『invulnerable』

木村浪漫

『invulnerable』

 

 「──しかし、いつ見てもブルーの手際は鮮やかなもんだな。能力ありきとは言え、あっという間に証人から本音を引き出しちまった」

 一般車に偽装した白塗りのフォードア。乗員の命を守る強固な砦にも、悪人を閉じ込めるための監獄にも早変わりする、オフィス専用カーの車内。

 助手席に座るハザウェイが退屈をもて余しているのか、イースターズ・オフィスへの帰り道を運転するブルーに、能天気に話しかけている。

 「──これからが私たちの仕事の本番だろう。ハザウェイ。証言だけでは証拠能力に乏しい。証言を裏付ける確かな証拠あっての、私の能力だ」

 「いやいや、本人による証言ってのは法廷でも重要視されるキー・ポイントだぜ。ブルーの能力であることないこと喋らせれば、俺たちの仕事ももっと楽になるんじゃねぇか?」

 やれやれ、と溜息を吐く。苛々したようにハンドルを人差し指で叩く。

 「……私に冤罪をつくれと? 真実から目を背け、口当たりの良い嘘に我が身を任せろと? 罪のないものに謂れの無い罪を着せ、そこにあるはずのないものとあると声高に主張する、許されざる人間どもの悪事の肩棒を担げと?」 

 「そういうわけじゃないよ。ブルー。悪かった。……ったく、冗談が通じないやつだな、ホント」

 つまらなさそうにハザウェイは口を噤む──代わりに思慮深く、静かにブルーが口を開いた。

 「……やってみようか?」

 「え?」

 「実は、私も私のギフトがどこまでやれてしまうのか、私にも興味があったところだ」

 「──。意外と面白みがある奴じゃねぇか。もっと自分の能力ギフトにストイックなタイプかと思ってた。クルツの旦那とか、オセロットみたいにな。──いいぜ。お前の能力を俺に使ってみなよ。俺の体は、大概の薬物に耐性が付いてるからな。“再来者レプナント”ハザウェイ・レコードさまの再生能力と、ブルー=<ザ・カクテルシェイカー>の、能力ちから比べと行こうじゃないか。もし俺が負けたら、ウィンドマーチ・パークを、逆立ちで一周してやるぜ?」

 「ふむ。悪くない余興だな。──ミセス・ボイルドの狐毒をその身に受けて、血溜まりの肉塊から復活を果たした不死身ぶりは、聞きしに及んでいる。存分に私も能力を発揮出来そうだ。この勝負の勝敗条件は、そうだな……。例えば──お前の口から『ジョーイは死んだ』と言わせることなどはどうだろう?」

 「なんだそりゃ。そんなのぜってーありえねぇだろ。勝負にならねぇよ」

 「あぁ。──絶対にありえない、とお前が強く思っているからこそ、この勝負は必ず面白くなる。そうは思わないか?」

 「──いいぜ。乗った。絶対に負けねぇからな」

 「制限時間は三十分としよう。それまでに私がお前にそれを言わせられなければ、私の負けだ。何でもお前の言うことを聞こう」

 「“ピンキー・キャット”の店で、朝までコースだ。お姉ちゃんを三人つけてな。もちろんブルーの奢りだぜ」

 「いいだろう。了承した。ところでハザウェイ。──ジョーイのことは、残念だったな」

 「──へへっ、その手は喰わねぇぜ。ジョーイは生きている。残念ってのは、先週末に赤毛の姉ちゃんにフラレたことか? それとも今朝フライパンを引っくり返して、右手に火傷を負っちまったことか?」

 ブルーは沈痛な表情を浮かべ、左手で顔を覆った。小さくあぁ、と呟き、そして何かを思い出したように大きくあぁ、呻く。ブルーはまるで、とてつもない悲劇を目の当たりにしてしまったような人間の声を出した。

 「あぁ! ハザウェイ……。なんてことだ。まだ死んでしまった相棒の幻覚を見ているんだな。なんて可哀想に……。ジョーイは死んだじゃないか。ジョーイは死んだんだ。もうどこにもいないんだ」

 「俳優顔負けの名演技だ、ブルー。今から映画のオーディションを受けるべきだ。今年のアカデミー賞は、きっとお前の総ナメだぜ」

 豪気を装って言い返しながらも、少しだけハザウェイは不安になる。──出掛けにアパートの鍵を掛け忘れたのではないか、という程度の、小さな不安の種だったが。

 「──ハザウェイ。私はお前のためを思って、真実を話しているんだ。ジョーイは死んだんだ。バラバラになって死んだんだ。卑劣な、あぁ、その名を口に出すのもおぞましい、裏切り者の手によってな」

 車内にはブルーの“カクテル”が充満されているはずだ、とハザウェイ思う。精神の変調を引き起こす特殊な化学物質が。

 「……なんだか気分が悪くなってきた。窓を開けていいか?」

 「もちろんだ。どうぞ」

 「──ウィンドウを運転席からロックしたな?」

 「真逆。勝負に対して、そんな卑劣な真似を私はしない。偶々、偶然、ウィンドウの開閉装置が故障していたんじゃないか」

 ハザウェイは黙り込む。もう一言だってこの男と話などしてやるものか。このまま黙り込んで時間切れを待てば、勝負に勝てるんじゃないか、とハザウェイは思考する。腕時計を見る。時間の進みがやけに遅い。──三十分ってこんなに長かったっけ?

 沈黙の中で、もしかしたら、という不安の種が芽吹いていく。

 ハザウェイは沈黙に耐え切れなくなる。誰かに同意を求めたくなる。

 「ジョーイは生きている。それだけは間違いない」

 「……あぁ。同感だよ。私とお前の中で、いつまでも生きている」

 「そうじゃない。本当に、生きているんだよ、ジョーイは!」

 「あぁ、ハザウェイ。また嘘を吐いて……。いいだろう。そろそろこの下らない勝負に決着をつけようじゃないか。ハザウェイ。本当にジョーイが生きているというなら、脳内無線を使って、ジョーイに連絡をしてみたらどうだ?」

 ハザウェイは思考トリガーを引いて、脳内無線の回線を開く──その直前で逡巡する。ジョーイは生きている──でも、もしも、万が一、ジョーイに繋がらなかったら、どうしよう?

 「どうした? ジョーイに連絡しないのか? ジョーイが死んでいることを認めるのが怖いのか? 断っておくが、私は能力を使用していない。窓はさっきから全開だ。私はずっと真実をお前に話している」

 そんな馬鹿な、とハザウェイは右のウィンドウを見やる。その隙を突いて、ブルーはハザウェイの左腕を掴む──ブルーの“カクテル”が肌を通して直接浸透する──ハザウェイは自分がどうしたらいいのか、突然わからなくなる。

 「わからない……。あの、俺……おれ、よく、判らなくて、あの、わからないです……」

 「そうだ。いいぞ。ハザウェイ。何もわからなくたっていいんだ。だって、ジョーイが死んだ時、おまえはまだ、子供だったのだから。ジョーイが死んだのは、おまえの所為ではない……」

 「ジョーイは死んでない、しんでいない、です」

 「強情なやつだな。まだ理性を残していると見える。──私はお前を救いたいんだ。本当に、心からそう思っているんだ。いつまでも死んだ相棒の影を追うことは止めるんだ。死んだパートナーはお前に何もしてはくれない。新しいパートナーと新しい信頼関係を形成するんだ。それが健全な姿というものだ」

 「ジョーイじゃないと、いや、──やだ」

 ハザウェイは赤ん坊が、いやいやをするようにむずがった。──精神が逃げ場を求めて退行しようとしている。

 「あぁ、仕方のないやつだ。困ったやつだ。辛かったな。苦しかったのだろう、ハザウェイ。私がすべてを忘れさせてやろう。楽しかったことも、悲しかったことも。ジョーイのことはすべて。……イースターズ・オフィスに帰る前に、少しだけ遠回りをしようか。海に行こう。ハイウェイに乗るぞ。この車はオープン・カーだ。見えるだろう、ハザウェイ。見えるはずだ。──行くぞ。今夜はミッドナイト・ドライブだ。存分に夜の海を楽しもうじゃないか」

 ブルーの能力によって、五歳児の心を取り戻したハザウェイには、確かにそれが見えた。

 ピンク色のキャデラックのオープン・カー。古びたエンジンが力強く駆動する。 キャデラックのラジオからは陽気な音楽が流れている。ブルーがアクセルを踏んだ。目一杯にマルドゥックの夏風を全身に浴びて、真夜中のハイウェイを流れ星のように駆け抜けるピンク・キャデラック。ピンク色が夜を駆け抜けたその先には、ずっと広い海が、水平線の向こう側まで広がっている。

 ハザウェイは両手を挙げて、大きく目を輝かせる。

 「うみだーーーーーーーっ!! ぃやったーーーーーーーーーーーっ!!!」



 「──ということが、昨夜行われてな。ジョーイ」

 「涼しい顔で何を言っていやがる。ブルー」

 イースターズ・オフィス。一夜明けて、帰りの遅いハザウェイとブルーを心配したジョーイが、朝方になってから迎えに訪れていた。

 「密閉された空間で自分の能力に影響されないように、自分で自分の精神を昂揚させていたのが良くなかった。途中から自分でも何をやっているのか、ちょっとよくわからなくなってしまっていたな。まだまだ精神の修養が足りていなかった。自分にペナルティを課さなければ。──マルドゥックの真夜中の浜辺で、子供のように走り回っていたハザウェイがジョーイ……ママを呼んで泣き出した辺りで、あぁ、これはとても拙いことになったな、と」

 怯えたような目のハザウェイは、ジョーイの背中に隠れて離れようとしない。

 「ジョーイ、ママが、いなかった。くらくて、ひとりで、こわかった」

 「あぁ、そうだな。怖がらせて、すまなかった。ハザウェイ」

 ジョーイはその強靭な握力をもってブルーの襟元を掴んでがっくんがっくんとそれはそれはもう折れてしまうかもしれないくらいブルーの首を揺さぶった。

 「ハザウェイを! 今すぐ!! 元通りにしろよ!!!」

 「いや、それは、たった今、出来なくなった」

 「なんでだよ!? ハザウェイにずっとこのままでいろってことかよ!!!」

 「いや、そうではない。私自身の問題だ。今ほど物凄い握力で、激しく首を振りまわされてしまったものでね。鞭打ち症かもしれない……。精神と肉体の不調は、能力に多大な変調を引き起こす。今、ここでの能力の不安定な発動は、ハザウェイの精神に過度の負荷を与えてしまうかもしれないな。万難を排するために、私はドクターにメンテナンスを行ってもらうとするよ」

 「口からあることねぇことペラペラペラペラ吹きやがって……」

 「いや、今口にしたことは全て事実だ。……ドクターの診断では、ハザウェイの状態は一時的なもので、無理矢理ギフトで元に戻すよりは、時間による解決が最も効果があるだろうとのことだ。それまで信頼できるパートナーが側にいてやった方が、ハザウェイのためだと、そうは思わないか。ジョーイ」



 ジョーイとハザウェイの二人部屋。ハザウェイのダサTシャツが、部屋のあちこちに散らばっている。外行きのジャケットを脱いで椅子の背に投げたジョーイは、とりあえず朝飯を二人分こさえるか、とぼんやり考えていたジョーイの携帯端末に着信──親愛なる我らがコーチ、フライト・マクダネル刑事からの緊急通信だ。

 「──あぁ、すまん。フライトだ。ジョーイ。人手が足りない。ハザウェイと一緒に、イースト・サイド二丁目九番地の銀行まで、急行してくれないか?」

 「悪ぃな、コーチ。ハザウェイは使い物にならねぇ。俺だけでもいいか?」

 「風邪でも引いたのか。ハザウェイは? まぁ、それはお大事に、だ。──とにかく警察だけではどうにもならん。お前だけでもいいから手を貸してくれ」

 「あぁ。すぐに行くよ。待っていてくれ」

 脱いだばかりのジャケットに再び袖を通して、現場に急行しようとしたジョーイと、見捨てられたような表情のハザウェイの目と、目が合った。

 「ママ……どこ、いくの……?」

ジョーイは思わず目を剥いた。マジかよ……。

 「あー……あのな、ハザウェイ。あー、ママはあれだ、ちょっとおつかいだ。──ハザウェイはお兄ちゃん、だからな。一人でも、大丈夫だよな」

 ハザウェイはぶんぶん、と首を振る──。

 「やだ。ジョーイママと、一緒がいい。……弟がうまれるって、わかってから、ママちょっと、ハザウェイに、つめたくなった」

 いや、おめぇの弟は俺の腹の中にはいねぇよ──と突っ込みそうになったジョーイだが、それを口に出すのは、喉元でグッと我慢した。

 ──お前の本当の弟は、火事の炎に包まれて、丸焼けになって死にましたって、このハザウェイに教えることに、一体どれほどの意味があるのだろう?

 「……弟なんか、うまれなければ、いいのに。そうすれば、ジョーイママと、ずっと一緒に、いられるのに」

 「──いや、違ぇだろ。ハザウェイ。……そいつはなんか、違ぇだろ」

 「ちがくない、ちがくないよ。そうすれば、だって、ずっと、一緒に、いられるよ!」

 「……いや、やっぱり、そいつは違ぇよ。らしくねぇ。──弟が生まれてきても、ハザウェイはママと一緒にいられるさ。今までハザウェイ一人だけに向けられていた、ママの視線とか、愛情みてぇなもんは、生まれてくる弟と、そのお兄ちゃん二人分に向けられるようになるってだけだから。──ちょっとだけ、今までのママとの関係とは、違くなるだけさ。……あぁ、くそ、上手く言えねぇな……。ハザウェイはさ、俺よっかよっぽど頭がいいから、わかるだろ?」

 「……わかんない」

 「その内嫌っていうほど、わかるようになるよ。お前は自分より弱いやつや、理不尽に苛められているやつのことを、見捨てられない優しい男になるんだ。俺が保障する。絶対だ。……まぁ、時々はハザウェイみたいなやつに守られたくない、複雑でプライドが高いやつだっているから、その辺りは注意するんだぞ。──ハザウェイ、お兄ちゃん」

 ハザウェイは黙り込んだ。何かをじぃ、と考え込んでいる。──そして子供特有の、あの唐突な動きで、ハザウェイは膝を屈めてジョーイのお腹をさすった。

 ジョーイを不思議そうに見上げる。

 「──ねぇ、ジョーイママ、ハザウェイのおねぇちゃんって、どうやったら、うまれてくるの?」

 「そんなの俺だってわかんねぇから……」



 「──それで、そのデカイ赤ん坊みたいなハザウェイを、現場に連れてきたってわけか」

 「あぁ。超頑張って説得はしたんだが、どうしても離れてくんなくってな。“ママと弟は、ハザウェイが守るんだ!”って。──くそ、もう兄貴面しやがって……。忌々しいあの責任感は筋金入りだぜ。クソッタレ」

 「あぁ、うん。そうか……。事情は大体把握したぞ。お前らのところは毎度毎度、騒がしいな……。そうだな、ハザウェイ。そうだな。──じゃあ、フライトおじさんと一緒に、後方で待機していような」

 「いやだ。ジョーイママと一緒に行く。ママと、ハザウェイの弟を、守るんだ」

 フライトは困った。物凄く困ったので、ジョーイの肩を叩いて、笑った。

 「よし、任せた」

 「まぁ、そうなるよな……。それで、現場の状況は?」

 「銀行強盗だ。首謀者は一人。軽機関銃二丁で武装している。銀行を襲ったのは、皮膚を硬化させるタイプの能力者ギフテッドでな。銃弾が突き刺さらん。単独犯との情報だが、姿を消せる能力者が他にいないとも限らんからな。警戒してくれ。突入しようにも人質が邪魔で動きが取れない。強盗犯に差し入れるための、ピザの宅配人と護衛の警察官、二人分の着替えは用意してある。──やれるか?」

 「≪ストーム&サンダー≫──一瞬でことを成せ、ってやつだな。──デカイ赤ん坊一人くらい連れていたって、なるようになるさ」



 銀行の自動ドアの前で立ち止まった、ビザ配達人に扮したジョーイが、警察官の恰好をしたハザウェイに小声で呟く。

 「俺の影に隠れて突っ切れ。出来るな。ハザウェイ」

 「──うん!」

 「頭を出すんじゃねぇぞ。危ねぇからな」

 「──うん!」

 「……やっぱりさ、コーチのところで、待っていようか?」

 「──やだ!」

 なんだか調子が狂うな、とジョーイは思う。突撃の時はいつもハザウェイが前で、ジョーイが後ろだった。ハザウェイが盾で、ジョーイが槍だ。相手の攻撃をハザウェイが受け止めて、相手の防御をジョーイが粉砕する。

 一見場当たり的な、猪突猛進の特攻に傍目からは見えるが、二人だけにしか解らない、綿密なコンビネーションがそこにはある。

 ──今日はいつもと違うってだけさ。こんなの大したことないだろ、ジョーイ。

 あぁ、くそ、普段のハザウェイの幻聴が聞こえてきやがった、とジョーイは思う。緊張で体が、いつもより体が固くなっていやがる──。

 気持ちを奮い立たせるように声を押し出す。

 「今日は俺が前だ。しっかり俺についてこいよ、ハザウェイ」

 「──うん!」

 自動ドアが、開いた。

 ジョーイは人質になった一般客の位置を確認──強盗犯/吊目で上半身裸の男──始めにジョーイの左手のピザボックスを確認・ハザウェイの警官姿にわずかに警戒の視線を向ける──ジョーイは左手のピザボックスをあらぬ方向に投げる/強盗犯の目が右に泳ぐ/ジョーイが走った/人垣を飛び越えた/大きく右回りに強盗犯に接近する/強盗犯の二丁の軽機関銃が火を吹いた/ジョーイは左半身を盾にする/ジョーイの強化された左腕に立て続けに着弾/筋繊維に銃弾が食い込む/銃弾の火力に押し負けそうな足を前に進める/バラバラバラバラバラバラバラバラバラ×2/撒き散らされ続ける銃弾の雨霰/ジョーイは退がらない/じりじりと前に進む/軽機関銃の連射がジョーイを阻む/一歩だって退がってたまるものかと思う/何故ならば──今日は後ろに・ハザウェイが・いるからだ。

 ──一歩だって退がってなんかやらねぇからな!

 フル・オートの銃弾の火勢を乗り越えて、遂にジョーイは辿り着く/地面が減り込む程に力強く踏み込む/恐れ知らずの大馬鹿野郎だけが踏み出すことを許された、勇敢なる一歩を/ジョーイの右半身が深く・深く・深く──沈み込む。

 「吹っ飛べ」

 ジョーイの右拳が唸った/それは右下から斜めに突き上げるように振り上げられたアッパー・カットだった/強盗犯が皮膚をダイヤモンド並に硬化させた/無駄だぜ、と既に拳を撃ち抜いたジョーイは思う/強盗犯が膝から崩れ落ちて泡を吹く──どんなに肉体を硬化させようが、顎を突き抜けた衝撃、、は脳に突き刺さる──突撃槍のように。

 一瞬の攻防にあっけに取られていた人質たちが、ワッと歓声を上げた。

 人質の喜びの歓声に、ジョーイは体の緊張を解く。

 ──ま、なるようになったってところか。

 ほっと、溜めていた息を、ジョーイは吐き出した。ガッツ・ポーズの一つでも取るべきか──湧き上がる人質たちの一人──銀行員の女が、銃をジョーイに向けた/一瞬の虚を突かれ・ジョーイの反応が遅れる/ハザウェイが後ろから飛び出した/銀行員風の女が引き金を引いた/両手を大きく広げてハザウェイは全身でジョーイの壁になる/銃弾がハザウェイの頭部に着弾/防御の『ぼ』の字も知らないような稚拙な防御行動だった/だが/ジョーイには見慣れに見慣れすぎた/いつものハザウェイのカバー・ムーブだった。

 ──自分は死なねぇからって、いつまでたっても上手な銃弾の受け流し方を覚えやしねぇんだ。この大馬鹿野郎は。こっちの寿命が縮んぢまう。

 銃弾の衝撃に後方に吹っ飛んでいくハザウェイを横目に/再びジョーイは走る/駆ける/銀行員風の女に飛び掛って・押し倒して・拳銃を取り上げる──天井に向けて一発を放つ。

 「全員床に突っ伏して両手を頭につけろ! 警官の指示があるまで絶対にそこから動くな!」

 これじゃまるで、俺が銀行強盗犯みてぇじゃねぇか、とジョーイは小さく呟く。待機していたフライトたち警官隊が突入する。強盗犯の吊目の男と、共犯者らしき銀行員風の女を確保する。人質たちが警官隊に保護されて、一人ずつ銀行から去っていく。

 今度こそ大丈夫だろ、とジョーイは思う。今朝から予想外のトラブルが続き過ぎだった。そういえば、朝飯も、まだだった。

 ブルーにしかり、ハザウェイにしかり、銀行強盗にしかり。──トラブルと言えば、撃たれたショックで、ハザウェイは元通りになってたりしないだろうか。こんなの大したことないぜ、なんて立ち上がってきたら、一発頬を張り飛ばしてやる。

 救急隊員が、撃たれたハザウェイとジョーイのために駆け寄って来る。

 「あー。俺の怪我は大丈夫。ドクターの所でメンテナンスして貰うから。そっちのやつはもっと大丈夫。その内に生き返るからさ」

 訝しげな顔を救急隊員はする。若い顔だ。新人だろうか。まだこの街で俺たちのことを知らないと見える。

 「ほら、他人様に心配を掛けるなよ。いつもみたいに、さっさと起き上がれよ、ハザウェイ」

 仰向けに倒れているハザウェイの肩を、ジョーイは軽く揺さぶってみる。まだ温かい。心臓は動いていない。出来立ての死者の体温。いずれ訪れる、完全な死の前触れ。ハザウェイの傷はまったく再生していない。ハザウェイは完全に死んでいる。起き上がらない。死んだまま、生き返らない──。


 ──精神と肉体の不調は、能力に多大な変調を引き起こす。


 ハザウェイが、自分の能力を忘れてしまっていたのならば?

 ハザウェイの精神が、幼子にまで退行してしまっていたのならば?

 ハザウェイはそれでもジョーイを銃弾から守るために、その身を投げ出したのならば?

 ──嘘だろ。

 「こんなの大したことじゃないって、いつもみたいに立ち上がれよ、ハザウェイ。週末にはケイティーとパーティをする約束だろ? サムとラナをからかって、一緒にぶん殴られようぜ。なぁ、おい。嘘だろ。返事をしろよ! ハザウェイ!!」

 「……うるっせぇな。ジョーイ。今日は休日だったはずだろ。午後まで寝かせてくれ」

 「ハザウェイ……?」

 「耳元で子犬みたいにキャンキャン怒鳴らないでくれよ……。二日酔いみたいに頭がいてぇ。──金髪童顔のすげぇ可愛い子ちゃんに、めっちゃ甘やかされるいーい夢を見ていたのに、おかげですっかり、目が覚めちまったじゃねぇか」

 「あぁ、くそ、そいつは、まったくもってクソ悪夢だよ。おばあちゃんが川の向こうで手を振ってるって類のやつだ。目を覚まして良かった。本当に死んじまったかと思ったんだ」

 目尻に涙を浮かべて手を握り締めるジョーイに、ハザウェイは一体全体、何を言っていやがるんだ、という表情を浮かべる。


 「俺はいつだって不死身だよ、ジョーイ」


 

                                〈了〉

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『invulnerable』 木村浪漫 @kimroma

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