3
時間の流れは一定だ。
ただし、その中で生活する人の感覚は、時間を常に一定にとらえることはできない。
楽しい時間は早く過ぎる。つらい時間は間延びしている。
すべてに感情がつきまとうがために、人は正確に、均等に、時間を見ることができない。
それはもちろん、ぼくのような存在にも言える。むしろ顕著に現れていると言ってもいい。人がベッドの中で目を閉じた次の瞬間朝になったと錯覚するように、ぼくは気がついたら昼間の駅にいた。
昨日来た時よりも人が多い。当たり前か、今は昼間だ。
記憶が正しければ、こうやってほっつき歩くようになって三日目になる。見るという技術を習得したから、今のところ日付は把握できている。
昨日は今の自分になにができるのか、ひたすらに実験していた。結果から言えば一度行った場所への瞬間移動、空中遊泳、そして機械への干渉ができると判明した。
たとえば一人ひとつは持っている手のひらに乗るくらいの情報端末(世間的には情端と略されているが、そこまでして名称を短くする意味がわからない)に半ば指を突っこむように触れると、中の情報をいじったり、ネットで検索ができたりと意外と便利だった。
検索だけなら履歴を見ないと解らないから、情端を持っている人にも気づかれない。
それに今のところ、ぼくのことを認識できるのは初日に出会った彼女だけだった。
彼女とは、あれ以降顔を合わせていない。もしかしたらぼくを警戒して駅を避けているのかもしれない。
それともただ単に、タイミングが合わないだけだろうか。
まあ、考えていたらその人が来たなんてよくある話は、ぼくのおじいちゃんが若かった頃からあまり変わらなかっただろう。
見覚えのある後ろ姿を見つけて、すっとそっちにとぶ。
最初のころは思った場所にひと動作でとんでしまっていたが、それは自分の感覚が乱れるからやめた。今はちゃんとない足で地面を蹴って跳躍している。
なお、意識的にそんなことをして変わるのは自分の感覚だけで、ぼくが瞬間移動のようにおかしな移動をしていることには変わりない。
と、いつもならすぐに彼女の後ろに立っているのだが、今日は途中でぴたりと止まった。宙に浮いている足を地面につけて、誰にも見られていないのに物陰に隠れる。
彼女は、男に手を引かれていた。
なんだ、彼氏か? デートか?
それなら邪魔しちゃいけないだろうと距離を置いて眺めていたら、人気がなくなったところで彼女が男の手を振りほどいた。それから、なにか言う声。怒鳴るほどではないものの、語気は強い。
なにかあったのだろうか。
彼女たちのいる道の物陰にとぶと、その会話がつぶさに聞こえた。
「もう会わないって言ったよね。」
「……ああ。」
「どうして来たの。」
「だって、意味わかんねえもん。突然あんなふうに言われたってわかんねえって。」
彼氏は彼女の手をとろうとする。彼女は一歩下がって相手をにらみつけた。
「これ以上近づいたら、通報するから。」
……なんだかきな臭くなってきた。
男のほうはむっとした顔で彼女にせまる。
「なんでだよ。」
「……本当にわかってないの?」
「なにが。」
ぼくは彼女の声が震えているのに気がついた。
最初、男に怒っているから震えているのかと思った。けれど違う。その震えはぼくの時と同じもの。かなしいけど、ぼくも彼女に同じような感情を植え付けたことになる。
それは、怯えとか、恐れとか。もっと簡単に言うと怖いって感情だ。
「同じ講義に必ずいたり。」
「それは授業が一緒だから。」
「学科が違うのに? なんでゼミの時間までいるの。」
「それは、外を歩いていたら君が見えたから。」
「駅で待ち伏せしてたのも? 勝手に家に入ろうとしたのも、偶然だっていうの?」
「夜一人で歩くのは危険だと思ったんだよ。」
男はいらだったように体を揺らしている。
……おいおいおい。ぼくの聞く限り、そいつは――。
「そういうの、ストーカーっていうのよ。」
彼女の言葉に激しく同意する。
ついでに男に向かって「お前さっさと帰れよ。」と念を送ってみたけど、当の本人はなぜか顔を真っ赤にしていた。残念、こういう効果は望めないようだ。
「……んだよ、なんなんだよ。」
ぶつぶつと声が聞えた、と思ったら、突然男は彼女をなぐった。
どん、と鈍い音がした。彼女はお腹を押さえてその場に座りこんだ。
「俺が心配してやってるのに。なんでそんなこと言うんだよ。俺を全否定して面白いかよ、え?」
赤を通り越してどす黒くなっていく男の顔に、ぼくはさすがに彼女たちに近づいた。男の後ろに立つと、そいつが興奮しているのがはたから見ても伝わってきた。
道路に膝をつきながらも男をにらみ返した彼女と目が合う。気を張ってぎらぎらとしていた目が、ぼくをとらえて離さなくなった。
傍観する気はなかった。困っている人は助けなくてはいけない。
謎の強迫観念に押されて、ぼくの体は動いている。
男がなにかやる前に、ぼくは男のふくらんだズボンのポケットに触れた。案の定中には折りたたまれた情端が入っていた。
指を差し入れて、中を探る。プロフィールを覚えてから適当にアラームをバグらせた。
けたたましいベルの音。男はびくりと体を震わせて情端を取り出した。開いて画面をタップするけど、止まらない。
あと五十回くらい押せば止まるよ。がんばれ。
彼女にもわかるように、男に向かってあっかんベーと舌を出す。
焦る男をじっとりとした目で見ていた彼女は、さっと立ち上がった。「じゃあね。」と淡白に言って、男に背を向ける。
「あっ、おい、待て!」
アラーム男は彼女を追いかけようとする。ところがその時にはもう、男の大声に何事かとやってきた人々が男をがっつり見ていた。男はすぐに無数の目線にたじろいだ。その間に彼女はさっさと人ごみに消えている。
ぼくは彼女の姿を目で追った。駅前のロータリーをぐるりとまわりこむ彼女を見つけて、すぐそばにとぶ。
一気にアラームの音が遠のいた。
隣に降り立つと、彼女はちらりとこちらを見た。ぼくは気づかないふりをして、口笛なんて吹いてみる。その間にも、何人もの人がぼくの体をすり抜けた。
「……。」
無言のまま、彼女はまっすぐ前を向いて速足で歩く。
ぼくはその後を、のんきについていった。
いつの間にか、アラームの音は聞こえなくなっていた
彼女は少し遠回りをしながら、住宅地にたたずむマンションへと向かった。ぼくはやつが追いかけて来ていないか注意深く周りを見ていて、そんなぼくを、彼女がマンションのエントランスからしばらく見えていた。
十分ほど周りを見たが、人影が近づいてこなかった。ぼくは彼女に向かって、手を振った。
それをしっかりと見た彼女は、ふ、と小さく息を吐いたのだろうか。若干肩が上下して、口元が動く。
「ありがとう。」
そんな言葉がつぶやかれた気がした。
ぼくはマンションの奥へと消えていく彼女を見て満足して、きびすを返した。
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