レトロフューチャー
水沢妃
レトロフューチャー
1周目
1
その日、わたしは幽霊に会った。
ちゃらんぽらんに見えたけど、どこかさみしそうな幽霊だった。
・
気がつくと、ぼくは、道路に立っていた。
あたりは暗い。時間はわからないが夜。日没直後の人通りではないから、もしかしたら真夜中かもしれない。少し離れたところにはちかちかと瞬く光源。きっと充電が足りなかったのだろう。
「……街灯。充電……真夜中。……人通り。」
自分の手を見下ろす。半分が薄汚れた袖口で隠れている。よく見ればそれは砂色のうすっぺらいコートで、ずっと着ているのかなにかのシミが広がり、今にも破けそうなほどヨレヨレになっている。
ぼくはデジャビュを見ている心地になった。なにもわからないと思っても、なにかを見た瞬間にそれがなにかをわかっている。記憶はあるけれど、記憶があることを忘れている。
一体ぼくは、ここに来る前なにをやっていた?
知識はあるのに、自分が何者かはついぞ思い出せない。そして気持ちがなにか急いている。
ぼくはやみくもに、コートに反して頑丈な靴をはいた足を動かした。
まずは明るいところでよく見てみよう――。
光に向かって一歩踏み出すと、次の瞬間には街灯の下にいた。
「……。」
ふり返る。さっきまでいた場所は暗闇に沈んでよく見えない。五十歩は離れていたはずだ。
呆けたように電灯を見上げていると、なにかの音が近づいてくるのがわかった。車? にしてはけたたましい。鉄と鉄をすり合わせるような。
やがて音は光を伴って大きく、大きく近づいてくる。
風と共に、すぐ脇の線路を電車が通った。長い。確か十両編成ぐらいだったか。暗くて気がつかなかったけれど、どうやら線路わきの道路に立っていたらしい。線路の反対側は、これもどこかで見たことのあるような生垣だ。
よれよれの上着が寒風に舞う。
電車が通っている……ということは、駅があるはずだ。
ぼくは駅に向かって歩くことにした。今度は自分の足でしっかり歩けた。
はるか先に見える明るい駅舎にぼくの脇を通りすぎた電車がすいこまれていく。これで三本目。駅の規模は線路が四つある程度の小さいもの。駅舎の入り口が見えたとたん、ぼくは駅舎の改札前に立っていた。
目的地をはっきりと見ると移動できるのだろうか。それとも意識すればとべるのだろうか。実験したいのは山々だが、また後でにしよう。
駅の名前は「御射山」。どこか聞き覚えがあった。駅単体での記憶はないから降りたことはないはずだ。券売機の上にある路線図を眺めていると、三つ先に見知った駅の名前を発見した。「東峰大学前」。――ぼくの通っていた大学の最寄り駅だ。
そう思ってから、笑ってしまった。どうやらぼくは、大学を卒業しているらしい。それなりの年齢というわけだ。いや、もしもとても優秀だったなら飛び級を続けてニ十歳で卒業なのだから、むしろ子供なのか。
時計を見ると夜の十時過ぎで、終電までにはまだ時間がある。駅前を見回してもそれといった繁華街はなくて、ただただ住宅地が広がっているだけだ。もしかしたら同じ大学の人が下宿していたかもしれないが、交友関係なんてわからない。
ああもう、わからないことだらけだ。
せめて日にちが知りたかった。でも残念ながらそれとわかるものもない。きょろきょろとあたりを見回しているぼくが不審者に見えたのか、女子大生っぽい女の子と目が合った。
その顔がすっと青ざめて、目をそらされる。
……なにかあったのか?
振り向いてもそこには駅があるだけ。その先は暗い住宅街の景色。
単に具合でも悪くなったか。
振り向いたら、もう女の子はいなかった。
なんだったんだろう。
ぼくはふと気がついて、駅員のいる改札脇の案内所に近づいた。こういう窓口にはたいてい日にちがわかるものが置いてあるものだ。
自動ドアはぼくに反応しなかった。
……壊れてる? まさか。
そのとき改札でべーっと音がした。見ればおじさんが改札に引っかかっている。定期券でも切らしていたんだろうか。
おじさんがふらふらとした足取りでぼくのほうに近づいてきた。ぼくは自分の感づきを証明するため、そのままそこに立っていた。
おじさんが近づいてくる。
そしてそのまま、ぼくに気がつかないまま、ぼくの体を通りぬけた。
……うすうす、感づいていたんだ。
ああそうかという納得と、どうしたもんかなという困惑。
不可解な移動。無くした記憶。そのくせ無くしていない知識。
なにかがあったことは確実だ。
けれど。そんなこと、ありえない。
自動ドアが閉まる。光が反射して、ぼくの姿が見えた。
よれよれのコートを着た男。まだ二十代前半。背は低くて、自分で言うのもなんだけど、童顔だ。中学生に間違えられても文句は言えない。
そしてその足は、お決まりのようにうっすらと空気に溶けこんでいた。
おかしいな。ぼくからは頑丈な靴が見えているのに。
確かにそう思って見下ろす。……そうだ。見えていたのに。今は、足元にスモークでも焚いてるかのようにぼんやりとした光景になっている。
見えるものが確実とは限らないのか。
ぼくは自動ドアが開くのを待たずにおじさんに続いて案内所に入る。自動ドアは開かず、駅員もおじさんもぼくに気がつかない。
窓口の万年カレンダーをひょいと見れば、今日の日付は「二〇七〇年二月八日」だった。
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