ! もう私は誰の血も飲みたくない!」
よほど御坊ちゃまの血は魅力的に見えるのだろう。音のない世界に生きる旦那様にとって、眼をつぶってしまえば、声は届かない。そうやって必死に拒絶しないといけない程、抗いがたい魅力。
聞こえないとわかっているはずなのに、御坊ちゃまは旦那様の肩をつかんで揺さぶった。
「僕は父上が死ぬのは嫌だ! だから吸ってください。そして生きてください」
どれほど大きな声で叫んでも、旦那様の耳には届かない。
じれたように御坊ちゃまは、自分の爪で首を引っ掻いた。思わずうめき声が聞こえる程、爪が深く食い込んで、素肌から血の雫が滴り落ちる。
その匂いに……耐えきれなかったのだろう。
旦那様は力強く御坊ちゃまを抱きしめて、その首筋に牙をたてた。
「あぁ……」
御坊ちゃまの口から、甘い吐息がこぼれ落ちた。びくんびくんと身体が跳ねる。
旦那様は飢えた
御坊ちゃまは精神の平衡を奪われ、まるで官能の海に溺れて堕ちたかのように見えた。頬を赤く染め、見惚れる程に妖艶な笑みを浮かべている。
互いに思いやる父息子でありながら、ただならぬ空気を醸し出し、私は見ているだけで息苦しかった。
でも……私はこの親子の全てを見届けて、日誌に書かなければいけない。それが今、私のやるべき事なのだから。
どくどくと吸ううちに、見る間に旦那様の様子が変わって行く。
灰色の髪が黒みを帯びて行き、大きな皺が減って肌にはりがでて、若返って行くのが解った。
御坊ちゃまが死ぬ程吸ってしまわないかと怯えたが、旦那様が手を離した時、御坊ちゃまの息はまだあった。
──見惚れる程にうっとりと眠りに浸る御坊ちゃまを見て、旦那様は頬を濡らした。
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