悪魔の守り人

ロッドユール

第1話 謎の美少女

「おうっ」

 講義が終わるとほぼ同時に、泰造がその太い眉毛を陽気に動かしながら、八雲の座っている席にやって来た。

「おう・・」

 八雲はそれに力なく答える。

「どうしたんだよ。深刻な顔して。お前らしくない」

 八雲の返事に覇気がないことに泰造は訝しんだ。

「ああ、ちょっとな」

「なんだ、単位足りてねぇのか?」

「それもあるけど」

「それもあるのか」

 やはり八雲に元気がない。講義室は、退屈な講義から解放された歓喜にも似た、学生たちのざわめきがひしめいている。そんな中、八雲一人が沈鬱なオーラを発し、暗く沈んでいる。

「とりあえず飯でもいかねえか」

「ああ」

 泰造の提案に、八雲はゆっくりと席から立ち上がった。

 相変わらず学食は意味も無くたむろする学生で賑わっていた。大きなガラス張りの窓とそれに面したカウンター席、中央に並ぶテーブル席と、リフォームしたばかりの近代的なデザイン。天井も吹き抜けで明るく開放的だった。

 二人はいつもの学食最安値の日替わり定食を持って、いつもの窓際のカウンター席に二人並んで座った。

「で、どうしたんだよ」

 泰造が今日のメインおかずの豚肉の生姜焼きを口に運びながら改めて訊くと、八雲は渋い顔をしながらゆっくりと後ろを振り向き顎をしゃくった。泰造がその方を見ると、八雲たちから三列後ろのテーブル席に小柄な女の子が一人座っていた。

「おっ、かわいいな」

 少女は黒い薄手の長袖のタートルネックに、赤いタータンチェックのミニスカート、黒いタイツに黒い短めのブーツ、ショートボブの美しい黒髪が小さく丸い顔にきれいにはまり、目鼻立ちははっきりと、特に大きな目が特徴的で、名高い人形師が作った人形のように絶妙なバランスで全体が整っていた。

「しかし、あんなかわいい子うちの大学にいたかな」

 泰造が首を傾げる。

「で、あの子がどうしたんだよ」

 泰造は八雲に向き直った。

「いつもいるんだ」

「あの子がいつもあそこにいるのか。それで気になると」

「そうじゃなくて」

「そうじゃなくてなんなんだよ」

「いつもいるんだ」

「だからあそこにいつもいるんだろ。それでお前があの子が気になるんだろ。それの何が問題なんだよ」

「だからそうじゃなくて」

 八雲は少し声を強めた。

「何が違うんだよ」

 泰造も声を強める。

「いつもいるんだ。俺の近くに」

「お前の近くに?」

「ああ」

 泰造はしばらく、時が止まったみたいに八雲の顔を黙って見つめた。

「お前、大丈夫か」

 しばらく経って、泰造は真顔で訊いた。

「大丈夫だよ」

 素早く八雲も真顔で言い返す。

「お前、そういうのを自意識過剰って言うんだぞ」

「違うんだ。ほんとにいつもいるんだ。俺の近くに」

「気のせいじゃないのか」

「いや、俺も最初そう思ったんだ。でも、いっつもいるんだ。ほんとに」

「う~ん」

 泰造はあらためて少女を見た。少女は何をするでもなく、テーブルに肩肘をついて何を考えているのか、ただ中空を見つめていた。

「あまりにも会い過ぎる。偶然にしては多過ぎるんだ」

「考え過ぎだ。ノイローゼだよ。この季節に多いんだ」

 泰造は、生姜焼きを口に入れ、すぐにごはんをかきこむ。

「さっきの教室にもいたんだぞ」

「何!」

 泰造は、食べるのを止め、もう一度、少女を見た。

「お前は気付いていなかったかもしれないが、ちょうどあのくらいの距離だった」

「惚れられたのか」

 ごはんで膨らんだ頬の上の二つの目が巨大にむき出される。

「っなわけないだろう。俺のどこに惚れるんだ?あんなかわいい子。それに一回も話したことないし、目も合った事ない」

 八雲が声を強めて言った。

「まあ、それもそうだな。じゃあ、ストーカーか」

 泰造は再び、もぐもぐと生姜焼き定食に戻る。

「俺の何にストーカーするんだよ」

「思い当たることは?」

「全くない」

 八雲は即、断言した。

「やっぱり気のせいじゃないのか。ただの偶然とか」

「俺も何度も何度もそう思おうとしたんだ。だけどこの前・・」

「この前?」

「この前、家の近所のコンビニにいた。」

「あ?にこにこマート?」

「そう、なっ、おかしいだろ」

「先にいたのか」

「ああ、入ったら、雑誌コーナーにいた。俺はいつも家に帰る前にあそこに寄るんだ。知ってるだろ」

「ああ・・」

「俺の行動パターンを知ってるんだ。おかしいだろ。な?」

「確かに」

 さすがに泰造の表情も変わってきた。

「俺、コンビニで彼女を見つけた時、さすがにゾクッとしたよ」

 泰造はまた改めて少女を見た。その時だった。突然、誰かが二人の間に入り、二人の肩を抱いた。

「おう、どうした、どうした、お二人さん。深刻な顔して」

 茜だった。オレンジ色に赤く染めた髪をくしゃくしゃにして、今日も原色の黄色いストッキングを厚手のミニスカートからのぞかせ、元気いっぱい子どもみたいな笑顔で、八雲と泰造を交互に覗き込む。

「いや、こいつがな、変な事言い出すからな」

「変な事?そんなのいつも言ってるじゃん」

「おいっ」

 八雲が茜を睨むように見る。

「へへへっ」

 茜は舌を出しておどけた。

「で、何々?その話って」

「それがな」 

 泰造が今までの話を茜に説明する。

「・・・」

 茜はしばらく黙ってその話を聞いていた。

「あの子、うちの大学の子じゃないんじゃないかな」

 そして、茜は少女の方を振り返り、不思議そうな表情をして首を傾げた。

「やっぱりそう思うか?」

 泰造が言った。

「うん。絶対違うと思う。女の子であんなに目立つ子、女子の間で話題にならないはずないもん」

「そうだ。男の間でも話題にならないのはおかしい」

 泰造もそれに大きく同意した。

「でも、どうして俺の近くにばかり現れるんだろう。絶対意図的だと思うんだ。偶然にしては多過ぎる」

「私もそう思う。なんでだろう。八雲に惚れるとは思えないし」

「うん、っておい」

「きゃはははっ」

 茜は大きくおどけて笑った。

「全く」

 八雲はふくれっ面で、肩ひじをテーブルに付いた。

「私が直接話してこようか」

「え?おい」

 言うが早いか、八雲の返事を待たずに茜はもう少女の方に歩き出していた。

「おいっ」 

 八雲は慌てて席を立ち、茜を追いかける。

 茜は臆することなくズンズンと謎の少女へと歩み寄っていく。茜はこういう時、恐れず突っ走ってしまうタイプだった

「おい、茜」

 八雲が後ろから声をかける。しかし、茜は止まらない。

 だが、茜が少女のテーブルに近寄った時だった。それと連動するように、茜が声を掛けられない絶妙なタイミングでその少女は席を立ち上がり、食堂から出て行ってしまった。それを茜が追い掛け、追い付こうとするが、なぜか絶妙な距離感を維持したまま、不思議と追いつくことが出来なかった。

「なんか不思議な子ね」

 追いついた八雲に、立ち尽くす茜が首を傾げた。

「だろ。何か変なんだ」

「私たちの事一度も見てなかったのに、こっちの動きが分かってたみたい」

「ああ」

 二人は、少女の去って行った学生のたむろする人混みを見つめた。

「逃げられちまったか」

 遅れて二人に追いついた泰造が二人の肩を叩く。

「まあ、今日は酒でも飲んで、あの謎の美少女について考えようや」

「お前は結局酒だな。行きつく先は」

 八雲が呆れる。

「茜も大丈夫だろ」

 泰造が茜を見る。

「おうっ」

 茜は元気いっぱい答える。

「よし、じゃあ、酒と食い物持って八雲んちな」

「おう」

 茜がやっぱり元気いっぱい答える。

「何で俺んちなんだよ」

「お前を励ます会だろうが」

「ハカセと静香にも声かけとけよ」

「おうっ、まかせとけぃ」

「・・・」

 茜が元気いっぱい答える隣りで、八雲はもう一度、あの少女が座っていたテーブルを見つめた。

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