㈲アリサワ解体新書

有澤いつき

有澤には夢があった。

 一人称を自らの名字にするという、ひたすらに自分の名前を主張したい人間は、非常に自己顕示欲の強い存在であった。


 それは有澤にとってひとつの夢だった。

 一人称が「私」というありふれたものを使い、現代社会に擬態している存在として、人称に自らの名字をあてがうことは、一種の「かっこよさ」だと勘違いしていた。否、している。


 しかし現代社会において、まさか日常の場面で「えっとぉ~、カナコ(仮名)はぁ~」などと己の名前を一人称として使用するものは、往々にしてブリっこ(死語)のレッテルを張られるのみである。有澤自身もそう思う。

 痛い。若いうちが花である。社会人たるものが一人称「私」以外使うとかちょっとアレだと思う。男女問わず。「僕」はごついおっさんが使うとちょっとびっくりするときがある。否定はしない。


 さておき。


 今回有澤がこのエッセイ(仮の姿)を立ち上げたことに、皆の衆はどんな思惑を想定しているだろうか。「そもそもこの口調なんやねん」と考えているだろうか。正解である。正論である。


 壮大な意図は存在しない。

 強いて言えばそう、これは、いわゆる「見切り発車」というやつである。


 エッセイが流行っているらしい。

 他人のエッセイを見るのは楽しい。面白い。

 何を書いてもいいフリーダムな風潮に御社の魅力を感じました。


 そうか、ならやってみよう。

 以上。


 有澤は人とのふれ合いを好む。求める。しかし馴れ合いは嫌いである。いわゆる星を投げ合ったり、読みあったりするだけの関係は本意ではない。

 ぶっちゃけそのへんはどうでもいいから、創作や雑談にいたるまで気兼ねなくフリーダムに会話できる相手を求めている。ぼっちなのである。


 したがって、このエッセイ(擬態)の主な目的は作家さまとの適度な交流にある。つきましてはもし慈悲深い人間が存在すると言うのであれば、是非にテキトーなコメントを残してほしい。そうすると有澤は泣いて喜び乱舞するであろう。このヘンテコな口調もすぐ辞めるにちがいない。


 最後に。

 なんだかよくわからないものが始まった、とお考えだろうが、その通りです。有澤が好きなもの、気になったもの、その他諸々テキトーに話すだけの場であるから、どうかテキトーに受け流してほしい。

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