25 導かれる意思
「クロードはさ、なんで、ウチに来たの?」
「なんでって……なんとなく、かな?」
「ふふ……だよねぇ……」
漏れ出た声に力はなく、口元に浮かぶ笑みは儚げで、涙は止まらず流れ続けていた。
「クロードが店に入ってきたとき、すごく、困ってるみたいだった」
「まぁ、実際困ってたからな」
「だから、力になってあげようって、思ったの」
「うん」
「ピアノを弾く姿は、凄く素敵だった。クロードの演奏を聴いてるうちに、どんどんあんたに惹かれている自分に気付いたの」
「おう……」
こうもストレートに好意を表現されると、さすがに照れて口ごもってしまったが、ライザはそんな蔵人の様子を気にせず続けた。
「クロードの力になりたいと思ったのは、なんとなく頼りなさそうだったから。クロードに惹かれたのは、素敵な演奏をするから。そう思ったんだ」
相変わらず儚げな笑みを浮かべながら語るライザの口調は、どこか淡々としていた。
「どこか遠くの知らない場所から来たピアニストが、偶然ウチの店に現われて、素敵な演奏であたしの心を奪ったんだ」
ライザの目からは、いまだ途切れず涙が流れていた。
「運命だと思った」
運命、という言葉に、蔵人は思わず息を呑んだ。
突然訪れた異世界で最初に出会った女性に惹かれ、身体を重ね合った。
勘違いかも知れないが、心も通い合っていたと思う。
恥ずかしくて到底口にはできないが、蔵人のほうでも運命的なものは感じていたのだ。
「でも違った」
ライザの口元から、笑みが消えた。
「うぅ……クロードは……
笑みが消え、小さく歪み、小刻みに震える口から嗚咽が漏れる。
「だったら……ひっく……あたしは…………守護者だ……」
溢れる涙の量は著しく増し、ライザは両手で顔を覆って俯いた。
「ううう……だから……この、想いは……うぐ……あたしの、意思は……うああ……」
顔を覆い、力なく丸めた背中が細かく震えている。
「ううう……」
そこからはもう言葉にならないようだった。
(
断片的な情報ではあったが、不思議とライザの言いたいことが蔵人には理解できた。
「つまり、俺が
クロードの問いかけに、ライザは顔を覆ったまま、大きく頷いた。
おかしいとは思っていた。
突然見覚えのないところに放り出されたにもかかわらず、妙に落ち着いていた。
多少警戒はしたものの怖れるというほどではなく、知らない街を歩き始め、何のトラブルもなく人のいる店にたどり着いた。
日本でさえ初見の店に入るのを躊躇することがあるのに、なぜか迎え入れてくれるような気がして、すんなりと足を踏み入れた。
街並みから少なくとも日本でないことは確かで、言葉が通じない可能性があったにもかかわらず。
『いらっしゃい!』
綺麗な女性だと思った。
彼女に声をかけられたとき、心の底から安堵したのは、言葉が通じ、態度が友好的だったからだと思っていたが、いまにして思えばそれだけではなかったような気がする。
こちらの世界の
そして守護者はその名の通り、
だからこそ蔵人とライザは出会い、惹かれ合ったのだと。
これまで得た少ない情報からこうも易々とその答えにたどり着き、しかもそれに間違いはないとの確信を持っているのもまた、何者かに思考を誘導された結果かも知れない。
なるほど、ライザが自身の想いを“まやかし”と言いたくなるのもわかる。
だが――。
「それがどうした?」
「え……?」
蔵人の言葉に、ライザは思わず顔を上げた。
彼は穏やかな笑みを浮かべ、ライザの顔を手で覆い、親指で頬を拭ってやった。
驚きのせいか、彼女の涙は止まってしまったようだ。
「初めて見たとき、いい女だと思ったよ」
ライザはまだ涙の残る潤んだ目を大きく見開いた。
「こんないい女がどうやら俺を好いてくれているようで、そのうえ夜までともに過ごせて、夢じゃないかと思った」
「ぁぅ……」
その言葉で最初の夜を思い出したのか、ライザはまだ嗚咽に喉を震わせながらも頬を染め、視線を泳がせた。
「でも朝になって目が覚めても隣には君がいて、次の日も、その次の日も……それから何日もライザと過ごせた」
それだけではない。
ピアノを弾いて、客に喜んでもらって、うまいメシを食って、うまい酒を飲んで……。
それはとても幸福な時間だった。
「ライザ、俺は……」
蔵人の言葉に反応してか、ライザは再び視線を戻した。
涙に潤んだ赤い瞳に見つめられ、蔵人は言葉を詰まらせた。
いちど口を硬く結び、黒い瞳で彼女を見据えたまま、蔵人は大きく息を吸い、意を決したように口を開く。
「俺は、ライザのことが好きだ」
「……ぁ」
ライザは目を見開き、口をぽかんと開けて小さく声を漏らした。
「詳しいことはよくわからんが、いまもそれは変わらん。ライザはどうなんだ? 俺が
たたみかけるような蔵人の問いかけに、ライザは口を固く閉じ、眉根を寄せ、ふるふると頭を振った。
「……好き……あたしだって……」
頬を手で覆われたまま、ライザは蔵人の目を見つめながら小さな声を絞り出した。
「あたしだって……いまもクロードのこと、好きだよぉ……!」
「だったらそれでいいじゃないか」
お見合い、友人の紹介、マッチングサービス等々、人と人の出会いに他者が介在するなどよくあることだ。
事前の情報次第で思考が誘導されることもあるだろう。
勘違いで始まる恋など、有史以来いったい何度繰り返されてきたか。
「ライザはこの想いがまやかしかもしれないって言ったけど、恋愛感情なんてのはそもそもがまやかしみたいなもんだろ?」
得体の知れぬ何者かに導かれたとして、そこに何の問題があろうか。
いまお互いを想い合っているのであれば、始まりはどうであってもかまわない。
刹那的な考えかも知れないが、蔵人はそう考えていた。
「いま、俺は君を好きで、君も俺を好きなら、それでいいじゃないか」
「うあぁ……クロードぉ……!」
止まっていた涙が再びあふれ出す。
蔵人は彼女の頬を手で覆ったまま、あふれ出した涙を指で拭ってやったが、それはとくに意味のない行為だった。
「ライザ……」
愛おしげに名を呼び、蔵人が顔を近づけると、ライザはまつげの先まで濡れたまぶたをゆっくりと閉じた。
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