第14話 鴨川と僕

 終着駅を出てビル群を歩きまわったものの疲れ、そのうえ目ぼしいものもなく仕方ないので駅近くの喫茶店へ入った。時計の針は2時30分を指していた。

 鴨川はコーヒーを頼み自分は適当にミルクティーを頼んだ。こんな熱い中甘ったるいジュースは飲みたくない。だが、しかしコーヒーの味もよくわからないので、そういえば朝、朱音が紅茶を飲んでいたな、と思い出しミルクティーにした。こんなくそ暑い中だが。鴨川は喫茶店に入ればコーヒーしか頼まない人間であった。そして飲むついでに店のコーヒーを批評することもあった。鴨川に「コーヒー、うまいか?」と聞いてみたことがあるが、「声に似合わず、下は大人じゃないんだね。」と皮肉混じりに返され、その後は何度も同じ質問をしても「直に分かる。」「飲んでみれば早いんじゃないか?」と軽くあしらわれ、どうしても腑に落ちない結末となっていた。勇気を振り絞る必要はないがコーヒーをいつになったら飲めるのだろうと、少し自分に疑問を抱いていた。「そのうち、飲めるよ。」鴨川の言葉でいつもこの感情が水に流れる、それが無償に腹立たしい。

 コーヒーと紅茶が運ばれてきて、鴨川と俺の前にそれぞれ置かれる。店員が判別するのか、紅茶は無地な白いコップだが、コーヒーカップには装飾が施されていた。これは区別なのだろうか、くだらない疑問がコーヒーの話題を一掃していった。

 「なんで、呼び出したんだ?散歩に俺は必要ないだろう。」

 紅茶を啜りながら呼び出した理由を聞いた。

 「おや、主語が変わっているねぇ、どうでもいいが。それについては希望ちゃんと連絡していたら、久しぶりに君の名前が出てきてね。つい、会いたくなったわけだ。」

 「そんな日は経ってないだろう。この前、出かけたじゃないか。」

 彼と最後に合ったのはつい最近のことだ。俺は今でもそのことを覚えている。

 お互いにコーヒー、紅茶を啜りながら落ち着いた口調で会話していた。こうして友人と落ち着きながら会話するのは久しぶりだ。引っ越してから新しい学校に慣れるのに気疲れしていた。

 鴨川もそれなりに楽しんでいるらしかった。

 「そういや、希望と仲が良いんだっけ?」

 「お、噛まずに言えたね。」

 少し怒りを露わにしてしまう。顔が強張っている。

 「ハハハ、そう怒るな。希望ちゃんから『この前、裕翔君が私の名前噛んでた』って、言ってたからさ。」

 100%馬鹿にした口調だった。

 確かに、噛んではいたがそれは女子の下の名前を呼ぶ緊張であった。仲のいい奴は普通に呼べるのだが、日の浅い人たちはどうも無理がある。

 顔が紅潮するのがわかる。

 「まぁ、そんな力むな。大したことない。人に対する緊張だなんて。まぁ、最近メッセージを開けば君の話ばかりだ。」

 「そうなのか?」

 「ああ」

 彼女が自分の話を他の人にしているなんて、少し意外であった。確かに、あそこまで仲良くしているから自然ではあるが。

 「彼女、恋している感じだな。君に。」

 「まさか、そんなのあるわけないだろう。」

 俺は淡い期待を載せたまま彼の言葉を否定した。

 確かに、自分も彼女に好意を寄せている。かもしれない。認めたくても、認めたくないのだ、あの悪夢以来から。あの頃から、犯罪者である「僕」がいつ俺とを乗っ取ってしまうか恐怖であった。自分を自分で保つだけで必死だった。希望を殺したくない、その一心だった。

 「まぁ、君もまた希望ちゃんと同じの様だね。」

 コーヒーを啜りながら鴨川が地面を見ながら言う。目の前の湯気に視線を預けわずかにぼうっとしているようだった。違うかい?と湯気から俺に視線を移した。

 「多分、まぁ」

 曖昧な答えしかできなかった。肯定したら希望を殺してしまう、しかし否定してしまったら希望が悲しむかもしれない。あんなに良くしてもらって否定するのは最低だと感じた。

 「まぁ、どっちでもいいけど。」

 鴨川はコーヒーカップを皿の上に置いた。

 「希望ちゃんは応援できる。だが、君については無理かもしれない。」

 カップと皿がぶつかる音で話題が転調した。

 希望ちゃんは応援できる。だが、君については無理かもしれない。鴨川の言葉が頭の中を巡った。頭が割れそうになる程その言葉が走り回った。

 意味がわからなかった。それは、男と女の違いなのか。それとも、友情度の違いか。それとも、純粋な人間度の違いか。

 訳が分からなくなり頭の中でパニックが起こる。脳内が完全に爆破され、今や脳死プレイ状態。半狂乱には値しないが、そこそこ憤りを感じている。目が血走っているのを感じる。 

 「それには訳がある。君は中学である一人の男性生徒と喧嘩したことがあるだろう?そのとき、確実ではないが、君本人でなかったように感じた。君は二重人格なんじゃないかと思ったんだ。」

 探偵めいたその口調は確かに的を射ているようだった。二重人格、確かに事実であった。

 無意識のうちに出てきた。どうやら、そういうことらしい。

 憤りが嘘のように消え、冷静になった。

 落ち着いて姿勢を正し、改めて鴨川に向き直った。

 「なんだ、気付いてたのか。僕のこと。」

 いつも間にか僕が隣に座っていた。足を組み上半身を背もたれに預けて横柄な態度をとっていた。顔はいつもより真剣であり、鴨川を睨んでいた。鴨川が何をしたのかはわからないが僕が敵対心むき出しで鴨川を迎えているのあ確かだった。

 「君が、か。もう一人の裕翔君。初めまして、かな。」

 鴨川は相変わらずの口調で僕に話しかけた。目には微笑を浮かべており、少し口角も上がっていた。未知の生物との遭遇かのようなワクワクした微笑だった。

 「見えるのか?」

 「ああ」

 静かに頷いた。鴨川は僕が見えるようだ。

 「他の人には見えないのか?」

 俺の質問を一度思案してから、店員に向かって腕を上げた。一体、何をするのだろうか。

 足早にテーブルに近づいてくる店員。

 「ご注文は?」

 「仮面のような笑顔で店員が尋ねた。

 「コーヒー2つと紅茶1つ」

 店員がメモをとりながら怪訝な顔してメモから顔を上げた。

 「2名様で、お飲み物3つで、、、よろしいですか?」

 「あ、これは失敬。コーヒー2つで。

 怪訝な顔を崩さず店員はカウンターへ戻って行った。メモには斜線を引いていた。

 「ほら、ね。」

 「何がだ。」

 「コーヒー、紅茶、合わせて3つ頼んだら、怪訝な顔をされた。店によって対応は違うと思うが、ここの店は素直なようだね。そっくり、そのまま返された。これが答えだ。」

 「つまりは僕は他の人から見えないってこと。」

 僕が鴨川の後に続いた。無理矢理ではあるが、納得するには申し分ない。

 「中々のご明察だ。もう一人の裕翔君とは違う。」

 「おい。」

 紛れて俺が貶されているのを見逃すところだった。愚直に突っ込みを入れさせて頂いた。

 横で僕が怒気に似た顔色を浮かべていた。ますます、敵対心は濃くなる一方であった。何を警戒しているのだろうか。

 「まぁ、そう怖い顔するな。」

 未だ僕の怒気は消えていなかった。むしろ、増しているようにも感じる。

 さっき頼んだコーヒーが運ばれてきた。店員が伝票の上からもう一つ重ねて伝票置いた。コーヒーは湯気を立てていた。

 「コーヒー、飲めないんだけど。」

 俺は鴨川に助け舟を要求した。 

 「彼のことを想像しろ。自然と飲める。」

 僕を横目に見ながら、意識してカップに口を近づけた。

 コーヒーが行内へと侵入してきた。舌先がコーヒーに触れた。そのまま全体を包んだ。瞬間、うま味が舌の上で踊った。今までコーヒーの味を感じたのは人生を通してこれが初めてだった。

 「そういや、鴨川。」

 「何だい?」

 「帰りの運賃、持ってきてない。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る