有澤の書評に金を払う価値はあるか
ご無沙汰です。
表題の通り、最近はブログでの書評を再開し、ラストスパートな時期にさしかかっています。私のスイッチは残念ながら並列で作業できるものではないので、書評を頑張ると読書と物語の執筆ができなくなります。最近動きがなかったのはそのためです。社畜してるのもあるけど。
で、感想を書く方ともお話しする機会ができて、考えるようになっているんです。小説にお金を払うように、感想にお金を払うことはできるか。
というか、感想は「小説と同じように、金を払うだけの価値があるもの」として認識されているか。
感想、という言葉には大なり小なり玉石混淆だったり、いろんな、ひろーい意味での「所感」が含まれるわけです。私だって「面白かったです」の一言にいくら払うべきとか、そういう談義をしたいわけではありません。
よく、編集経験者があなたの小説を読みます!みたいなの、スキル売買のサイトで見かけます。まあああいう系統なんですけど、実際やるかは別にして、私の書評にはああいうことをするだけの価値があると、認めてもらえているだろうかと。
感想書きの立場は弱い。という話をしまして、感想を書くという行為に対して、それを創作物とみなさない作家が多いのではないかという話もしました。その辺は色々意見あると思うのでここでは割愛します。
私の書評とか、私の感想書きとしての知名度とかは、正直自分では図りかねている部分があります。確かに、感謝されたり評価してもらったりもしたけれど、上を見ればもっともっと話題に富んだ人がいるわけだし、あんまり自分が「その筋で有名」だとは思えないんです。なりたいけど。
書評という言葉を使いますが、私は感想の書き手としても、いうなら評価されたいと願っています。だいぶマイルドに表現しているから辛口で滅多に褒めないみたいなタイプではないけれど、「どんな作品にも魅力と改善点は存在する」を核に据えてやってるので。そういう意味ではけちょんけちょんにして、這い上がってくるのを待つような、いわば「この人に褒められたら本物」みたいな感想書きのスタンスではいられないけれど、「この人の言葉は作品への誠意を感じる」と伝えることはできるはずです。
褒めないことが誠意にもなるし、褒めることが誠意にもなります。つまり感想の書き手の表現次第です。私はそこならば突き詰めていけると思っています。
だいぶ話がとっちらかってきました。また言いたいことがまとまりきっていない。
実際にお金をとって書評をしますかと言われると、今のスタイルであれば否だろうなとは思います。どうせやるなら中途半端に安い値段で軽んじられたくはないので。お金をとるとしたら、それは利益ではなくて「感想の価値を認めさせるため」の活動なので。
だとしたらより徹底的にやるべきだと。私の本領は紙があれば発揮できるので、それこそ原稿一枚ずつ紙におこして、赤ペンをひたすら入れていくくらい。それくらいやったら流石に手間とか印刷費用とか考えても上等な金銭を要求していいでしょう。世界よ、これが感想書きのスキルだって感じ。
とはいえそれはまだ空想のレベルです。
まずは目の前の書評を誠実にやりとげる。そこからです。それから少しずつ、書評つまり感想の価値を認めてもらえるように、活動したいなと思います。
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