第八章 失踪 -2-

「遅~いっ!」

「こんな時に、何ちんたらやってんだっ!」

「え、ええっ!?」

 定時に〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官室に姿を見せたヴィンツブラウト親子は、待ち構えていたディスクリート親子から非難の声を浴びせかけられた。その剣幕の凄さは、二人が思わず一歩退いてしまうほどである。

「お、おはよう……」

 突然の怒声に目をぱちくりさせて、パイロット親子はメカニック親子に朝の挨拶を返す。しかしその的外れな返事が、またイザークとミルフィーユを絶叫させた。

「『おはよー』どころじゃないだろがっ」

「准尉がいなくなったんだよーっ!?」

 「大変だ大変だー」とばかりに、ディスクリート親子はバタバタ腕を振り回す。怒鳴られている原因が判ったウィルは、うんざり顔で、パニクっている二人を宥めた。

「まあ、落ち着けって。准尉ももう子供じゃないんだから、何もそう大騒ぎすることないだろうが。ヴァルトラントでさえ、『准尉は自分の意志で姿を暗ましたんだから、自分の意志で帰ってくるべきだ』って理解わかってるぞ」

「そう。俺たちはいつも通りにして、准尉を待っててあげなきゃいけないんだよ。大騒ぎしたら、准尉も気まずくて帰って来づらくなるでしょ?」

 ウィルに合わせて、ヴァルトラントも物分りのいいところを見せつける。

「うぅっ」

 一番大騒ぎしそうなヴァルトラントにそう言われると、イザークたちもおとなしく黙るしかなかった。それでも目は不満そうに友人たちを睨みつけていたのだが。

「ったく」

 しわの寄った眉間を揉みほぐしながら、ウィルは疲れたように溜息をつく。そして不満顔の友人親子を窓辺のソファに追い立てると、端末を立ち上げるためにとりあえず自分のデスクに向かった。

 〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官はシステムの起動画面をくさくさした顔で眺めた。ほどなくして起動が完了すると、各部署から届けられた報告書をチェックする。集中して読んでいるつもりだが、何か言いたそうにこちらを見ているイザークたちの視線が気になってしょうがない。ヴァルトラントも彼らと一緒にいるのが気まずいのか、情けない顔をしながら自分の傍らへとやってくる始末だ。

 部屋中に険悪な空気が充満していく。ウィルは息苦しさに喘ぐように、もう一度大きく深呼吸をした。

 そのウィルの鼻腔を、芳しいコーヒーの香りがくすぐった。思わず、その香りに誘われるように顔を上げる。

 部屋の入り口には、クローチェ軍曹がトレーを持って立っていた。トレーの上には人数分のマグカップと、見慣れない包みが載っている。

「何だ、それ?」

 ウィルは怪訝な顔で訊いた。

「カフェ・ラテですけど?」

「じゃ、なくてーぇ」

 素でボケた軍曹に、ウィルが苛立たしげに突っ込み返す。

 クローチェ軍曹は思い切り不機嫌そうな上官の顔を見ても動じず、まずポカンとし、次にウィルの視線をゆっくりと辿った。それでようやくトレーの上に包みを載せていたことに気づく。

「あ、先ほど届きました」

 長閑な口調で答えた軍曹は、いたってマイペースな動作で短気な上官に包みを手渡した。

 ウィルの手に収まったその長方形の包みは、彼の掌よりひと回り大きい程度か。厚さも五センチほどであったが、思ったよりは重量があった。人工樹脂ペーパーで包装された上面には、〈森の精〉ヴァルトガイストで押印された「危険物検査済み」のスタンプと、〈サガノ急便〉取扱いを示すラベルが貼られている。

 そのラベルを見たウィルの目が、すっと細められた。

 引受地は土星第1衛星タイタンの都市〈シント〉となっている。差出人は明記されていなかったが、誰か、エビネに近しい者から送られたことは間違いなさそうだ。

 ウィルはおもむろに包みを開けはじめた。傍らに立っていたヴァルトラントが、父の無造作な手を覗き込んで不思議そうに呟く。

「何も民間の運送システムを使わなくても、〈機構〉の窓口に持っていけば無料ただで送ってくれるのに」

 黙々と手を動かしていたウィルは手を止めると、チラリと息子の顔に目を遣った。どうやらヴァルトラントは、ラベルの示す意味に気づいていないようだ。そこで彼は、息子に別の視点から見るためのヒントを与えた。相手がどういう意図で、こういった手段を用いたのか――。

「おまえらだって〈機構軍〉のシステムをクラックする時、〈機構軍〉関係のコンピュータを『踏み台』には使わんだろう?」

「そんなの当たり前でしょ。すぐバレちゃうじゃん」

「そういうことだ」

「んん?」

 解かるようで解からないヒントに、少年は顔をしかめて大きく首を捻る。しかし無機質な包装紙の中から現れた新たな包みと一通の分厚い封筒を見ると、答えの追求などどうでもよくなった。少年は目と口を驚きの形にして、食い入るように父親の手の中のものを見つめる。

「わぁ!」

「これ、本物の紙か?」

 上品な生成りの紙でできた封筒と新たな包みを交互に眺めて、ウィルは呟いた。

 惑星間で文字情報をやりとりするには、〈惑星間通信パケット〉を使うのが一般的だ。高価な「本物の紙」を使った昔ながらの「手紙」という通信手段は、時間と経費がかかりすぎるのだ。それを承知で古風な方法に拘るのは、よほどの好事家か風流人を気取った金持ちぐらいだろう。

「封筒が俺宛で、こっちは准尉にか」

 封筒の表書きには、印刷ではなく手書きでウィルの名が書かれてあった。そして包みの方に添えられたカードには、別の手でエビネの名が綴られている。

 ウィルは恐々と封を切った。このような「本物の手紙」などもらったことがないのだ。扱いに戸惑いながら中から便せんの束をそっと取り出すと、透かし模様の細工の見事さに思わず感嘆の息を洩らした。そして、ざっくりとし、それでいて手に馴染むような紙の感触に不思議な懐かしさを覚えつつ、本文に目を通しはじめた。

 目に優しいブルーブラックのインクで綴られた文字は丁寧で読みやすく、相手が几帳面で、一方ひとかたならぬ想いをこの手紙に込めているのが窺い知れるようだった。

 ところがその長い手紙を読み進むにつれ、ウィルの興味深そうな顔が険しいものへと変化していく。小説の続きが気になるとでもいうように、便せんを繰る手も枚数を重ねるごとに早くなる。

 ヴァルトラントは、そんなウィルの表情の変化を呆然と見ていた。手紙の内容が気になったが、盗み見るような真似はしない。自分が知る必要のあることなら、父はきちんと説明してくれるはずだ。ただじっとウィルが手紙を読み終えるのを待った。

 やがて全てに目を通したウィルは、便せんから目を離すとひとつ溜息をつき、ヴァルトラントに向き直った。硬い口調で息子に告げる。

「……どうやら、おまえの勘は当たってるみたいだぞ」

「えっ?」

 口元は皮肉っぽく歪められているが眼差しは真剣な父の言葉に、少年は大きな目をぱちくりさせた。ウィルは戸惑っている息子のために言葉を継ぎ足す。

「つまり、准尉――というか、『准尉のような立場の人間が土星方面軍司令部にいるのは、ちょっと困る』という連中がいるらしい」

 ヴァルトラントが大きく息を呑んだ。漠然とした推測が大当たりしたことに驚いた。

「どういうことだ?」

「准尉がどうかしたのっ?」

 二人の様子を身を乗り出して見守っていたイザーク親子が、やにわに詰め寄ってくる。

 話の見えていない親友に、ウィルは手っ取り早く読み終えた手紙を差し出した。そして子供たちには、理解わかりやすいよう噛み砕いて説明してやる。

「この手紙をくれたのは、タイタン士官学校の校長であるトーゴー少将だ。つまりエビネ准尉の恩師だな。校長も、この人事にはいろいろと疑問を抱いたらしいんだが――」

 言いながら、ウィルは意味ありげに〈グレムリン〉たちの顔を覗き込む。少年たちは苦笑して肩をすくめた。

「ある事情から、あえて准尉に木星行きを勧めたそうだ。それで校長は、木星に行かせたエビネ准尉のことを案じて、俺に手紙をくれたらしい」

「ある事情?」

 ヴァルトラントが首を傾げた。

「エビネ准尉は〈見守る者〉といって、土星においてちょっとした影響力を持っている家の出だ――と、〈見守る者〉は理解わかるよな?」

「うん。昨日マックスに教えてもらった。土星で喧嘩してる人たちのあいだに立って、喧嘩しなくていい方法を考えてる人たちだって」

 少年たちは一瞬顔を見合わせ、お互いが理解していることを確認してから、ウィルに答えた。〈森の精〉ヴァルトガイスト司令官は小さくうなづくと説明を続ける。

「どういう世界でも、体制に関与できるような力を持ったグループに対して、好意的に接する者や反発する者はいる。土星では大多数から信頼されているという〈見守る者〉たちも例外じゃない。そして〈機構軍〉である土星方面軍の中にも、やっぱり好意的な連中と反発している連中とがいるわけだ。好意的な連中はまあいいとして、反発している方にしてみれば、軍の運営にいちいち〈見守る者〉の立場から口を挟まれるようなことになったら、やりにくいだろう?」

「准尉はそんなに出しゃばりじゃないと思う」

 不満そうに口を尖らせて、ミルフィーユが反論する。エビネを庇おうとする少年の健気さに、ウィルの引き締められていた頬が、ほんの少し緩んだ。

「俺もそうだと思うよ。でも、准尉自身にその気はなくても、准尉の背後に〈見守る者〉の影が見えるのは、あまり気もちのいいもんじゃない。だから反発している連中は、以前から准尉のような〈見守る者〉に縁のある者が頭角を現すようになると、その者を――」

 ウィルは軽い舌打ちとともに、自分の首を刎ねる真似をした。

「く……免職クビですか?」

 トレーを捧げ持ったまま、ちゃっかり話を聞いていたクローチェ軍曹が、恐る恐る訊ねた。

「もっと酷い。事故を装うなどして、こっそりと始末してたらしいんだ」

「うわ……」

 軍曹とミルフィーユがあまりの非道さに天を仰ぐ。

「だから彼ら――〈見守る者〉は文化人であることに徹して、権力組織の一員になるようなことはしないそうだ。たまに准尉のような例外もいて、軍人なんかになってしまうのもいるみたいだがな。まあ〈見守る者〉の家系といっても一人の人間なんだから、なりたいものになる自由ぐらいあってもいいだろうさ」

 ウィルは皮肉めいた笑みを浮かべた。別に具体的な対象に向けたわけではなく、強いて言えば、一方的なイメージを押しつけて個人の自由を奪ってしまいがちな世間への嘲笑といったところか。

「……あ、あのさ」

 色を失って父親の顔を見つめていたヴァルトラントが、言い出しにくそうに口ごもった。触れてもいいことなのか判らず、おどおどとウィルの表情を探る。が、ウィルが目で「言ってみろ」と促すと、意を決して口を開いた。

「もしかして、准尉のお父さん……も?」

 息子の問いに、ウィルは静かに、そしてはっきりと肯いた。

「准尉のお父さんは婿養子で、元々エビネ家や〈見守る者〉とは関係なかった。だが、エビネ家に入って繋がりができた途端、反発側は准尉のお父さんの存在が目障りになったんだな。紛争にかこつけて、罪を〈地球へ還る者〉に着せたんだろう」

「そんな……そんなことで巡視艇一隻をクルーごと沈めるの? そんなの変だよ。同じ〈機構軍〉なのにっ」

 信じられないとばかりに少年は頭を振る。

「確かに許されないことだがな、俺たち余所者には量り知れない事情ってのがあるんだろう。とはいえ、統合作戦本部エウロパだって黙って見てるわけじゃない。司令官やロメス大佐なんかを派遣したりして、大元の『喧嘩』をやめさせる努力はしているんだ。まあ、は失敗したけどな」

 ウィルは複雑な気持ちで口元を歪めた。だがもうそれ以上の感情を表すことはせず、淡々と手紙の内容を説明することに徹した。

「で、准尉自身は知らされていないが、校長は准尉のお父さんのことも含めて、反発してる奴らのやっていることに薄々気づいてたんだ。そしてロメス大佐が准尉に懸けていた期待も判っていた。ロメス大佐が准尉に求めていることは、反発側にとって大変迷惑なことだ。だから校長は、手違いである可能性が高いと思いつつも、この機に乗じて准尉を土星外へ逃がそうと考えたんだそうだ。土星以外では〈見守る者〉の立場は意味をなさないからな」

「そうすれば反発している連中も、准尉の命までは狙わない。恐らく連中も『どうしてこうなったか解からないけど、ラッキー!』とばかりに、准尉が土星を出るのをわざと見逃したんだろうな」

 手紙を読み終えたイザークが、唸るような声で呟く。少年たちは固唾を飲んでその言葉を聞いた。

 親友の合いの手にうなづき返すと、ウィルは手紙の核心に迫った。

「しかし、せっかく准尉を土星から遠ざけたのに、ロメス大佐が動いた。それで一旦は落ち着いた反発側も、慌てて動き出したらしい」

「じゃあ、もし准尉が土星に帰ることになったら――」

 ヴァルトラントは乾き切った喉から、搾り出すように言葉を吐き出す。

「反発側は強硬手段に出るかもな」

 最悪の事態を想像して恐怖に慄く子供たちに、ウィルはサラッと言ってのけた。

「そ、そこまで判ってるんだったら、どうして何とかしないのっ? 悪いことしてるのに、どうして捕まえないのさっ!?」

 歯がゆさに身を捩りながら、ミルフィーユが叫ぶ。だがその叫びさえも、ウィルは冷静に受け止めた。

「連中がやった、あるいは何かしようとしているという、はっきりとした証拠がないんだとさ。これはあくまで校長の推理であって、例えその推理が正しかったとしてもそれを裏づける根拠が示せなくては、警務隊MPやその上の軍政監理部は動かせない」

「そんなぁ」

 ミルフィーユは力なく呟き、肩を落とした。

 だがヴァルトラントの方は、まだ希望を失ってはいなかった。彼は悔しそうに唇を噛んで足元を睨みつけていたが、ぐいと顔を上げると胸を反らして言った。

「とりあえず証拠が掴めるまでは、准尉が帰らなきゃいいわけでしょ。ならそのことをロメス大佐に説明して、准尉を連れて帰らないよう頼んでみようよ。それに大体、准尉に帰る気がなければ心配する話じゃないじゃん」

「そりゃまあ、そーだけど」

 いろいろと気を病んでも最後にはプラス思考になってしまう少年に、一同は呆れ返った。

「まあ、ロメス大佐やハフナー中将にはひと通り報告しなきゃならんから、その時に相談してみるつもりだ。校長も、准尉がこのまま〈森の精〉ヴァルトガイストに留まることを望んでいるし」

 そう言うと、〈森の精〉ヴァルトガイスト基地司令官は次席副官に目配せした。クローチェ軍曹はうなづくと、中将とロメスを呼び出すために、そのまま冷めてしまったコーヒーを持って退出する。

「それにしても、当のエビネはどこへ行ってしまったんだ」

 軍曹が出て行くのを横目で見ていたイザークが独りごちる。

「それに関しては、大体の足取りは掴めてる」

 端末に届いたレポートの一つを示して、ウィルは髭の親友に答えた。

地下鉄Uバーンの乗降記録によると、准尉は昨日の話し合いのあと一旦官舎へ戻ろうとしたんだが、気が変わったのか官舎駅で降りずに、ヴァルハラ中央駅ハウプトバーンホフまで行ったらしい」

「〈ヴァルハラ〉? そんなところまで何しに?」

 怪訝な顔でイザークはウィルを見返す。

 リニアシステムのUバーンだと、〈ヴァルハラ〉の中央部まではノンストップでも半日以上はかかる。〈森の精〉ヴァルトガイストからは「ちょっとそこまで」といった気分で行くようなところではない。

 しかしイザークの疑問に答えたのは、ウィルではなくヴァルトラントだった。

「たぶん准尉は、お父さんと話がしたかったんだと思う」

「はぁ?」

 素っ頓狂な声をあげて、イザークはセピアの髪の少年を見下ろした。彼の灰茶色の瞳は、「准尉の父親は、彼が八歳の時に亡くなっているではないか。一体どうやって話をするというのだ」と訴えている。その目を見上げて、少年は自信満々に答えた。

「だって〈ヴァルハラ〉には、二四時間やってるカリストで一番大きな植物園があるんだよ」

 それでも意味が理解わからずきょとんとしているイザークに、ヴァルトラントはにっこりと微笑みかけた。

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