ゴーストテリング

下上筐大

ゴーストテリング

夏の夜10時。静かなはずの公園は僕らの声で静かさをかき消され、暗いはずの公園は僕らが各々もつスマホが放つ光により暗さを失っていた。誰かが放った言葉は誰かが受け取り、気の利いた返事を返す。それを受けて周りは声を揃えてまるでそうしなければならないかのように笑う。いや、そうしなければならないから笑うんだ。自分を守るために。

こんな夜遅くに公園に集まってなにをしているのかって何もしていない。ただ、中身のない会話をしているだけだ。僕らは同じ高校の同じクラスに所属している所謂仲良しグループってやつだ。所謂仲良しグループ僕はこのグループがあんまり好きじゃない。嫌いだ。他人に過剰に敏感にならねばならず、息苦しい。じゃあなんで嫌いなグループになんか所属しているのかっていわれると孤立しないためだ。高校生にとって、僕にとって孤立するということはとんでもない苦であり、絶望であり、死を意味する。もちろんクラスで孤立してるやつはいる。そいつは苦にも感じてないかもしれないし、もしかすると孤立を楽しんでいるかもしれない。けど、僕には孤立なんて考えられない。

僕の名前は八街健やちまたたける、公立の高校に通う無趣味で無特技のごく普通の一般的な高校二年生。部活には一応陸上部に所属してるが、最初こそやる気に満ちて入部したが、実情を知って絶望した。部活動とは程遠いいかに練習をサボるかにのみ尽力するそんな部活だった。それどころか女子が先生を掌握し練習日もほとんどない。あったとしても喋ってるだけだ。だからといって部活を辞めたのかというとそんなことはなく、続けている。部活を辞めると孤立を招く。僕は自分の今の生活に満足している。だから、それを失わないためにも部活も続けるし、グループにも所属して他人との関係を保つ。これまでもそうやってきたし、これからもそうやって生きて行くんだろう。

翌日通学路。学生だから学校に行く。夜遊んでるからってグレてるわけじゃない。通学路で考えることなんて特にないので、ボケーっと歩いていた。

「おはよう!元気か?」

「…元気だよ。元気じゃなければ学校になんか来ない。」

いきなり声をかけてきたそいつは散々顔をみてきた幼馴染で、小学校からずっと同じところに通ってる。名前は竹刀薫しないかおる。女っぽい名前だが、男だ。本人は名前を結構気にしてるらしい。こいつは僕にやたら馴れ馴れしい。僕は友情とか絆みたいな不確かなものを信じたことがないので、いやこの言い方では語弊がある。実際には信じていたのに信じることができなくなった。まあ色々あったんだ。

竹刀と会ってからいつも通り適当な世間話をしていたんだが、竹刀がいつもと少し違う話をしてきた。

「おいやっちー」

「なんだよしない」

「最近この街に幽霊が出てるって噂になってるんだけど知ってる?」

「は?」

正直こいつの口から幽霊だなんて言葉を聞くとは思ってもいなかったし、そんな噂なんて知るわけもない。

「なんだよ、その噂。町おこしの一環か?」

「そんなんじゃなくて、本当に出るんだってさ。俺も見たわけじゃないけど、後輩が見たってよ。」

「ふーん、後輩がねえ」

竹刀は小学校からずっと野球をやっていて、今も野球部でレギュラーだ。後輩っていうのがいつの後輩なのかは分からないが、どうせ嘘に決まっている。そこに突っ込む必要もないだろう。

「で、その後輩君はなんて?」

「なんか、すごく怖くてとても見てられなかったって。可哀想だよなあ。」

「はあ〜」

見てられなかったっていうのが、嘘くさいよなあ。

そんなこと口にはださないけど。

「しない、今日暇?」

「普通に部活」

「だよなあー」

「陸上部は今日も練習ないのか?そんな部活やめてもう一回俺と野球やらないか?」

「もう野球はいいんだよ。陸上部で十分だ」

「そうか、もったいない」

そう、僕は昔野球をやっていた。小学校からだ。だけど中学校で起こった事件をきっかけにやめた。その事件が僕の人格に人生に大きく影響を与えるのだが。

学校に着くといつものグループと中身のない会話を交わす。自分を守るための会話。考えるのはいかに周りと合わせるかだ。

竹刀とはクラスが違っているのだが、このクラスにも仲良しグループとは違う、気の合うやつはいる。机に突っ伏しているそいつに声をかける。

「よう、さきん。なにしてんの?」

「…別に。寝てるだけ。いつも言ってるけど、その呼び方やめてよ」

「えーいいじゃん」

左京真帆さきょうまほ。僕と同じ陸上部に所属する女子だ。女子でありながら、一番気の合うやつだ。ただだからといって恋愛感情なんていうものはない。

「なあ、さきん。最近幽霊が出るって噂になってるんだけど、知ってる?」

「もちろん知ってるよ。けど、眉唾もんよねえ。このご時世に幽霊だなんて。」

「けど、僕の友達の後輩が見たって。」

「そんなのどうとでも言えるじゃん。私が見たって言って、その幽霊の特徴を説明したとして、その真偽をどうやって確かめるの?」

「う〜んたしかに…。」

僕は左京のこういうところが好きだ。自分の思ったことをズカズカと言う。それでいて嫌われることもない。他人との距離感をうまく取っているからだろう。それとも彼女の人間性ゆえだろうか?僕にはとてもできないことだ。

「ところでさ、あんた今日どうせ暇でしょ?祭り行かない?祭り!」

「どうせ暇って…暇だけども。部活もないし。」

「じゃあ決定!こういう時に部活がないのはいいよねえ。私ん家に今日の5時に来てね!」

「はいはい」

左京とは高2から同じクラスだが同じ部活ってこともあってかなり仲がいい。左京は中学で、特別速かったわけではないが、陸上をやっていて、その延長で高校も陸上部に入ったが、高校では陸上ができる環境でなく彼女は彼女で折り合いをつけてやっている。こんな感じで放課後に左京と遊ぶことも結構あって、今日もその一環だ。

「遅刻したらかき氷の奢りな!」

「なんだその約束…」

「ああそれから…」

ガラッ そこで扉があいて担任が入ってきた。ナイスタイミング。わけのわからない約束をこれ以上増やされたら困る。

「席に座れーー」

授業が始まってからはあっという間だ。授業は聞いてるようで聞いてなかったり聞いていないようで聞いているやつ、自習をせっせとするやつ。寝てるやつ。色々いるが僕は普通に聞いている。ちゃんと理解してるかどうかは別問題だが、ちゃんと授業を聞いているという自覚がある。授業は聞いてると結構すぐ時間がたつ。左京は授業中には寝てるところしか見ていない。どんな夢を見てるのだろうか。などとどうでもいいことを考えつつ過ごして学校をでた。これからお祭りの訳だが、今の時刻は4時25分。僕の家から左京の家までは10分くらいで着くし、学校と僕の家の距離はそんなに遠くないので、時間的には余裕がある。超余裕である。準備することといえば、服を着替えることくらいだが、遅刻すると奢らなければならないので、10分前に着くようにしようと思って少し急ぎ足で帰る。家に着いて服を選ぶわけだが、学校が制服なこともあって、服のレパートリーはそんなに多いわけじゃない。そんな理由もあって、選ばれた服は白のTシャツと黒の半ズボンだ。僕も左京もどちらもオシャレに気を配る方ではないのだが、一応祭りだ。あまりに下手な格好はできない。だから、自分の手持ちでそこそこいいものを選んだつもりだ。服を着替えたらつぎは移動。僕は愛車の自転車にまたがり、左京の家を目指す。自転車は左京の家に置いて行くつもりだ。自転車で移動してる間にも浴衣を着たちびっこやら中高生、大人、祭りに行くんだろうなあという格好の人をたくさん見かけた。左京の家は僕の家より祭りの会場に近いので、左京の家に近づくにつれて人がどんどん増えていく。それに伴い祭りへの期待も高まる。左京の家には4時55分に着いた。5分前。10分前にはつかなかったが時間前だし、大丈夫だろう。後は左京を待つだけというなか、左京が出てくる気配はないし、なんだか家は騒がしい。早くしてほしいそんな気持ちで待っているとはたして左京は出てきたが趣が違う。なんだか別人みたいだ。彼女は青を下地にしたピンクの花入りの浴衣を着て、化粧までしていたのだ。驚かないわけがない。驚くなといわれるほうが無茶であろう。

「お、お前それ…」

「ん!浴衣だよ!それと化粧も…ちょっとね!」

「お…おうそうか」

こんなときに世の男はどのような対応を取っているのか。ただ、女友達と遊びに行くというだけだと思っていたのにこんなアクシデント誰が想像できるだろうか?僕は左京に恋愛感情なんて持ってなかったのに、向こうはそうではなかったのか?どちらにしろ僕の気持ちが揺らぐことはないだろうし、接し方も変わらないだろう。今まで通りだ。今まで通りでなければならない。

「どう?似合う?」

「ああ、まあ…似合ってるんじゃないのか?」

「つれない返事だなあ…」

よく見たら髪もよく分からない髪留めで止めてるし、下駄も履いていて歩くたびにカランコロンと音がなる。確かによく考えると、男女で祭りに行くということはその男女は付き合っているということなのかもしれない。実際女子と祭りに来るのは初めてだから、こんなことが想定できなかった。自然と左京を意識しそうになるが、それはできない。いやしてはダメだ。そうすると苦しむのは僕なのだから。

「お〜見えてきたねー お祭りって感じだ!!」

そこからはとてもとても楽しかった。金魚すくいやスーパーボールすくい、本来そこまで面白くないはずのものもすごく面白く感じた。一つ一つのことがかけがえなく楽しかった。今日みた彼女の顔を忘れることはないだろう。遅刻もしてないのにかき氷を奢らされた。いろんなものを食べた。石段に座って祭りの雰囲気も相まってか普段話さないようなことも話した。その全てが尊くて美しくて楽しかった。

「あー楽しかったね〜来年もまた来ようね」

「来年は受験だぞ…そんな余裕あるのかねえ」

「そんなこと気にしないの!」

「そんなことって…」

帰り道ではそんな会話を交わした。来年もまた左京ときたいと自然と僕は思っていた。自然と思っていることの重要性に僕はまだ気付けない。

「やっちー!今日はありがとう!!また明日」

「おう、ばいばい」

帰り際、そんな挨拶を交わして僕は左京の家から自転車で立ち去った。左京の家の方を振り返ると僕の姿が見えなくなるまで左京はずっと手を振り続けていた。僕もときどき立ち止まっては手を振り返した。それはとてもとても幸せなひと時だった。幸せすぎて僕にはもったいないくらい。しかし幸せなときはすぐに終わり、彼は幸せとはほど遠い感情を味わうことになる。現実を真実を知ることぐらいつらいことはないだろう?


違和感を感じたといえばそうだし感じなかったといえば、そうなのかもしれないが、浮かれる八街がその違和感に気づいていたかというとそれは怪しい。違和感と言われればそうなのかもしれないが、言われなければ、きづかないかもしれない。道にいる人間が八街以外に全くいないことなんて。

「人少ねえ」

思わず呟くぐらい人がいなかった。田舎だし、祭りだから人が集中している。そんな推理をして僕は頭をシフトした。どういう風にシフトしたかっていうともちろん左京のことにだ。左京は恐らく自分に好意を寄せている。それに応えたい僕もいるし、答えてはならないと思う僕もいる。これは過去のトラウマに起因するんだが…トラウマという安易な言葉で片付けられないほどの出来事だ。一体どうすればいいのか答えの出ない問題。葛藤が生じる。なんとかできないものか頭を悩ませながら、僕はふと、右を見た。特に意味のある行為ではなく、なんとなくふと右をみた。この行為がこの後僕につらい現実を真実を知らせることになるのだが。はたしてそこには道を挟んだその歩道には、田舎には似合わない背の高い女性が立っていた。背が高いどころではなくあまりにも高すぎる。恐らく2m以上はあるだろう。見たこともないほど美しいドレスを身に纏い、どこか遠くを見ている女性。一体どんな表情で何を見ているのかそしてどんな顔か見てみたいと僕は思っていた。その思いはすぐにかなうことになるのだが。僕はその女性に見惚れていた。自転車を運転しながら横を見るなんてなんて危ない。そう言われるかもしれないが、その女性の立ち姿の美しさは見ずにはいられないものがあった。目を逸らしてはいけない。そんな気さえしていた。そんなわけで、僕はその女性をじっと見ていたわけだが、ある瞬間に彼女が見えなくなった。闇と同化したとか目の錯覚とかじゃなくて、全く見えなくなった。まるで消えてしまったのかのように。自分の目を疑った。当たり前だ。人間が消えてしまうなんてことはあり得ないことなのだから、まず疑うべきは自分の目だろう。だが実際は消えてなんていなかったのだが、彼女は僕のすぐ近くまで移動していただけだったのだが。

ガシャッ

それはいきなりだった。なんの前兆もなく自転車が急停車したのだ。当然僕はブレーキなんてかけていない。一瞬パンクを疑ったがそういうわけではないらしい。どうやら外部からの力で急停車したのだ。それも恐ろしい力だろう。横を向きながら走っていたとはいえ、結構スピードをだしていたのだから。僕は前を見た。この状況で横を向き続けるやつがいたらそいつは間違いなく異常だろう。というか、自転車を止められたときの衝撃で前を向かざるを得ないだろう。はたしてそこには、背の高い美しいドレスを纏った、美しい女性が立っていた。

ドサッ

「……ッ!!」

思わず自転車から転げ落ちた。後にも先にも自転車から転げ落ちるなんていう経験をすることなんてもうないだろう。そして転げ落ちた僕がなにをしたかというと、その場で動かずただ女性を見上げるだけだった。それは生物として、もっともとってはならない行動だっただろう。得体の知れないものを前に硬直してしまうことなんて。女性が口を開くまでにどれくらいの時間が経ったのだろうか。いや、時間が経つというほど、時間は経過していなかっただろうし、それは一瞬の時間だったのだろうが、その時の僕には永遠にも感じられる時間だった。しかしその時間は苦しいというか初対面の得体の知れないものといるのに僕は不思議と居心地が悪くなかった。それは僕の感覚が腐っているのか、それともこの女性の放つ雰囲気によるものなのかは分からないが。

「君……君は私をみてどう思う?」

「ど、ど、どうって…」

いきなり目の前に現れた女性にいきなり投げかけられた質問に対して上手く返答ができるわけがない。声が出ただけ上等だろう。

「私は一体何に見える?」

続けて質問を投げかけてくる女性。何に見えるって何て言えばいいんだ?なんて言おうか…なんて言えば助かるのかに思考を傾けているとしびれをきらしたのか女性が口を開いた。

「ああ、そういえば自己紹介がまだだった。私の名は、桃谷美園ももたにみその。質問の前に自己紹介をするべきだった。いやいや失礼。会話は久しぶりで。」

このタイミングで自己紹介か…こっちはそんな余裕はないというのに。しかし名乗られた以上こちらも名乗って場を取り繕うしかない。

「ぼ、僕の名前は八街健です。」

「八街健!いい名前だ。八街くん君は私を見てなにを感じた?」

微妙に質問を変えてきた。なんという抽象的な質問…この質問に答えない限り僕は解放されないのだろうか。

「ええと、すごく綺麗な人だなあと思いました。」

僕は思ったことを思ったとおりに言った。考えたところで僕の頭では他に何も思いつかなかったのだ。はたして女性は表情も変えずにじっと立ち尽くしている。まずい。気に触れたのだろうか。何か言うべきだろう。しかし、言うことが思いつかない。

「ええと…なんというか…」

「大丈夫だよ八街君。ありがとう。綺麗と言われることで気分を害する人はいないのだよ。」

ホッ… 大丈夫だったのか。よかった。

「けど、私はもっと違う答えが返ってくると思っていたんだが。」

やっぱり怒っているのではないか。

「私は怖いと言われることはあっても綺麗だと言われることはなかったのだ。綺麗だと言ったのは君が初めてだ。」

ん?怖い?一体どこが?

「怖いってどこが怖いんです?」

「私はどうやら幽霊らしい。」


幽霊-幽霊というのは死者の魂の現れだといわれている。そして夏の季語だ。幽霊といえば、なんとなく夏の気がするが、今、目の前にいるという幽霊の出現と季節とは関係ないだろう。それにしても、目の前にいる美しい女性が幽霊だといわれてそれを信じろというにはあまりに唐突であまりに現実離れしている。しかし、先ほどの瞬間移動は人間離れしすぎている。あれは人間のできることの範疇を超えている。

「ああ、すまない。言葉足らずだったね。私は今この街で噂になっている噂の幽霊だ。」

いやいや、聞きたいところはそんなことじゃない。

「ゆ、幽霊って一体なんのことです?」

「ん?幽霊は幽霊だよ。八街くん。ただ私はいわゆる生きていたときの記憶がないので、本当に幽霊なのか自分では分からない。」

本当に何を言っているのだろうかこの人は。

「というのも、私は人からは見えにくいらしくてね。けど、君みたいに私を見ることができる人がたまにいる。今までにも君みたいに私を見れる人には君にしたような質問をしてたんだが、彼ら彼女らは口を揃えて私を怖いという。君が初めてなんだ。私に怖いと言わなかった人は」

「そ…そうですか…」

「そうだよ。そうだよ。だから私は今とてもいい気分なんだ。」

「は、はあ…」

「そうだ、私の昔話でもしようか!」

それからはずっと幽霊桃谷の話を聞いた。彼女はどうやらこの街にずっといる幽霊らしい。気づけばこの街にいて、この街からは出れないらしい。いわゆる地縛霊ってやつだろう。彼女がした瞬間移動も幽霊ゆえの能力らしい。人と話したのは久しぶりだと言っていたけれど、それはどうやら本当で今まで誰かに話したくて、けど話せなくて、溜まていた物を一気に放出するかのように彼女は語った。だんだん打ち解けてきた僕は聞いているばかりでなくときどき自分の話もした。二人でした会話は途切れることがなく気づけば夜もとっくりくれ、正確な時間は分からないが、深夜ぐらいになっていた。

「ところで八街くん。君は明日学校はないのかい?」

「ありますけど、まあ…大丈夫ですよ。気にしなくて。」

「いやいや、気にするさ。早く帰った方がいいだろう?明日起きれなくなるぞ。それに両親が心配するだろ?」

「大丈夫ですよ。気にすることないですって。」

「んん……そう…か?」

そう、大丈夫だ。親の目を気にすることなんてない。それに学校にもちゃんと行く。こういう時間に帰るのもしょっちゅうだ。

「けど、私は気にするさこんな時間まで高校生を拘束してしまって」

「拘束ってそんな言い方…」

「よし、君はもう帰った方がいい。私はもう帰る。そうすれば君も問答無用で帰らなければならなくなる。うんうん。これで解決だ!」

そう言うや僕が何かを言うのを待たず桃谷さんはどこかに消えていってしまった。帰るところはどこなんだろうか。あるのだろうか。何というか話しながら感じていたことでもあるのだが、桃谷さんはかなり自分本位な所がある。今更桃谷さんの正体が気になったりはしない。あの瞬間移動からしてもにわかには信じられないが、幽霊というものなのだろう。しかし、幽霊だろうとなんだろうと僕としてはまだ桃谷さんと話していたい気分だった。今日は左京と桃谷さんとたくさん話した贅沢な日だった。贅沢で僕にはもったいないほどだ。いつものグループとは違うちゃんとした会話をした。そんな気がする。気がするだけかもしれないがそれでいい。

家につくとそこに桃谷さんがいたなんていうことはなく、もう家族全員寝ていた。僕は一人っ子なのだが、こんな時間に子供が帰ってきても心配しない親というのもどうかと思う。いや、これでは語弊がある。心配されたいわけじゃない。心配してもらえなくて悲しい。なんていうこともなく、心配されたくもない。いまさら構わないでほしい。これが僕の親への願いだ。

翌日。翌日といっても日を跨いで起きていたわけだから翌日ということに抵抗を感じないでもないんだが、まあ翌日だ。朝起きてきた親に何か言われることもなく適当に挨拶を交わす。朝ごはんを食べる。味は普通だ。歯を磨き、顔を洗い、服を着替え、靴を履き、家を出る。

「…行ってきます。」

「……」

いつからだろうか返ってくる言葉はない。

いつも通りの通学路。今日も竹刀と登校する。確かこいつには朝練があるはずなのだが…。まあ竹刀は昔から練習が嫌いなんだった。昔っからだ。そのくせには野球がうまい。だから、誰も口出しは出来ない。竹刀に会ってからはいつも通りだ。世間話に花を咲かせ、話しているうちにいつのまにか学校に着く。学校に着いてからはいつものグループといつものように話す。昨日とは違う自分を守るための会話だ。ただ、今日はいつもと違うことがあった。もちろん左京なのだが。左京が僕と話すときになんだかそわそわしているような気がする。会話の波長がなんだか噛み合わない。かくいう僕も上手く話せない。思い出されるのは昨日の左京だ。昨日の、いつもとは違う全然違う左京が僕の頭にちらつく。変に意識してはダメなのだが、それは分かっているのだが、昨日の左京の一挙手一投足が頭に浮かぶ。思い出す度に僕の心が自分のものでないかのように心が乱れる。ああ、ダメだな。このままではダメだ。僕は左京と距離をとる。意識したらダメなんだ。そうしたら苦しむのは僕なんだから。

とはいえ、左京以外はいつも通り。いつも通りの授業。いつも通りの昼休み。いつも通りの時間に終業。今日も部活はない。なので、今日の放課後は極めて暇だ。暇。だからといって、僕は自分から遊びに誘うタイプではないので、誘われるのを待つわけだが、今日は皆んな忙しいのだろう。誰に誘われることもなく暇で予定のない放課後を迎えてしまった。とはいえ、誰かと遊ばないとはいえ、一人でなにもできないのかといえば、そんなわけもなく、ちゃんと僕には僕なりの一人での放課後の過ごし方というものはちゃんとある。

家に着いてから、着替えをする。ラフな格好に着替えた僕は愛車の鍵を手に外にでる。どこか明確な目的地があるわけではないが、自転車にまたがりひたすら自転車を進ませる。これが僕の一人での放課後の過ごし方だ。そのときそのときの気まぐれで自転車を走らせる。風が心地いい。この瞬間が僕は何よりも好きだ。

気づけばもう1時間は経っていたのだろうか。かなり遠くまできた。適当に道を選んでいたので馴染みのない土地にたどり着いていたわけだが、1つ馴染みのあるものを見かけた。馴染みがあるものというより、人なのだが。前方に人が立っていた。昨日と変わらないドレス、極めて高い身長。そこにいたのは昨日僕と語り明かした桃谷美園だ。

「八街くん!また会ったね。なんという偶然だ。私は君に会えて嬉しいぞ。」

本当に偶然かどうかは怪しいのだがしかし、会えて嬉しいというのは本当だろう。なんだか表情が嬉しそうだ。そして何より僕も嬉しい。

「僕も嬉しいですが、…こんなところで何をしてたんです?」

「ん?幽霊はどこにでも現れるものなんだぞ。そこに理由なんてないさ。それに私は君のことならなんでも知ってるぞ。君がどこにいるかもだ!!」

「はあ…」

とんでもないことを言ってるがこの人相手に隠し事も通用しないだろうことを理解してる僕は桃谷さんに抗議をすることもない。

「ところで桃谷さ…」

「よし!積もる話しもあるだろう。歩きながらゆっくりと語ろうではないか、八街くん。」

どこまで自分本位なんだこの人は…

今来た道を戻り途中知らない道も通りながら、僕は桃谷さんと話した。昨日同様それはとても楽しいものだった。桃谷さん相手なら心の紐が緩む。自分の弱いところもさらけ出していい。そんな風に思わされる。しかし、楽しい時間はいつまでも続かない。そうでないとバランスが取れないからだろうか。いやはや、実際終わるとあっという間なのだが

「ああ、そうだそうだ、八街くん。今日君の学校を見に行ったんだがね。」

「え!?何をしてるんですか…」

「大丈夫だよ。上手くやったのだから。」

「大丈夫って…」

もっと突っ込むこともあっただろうが、騒ぎにもなってないところをみると本当にうまくやったんだろう。

「けど、どうして僕の学校に来たんですか?」

「君の様子を見に行くために決まってるじゃないか。」

「そんな理由ですか…」

「そんな理由だろうとなんだろうと私は君のことが気になったから様子を見に学校に行ったんだよ。悪いか?」

「いや、別に悪くは…」

問題大有りだ。様子が気になって学校に様子を見にくるなど、普通することではない。幽霊の特権濫用だ。

「そこで君を見てておもったんだけどねえ。君友達と話しているとき楽しいか?」

「もちろん楽しいですよ。」

「それはきっと嘘だね。だって君全然楽しそうに見えなかったもの。」

「そんなことないですって。楽しいです。」

なんだろうこの人は。人の心を見透かしたようなことを言う。そういえばさっきから話し続けてどのくらいの時間が経ったのだろうか。時間的にはあまり経過してないように思ったが、かなりの距離を歩いたようなきがする。そして最も重要なことは今歩いている道が僕にとって非常に懐かしいものであることだ。

「私には君が周りにあわせて会話を無理やり楽しんでるように見えたんだ。会話を楽しむためでなく、人と合わせるために会話をしてる。そんな風に見えた。」

「……桃谷さん、違いますって」

「いや、違うことはないぞ。私の目に狂いはないのだから。」

見透かしたようなことを言う桃谷さん。しかしそれは実際正しいことなのだが。

「君は一体いつからそんな風になってしまったのか……」

それはあの頃だ。中学のあの頃から…

「答えを見つけにいこうか。」

それは見慣れたものだった。三年間通い続けた、僕の母校。僕の卒業した中学校。今も現役の中学生が

せっせと通う公立住橋南中学校の前に僕たちはいた。


「さてと、お邪魔します。」

そういって桃谷さんは僕を抱え軽々と門を飛び越えた。不法侵入もいいところなのだが、幽霊相手に法律も何もないだろう。

「どうだい?君の母校のわけだが懐かしいかい?」

にやにやしながら聞いてくる桃谷さん。恐らく桃谷さんは分かっていながら聞いてくる。いい性格の持ち主だ。本当に。

「桃谷さんはどこまで知ってるんです?」

「君のことならなんでも知ってるよ。君の知らないことももちろん知ってるしね。」

「……」

「そんなことは今はどうでもいいんだけど」

どうでもいいことではないのだが、桃谷さんは喋りながらも移動し続ける。三年間通い続けた学校だ。一年以上きていないとはいえ、進む方向からだいたい目指しているところはわかる。はたして、桃谷さんが入っていったのは予想通り職員室だった。それからは見事なものだった。桃谷さんは当たり前のような顔で職員室に入り、何食わぬ顔で鍵を持ってきた。おそらく先生からは桃谷さんのことが見えないのだろう。その間僕は普通の人間であるところの僕は外でじっと待っていたのだが、桃谷さんの手際に良すぎるその手際に驚いた。見知らぬ場所でピンポイントで目当てのものを探し当てることの難しさは想像に難くないだろう。桃谷さんはそれをやってのけたのだ。いや、当たり前のことなのかもしれないが。

「さてと、八街くん移動するよ」

「…どこにですか?」

「とぼけるなよ八街くん。君が一番よく分かってるだろう?」

そうだ。僕が一番分かっていることなんだ。あの日あの場所で起こった悲劇が僕の人間性を環境を一気に変えた。

「さあてと行こうか野球部の部室に」


懐かしい。なんて気持ちになるはずもなく、久しぶりにみた部室になんの感動もないことを不思議に感じていた。少しは思うところがあるはずなのに、そんな乾いた心を持つ自分を不審に感じていた。

「中はどうなってますかねえ」

おそらくこの人は黙りながら作業ができないのだろう。鍵を開けるのに少し苦戦している。僕も苦手だったんだ。この鍵を開けるのは。部内でも上手く鍵を開けれるのは二、三人しかいなかった記憶がある。それほどここの鍵は開けにくい。

ガチャッ

「おお、開いた開いた。」

ゆっくりと扉が開く。はたしてそこには…なにかがいるわけもなくただちらかった部室があった。

野球部というとなにか規律を重んじるそういう響きを感じるが、ここの学校のこの野球部は一応表向きはそういうことになっているが、実際にはそんなことはない。いや、昔はそうだったんだが、やはりそれもあの事件をきっかけに変わってしまったんだろう。

「きたない部室だなあ。男の子だけだとこんなことになるんだねえ。」

そう言いながら、床に散らかっているものを足でのけて床に座る桃谷さん。そういえば、桃谷さんの座っているところを初めてみた。

「さあ、八街くんも座って。」

言われるまでもなく僕も桃谷さんにならい床に座る。

「さあ、八街くん君の話を聞かせてくれ。」

桃谷さんは全て知っているだろう。それでも僕は話す。自分を整理するために。あの出来事にけじめをつけるために。


中二の冬。僕は部活に汗を流していた。野球をするために生きていた。そういっても過言ではない。そのときには付き合っている彼女もいた。予定が合わなくて遊びに行くことは少なかったがそれでも充実した日々を過ごしていた。クラスメイトと話すのも本当に楽しかった。楽しくて楽しくて、僕は浮かれていたんだろう。

「おーーい!集合ーー!!」

練習中。突然顧問からの招集がかかった。石丸鉄人いしまるてつじ。数学の教師であり、生徒からの人望は厚い。中年の教師だが、それでいて、中年教師のようなねちゃねちゃしたものはない。

集合は極めて早い。当時この頃の野球部は規律を何より重んじていたから集合もそれに伴い早かった。そして顧問は口をひらく。

「…残念なことなのだが、部内で盗みが発生した。キャプテンまず点呼を。」

ドヨッ 部員に動揺が広がる

「はい。」

キャプテンと呼ばれて僕は点呼を始めた。そう僕は当時キャプテンを務めていたのだ。

「23、24…全員います。」

「それじゃあ部室に移動しよう。」

当時冬ということもあって三年生が引退したあとの野球部は部員が少なかった。部員の少なさ、冬の寒さもあり、ミーティングなんかをするときには大体部室を使う。部室はかなり広く25人入ってもまだ余裕があるくらいだ。

「全員座ったな…それでは犯人捜しを始める。」

犯人探し。彼はそう言った。犯人が部内にいると決めつけて。

「犯人捜しって犯人は部内にいるんですか?」

誰かがもっともな疑問を口にした。

「少なくとも私はそう考えている。部外のものには犯行を犯すことが不可能な状況だったらしい。そうだったんだな鴨?」

「はい」

鴨といわれ返事をしたのは一年生の部員、鴨俊介だ。どうやら彼が第一発見者らしい。

「僕、今日塾だったんで、キャプテンに鍵貸してもらって部室に入ったんです。それで僕、自分のカバンの中見てみたら財布が無くなってたんですよ。」

部室は練習中はいつも閉めている。鴨は続ける。

「それで僕、監督に言ったんです。財布がないですって。」

「そう。それで今こうしてお前らを集めた。お前らも自分の持ち物確かめてみろ。」

監督に言われてみんな一斉に荷物を確かめる。そしてでた結論はこうだ。全員の財布が盗まれている。


ここまで話して僕は1つ息をつく。桃谷さんが白々しく問う。

「ふーーん、なるほどそれで犯人は見つかったの?」

「ええ、犯人は見つかりましたよ。」

最悪の形で。解決とは程遠い形で。


「全員か…」

顧問は呟く。

「とりあえず、鍵閉めろ。」

近くにいた部員は言われるや鍵を閉めた。鍵を閉める-この行為は部室からは出られない。部室から出られるのは犯人を決めてからだと。いう表れだろう。

「まず、鴨がそのとき誰か怪しいやつは見かけたりしなかったか?」

あぶり出しが始まった。こんなもの名探偵でもない限り犯人の特定は不可能なのだが。

「いえ、見ていないです。」

鴨は答える。ここで何か見ていれば、このあぶり出しはここで終わっていたのだろうか。

「そうか…誰か心あたりのある人物はいるか?」

「………」

そんなものいるわけがない。いたとしても言わないだろう。こうなったら後は地獄だ。誰も喋らない。互いに互いを疑う。具体的な策を持ってあぶり出しを行うのならよいのだが、そんなもの思い浮かぶはずもなく、いたずらに時間が過ぎて行く。監督も黙りこくって誰も話すことができない。時間は6:20部活終了の時刻まで後少しだ。ここで、誰も喋らなければ、結末は変わっていたのだろうか。しかし、物語は変わらない。いつも同じ結末をたどる。

「キャプテンが怪しいと思います。」

突然口を開いたのは竹刀だった。

「……!!」部室に緊張が走る。

「竹刀、友達を疑うんだ。それなりの理由があってのことなんだろうな?」

「はい、そうです。理由はあります。彼はキャプテンです。キャプテンは鍵を預かる立場です。だから、その鍵を使って犯行におよんだのではないかと思います。」

めちゃくちゃだ。当然僕は反論する。

「おいめちゃくちゃいうなよシナイ…」

しかし、僕を待ち受けていたのは全く予想外のものだった。部員たちは僕に懐疑の目を向け始めたのだ。一人残らず。


「へええーーそれで犯人は君だったのかい?」

分かっているだろうに白白しく聞く桃谷さん。

「いえ、もちろん違いますよ。僕はそんなことしません。」

していないのだが、待っていた結末はもっと残酷なものだった。


竹刀の発言から10分が経過した。時刻は6:30もう部活を終わらなければならない時間だ。よかった…!逃げれる。あらぬ疑いをかけられた以上もう逃げることでしかこの場を回避できないと思った僕は、部室を去ろうとした。去ろうとしただけで去ることはできなかったのだが。

「皆んな、今日は犯人が見つかるまで、部活は終わらない。いや、終わるわけにはいかない。異論のあるものは?」

ここでこう言われて、反論できるやつがいるはずもない。顧問の発言は意見の同意を求めるものでなく、絶対的な宣言なのだから。

本当の地獄はここからだった。犯人を見つけられるまで、終わることのない部活。僕に向けられる視線は痛くて痛くて、痛すぎてその感覚にもなれてしまったころ、顧問は口を開く。時刻は6時40分。

「今から30分おきに全員に目を伏せてもらう。そしてその上で、犯人には手を挙げてもらう。まず1回目」

みんな顔を伏せる。ここで、誰かが自己犠牲の精神に溢れた誰かがいて手を挙げてくれたら、この物語は違う結末を迎えていた。そんなことはないのだが。もちろん手をあげるやつなんているわけなんかないのだが。

その後2回目3回目と続くのだが、その間誰かが名推理を披露することもなく、竹刀も顧問さえ口を開くことはなかった。3回目が終わった後でもう部員の顔には練習の疲れもあるだろう、みんな疲れた表情を浮かべていた。そして僕も疲れていたんだろう。疑われることに。誰かを疑うことに。

「現在時刻は8時10分。4回目な訳だが、そろそろ出てきてくれないか?」

そんな空虚なことを言う顧問。

「と言ったところで、誰も出てこないんだがな…それでは皆んな顔を伏せて。自分が犯人だというものは手を挙げろ。」

4回目になるこの行為。顔を伏せるという動作に誰かに出てきてほしいと願うこの空気に慣れてきたころ、僕は自分の手を自己犠牲に満ちたその手を高く高くまるでそれを誇示するかのように空に掲げた。

「よー…」

そこで僕は顧問が何か言う前に、手を下ろし、顧問の顔を見た。顧問の責任感から解き放たれたその喜びを抑えているような顔を。


「へえーーーー!そこで君は自分が罪をかぶったんだ。かっこいいね!皆んなの英雄だ〜」

僕はかっこつけたかったわけなんかではないし、この後僕が受けた扱いは英雄なんかとは程遠い。それだって、わかってて聞いているのだろう。

「さて、聞かしてもらおうか君の物語を君を変えた物語をその結末を」


その後の展開は極めて早かった。いや、早くはなかったのかもしれない。それは普通のことだったのかもしれない。僕が手を挙げたあと、監督は

「よーし…解散!犯人を捜し当てることができた。ありがとう君らの協力のおかげだ。犯人は翌日職員室の私を訪ねてくれ。」

そう言い、それだけ言い、監督はそそくさと部室を後にした。残された部員たちは最初は戸惑いこそしたものの、次第に皆部室を去り始めた。竹刀は僕を

犯人だと最初に発言した竹刀はついに僕と目を合わせることもなく部室を去った。

僕はキャプテンだったので、部室を一番最後に出て鍵を閉めねばならなかったため、必然的に部室に残っていたのだが、不思議と気分は落ち着いていた。今日の晩御飯は何だろう。そんなことを考える余裕すらあった。僕にこのとき、満ち足りたものがなかったといえば嘘になる。僕はやらなければならないことをやった。僕は皆を助けた。そんな風に思っていた。その後のことを考えると、僕はこのときしいてはあのとき何をするべきだったのだろうか。いくら考えても答えは出ないのだが。

翌日僕は学校に登校するや、荷物を教室に置いてすぐに顧問のもとを訪れた。顧問は僕を生徒相談室に連れて行き、そこで顧問は部員の財布の返還を求めた。しかし、ない財布を返還することなんてできるわけがないのだから、僕は自分はあのあぶりだしを終わらせるために手を挙げたのだということを告げた。そう告げた後、顧問は僕を殴った。なんてことはなく、激昂するわけでもなく、顧問は僕にねちねちと説教を始めた。顧問は怒ると普段からは想像もつかないぐらい、ねちねちと説教する癖があるんだ。だから、僕は手を挙げた。ネチネチした説教は聞いてるだけで終わる。先生の自己満足だから。僕にダメージはない。そう考えてた。その考えは当たっていたのだが。思考を巡らすべきだったのはもっと別なとこにあったのだが。

顧問は一限目の授業が終わるギリギリまで説教を続け、そして、放課後にもまた生徒相談室に来いと言い残し、授業に向かっていった。僕も授業は受けなきゃならないので、教室に向かったのだが、いやはや、僕はどうして考えが浅すぎたのだろうか。いや、この言い方ではまるで僕は全く悪くないようなのだが、他の誰でもない僕の行動が僕を苦しめたのだが。

教室に行くと当然もう授業は始まっていた。僕は後ろの扉から申し訳なさそうに静かに教室に入り、自分の席に座った。僕が来たぐらいで授業を止める先生はこの学校にはいない。皆自分のカリキュラム通りに進めることに必死だ。英語の授業だった。中学生にとって授業は楽しくなんかないし、楽しいはずもないんだが、だけどこのときこの授業中が僕のこの日最も楽しい時間だったんだろう。

授業が終われば10分間の休憩の時間だ。この時間はまあ、次の授業の準備やらトイレに行くための時間なんだが、実際は、友達と話すことで時間は過ぎていく。僕はいつものように友達に話しに行った。いつものようにしていたのは僕だけで、友達はいつもどおりでなんかなかったのだが。

「おーーい、聞いてくれよ〜、今朝顧問にさあ…」

「……」

僕は今朝の出来事を話そうと思ったのだが、その声が彼らに届くことはなかった。気にでも触れたのだろうか。いや、届いていたはずだし、届いていないはずがない。そう僕は明確にされたのだ。

その後は想像に難くないだろう。僕はクラスメイト全員から無視されたのだ。今だからわかることなのだが、恐らくあの時僕が手を挙げた時に顔を少しあげて、僕が手を挙げる瞬間を見ていた奴がいたんだろう。そして、そいつが野球部で八街が盗みを働いたと誰かにリークした。今思えば、顧問の口止めがなさすぎる気もしたが、漏らすなともいわれていない状況で喋りたがりの中学生が喋らないわけがない。そしてその後はもうとめどなく溢れ出す水のように情報は僕が盗みを働いた最低の人間だという情報はまたたくまに広まったんだろう。当時の僕はそんなことを考えている余裕はなかったし、誰かを疑う余裕なんてなかった。当時考えていたことはいかに現状を打破するかそれに尽きていた。答えがあるはずもないのだが。

無視される。言葉にすれば簡単だが、実際に経験があるのとないのでは、その言葉の重みは全く違うものになる。無視される。つまり、自分はそこに存在しないものとして扱われる。それがいかに苦痛で苦しいことか。想像することは難しいだろう。昨日まで当たり前に話していたクラスメイト。彼ら彼女らからいないものとして扱われる。その苦痛が苦しみが想像できるだろうか?それでも声をかけてくれる人がいた。なんていうことはなく、担任の先生も当然なにかしてくれるはずもない。僕を待っていたのは圧倒的な孤立だった。


「それで八街くんは今も孤立を恐れるんだね?」

座ることに飽きたのだろうか。今は床に寝そべる桃谷さん。

「まあ、そうなのかもしれませんね。」

しれないどころではない。そうだ。断言できる。だから、僕は孤立を恐れる。

「そうなんだね〜。」

なぜか桃谷さんは嬉しそうな表情をしている。

「それでその日はどうしたの?」

「その日は授業も最後まで受けて、先生から説教されて、説教といっても2時間立ちっぱなしでなじられるだけなんですけど。それから帰りました。」

そう帰った。帰った後も僕は苦痛を味わうのだが。


いつも通りに部活が終わり、いつも通りの時間に帰宅する。

「ただいま〜」

「……」

思えばこの時からだろう。返事がないのは。

「母さん、今日の晩飯は?」

「健、そこに座りなさい…」

みれば、父さんも座っている。父さんと久々に飯を食うなーなんて呑気なことを考えていた。普段通りなのは僕だけだった。

「あんた、学校から連絡が来たんだよ」

「へえ、なんて?」

「とぼけないで!!あんた野球部の子の財布盗んだんだって!?いったい何考えてんの!!?」

バンッ 机をたたく母。

顧問が電話したんだろう。そりゃそうだ。電話もするだろう。

「ああ、いやそれは違くて……」

「なにが違うの!?盗んだのはあんたでしょ!!ああもう、お母様方になんて言って謝れば…」

「だから違う…」

「違うじゃないの!!今すぐ盗った財布を持ってきなさい!!」

そこからはほとんど母さんが絶叫してるだけだった。このとき、僕は母さんが僕の話なんか少しも聞いてくれず、自分の見られ方だけを気にしてることに絶望した。そしてあるはずもない財布を出せるわけもなく、もう何度同じセリフを聞いただろうか。母はしびれを切らしたのか疲れたのか、叫ぶのをやめた。

「もういいわ…もういい」

母は疲れた表情で自室に戻っていった。

「健……父さんはな失望した。」

「……」

父はようやく口を開いたかと思うとそれだけ言い残して、母さんに続いて僕を残して自室に向かった。

僕はこのときようやく自分のしたことの大きさを重大さを認識した。

自室に戻った僕は彼女に連絡をとることにした。彼女への連絡。それは同時に僕にとって最後の希望だったと言っていいだろう。親からは見放され、クラスメイト、部員からは無視される。そんななか彼女だけなら。彼女だけは。そんな淡い期待で連絡を取った。最後の希望。彼女への文章。その返信はいつも通り早かった。そして内容はシンプルで分かりやすくて短かった。

「もう連絡しないで。」

その当時僕は何を思っていたのだろうか。親から見放され、クラスメイト、部員から無視され、希望のように感じていた彼女からも突き放された当時の僕は一体何を思っていたのだろうか。もしかしたらなんとも思ってなかったのかもしれないし、気に病んでいたかもしれない。けれど、これだけは言える。僕の人生であれだけ悲しくて虚しくて苦しいことはもうないだろう。


「……そうか。それで、それで終わりかい?君の話は?」

「まあ…はい。これで大体終わりです。」

「その後はどうしたの?」

「その後もまあ学校には行きましたけど…」

そうその後も僕は学校には通い続けたのだ。実際僕は転校すればよかったのだが、親が許してくれるはずもない。そしてなにより僕自身が転校という選択肢は考えることができなかった。周りに敗北したような気がして。僕は結局その後も学校へ通い続けた。部活は結局辞めた。謝罪をするとともに辞めた。当たり前だ。続けられるはずもない。

「うん。うん。面白い話だった。大変だったんだねえ」

大変の一言で済まされてしまったことに対して思うことはあったのだが、過ぎた話だ。僕はもう受け止めている。そのはずだ。

「そういえば、今日君が通学路であった子は竹刀くんだろう?彼とは仲直りしたのかい?」

「そうですね…僕が許しました。」

中学のことをいつまでも引きずっていても仕方がない。高校に入るぐらいのときに竹刀が僕の家に来て、あのとき僕の名前をあげたことに対して謝罪をしてきたのだ。当然許せるものであるはずがないのだが、過去のことと割り切って僕は彼を許した。そして、今でも仲良くはしている。高校はどこか遠いところに通おう。そんなことを僕は思わなかった。高校には色んな学校から生徒が集まるだろう。そう思っていたからだ。その予想は当たっていたし、今でも僕は同じ中学校出身のやつとは竹刀を除いて全く話していない。

「ふ〜〜〜ん。そうなんだ。優しいねえ。君は罪を被った。何者かが犯した罪を」

「僕としては罪を被ったというより、そうせざるを得なかっただけだったんですがね。」

「いやいや、それを人は英雄と呼ぶのだよ。」

あんなみっともない英雄がいるものか。

「それで、八街くん。犯人はいったい誰だったんだろうね?」

「犯人ですか…」

そういえば誰だったんだろう。犯人は…僕を奈落へ導いた犯人は。

「犯人は簡単に推理できるよ。だって密室ってわけでもないし、推理小説でもないんだし。そんな手の込んだことは誰もしてないよ。現実はもっと単純で簡単で分かりやすいんだ。」

「僕には分からないんですが…」

「犯人はきっとね…」

「顧問と竹刀くんだよ。」


「だっておかしいじゃないか。普通に考えて。あのタイミングで竹刀くんは君の名前なんか出すかい?」

「それはそうですが…」

けど、それはそうだが、僕以外に部室に入れるやつがいるとは考えられない。鍵は練習中はキャプテンが管理することになっていたのだから。

「けど、鍵が開けれないと思うんですけど…」

「いやいやそんなの簡単だよ。」

桃谷さんは続ける。

「先生がスペアキーをもってたらそれも解決するんじゃない?」


「スペアキーってそんなの…」

そうスペアキーを顧問がもっていたなんて聞いたことがない。桃谷さんは続ける。

「いや、顧問の先生はきっと持っていたよ。通常は犯罪なんだけど。学校内のことだったから明るみにはでなかったんじゃないかなあ。その先生は今何をしている?」

「ええと…僕が中3のときに違う学校に行きました。」

離任式の日彼は確か、自分を伸ばすため新たなるステージへの挑戦だとか言って学校を去ったのだが、もちろんそれを真に受けるほど僕は純粋ではなかったし、内心どこかに消えてありがとうと思っていたのだが。そしてそれからだ。野球部が荒れ始めたのは。新しく来た先生は野球部を上手くまとめることができず、外向きには真摯な野球部だが、中身はすたれていった。それは今にも受け継がれているんだろう。

「そうだよ。それは知っている。けどね、彼が違う学校に行った理由はね、もしかしたら違う学校に行ったっていうのは生徒への建前かもしれないけど、きっと、スペアキーのことがバレたり、野球部で起こった不祥事の責任をとってのことだと思うんだ。」

「……」

彼は逃げたんだ。僕に責任を押し付けて。

「あとはもう簡単だねえ。皆が練習中に顧問と竹刀くんがこっそり抜け出してスペアキーで鍵をあける。実際に盗んだのは竹刀くんだろうねえ。顧問は外で見張りかな?自分の手は染めずに生徒にやらせるってところが、なんともいやらしい。もし、部室に誰かきても顧問なら部室に人を入れないでいることも簡単だ。」

「そして、鴨くんと君が部室にやってくる。そこからは君が一番よく分かっているだろう?」

仮に竹刀が練習中にこっそり抜け出していたとして、僕がそれを認識できていたはずもない。練習中にいちいち他人がいるかなんて確かめない。冬ということもあり辺りも暗かった。そのことも犯行を後押ししたんだろう。

「これが真相で、真実だ。君を陥れたのは竹刀くんじゃなくて、実は先生だったっていうオチ。先生は安心しただろうねえ。君が手を挙げてくれて。罪を被ってくれて。」

ここまで聞いて、真実を知って、僕にはなんの驚きもなかった。真実というにはあまりに粗末で些末で、些細なものだった。

「君は…君はこのときからだろう?極端に孤立を恐れて、家族を避けたのは。」

そうだその通りだ。僕はもうあんな経験はいっぱいだ。

「だけど…それで…そんな風で本当にいいのか?学校で見た君はちっとも楽しそうなんかじゃなかったぞ。」

それはあっているし、だけど、それで僕はどうするつもりもない。現状維持。これが最も幸せだろう。

「ああ……私が言っているのはだなそういうんじゃなくてな…今の現状を維持してもいいが、新しく関係を作ればいいと思ってるんだ。」

「……?」

「とりあえず、親にはな…まあ状況を説明するなりして仲直りするべきだよ。」

それは分かっているのだが、分かっていてできることじゃないんだが。

「後、君が学校で仲良くしている女子がいるだろう?名前は…」

「左京」

「ああ、そうそう、左京ちゃん。彼女に告白でもすればいいのではないか?」

「……!!」

いきなりとんでもないことを言い出す。不意打ちにも程がある。

「んん。いい反応をする。あの子は中学の頃の彼女とは違うだろう?大丈夫だよ。人を信じろ。」

人を信じる。それは僕にとって中学時代に信頼していた人からあらゆる人から裏切られた僕にとってはあまりに難しいことだ。

「大丈夫、君ならできるさ。」

桃谷さんはそう言い残すと、さっと立ち上がり部室を去っていった。あの人は一体…しかし彼女が何者であろうと彼女が恩人であることには変わらない。僕は後押しが欲しかっただけなんだろう。新たなステージに踏み出す勇気を欲しかっただけなんだろう。彼女が何者だろうと彼女は僕の中で何かを変えたし、ここで変わらないと。

「さてと…」

僕は立ち上がった。そして大きく伸びをする。もちろん部室を出る時に敬礼するとかそんなことはしない。

「行くか…」

僕は部室を去る。それは過去の自分との決別を意味する。この時僕はきっと笑っていただろう。未来の自分を思い描くのが変わった自分を思い描くのが楽しくて、嬉しくてたまらなかったのだから。


























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゴーストテリング 下上筐大 @monogatari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ