ヒトよ、最弱なる牙を以て世界を灯す剣となれ 特別編

上総朋大/ファンタジア文庫

白南関攻防戦 01


 俗に人間が言う「冒険」とは、つまり魔物や魔獣、妖魔に対する強盗殺害である。

 魔物や魔獣、妖魔らが営んでいる住処を勝手に“ダンジョン”などと名付け、エルフ、ドワーフら亜人たちと共に“冒険者”と名乗り、まだ幼い魔物らすら襲って殺し、金品を強奪した。

 そこには罪の意識など存在せず、それどころか善行であるかのように称えられ、冒険者たちは栄光を求めて旅を続けた。

 そして更なる力をつけた人間たちは、根源源素たるエーテルそのものを利用することに成功し、エーテルによって奇蹟的な力を使える“エーテリオン”と呼ばれるものが現れた。

 その後、とある天才エーテリオンが“反魂の術”を開発し、死んだ冒険者を蘇らせることに成功すると、もはや冒険者にとって最大の脅威であった「死」ですら、経験値なるポイントになった。

 何の罪もないものたちを倒して高みを目指した人間、エルフ、ドワーフら“善の種族”は、魔獣や妖魔、魔物らモンスター達を見つけては、手当たり次第にこれを虐殺し、武器防具を強化する素材として角や牙、爪などを剥ぎ取っていく。

 後に“冒険者団”と呼ばれるようになる彼らは、これまで眠った子を起こさないかのように触れなかったモンスターにすら襲いかかり、勝利を納め、大金と、より強力なエーテルアイテムを収集するようになった。この冒険者団らの台頭は、また新たなる冒険者を生み育て、急速に強力なエーテリオンが続出し、彼らはより強く、儲かる相手を探してグラファリア大陸を所狭しと暴れ回った。


 こうして、起こるべくして起きたのが“冒険者のインフレーション”である。高レベルに達し、グラファリア大陸の全て制覇した冒険者団らは、とうとう挑んではならないものに手を出そうと計画していた。

 ドラゴンである。

 “翼持つ災厄”として、行く手を阻むものを灼けるブレスで黒焦げに、凍てつくブレスで凍りづけにしてきたドラゴンに、冒険者団が挑み始めたのだ。初めは手も足も出なかった冒険者団だったが、彼らは諦めなかった。

 失敗を糧とし、研鑽けんさんを重ね、何度も全滅させられながらも、その度にエーテリオンによって蘇り、再び隊伍を整え、より強力な冒険者団となってドラゴンに襲いかかる。

 そして、とうとうドラゴンを倒せる冒険者団が現れるようになった。それは魔物たちにとって、暗黒と呼ぶに相応しい時代の到来だった。何せドラゴンですら資源扱いである。ゴブリンやコボルトなど、単体では比較的弱い魔物たちは、ただ道を歩いていただけで、初級の冒険者たちに嬲り殺された。

 だが、そんな人間たちの栄華にも、徐々に翳りが訪れる。

 人間暦AD二六〇七ヤーズ(年)、それまで人間たちに虐げられていた魔物や妖魔が一斉蜂起して妖魔八種大連合軍を結成し、人間の村や町を襲ったのである。人間たちもハイレベル冒険者団を中心に応戦し、妖魔八種大連合軍との戦は激戦になった。

 しかし、終わりは唐突に訪れた。冒険者団も討伐出来なかった、グラファリア大陸の生ける伝説ともいうべき四体の超巨大級ドラゴンが、突如として妖魔八種大連合軍側に加勢したのである。


 これが決定打となり、冒険者団は……人間は魔物に屈し、大敗した。


 そしてグラファリア大陸は、大きな転換点を迎えた。親人間派だったエルフとドワーフは魔物の軍団によって徹底的に攻められて滅亡し、人間の国も、悉く崩壊した。

 この歴史的転換期を迎え、妖魔たちはそれまで使っていた人間暦ADから、グラファリア統一暦、MGへと年号を変えた。

 つまり、人間たちの歴史はAD二六〇七ヤーズで終了したのである。

 年号を改め大陸統一暦、MG〇〇〇一ヤーズ。それは妖魔や魔獣、魔物たちの時代の幕開けであり、人間にとって地獄の始まりだった。人間は単純に“ヒト”と呼ばれ、家畜や奴隷、魔物の餌として、魔獣や妖魔に管理、飼育される時代が訪れたのである。


           ★ ☆ ★ ☆


 そして更に時は流れ、大陸統一暦、MG〇五七六ヤーズ。

 グラファリア大陸北西部にストーリア公国という、ヴァンパイアの国がある。

 国境を“白麗山脈”に囲まれ、東の隣国であるオーガの国ベーゼ王国と、南の空白地帯からしか侵略がないという比較的恵まれた立地で、ヴァンパイアらは夜を謳歌していた。

 ストーリア公国は東西南北、四つの勢力に分かれている。そのうちの一つ、ストーリア公国の西フェザーミル地方。ここは他の領地と比べ一風変わっていた。東には足を踏み入れれば二度と出られないと噂される“深き森”があり、北、南部はそれぞれ北のストーリア地方、南のリンカーフォルの領地と隣接している為、外敵から身を守る必要がない。

 公国内で唯一、敵軍に侵略される心配のない領地である。しかし逆に言えば、それだけ旨味のない土地であり、故にストーリア公国ではフェザーミルは“西の辺境”と呼ばれていた。

 それは各領地の領主を見ても明らかだった。北に鎮座するのは【黒炎神の現し身】という二つ名を持つ、絶対君主ハーシュタット・ストーリア大公。

 東は大公と共にヒトと戦い、数多の戦場で勝ちを収め、大公が最も信頼するという【煉獄の】大将軍、グレン・レヴァンダ伯爵が睨みをきかせている。南は【鉄壁の】大将軍、ゴダード・イセントリク子爵が、公国の平和を守護している。

 そうそうたる面々が名を連ねる中、西のフェザーミル地方を治めているのは、ヘネシー・ストーリア女侯爵という、大公の二番目の子であり、長女である。

 大公には既にワーテイス・ストーリア侯爵という嫡男がおり、彼が第一継嗣だ。

 ワーテイスは、強欲で、慈悲の心もなく、悪名高いヴァンパイアだった。 

 しかし、その息子であるアルベリックは父とは真逆で、品格を備え、怜悧であり、更に精悍さも兼ね備えている。故に、大公はこのアルベリックを目に入れても痛くないほど可愛がっており、後々には彼に戴冠させたいのではないかと噂されていた。

 そうして、第二継嗣ヘネシーは一〇〇ヤーズ前に、西への下向を命じられた。

 この哀れな第二継嗣の姫君はいつしか“辺境姫”と呼ばれるようになり、憐憫の目で見られていた。


「はー、ヒマ……」

 その美少女はソファに寝転びながら、重たそうに一言漏らした。

 このふにゃけた顔をした銀髪の超絶美少女こそ、フェザーミルの辺境姫ヘネシー・ストーリアである。

「そんなにヒマなら、また城下町で憂さ晴らしでもしてくれば?」

 ぐだぐだの少女とは対照的に、しゃきっと背筋を伸ばし、黙々と読書をしていたヒトが、そう声を掛けた。

「んー、一人で?」

「オレは見ての通り、読書で忙しいんだよ」

「うー、むー」

 完っ全に、だらけている。

 この部屋は蔵書室の手前にある司書室だ。ここで読書に精を出している黒髪の少年はジノという、ヒトである。

 本来ならば主たる妖魔ヴァンパイアに、一方的に殺されても文句の言えない立場ではあるが、ジノはただのヒトではない。

 ヘネシーの侍従贄フィーズであり、しかも今ではヒトの稀少種となった“エーテリオン”なのだ。

 ジノは自分を天才と豪語し、たった一回の接触でヘネシーの心を掴んだ。ヘネシーはその才能を高く買い、本来ならば“ヒト収容区画”の外に出るには特別な許可が必要なのだが、ヘネシーはジノを侍従贄フィーズにすることにより、フェザーミル城へ連れて行くことにしたのだ。

 侍従贄フィーズの本来の役割は、主たるヴァンパイアの為に尽くす従者であり、主が失血症を起こした際の非常食なのだが、ヘネシーはジノの願いを聞き入れ、この司書室と蔵書室の立ち入りを自由とし、積極的に学ばせた。

 ジノもその期待に応え、山のようにある蔵書を次々と読破し、知識を吸収していった。

 そして今、司書室にはジノとヘネシーの他に、もう一人、扉の横で人形のように微動だにしない、メイド服姿のヴァンパイアがいた。

 彼女はトレーフル。ヘネシー付きのメイドであり、ジノとヘネシーの間を取り持つ役も命じられていた。

「ねえ、たまには二人で城下町に行こうよ」

 ソファの上で、だだをこねるヘネシー。

 因みにこの司書室にソファやらテーブルやらはヘネシーの私物であり、酒や果物を持ち込んでいるのはトレーフルである。

「えーと、オレの話を聞いてた?」

「たまには外の空気を吸おう!」

「聞いてなかったみたいだね」

 ジノが嘆息する。こうなったらもう、ヘネシーは意地でもジノを外に連れ出すだろう。抗うだけ無駄だ。ジノは壁に立てかけてある時計に目を向けた。

 ヴァンパイアの一日は、時告げの鐘に始まり、時告げの鐘に終わる。

 何せヴァンパイアは、日光に弱い。日の光を浴びると、瞬く間に火傷の症状を起こし、ものの数秒で灰になってしまうのである。

 故にヴァンパイアにとって、時間はとても大事だった。

「今が二十二ハル(時)かあ。じゃあ、ちょっとだけだよ?」

「やった!」

 ヘネシーが諸手を挙げて笑顔を見せる。女侯爵という高い身分の割には、屈託のない姿を見せるところは、ヘネシーの魅力の一つだ。

「トレーフルも一緒に行こうか。どっちみち辺境姫様を尾行するんでしょ?」

「尾行ではありません。ただこっそりとヘネシー様とジノ様に気づかれぬよう、付かず離れず、お見守りしているだけです」

 つまり、それは尾行である。

「だったら、今日は堂々と行こうよ。いいよね、辺境姫様?」

「うーん、まあ、いいわ」

 ほんの僅かに、ヘネシーの声が残念そうだったように聞こえたのは、気のせいだと思うことにした。

「で、どこに行くの?」

 ジノがヘネシーに尋ねると、ヘネシーはびしっ、と、北を指さした。

「今日は城下町北区にある下流サロン“絡み合う蛇亭”よっ! 今、あそこに珍しく有名な音楽団が来ているらしいのよっ!」

「そんな情報、どこから仕入れてくるのさ?」

「だってあたし領主だもん。色々とねえ、許可とか認可とか承認とかするわけで……」

「職権濫用だね」

「失礼な言い方ねえ。ちょっとした領内査察に決まってるじゃないの♪」

 絶対にそんなことを考えてない。確信するジノとトレーフルだった。

 ジノは壁に掛かっていた、目元と額を覆う赤い仮面を装着した。この仮面には夜目のエーテルが掛かっている。ヴァンパイアは暗視の能力を持っているので必要ないが、ジノはヒトなので、夜の外出時には必須なのだ。


 こうしてジノ、ヘネシー、トレーフル(瞬く間に町娘の格好になっていた)は、三十ミン(三十分)後、絡み合う蛇亭の前にいた。中は大層賑やかで、吹奏楽器の音色が店の外にまで聞こえてきた。

「よーし、入ろー!」

 ヘネシーが先陣を切って、扉を開く。

 つん、としたアルコールと、喉にくる煙草の煙、音楽団の演奏が店中に響き渡っていた。酒も煙草も、ヴァンパイアが至極、一般的に利用する嗜好品だ。

 そして市民階級のヴァンパイアたちがヘネシーの姿を目にすると、誰かが「辺境姫様だ!」と叫んだ。その時。音楽団の演奏をかき消すほどの歓声が沸き起こった。

「辺境姫様だ、来ると思ったぜ!」

「きゃーっ、本物の辺境姫様ーっ!」

「奥の席が空いてます、どうぞっ!」

「トレーフル様~!」

「ほら見ろ、来たじゃねぇか。みんな俺に5000エルだぞ!」

 ……賭けの対象にまでなっていた。

 ここにいるのは、全員がヴァンパイアか魔物の旅人で、当然ながらヒトは全くいない。

 いや、ひょっとしたらいるのかもしれないが、それは客としてではなく、ヴァンパイアには血液を提供し、肉食の旅人に提供する為の食材としてだろう。

 ヒトは家畜と同様の扱いである。調理場で捌かれ、皿の上に乗る存在なのだ。

 しかし、ジノはヘネシーの侍従贄フィーズであり、それはフェザーミル城下町にも広まっている。

 ジノを襲うということは、その主たる領主ヘネシーに弓引くのと同義なので、ジノだけは魔物から襲われることはない。万が一、ジノに手を出せば、ヘネシーとトレーフルがその魔物を瞬殺するだろう。

 そんなヘネシーは早々に客に捕まり、酒を大いに楽しみ、音楽団は客の声に負けじと、激しく楽器を吹き鳴らし始めた。ジノは葡萄の果汁が入ったコップを手に、ヘネシーが酒を飲み、歌い踊る姿を眺めると、そっと店を出て夜空を仰いだ。

 今日も、紅の月を追うように、蒼の月が紅の月の軌跡をなぞって闇夜をゆっくりと移動していた。決して交わることのない二つの月は、それでも諦めず、いつか重なるその日を待って、これからも夜空を彩り続けるのだろうか。そんな日はきっと来ないだろうが。どの記録を見ても、あの二つの月が折り重なったという記述はないからだ。

 ジノは片手で、ぐっと胸を抑えた。

「ネルヴァ、エンフェ……ロマイド」

 呪文のように、名前を呟いた。

 その名が脳裏に過ぎるだけで、ジノの心は暗く澱み、自然と首をもたげてしまった。


 ジノが生まれたのは、ここフェザーミルではない。

 グラファリア大陸の東方にあるコボルトの国、フォルス共和国の隠れ村だ。

 フォルス共和国の隠れ村での生活は、退屈と恐怖の日々だった。ジノと三人の仲間たちは、いつコボルトに襲われるか分からない隠れ村でひっそりと過ごすより、グラファリア大陸の南西部に位置するダークエルフの森に移住しようと提案し、説得して回った。

 ダークエルフは今のグラファリアを統べる七大妖魔の中で唯一、ヒトを口にしないのである。

 そして、そんなジノたちに対して村人が出した答えは“否”だった。

 今まで見つからずにこれたのだから、これからも穏やかに暮らせると思っていたのだ。それそのものが奇蹟だということに、気づきもしていなかった。いや、もしかしたら気づいていたのかもしれないが、目を背け、思考することを止めていた。

 ジノたちは仕方なく仲間のネルヴァ、エンフェ、ロマイドと共に隠れ村を抜け、森を見下ろせる丘に上がった。

 その時だった。ジノが妙な気配を感じて振り返ると、隠れ村がコボルトの軍勢によって焼かれ、阿鼻叫喚の渦と化していた。あれだけジノたちが鳴らした警鐘は誰の耳にも入らず、唐突に終わりがやって来たのだ。戻ろうとするジノたちを、ロマイドが引き止めた。散々村人たちに警告した結果が、今起きたに過ぎない、と。ジノたちは後ろ髪を引かれる思いで西に進み、空白地帯に入った。

 そしてネルヴァ、エンフェが空白地帯を旅している最中に、凶悪な魔物や盗賊団に襲われて命を落とした。

 やっとの思いでダークエルフの国の北まで辿り着いたところで、一休みしていたジノの横にいたロマイドの胸が突然、爆ぜた。

 それは驚くべきことに、矢による強烈な射撃だった。皮肉にもその矢を放ったのはジノやロマイドの悲願だった、ダークエルフによるものだったのである。

 ロマイドを失ったジノは失意の中、何とかその場から北へ逃亡し、これからどうすべきか、と思い悩みながら彷徨っていた。

 そこでヴァンパイアによるヒト狩りに遭遇してしまい、フェザーミルへ連行され、今に至っている。

 それからのジノは偶然ヘネシーと出会い、何とか見出されるよう仕向けた。

 果たしてジノの思惑通り、ヘネシーはジノを侍従贄フィーズとして召し出し、知識を付けるように計らってくれた。

 ヘネシーには感謝している。

 しかしジノの、いや、ジノたちの最終目標は、主と仰ぐ魔物をグラファリアの支配者にまでのし上がらせ、その中でヒトの国を建国することだ。

 ところが今、ジノが仕えているヘネシーは一国の主どころか、四つあるうちのいち領主に過ぎない。しかも四つの国の中で最も貧しく、軍力も少ない辺境の姫だ。そんなヘネシーを大陸の覇者にするとなると、どんな方法があるというのだろうか。

 そもそもヴァンパイアは世襲制であるものの、寿命がない。何をどう考えても良策は思い浮かばず、がっくりと項垂れるジノの許に、早馬らしき馬蹄ばていの音が聞こえてきた。

 気になったので顔を上げると、通信士のクラメアがこちらに向かってきていた。

「おっ、ジノか!?」

 ジノを目にしたクラメアが、ぱっと表情を明るくした。

「何か急報でも?」

「ああ、南のリンカーフォルから火急の知らせが来た! ヘネシー様はこの中にいらっしゃるのか?」

「うん。でも、オレが伝えようか?」

「ふむ、そのほうが早そうだな。じゃあヘネシー様に急いで城に戻るよう伝えてくれ!」

 クラメアは騎乗したまま、ジノに向かって叫んだ。

「南のリンカーフォルにトロール軍一五〇〇〇が攻め込んで来るらしい。そこでリンカーフォルから援軍要請が来た。既に公都からも伝信鳥が飛んできて、大公陛下の命令として、フェザーミルは早急に兵を整え、国門“白南関”に向かうべし、とのことだ!」

「何だって!? それは一大事だ!」

 ジノは、思わず目を見開いた。

 トロールの国ブランド共和国は、ダークエルフの国グレイウッズ王国の東に位置する大国だ。

 長い間、グレイウッズ王国はこのブランド共和国に侵略されては防いできたが、その矛先をヴァンパイアの国、ストーリア公国に向けてくるとは。

 ……ジノは中々、面白い手だと思った。

「分かった、辺境姫様にはオレから言っておく。クラメアはすぐに城に戻って、各局長へ謁見の間に集まるようにと伝えて欲しい」

「おう、そっちは任せたぞ!」

 クラメアは馬の踵を返し、軍事局に向かって走り去っていった。

「リンカーフォルに、トロール軍か……」

 ジノは頭の中から仲間たちのことを払拭し、再び絡み合う蛇亭の中に戻って、緊急事態が起きたことを告げると、ヘネシーは大急ぎでジノと共に城へと戻った。



 かくして、一ハル後。

 フェザーミル城の謁見の間には、内政局長ルシール、総務局長ヴィオラ、軍事局長ライバーが、首を揃えて待っていた。

 ジノはヘネシーの横で片膝を突き、仮面を外して控えた。

「皆、事情は既に聞いているわね?」

 少し前まで浴びるように酒を飲んでいたせいか、ヘネシーからは甘い酒の匂いがした。

「リンカーフォルへの援軍じゃろ! 相手はトロールか。腕が鳴るわい!」

 ライバーが、そう息巻いた。

 フェザーミルの軍事局を任されているライバー・ツェンペルト男爵は、大公と同じく六〇〇ヤーズ近く生きているヴァンパイアで【疾風の】大将軍という二つ名持ちの将軍である。今回の件でも、ライバーの出番が来るのは間違いなかった。

「それにしても、リンカーフォルが誇る“白南関”は、公都の【放逸の】発明家、技術開発局長キリエが作った傑作の一つだとか。それに、リンカーフォルには二〇〇ものヴァンパイア兵がいるはず。援軍など、必要なのでしょうか?」

 総務局長ヴィオラがドレスの裾をひらひらさせながら言う。ライバーはヴィオラを睨み付け、ヴィオラはそんなライバーに眉を吊り上げた。

 このヴィオラ・ウォティアの一族、ウォティア家は、ストーリア公国四大名家に数えられる、名門中の名門である。大公の命令で、フェザーミルに少しでも箔を付け、ヘネシーの教育係となるようなヴァンパイアとして白羽の矢が立ったのが、このヴィオラだった。

 ところが当のヘネシーがヴィオラから逃げ回る為、手持ち無沙汰になったヴィオラは、毎晩のように宮廷でパーティーを開いており、それが領地の金庫にダメージを与えているというのが実情だった。

「今回の案件で関係するのは軍事局と内政局だけじゃ。けばけばしい総務局の踊り子は、とっとと舞踏場にでも戻ればよかろう」

「まあ、お言葉ですわね。さすがは礼儀作法の初歩も存ぜぬお方。かような方が援軍に向かって失礼を働き、リンカーフォルの方々に失笑されなければよいのですがね」

「ほう、言ってくれる……戦場での作法ならば、そなたよりもずっと詳しいぞ。それとも、敵の眼前でダンスでもせよと申すのか?」

「お二人とも、ヘネシー様の御前ですよっ!」

 少々小柄なヴァンパイアが、二人の間に割って入った。

 彼女は内政局長ルシール・リッテラといい、その内政の手腕はヘネシーが公都にいた頃から発揮されており、ヘネシーがフェザーミルの領主になると決まったとき、是非とも連れていきたいと大公に直訴し、フェザーミルへ連れて来たという経緯を持つ。

 ところがフェザーミルが想像以上の田舎であり、開発の余地はあるが、領民にやる気がないのと、開発費用がなかった為、卓越した内政の腕を持つルシールでも、領地を潤すには至っていなかった。

「ルシールの言う通りよ。今は仲間同士で争っている時ではないわ。リンカーフォルの”白南関”は、空白地帯から流れてくる魔獣やモンスターを領地内に入れないようにすると同時に、国内に入ってくる旅人の素性を改める為の城塞よ。そこに今回みたいな大がかりな軍勢が押し寄せてきているんだもの。援軍は当然だわ」

 ヘネシーの言う通りだった。

 ジノも口を出したかったが、自分の身分はあくまで侍従贄フィーズである。このような公式の場での発言は、ヘネシーの許しが出るまで控えることにしていた。

「して、ヘネシー様。此度の援軍は、如何ほどにすべきとお考えか?」

 ライバーが、ヴィオラから視線をヘネシーに移して言った。

 今現在、フェザーミルは兵一五〇、公都は三〇〇、東のシルバーキープは二五〇、攻め込まれそうになっているリンカーフォルには二〇〇のヴァンパイア兵がいる。シルバーキープは東に隣接するオーガの国ベーゼ王国を牽制しなくてはならないので、援軍要請はフェザーミルだけだろうと、ジノは推察した。

 それにしても、トロール軍一五〇〇〇に対しリンカーフォルは二〇〇である。

 一見、圧倒的に不利なようにも見えるが、実はそうでもない。何せヴァンパイアは、炎で焼かれるか、首をはね飛ばされるか、日光を浴びるかしなければ、どんな傷をもたちどころに治ってしまう不死身の妖魔なのだ。

 一般的にヴァンパイア一人を倒すのに、一〇〇〇のゴブリン兵が必要になるとされている。トロールの場合、ゴブリンよりは強いので、さすがにヴァンパイア兵一人で一〇〇〇ものトロールを屠るのは難しいだろうが、そこまで圧倒的に負けるような兵力差ではないというのがジノの分析だった。

 実際に白南関に行き、見てみないことには分からない部分が多いのだが。

「白南関に備え付けられている防衛設備はヴィオラの言った通り、数万の敵も寄せ付けないと聞いているわ。しかしここが敗れれば、国内にトロール軍の侵攻を許すことになる。それだけは何としても避けねばならないわ」

 ヘネシーは玉座から立ち上がり、腕を振ってその場にいるものたちに命じた。

「援軍は私が自ら一〇〇の兵を率いる。将はライバー、ターシャとする。ルシールはこの兵たちの兵站の準備を。ヴィオラは……何か、出来ること、ある?」

 一同の気が、抜けた。

 確かに、ヴィオラは礼儀作法の指南役として送られてきたヴァンパイアなので、こういう血生臭い件に関して、どんな働きが出来るのか、誰も把握していなかった。

 唯一人、ジノを除いては。

 自ら口を開かないと思っていたばかりだが、ここは言わなくてはならない時だった。

「辺境姫様、ヴィオラは広い人脈を持っている。空白地帯の傭兵団にも繋がりがあるんじゃない? どうかな、ヴィオラ?」

 ジノがそう促すと、ヴィオラは扇子を広げて口許を隠し、目を細め、自信ありげな視線でジノを射貫いた。

「勿論ですわ。空白地帯の有名な傭兵団に伝があります。尤も、それを辺境姫様が必要と考えるのであれば、ですが」

「おおっ!?」

 その場にいた全員が、ヴィオラの発言に驚嘆した。

「それ、どれくらいの戦力になりそうなの?」

 ヘネシーが、身を乗り出してヴィオラに聞いた。

「名うての旅団ですから様々な種族が混在しておりますが、二〇〇〇は下りません。彼らを雇い、トロール軍の背後を突けば、戦局は一気にこちらへ傾くでしょう」

「二〇〇〇! 確かにそれだけいれば、如何に精強なトロール軍とはいえ、ひとたまりもないわね。やってみる価値はあるわ!」

 その時、ジノがすっと手を上げて、発言した。

「傭兵団を雇うという策は大賛成。でも、それが出来るのならもう一つ打てる手がある」

「何ですの?」

 ヴィオラが、毅然として聞き返した。

「その傭兵団が空白地帯を根城にしているんだったら、当然、盗賊団とも繋がりがあるはずだ。傭兵団に知り合いの盗賊団にも声を掛けて貰うんだ」

「盗賊団に? 言っている意味が分かりませんわ」

「……そうか、読めたぞ。敵の兵站じゃな?」

「さすがは、ライバー大将軍」

 動揺するヴィオラに、目を光らせてジノを見るライバー。

 ジノは大きく頷いて、話を続けた。

「トロールは一日五食は食べるという、グラファリア大陸で最も大食らいの種族だ。故に、トロール軍は兵站へいたん輜重しちょう隊に相当数の護衛をつけ、戦に巻き込まれないよう、かなり後方に陣を構えるはずだよ。ヴァンパイアだけでこれを狙うというのは数的に難しい。そこで傭兵団の援軍にはトロール軍の背後を、更に盗賊団には兵站を襲わせるんだ。勿論、この話には盗賊団に旨みがないといけないから、トロール軍の兵站は切り取り次第ということにする。そうすれば、きっと乗ってくるよ」

「それも、いい手じゃない!」

 ヘネシーが、驚嘆の声を上げた。

「兵站が襲われれば、トロールたちにとっては一大事だ。何せ食料がなくなれば、あっという間に万を超える大軍のトロールが飢える。退却を余儀なくされるだろうね」

「よし、その策でいこう。どの道、一五〇〇〇ものトロール軍を殲滅するのは不可能に近いわ。ヴィオラ、早速手を打って。傭兵団にはストーリア公国が報酬を与えるから、存分に働いて欲しいってね。盗賊団の方はジノの言う通り、切り取り次第よ!」

「ははっ! それでは早速、伝信鳥を飛ばしますわ」

 ヴィオラは優美に一礼し、退廷していった。

「まさか、何も出来ないと思っていたヴィオラに、そこまでの人脈があったとはね」

「ふん……それにしても、その援軍が間に合わなかったら、話にならん」

 ライバーとヴィオラはあまり仲が良くないので、素直に褒めたりはしなかった。

「でも、援軍が来ると来ないとじゃ、士気に大きく関わるよ。今回、白南関攻防戦の鍵を握るのは、案外ヴィオラかもね」

 そう言ったジノが気に入らなかったのか、ライバーはふん、と鼻を鳴らした。

「とにかく、ライバーとターシャは出兵する兵を一〇〇名選抜して。出陣は、明日の時告げの鐘と同時よ!」

「ははっ! 急ぎ、兵を整えまする!」

 ライバーは左拳を右胸に当て、右の掌で左拳を包み込む。ヴァンパイア流の拝手だ。

 そして、ライバーは腕をぐるんぐるんと回しながら、退廷していった。

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