第九章 拘禁 -2-

 ほどなくして、ハフナー中将と〈グレムリン〉を含む〈森の精〉ヴァルトガイストの面々は、ロメスと対面するため応接室に直通する司令官室のドアをくぐった。

 上官たちの姿に、ドアの脇に立っていた警備兵が素早く敬礼する。司令官一行は口々に兵たちを労うと、部屋の中央にある大テーブルへと進んだ。

 テーブルにはロメス大佐がついていた。彼は身動ぎもせず、目の前に置かれた冷めきったオムライスを、憤怒の形相で睨みつけている。

 詳しい事情も判らないまま強引に呼びつけられた上に、咎人のように小銃を担いだ警備兵に見張られていたのだ。彼が不愉快の極みに達しているのは、ウィルたちの想像に難くなかった。

 案の定ロメスは、どやどやと部屋へ入ってきた連中を見るなり、不機嫌さを隠そうともせず苦情を放つ。

「これは一体どういうことですか、閣下?」

 しかしハフナーは彼の言葉には応じず、隣に立つ〈森の精〉ヴァルトガイスト基地司令官に軽くうなづきかけた。それを受けたウィルは、ロメスを監視していた警備兵たちに部屋の外で待機するよう命じる。

 警備兵たちの姿が部屋から消えるのを苛々しながら待っていたロメスは、眉間に大渓谷並みのしわを刻み込んで、もう一度繰り返した。

「だから、何なんですか一体?」

 言い終えて、チラリとウィルの背後に視線を移す。そこには好奇に満ちた目の〈グレムリン〉たちと、厳つい顔の警務隊長の姿。〈グレムリン〉はともかく、この場になぜ警務隊長が姿を見せるのか、ロメスには理解できなかった。

 胡散臭そうに目を眇めるロメスに、ウィルが真顔で答える。

「気にするな。単なる〈簡易ウソ発見器〉の大と小だ」

 その失礼極まりない紹介に、〈簡易ウソ発見器〉たちは不服そうに頬を膨らませ、ロメスは馬鹿にされたと解釈して顔を引き攣らせた。

「何だと――!?」

「ロメス大佐」

 色をなして言葉を詰まらせるロメスに、ハフナーが静かに呼びかけた。彼は憤慨している男をアッシュグレイの瞳で見つめ、ひとことひとことゆっくりと、明確な発音で事実を伝える。

「隠しても詮無いことなので単刀直入に言うが、一時間ほど前、統合作戦本部エウロパから『貴官を拘束し、統合作戦本部エウロパへ送還しろ』という命令が下った。貴官は査問会へ召喚される」

「査問会?」

 突然の宣告に、ロメスは一瞬呆然となった。が、すぐに我に返ると、〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官を睨みつけた。さらに椅子を蹴って立ち上がると、激昂してウィルを非難しはじめた。

「貴様、軍政監理部へ報告したのか? 准尉の件は、我々で片づけるはずではなかったのかっ!?」

 またもや勘違いしたロメスは、怒りに任せてテーブルの上のものを払い落とした。トレーが音を立てて転がり、残飯が飛び散る。その音に驚いた子供たちが首をすくめた。

「そうではない、そうではないのだ、ロメス大佐」

 ロメスの見苦しい態度に、ハフナーは眉を顰めた。たしなめたい気持ちを抑え、忍耐強く言葉を続ける。

「実は先日、〈機構軍〉システムから不正プログラムマルウェアが発見された。そしてその不正プログラムマルウェアは、未知の第三者に向けて〈機構軍〉の情報をリークするよう、プログラムされていたのだ」

 爆発的に怒りを発散したロメスは、疲れたように肩で息をしながら、ゆっくりと視線を中将へ向けた。

「それと小官が査問会に召集されることと、どういう関係があると言われるのですか?」

 話の先が見えないのか、怪訝な顔でロメスは聞き返した。

「貴官には、〈機構軍〉システムへの不正プログラムマルウェア混入と、機密漏洩の疑いがかけられている」

「は――?」

 先刻のウィルたちと同じ反応を、ロメスは示した。ハフナー中将は、相手に余計な衝撃を与えないよう細心の注意を払いつつ、もう一度ここに至る経緯を「事件の中心人物」に語って聞かせた。

 広い木張りの応接室には、穏やかな中将の声だけが響く。

 自分に対する容疑の内容が明らかになるにつれ、ロメスは顔色を失っていく。ひと通りの説明が終わる頃には、声もなく、彼はただ茫然と、カリスト司令本部副司令官の顔を見つめるだけとなっていた。

 そして、中将の言葉が途切れてから数十秒の沈黙を経て――。

 ようやくロメスの口から喘ぐような声が洩れた。

「まさか……そんな……」

 驚愕に見開いた目で、ロメスはテーブルの向こう側に立つ〈森の精〉ヴァルトガイストの面々を見回す。やがて吸いつけられるようにウィルの顔に目を留めると、何かが弾けたように叫んだ。

「違うっ、濡れ衣だ! 私はやっていない!」

 ウィルは黙って、無実を訴えて喚く男を見据えた。感情をおもてに表さず、心の中を見透かすように、視線をロメスの顔に突き立てる。彼は、ロメスのこの言動が演技されたもなのかを見極めようと、注意深く観察した。

「ヴィンツブラウト大佐、信じてくれっ! 私は〈機構〉を裏切るようなことは、決してしない!」

 悲痛なロメスの叫びが、部屋の空気を震わせた。

 この先自分を待ち受けているものが何かを悟った男の顔は、恐怖に引き攣り歪んでいた。

 すがりつくような目で自分を見るロメスの様子に、ウィルはそれが演技ではないと感じた。犯罪者取扱のプロと、大人の嘘には敏感な〈簡易ウソ発見器〉たちは、神妙な顔で口を閉ざしたままだ。それが自分の直感を信じる自信を与えた。もしロメスにどこか不審な点があれば、その時点で彼らは何らかの反応を示していたはずだからだ。

 また、ロメスの性質は昨日の一件で大体掴んでいる。

 彼は、自分の計算通りに事が運ぶうちは、狡猾な態度もとれる。だが一旦歯車が狂うと動揺し、それを取り繕うこともできずに感情を剥き出しにして、思ったことをそのまま口走ってしまう。

 そんな男が、不意打ち同然のこの状態で、咄嗟に演技できるとは考えられない。

 それに〈機構軍〉の情報士官トニィは、「ロメスは利用されているのだ」と言った。もしそれが本当だとすれば、ロメスは潔白、もしくは知らないうちに実行犯に仕立てられていたということだ。

 これらのことから、ロメスは恐らく「白」だろう。

 しかしウィルは、すぐにそう認めてやるのが癪だった。ロメスは「査問会への召喚」と聞いて、真っ先に自分を疑ってくれたのだから。

 息を呑んで応えを待つ容疑者に、ウィルは淡々とした調子で告げる。

「悪いが、信じるか信じないかは、いまの段階では答えられん」

 突き放すようなウィルの台詞に、ロメスはさらに色をなくした。

「俺には、あんたの言葉を素直に信じることはできない。あんたはさっき、俺を一番に疑ってくれたからな」

 ウィルは一旦言葉を切ると、昨日の相手を真似て意地悪く笑う。ロメスはバツが悪そうに唸るしかなかった。

 だがその反応に満足したのか、あるいは大人気ない自分の態度に虚しくなったのか――ウィルは軽く溜息をつくと、若干口調を和らげて言葉を継いだ。

統合作戦本部エウロパの出した分析の結果だけなら、あんたは充分疑わしい。だが、俺はそれを鵜呑みにするつもりはない。あんたのメールIDのこと以外にも、おかしな点がいくつかあるからな」

「おかしな点?」

 項垂れていたロメスは、藁にもすがる思いで顔を上げた。絶望の淵に放り込まれていた男の瞳に、小さな希望の光が点る。

「あんたが俺に送ってきた抗議メールだが、まずあんたがタイタンから送信したという一通目は、俺のもとへ到着するまで三週間もかかっている。当時、カリスト―タイタン間のタイムラグは、中継に要する時間を入れても一時間半もかからないというのに、だ」

 ウィルのこの説明に、キェット大佐が信じられんとばかりに声を上げる。

「まさか! 仮に中継サーバの機嫌が悪かったとしても、三週間も遅配されるはずはないだろ。受け取った時、おかしいと思わなかったのか?」

 ウィルは警務隊長の意見にうなづいた。

「普通で考えればな。しかし俺が受け取った通信のヘッダに記載されていた発信日時は、受信時間の一時間半ほど前になっていた。つまり、遅滞なくデータが送受信されたことを表していたんだ。だから変だとは気づかなかった」

 チラリとロメスの反応を見る。しかし当のロメスは木製のテーブルに目を落とすと、思考の波間を漂いはじめた。

 ウィルは彼を横目で見つつ、〈グレムリン〉たちが解き明かした〈分裂する惑星間通信パケット〉のヘッダ情報を思い出して言葉を加える。

「それに一番最後に受け取ったものでも、数分の時差で済むところが、数時間も差が出ている」

「どうしてそんな時差が出るようになったんでしょう?」

 アダルが小首を傾げると、カプチーノ色の髪がふわりと揺れた。

「それは、多分――」

 ウィルが答えかけたところへ、ずっと考え込んでいた抗議文の送信者が、うわ言のように呟いた。

「じゃあ、私が受け取っていた貴様からの返事は、誰が?」

 その呟きを、ウィルと〈グレムリン〉たちは聞き逃さなかった。彼らは緊張した面持ちで、お互いの顔を見合わす。

 〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官は部下への返答を保留すると、呟いた者へと向き直った。

「俺が一通目を受け取るまでに、あんたは俺からの返事を受け取っていたのか?」

「ああ。一通目を送信した半日後に、『人事部の命に従ったまで』といった主旨の簡単な文章が、貴様の署名で戻ってきた。その後も送信するたび返事がきた」

 ウィルの確認に、ロメスは素直に答えた。

 自分にとって不名誉な称号を賜る原因を作った男は、この一連のできごとを検証した上で、真偽を判断しようとしている。それは決して自分を陥れるためのものではないようだ。いまさら意固地に非協力的な態度をとったところで、自分には何の利もない。

 そうロメスは判断したのだろう。彼は幾分落ち着いた様子で質問に答えはじめる。

「そのデータは残ってるか?」

「ある。私の書類鞄ブリーフケースにメディアが入っている」

 ロメスは部屋の隅に置かれていた自分の鞄を指し示した。即座にキェットが動き、中から数枚のメディアケースを取り出す。

 戻ってきたキェットの手の中を見て、ウィルが訊ねた。

「どれだ?」

「ピンク花柄のヤツだ」

「……いい趣味だな」

 ウィルは鼻にしわを寄せて、悪趣味な男を揶揄した。そしてミルフィーユにメディアを受け取るように指示する。

「ミス・バーバラと趣味が合いそうだね」

 〈ざます眼鏡〉の女性士官を思い出して肩をすくめた少年は、警務隊長から派手な花柄のメディアケースを受け取った。そしてポケットから自分の携帯端末を取り出すと、メディアを差し込みデータを開く。

 小さな画面上に、ウィル名義のメールデータの一覧が現れた。

「俺からの返事を、全部メディアに残してあるのか?」

 差し出されたモニタを覗き込んだウィルは、用心深いというか几帳面なロメスに、半ば感心したような呆れ声を上げた。

 もちろんウィルも、万一のことを考えてやりとりのログは残してある。だがそのデータは〈森の精〉ヴァルトガイストのサーバと、自宅のローカルサーバにおいてあるだけで、このようにメディアに保存するようなことまではしていない。

 ウィルに感心されて少し気をよくしたのか、ロメスは一時的にいつもの尊大な彼に戻ると、胸を張って豪語した。

「私は自分の作ったデータ類や受け取ったメールなどは、全てメディアへバックアップすることにしている。そもそも私は、コンピュータなど信用していない。いや、コンピュータだけではない、信じられるものはただ一つ――自分自身だけだ」

 突如、〈森の精〉ヴァルトガイスト司令部ビルの応接室に氷河期が訪れた。その場にいる誰もが言葉をなくして凍りつく。ほんの数秒という時間が、数万年にも感じられた。

 やがて逸早く氷点下の世界から生還したイザークが、口を開いた。

「――いや、何と言うか……『自分第一主義』もここまで徹底されると、却って清々しいな」

「全く」

 凍りついていた者たちが、揃って同意する。場を凍てつかせた本人だけは、なぜそのような反応をされるのかが理解できずに、目を瞬かせた。

「ま、それはさておき――」

 ウィルは軽く首を振って気を取り直すと、先へ進めた。

「この返信文は、どれも俺の送ったものじゃないぞ。それに昨日提出してもらったあんたの送信データだが、俺に届いているものとは内容が一致しなかった」

「何だと!? そんなはずは……なぜ!?」

 ロメスは愕然となった。お互いの送った通信文が、そのまま相手に届くのは当たり前――その常識を覆されたのだから、驚くのは当然だ。

 だが、ある程度このからくりに気づいているウィルは、平然を保ったまま種を明かす。

「単純なことさ。つまりこれは、他の誰かが俺たちの通信データに手を加えている可能性を示している。ま、あんたが昨日提出してくれたデータが、本当に『オリジナル』だとすればの話だが」

 ウィルは「俺はまだ、あんたを完全には信用していないぞ」とばかりに、樫色の瞳でロメスの驚愕した顔をねめつけた。

「あれは正真正銘オリジナルだ――といっても、それが本当かを確かめることは困難かもしれんが」

 睨みつけられた方は弱々しく反論する。諦め口調で「いくら本当だと言っても、信じてもらえんだろうが」とつけ足すと、ロメスは自嘲するかのように口元を歪めた。

 データの偽造など、その気になればいくらでもできることぐらい、ロメスにも理解わかっている。だから彼はコンピュータを信用しないのだ。しかし、いまの状況でそう訴えても、信じてもらえるはずもない。

 いままで経験したことのない「弱者」の立場に置かれて意気消沈してしまった男に、ウィルは肩をすくめただけだった。そして言葉を選びながら、慎重に自分の推論を披露する。

「これはあくまで俺の推測だが、〈分裂する惑星間通信パケット〉の加工は、人の手で行われているんじゃないだろうか。仮に〈ワーム〉に関わっている者と〈分裂する惑星間通信パケット〉に関わっている者とのあいだに繋がりがあるとすれば、連中は〈ワーム〉に俺たちのメールを監視させて、自動的にデータを加工することができるはずだ。だがそれだと瞬間的にデータは処理されるので、これほどのタイムラグが生じることはないはずだ。つまりこの妙なタイムラグは、一旦どこかでデータを止めて細工しているために起こっているんじゃないかと、俺は思う。ま、〈機構軍〉システムがいつあの〈ワーム〉に感染したのか判らないので、的外れな推理かもしれんが」

 ウィルは一旦区切ると、意見を求めるように周囲を見回した。即座にイザークが賛同する。

「いや、そうだとしたら、ロメス宛にウィルからの返事が届いていたのも納得できるな。誰かがロメスの抗議文の内容をチェックして、それに対する返事をウィルになりすまして出していた。機械任せにして、的外れな返事を出すわけにはイカンだろうし、それぞれの動きを監視するためにも、メールの内容には目を通すだろう」

「うむ、それは充分考えられることだ」

 ハフナー中将も彼らの意見に肯いた。他の者たちも「異議はない」という表情をしている。

 他に意見が出ないのを確認すると、ウィルは一気に核心へと迫った。

「そこで問題になるのは、『だれが、どこで、何のために、データを作り変えたか』だ」

「一番これらのデータに近いところにいるのは、システム管理者だな。とりあえず彼らに協力を求めて、データが経由したサーバのログに不審な点がないかチェックするか?」

 イザークが妥当な案を持ち出した。そこへヴァルトラントが余計なツッコミを入れる。

「ログが改ざんされてなきゃいいけど」

 相手は〈惑星間通信パケット〉のヘッダを改ざんするのだ。通信サーバのデータにも手を加えていないという保証はない。そもそも〈機構軍〉システムが〈ワーム〉に感染していると判った時点で、統合作戦本部エウロパは各システム管理者に対して警告を発している。この情報が洩れていたとすると、〈ワーム〉を送り込んだ犯人はすぐに何らかの対策を取っているはずだ。

 その痕跡を見つけるための作業がどれだけ困難なのかを想像し、大人たちは渋い顔をして唸り込んでしまった。

「それにタイタンからカリストまでの通信サーバを、全部調べるつもり? すごい数だよ? それにデータが〈機構軍〉の決めたルートを、きちんと通ってるとは限らないじゃない」

「何もしないよかマシだろが!」

 ヤケっぱちになったイザークが、ひと言多いヴァルトラントに噛みつく。だが少年は怒鳴られてもどこ吹く風で、涼しい顔をしている。

 そこへ――。

「あの……いい?」

 ミルフィーユが遠慮がちに手を挙げた。

「はい、ミルフィーユくん」

 基幹学校の先生のような口調で、ウィルが指名する。少年が緊張しないよう剽げたウィルに、ミルフィーユはわずかに顔をほころばせた。だがすぐに真面目な顔を作ると、大人たちとはまた少し違った角度から斬り込んだ。

「アラムのくれたデータに入っていた大佐宛のメールも、やっぱりロメス大佐が送ったオリジナルとは違っていたの?」

「ああ、日付や現在どこにいるかといった文章が、削除されていた」

 ウィルは一瞬首を傾げたが、すぐに少年の意図するところを理解して、ありのままを答えた。

 親友の父親の答えに満足したのか、ミルフィーユは大きくうなづく。

「としたら、データは高速船〈アハ・イシュケ〉から、カリストに着くまでのあいだで細工されてるってことだよね。そして僕たちは、あの〈分裂する惑星間通信パケット〉の『本当のヘッダ』を見て、〈アハ・イシュケ〉まで辿り着いてる――」

「てことは、あのデータが中継したサーバは、全て判明わかってるってことか!」

 息子の言葉に、父親のイザークが小躍りした。思わず調子に乗って「さすが俺の息子! どこかのイチャモンつけるだけのガキとは大違いだ!」と口走り、「イチャモンつけるだけのガキ」の父親に睨みつけられた。

 そんな父に、ミルフィーユは苦笑する。

「うん。その時〈アハ・イシュケ〉はもうほとんど木星圏に入ってたから、中継したサーバは五つもないよ。そして〈アハ・イシュケ〉からそれらのサーバのどこかで、ロメス大佐のメールは〈分裂する惑星間通信パケット〉になったんだ。そしてそのサーバのすぐ近くに、データを書き換えた犯人がいるんだよ」

「それは、犯人が〈機構軍〉内にいるということか?」

「〈ワーム〉に感染したコンピュータには、〈外部〉から簡単に入れるんじゃなかったのか?」

 仲が悪いはずの警務隊長と兵站群司令官は、絶妙なコンビネーションでミルフィーユに質問を浴びせかけた。その気迫に圧されて、金髪の少年は思わず後退る。

「〈惑星間通信パケット〉の中継施設は、宇宙空間にあるんだよ。そのコンピュータに〈外部〉から侵入しようと思ったら、まずタイムラグのことを考えなきゃなんないの。衛星上から一番近い中継サーバまで、往復で数秒はかかるんだから。カリストからエウロパまでなら、最接近時でも往復で八秒ちょいもかかるんだよ。戦闘機の操縦だって、ほんの少しでも操作系のレスポンスが悪いと命取りになるでしょ? クラック中のコンピュータだって同じなんだよ」

 少年が口を閉じると、部屋が静まりかえる。だが一瞬後には騒然となった。

「そこまで判れば充分だ。すぐに各システムと担当管理者を調べさせよう。ミルフィー、それらのサーバのリストを――」

 ハフナー中将はそう言うと、ウィルの副官室で控えている自分の副官を呼び出した。そして疑わしい通信サーバのシステムチェック、及び担当管理者への事情聴取とログの提出を求めるよう指示する。ただ、統合作戦本部エウロパへはまだ報告させなかった。

 〈機構軍〉内で何かが起こりつつある。

 ロメスではないが「自分の手の者以外を信用するのは危険だ」と、ハフナーは直感的に思った。

 そして間もなくその直感が正しかったと裏づける報告が、もたらされることとなった。


 〈森の精〉ヴァルトガイストシステムの管理責任者であるノール大尉が、〈分裂する惑星間通信パケット〉の分析結果を持って司令官たちのもとを訪れた。

「まだ各データの細かい解析はできておりませんが、大まかな内容が判明したのでご報告します」

 そう前置きすると、ノール大尉は説明を始める。

「あの〈惑星間通信パケット〉には、いくつかの暗号化されたメールデータと、例の〈ワーム〉用のアップデートファイルが組み込まれていました。メールデータの一つはもうご存知のとおり、ロメス大佐が出されたヴィンツブラウト大佐宛のもの。このメールデータを加工して、他のデータを組み込んだものと思われます」

統合作戦本部エウロパで見つかった〈ワーム〉の動きと同じだな」

 〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官が独りごちた。ノール大尉はその上官の呟きに肯く。

「〈分裂する惑星間通信パケット〉は、〈ワーム〉の機能を用いて加工されたと思われます。しかし、〈ワーム〉に感染したコンピュータで自動的に加工されたのではなく、人の手によって行われたと思われます」

「やはり――」

 専門家が物証をもとに導き出した答えを聞いて、ウィルはわずかにほっとした様子で息を吐いた。自分の推測は、全くの見当違いではなかったということだ。それにミルフィーユの状況分析をも裏打ちする。

 しかし〈森の精〉ヴァルトガイストシステム管理官は、司令官がすでに同じ答えを得ていたことなど知る由もない。したり顔でうなづく上官たちを奇妙に思いながら、彼は次の言葉を放った。

「そして加工は、高速船〈アハ・イシュケ〉の端末で行われた痕跡がありました」

「なにっ!?」

 今度は目を剥いて驚く。そして反射的にウィルたちはロメスを振り返った。ロメスの無実を信じかけていた矢先のこの爆弾発言に、ウィルたちのあいだに動揺が走る。

「ち、違うっ!」

 疑いの目を向けられ、慌ててロメスが否定する。

 俄かに動転しはじめた上官たちの反応を、ノール大尉は呆然と見ていた。だが司令官たちが早とちりしてしまったことに気づくと、急いで言葉を継ぎ足した。

「ロメス大佐は、ネットワークから外れたご自分の端末で、メールを作成なされてますね」

「あ……? ああ、そうだ。私の端末は一切ネットワークへは繋がず、スタンドアロンで使っている。ネットワークへは、メディアに保存したデータを流しているのだ」

 少しでも容疑が晴れるなら――と、ロメスは口数多く答えた。

 その答えに大尉は満足げな顔をすると、奈落の底から一気にロメスを引き揚げた。

「しかし、データの加工は〈アハ・イシュケ〉システム上、それもシステム管理者の端末で行われています。さらに〈ワーム〉用のアップデートファイルは、〈機構軍〉システムの〈外部〉から、直接〈アハ・イシュケ〉に送られていたようです」

「〈機構軍〉システムの〈外部〉から――」

 司令官たちは絶句した。

 このことが事実なら、ロメスの容疑は間違いなく晴れる。

「すごーい! どうやったら、そこまで判るの?」

 驚く大人たちをよそに、ミルフィーユが尊敬の目で「師匠」を見上げた。暗号化されたデータから、そのデータを作成した端末を特定するのは、相当な時間を要するはずだ。何しろ〈機構軍〉のネットワークに繋がっているものだけでも、数千万とも知れない数になる。それを三日とかからずに特定したのだ。いったい師匠は、どんな魔法を使ったのか。

 だがノール大尉は横目で「弟子」を見ると、素気なく答えた。

「それは『企業秘密』です」

「あ、ズルい……」

 少年は大尉の無下な言葉に頬を膨らませたが、それ以上は食い下がらなかった。

 大尉は、幕僚幹部クラスにしかアクセス権限のないデータベースに忍び込むということを繰り返し、それが上層部にバレて〈森の精〉ヴァルトガイストへ送り込まれた。除隊にならなかったのは、そのコンピュータに関するスキルのためである。

 恐らく彼は、この件のためにちょっとだけ「以前の彼」に戻ったのだろう。それを聞きだしてしまうと、今度は大尉が罪に問われることになる。

「他に判ったことは?」

 ウィルは二人の会話を聞き逃したふりをして、報告の続きを促した。大尉は自分の勤めを思い出すと、それを果たすためにもう一度口を開いた。

「メール一通の内容が少々。ちなみにこれは、〈カリスト〉システムから〈ユニバーサルネットワーク〉へ流れたため、宛先の特定はまだできていません」

「で、内容は?」

「はい。『もし〈譲られたチャンプ〉が手ぶらで戻らない場合は、〈馬〉ごと殺せ』と、ありました」

「〈馬〉?」

 謎の言葉に、思わず〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官は聞き返す。〈譲られたチャンプ〉がロメスであるのはすぐに判るが、〈馬〉の意味が判らない。

 そしてその答えは、ロメスの口から発せられた。

「〈アハ・イシュケ〉――伝承にある『水棲馬』の名だ」

 ロメスの答えをもとに、少年たちが言葉の謎を解く。

「じゃあ、〈馬〉ごと殺すということは」

「〈アハ・イシュケ〉を壊す? ロメス大佐が乗ってる状態で」

「ちょっと違うな」

 ウィルが訂正する。

「ロメス大佐と『エビネ准尉』が乗ってる状態で――だ」

 そして硬い表情をロメスに向けて言った。

「どうやらあんたは、土星に帰る途中、准尉と心中させられる予定になってるみたいだな」

 淡々としたウィルの言葉にロメスは蒼白になり、捻じ切れんばかりに首を横に振った。

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