修道院編 3
三人は修道院の一角にあるカトレアの自室にやってきた。
シスターたちの多くが複数人で大部屋を使っているのに対して、修道院長であるカトレアは流石に個室を使っている。
けれども、内装は全く以て豪華とは言えず、私物も読みかけの恋愛小説くらいしか見当たらない。堕落しているとは言いがたい清貧を絵に描いたような部屋で、カトレアの真面目な人となりが伝わってくる。
(洋服掛けに並んでいる修道服……本当におしゃれをしたこともないようですわね)
ローザも騎士の家系に生まれて、それなりに厳しい教育を受けてきたつもりだ。家族の厳しいしつけに泣いたことは一度や二度ではない。
でも、おやつにお菓子は食べさせてもらえたし、おしゃれな洋服も買ってもらえたし、恋愛小説を読むことだって禁止されてはいなかった。改めて考えてみると、カトレアの境遇は不憫の一言だ。
「あの告発文は私が送ったものです」
カトレアは汗まみれの体を拭き、着替えてベッドに寝かされている。
ローザとマリアンヌはベッドの傍らで耳を傾けていた。
「ほんの一ヶ月ほど前まで……ローザさんが護衛官に採用されるまで、マリアンヌ様はお一人で修道院に来られていました。私は修道院の代表としてマリアンヌ様のお相手をしており、まるで自分が特別な存在になったように感じていた」
しかし、そこに護衛官のローザが現れた。
カトレアの特別は容易く奪われることになったのだ。
「私はマリアンヌ様に憧れていました。マリアンヌ様は病弱の体に生まれて、幼い頃は病院から出してもらえず、王女宮にやってきてからも学校へは通わせてもらえなかったとか……それほど不自由な日々のなかでも精一杯に生きているマリアンヌ様が、私には聖母様のように思えたのです」
「いやいや、聖母様だなんて……そんなこと全然ありますけどね!」
胸を張って自画自賛しているマリアンヌ。
彼女の表情からはちょっぴり照れているのが垣間見られた。
(本当に嘘のつけない主様ですわね)
そんなところもローザにとっては可愛らしく思えるポイントだ。
「私は過ちを犯しました。マリアンヌ様を独占しようとしたのです」
カトレアが告白を続ける。
「シスターたちにはマリアンヌ様とみだりに接触しないように釘を刺していました。それだけでは飽き足らず、あんな告発文を用意してローザさんを遠ざけようと……そんな私のことをお二人が好きだと言ってくれるなんて、まるで夢のようで――」
「夢ではありませんわ」
ローザは指先でツンとカトレアの唇に触れた。
「わたくしが護衛官になるまで、カトレアさんはたった一人でマリアンヌ様がミサに参加するのを支えてきた。わたくしはそんなあなたを尊敬している。だから、あなたがどれほど堕落しようとも、心の底から好きだと言って差し上げますわ」
「あっ❤ 好きって、また……❤」
「このマリアちゃんだって同じですよ、カトレアさん!」
マリアンヌが大きく胸を張って言い放った。
「これからまた過ちを犯すかもしれない。そのとき、カトレアさんは神様に見放されてしまったと思うことでしょう。でも、私はずっとあなたのことを好きでいます。だから、元気を出してくださいね!」
「マリアンヌ様までっ❤ そ、そんなっ❤」
真っ赤になった顔を両手で覆い隠すカトレア。
疲れ切った彼女が寝息を立て始めるまで、ローザとマリアンヌは見守るのだった。
×
カトレアが眠りについたあと、二人は王女宮に戻ってきた。
尋問と外出でかいた汗を流すため、ローザはいつものようにマリアンヌの入浴を手伝う……つもりだったのだが、マリアンヌからリクエストを受けて、今日は二人で一緒にお風呂に入ることになった。
「いつもはくすぐられっぱなしですけど、今日はマリアちゃんの番ですからね!」
ローザとマリアンヌはバスタブの中に向かい合って腰を下ろしている。
湯船には色とりどりの花びらが浮き、湯からは甘い香りが漂っていた。
「うふふ……お手柔らかにお願いいたしますわ」
にっこりと微笑むローザ。
(たまには主の玩具になるのも従者の仕事ですわね)
そんなことを考えていたら、マリアンヌが大きなため息をついた。
「それにしても、カトレアさんのお耳を舐めることになるとは思いませんでしたよ」
「耳舐めはお嫌いでしたか?」
「いや、好きとか嫌いとかいう以前に驚かされっぱなしと言いますか……」
意外ですわね、とローザは内心思った。
第三王女マリアンヌは第二王女エルフィリアと大の仲良しで、数年前までは毎日のようにお泊まりをしていたと聞いている。そんな二人なのだから、ちょっとした戯れで耳を舐めるくらいしたことあるのかと思ったが……。
「ローザちゃんはお兄さんから高級尋問官になるための訓練を受けてるわけじゃないですか。このマリアちゃんも最初の何回かは見学したわけですが、まさか女の子の耳を舐めるなんてテクニックもお兄さんから教わっちゃったりしたわけですかね?」
知りたいような知りたくないような……でも、やっぱり聞かずにはいられないという興味津々な顔をしているマリアンヌ。
マリアンヌは結婚相手の候補として、ローザの兄であるアレンを狙っている。その本気っぷりたるや、自身の大親友にしてアレンの主であるエルフィリアにライバル宣言をしてしまうほどだ。そんな結婚相手が実妹の耳を舐めているか否かは気になることだろう。
「ふふっ、そうではありませんわ」
ローザはやんわりと否定する。
「お兄様にお耳を舐めていただけるなら、わたくしは願ったり叶ったりなのですけれど……それはそれとして、カトレアさんに自白を促したテクニックはわたくしが女学校に通っていた頃に会得したものですわ」
兄を追いかけるために退学する以前、全寮制の女学校に通っていたときの思い出がよみがえる。あのときは最愛の兄と会うことができないさみしさから、年上から年下まで目についた女の子たちにあれこれと……。もしかしたら、そのときに尋問テクニックの基礎が身についていたのかもしれない。
「カトレアさんに行った尋問も人心掌握術の基本を応用したものですわ。尋問対象へ徹底的に罪悪感を持たせてから、あなたの味方は私だけと教え込み、最後にたっぷりの愛情を与えて赦してあげる……こうすると大抵の女の子は簡単に堕ちてしまうのです。わたくしのことを好きにしてしまえば、自白してもらうことは容易ですわ」
「あ、あのぉ……ローザちゃん?」
マリアンヌが表情をこわばらせて聞いてくる。
「その説明だと、尋問というよりもむしろ洗脳――」
「マリアンヌ様」
ローザは人差し指でマリアンヌのしっとりとした唇を塞いだ。
無邪気で不敵な笑みを浮かべて、きょとんとしている主の耳元でささやく。
「あくまで『思春期特有の一時的な感情』ですわ」
「ふぇっ❤ ロ、ローザちゃんの吐息がっ❤」
自分の体をぎゅっと抱きしめて、背筋をぶるぶるっと震わせるマリアンヌ。ローザがニコッと微笑んでみせると、彼女はすねたように頬を膨らませた。
「もーっ! 今日のローザちゃんはご主人様いじりが過ぎますよ! 本当は尋問成功のご褒美をあげようかと思ってたんですけど、今日はあなたのご主人様として、このマリアちゃんが徹底的にお仕置きしますからね! くすぐったさに耐えられなくて泣いても知りませんよーっ!」
マリアンヌが両手の指をわきわきさせながら迫ってくる。
ローザは主からのお仕置きを快く受け入れることにした。
×
「……というわけで、ここでバックコーラスを募集したいんです」
「で、でも……私の家族が納得してくれるかどうか……はうっ❤」
「ご家族の説得にはわたくしとマリアンヌ様が手助けしますわ」
「そ、それは心強いですけどぉ……んはぁ❤」
後日、ローザとマリアンヌは聖ベロニカ修道院を再び訪れていた。
カトレアがちゃんと立ち直ったのかを確かめるため……そして、当初の目的である歌姫グループのバックコーラスを募集するためである。
カトレアがアイドル好きであることをローザは事前の調査で知っていた。カトレアがマリアンヌに心を開き、自ら趣味を明かすことをローザは期待していたのだが、尋問という荒療治が成功したことでようやく話を進められた次第だ。
ミステリアスな黒髪に切れ長の目を持つ小悪魔系のローザ、上品な青髪に儚げな雰囲気をまとった清楚系のマリアンヌ……そんな美少女二人に左右から挟まれて、カトレアはすっかりメロメロになっている。
頬を赤らめて体をもじもじさせている姿からは、経験で厳格な修道院長の気配は感じられない。自分の好きな人に間近まで迫られて、どうしても嬉しさと恥ずかしさを隠せない純情な乙女そのものだ。
「わ、分かりましたっ❤ バックコーラスのこと、家族と相談してみますっ❤」
「本当ですか! マリアちゃん、嬉しいですーっ!」
最初はローザのやり方に苦言を呈していたマリアンヌだったが、嬉しさのあまりカトレアの右腕に抱きついている。
ローザも主の行動に則って、カトレアの左腕にぎゅっと抱きついた。
「正しい選択ですわ、カトレアさん」
「きゃっ❤ お、お二人のお胸が腕に当たって❤ し、しあわせっ❤」
このようにしてローザの高級尋問官としての初仕事は終わった。
カトレアの束縛された心を解放して、バックコーラスの募集に協力してもらうことができた。カトレアが協力的になったことで、マリアンヌから距離を置いていたシスターたちとも仲良くなることができるだろう。
(これだけ活躍できたなら、お兄様にほめていただけますわよね? そして、もっともっと高級尋問官として成長して、いつしかお兄様の隣に並べられるようになりたい。そのときまで、わたくしはマリアンヌ様の元で頑張りますわ!)
初仕事を無事に成功させて、意気揚々としているローザ。
でも、そんなときこそ兄の言葉を思い出す。
『高級尋問官は仕事がない方が平和でよい』
後継者争いがいつ起きるとも分からない現状なのだ。
だから、自分の力が再び求められるそのときまで、今しばらくは主と美少女たちに囲まれた毎日を楽しもう。そして、マリアンヌ様に求められたときは、さらに最高の尋問ができるように努力しよう。
そんなことを考えながら、ローザは悪戯な笑みを浮かべるのだった。
(おしまい)
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