7 鍵盤の調整

 掃除を終えた蔵人は続けて鍵盤の調整に入った。

 黒鍵と白鍵をひとつひとつ押したり持ち上げたりしながら動きや高さ、沈み具合を確認していく。


「ねぇ、それひとつずつ全部見ていくの?」

「ああ。88鍵すべて見る必要はあるな」

「そっかぁ……。大変だねぇ」

「そうそう、大変なんだよ」


(とはいえ思っていたより状態はいいな……。これも〈祝福〉とやらの影響か?)


 ホコリのたまり具合からキーピン――鍵盤の支点となる部分――はかなり汚れているのかと思ったが、実際はそうでもなかった。

 このキーピンが汚れていると鍵盤との摩擦の関係で打鍵時の動きが悪くなるのだが、どうやら鍵盤の動き悪さは隙間や裏側に溜まったホコリの影響が大きかったようだ。


「よし……」


 すべての鍵盤の抵抗や沈み具合を確認した蔵人は、短く呟くと、蔵人は調律道具の入ったバッグを開き、分厚い定規と小型のツールボックスを取り出した。

 手のひらサイズの半透明なツールボックス内にはいくつかの仕切りがあり、そこには真ん中に穴の空いた、小さな円形のシートが収められている。


「なんだい、そりゃ?」

「こっちはただの定規。こっちの丸い紙はパンチングペーパーといってな、鍵盤の高さや沈み具合の調整に使うんだよ」


 小指の先に収まる程度の小さなシートである。

 厚みは一番薄い物で0.03ミリと非常に薄い。

 蔵人は、パンチングペーパーの入ったツールボックスを脇に置いてしゃがみ、定規を片手に目線を鍵盤に合わせた。

 そして鍵盤の上に定規を置く。


「ライザ」


 鍵盤に視線を固定したまま、蔵人は彼女を名を呼び、手招きした。

 軽く首を傾げながらもその招きに応じ、ライザは蔵人の隣にしゃがみ込む。


「見てみろ、これだけズレている」


 一見してわかりづらい高さのズレも、こうして定規を置けば一目瞭然だ。


「うわぁ……こんなに……?」

「まともに弾けないと言った意味がわかるだろ?」


 そう言って蔵人がライザを見ると、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべ、無言で頷いた。

 そしてすぐ、蔵人の邪魔にならないようにと立ち上がり、少し距離を取る。

 そんな彼女の気遣いに蔵人は軽く微笑むと、再び鍵盤に視線を戻し、ほどなく立ち上がった。


 そこからの作業はライザから見てよくわからないものだった。

 蔵人はツールボックスからピンセットを取り出すと、それで薄いパンチングペーパーをつまみ上げ、鍵を支えるピンと鍵とのあいだにそのペーパーを差し込んで鍵盤の高さを調整しているようだった。


 何度も定規を置いて高さを確認しながら、パンチングペーパーを足したり引いたりを繰り返した。

 これらの作業を88鍵すべてで行なうのだから、気の遠くなる作業である。


「ふぅ……」


 鍵盤の高さ調整が終わり、続けて打鍵の深さを調整する。

 これはフロントキーピンという、鍵盤の前端あたりを固定するためのピンに、同じようにパンチングペーパーを使って調整していく。

 ひとつひとつ鍵盤を叩き、問題があるところは持ち上げて、フロントキーピンに薄いペーパーをはめたり、外したり、あるいは交換したりしながら、こちらも88鍵すべてで調整を行なった。


「とりあえず一段落だな」


 呟いたあと、蔵人は引き出していた鍵盤を押し込んで元に戻した。

 この時点で作業を始めて2時間ほどが経過していた。

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