第八章 失踪
第八章 失踪 -1-
「どうしたの?」
携帯端末に向かって何やら喚いていたウィルに、ヴァルトラントは声をかけた。洩れ聞こえてくる言葉の断片から、ある程度の予想はつく。だが、はっきりと確認しておきたかった。
「……エビネ准尉がいなくなった」
一瞬、ウィルは答えをためらった。が、すぐ思い直して息子に事実を告げた。いま隠したところで、耳聡い息子には遅かれ早かれ知れてしまうだろう。そして自分の目の届かないところで大騒ぎしたり、また面倒なことをしでかすかもしれない。ならば、自分の口から告げてしまった方がいい。
ところがウィルの予想を裏切って、ヴァルトラントの反応は実に素気なかった。
「そう……」
小さく呟いたヴァルトラントは、暖かいミルクティーの入ったカップを両手で包み、小刻みに揺れる小さな水面を見つめている。その顔には何の表情も浮かんではいない。
「意外とあっさりしてるんだな。もっと大騒ぎするかと思ったのに」
拍子抜けしたといった父親の言葉に、ヴァルトラントは無表情のままわずかに首を傾げる。そして静かだが力強い口調で、自分の気持ちを口にした。
「准尉がそうしたいと思ったんだろうし、自分の意志でどこかへ行ってしまったのなら、自分の意思で戻ってこなきゃ意味がないと思うから。それに俺は、どれだけ時間がかかっても、准尉は絶対
ミルクティーに落とした少年の琥珀色の瞳が鋭く光る。
そう答えた息子に、ウィルは内心驚いた。
ヴァルトラントは少々世話焼き気質なのか、他人に干渉したがるところがある。特に今回のエビネ准尉の件に関しては、自分が見出したということもあってか、相当な入れ込みようだ。なのに、准尉がいなくなって動揺したり感情を昂ぶらせたりするどころか、これほど冷静な受け止め方をするとは思いもよらなかった。ヴァルトラントもそれなりに成長しているということだろうか。
驚嘆の目を向けてくるウィルに気づいていないヴァルトラントは、ほんの数秒沈黙した。そしてゆっくりとカップをテーブルの上に戻すと、途方に暮れたように溜息をつく。
「初めはただ『面白そうかなー』と思って准尉を選んだだけなのに、どうしてこんなややこしいことになっちゃったんだろう。土星方面司令部がゴタついてるってのは知ってたけど、そんな厄介なものだとは思ってなかったし、まさかそのゴタゴタに准尉が絡んでくるなんて想像もできなかった」
「未来に起こることを完璧に予測できる奴なんていないさ。例え超能力者でも大預言者でもな」
励ますようにウィルは息子の肩を二、三度叩く。
その父の手の温もりを感じ、ヴァルトラントは「落ち込んでなんかいない」という風に軽口を叩いてみせた。
「だから俺は、いっつも『出たトコ勝負』だよ」
「いや、それもどーかと思うぞ」
ヴィンツブラウト親子は、顔を見合わせて軽く笑いあう。
声を出して笑ったことで少し気分の晴れた少年は、ふと昨日の一件で疑問に感じたことを思い出した。
「そういえば、どうしてロメス大佐とチェスをしようと思ったの? マックスの話じゃ、話し合いは途中で形勢逆転して父ちゃんが有利になってたっていうじゃない。なのに、わざわざ負ける可能性の高い試合なんてすることないじゃん」
「負ける可能性の高いって……」
息子に「絶対勝てる」と信じてもらえなかった父親は、傷ついたように呟いた。しかも自分でも勝てる自信はなかったので、遣る瀬なさもひとしおだ。
しばらく立ち直れなかったウィルは、なんとかどん底の気分から這い上がると、息子の質問に答えた。
「まあ、『チェス大会』の一件に関する罪滅ぼしみたいな部分もあるけど、とりあえずは時間稼ぎ。ロメスのメールが組み込まれていた〈
「かみ合わないって?」
不思議そうに首を捻る父の言葉に、ヴァルトラントは眉を顰めた。
「向こうはちゃんと俺宛のメールに『いついつ准尉を取り戻しに行く』と記したらしいんだが、実際届いたものにはそんなこと一行だって書かれてなかっただろ? 念のため、奴の送ったというオリジナルのデータも確認させてもらったんだが、奴の言うとおりだったばかりか、ご丁寧にも署名と一緒に発信地まで記されているときた」
「でも、それって実際にロメス大佐が送った文書かどうかは判らないじゃない。こうなるのを読んでて、偽物を用意したのかも知れないでしょ」
「それは俺も考えた。でも迂闊にそう決めつけるわけにもいかんだろーが。だからあの〈分裂する
納得したような、してないような顔で、ヴァルトラントはかすかにうなづく。が、不意にある仮定を思いつき、何となくだが口にした。
「ロメス大佐はエビネ准尉が必要だったけど、その反対に、准尉に土星にいられると困る人たちっているのかな?」
「え!?」
唐突に提示された問題に、ウィルも激しく目を瞬かせた。ヴァルトラントは戸惑っている父親を無視して、自分の意見を述べはじめる。
「そもそも、どうして俺が『准尉の出国が見逃される』って思ったかっていうと、土星の出入国を管理している部隊の司令官と、タイタン司令本部の一部の幕僚が対立していたからなんだよね。だから管理部隊が司令部の足を引っ張るために、准尉の出国を見過ごすと踏んだんだ」
「その予想はリスクが大きすぎないか? 出入国管理部隊がミスれば司令本部に因縁つけられるのは判りきったことなんだから、見逃すとは思えない」
素早く気持ちを切り替えたウィルは、ヴァルトラントの考えの「穴」を衝く。もう終わったことであり、どういう経緯があったのかは判らないが、現にヴァルトラントの予測どおり准尉は土星を出ることができたのだ。だから、いまさら言っても遅い意見ではあるが、「こういう可能性もあるのだ」ということを提示しておくのは無駄ではないはずだ。
だがヴァルトラントはすでにその可能性は考慮済みだったらしく、「
「わざと見逃して『嫌がらせする』ってのもあるよ。動くのがタイタン司令本部に配属予定の佐官付副官候補だし、一応は
そう答えて、少年は意地悪そうな笑みを一瞬浮かべた。「正式な辞令」という呪文は、今回ウィルがロメスの抗議文に対して使いまくったものである。またウィルたちは知る由もないが、エビネの卒業したタイタン士官学校の校長であるトーゴーも、エビネにカリスト行きを勧める時に使っている。
「で、それと関係あってもなくてもいいけど、とにかく、准尉がいたら困るって人たちもいるんじゃないのかな。『仲直りしたい』っていう人たちもいれば、『仲が悪くても、
ヴァルトラントの世界情勢への認識と状況分析能力の高さに、ウィルは思わず舌を巻いた。そして胸が締めつけられる思いになる。いくら紛争の
だが、ヴァルトラントが望んでそういった知識を身につけようとしているのを、親といえども止めることはできなかった。息子は息子なりに、このさき生き延びるための術を得ようとしているのだ。
ウィルは内心の複雑な想いをおくびにも出さず、息子の意見に賛同した。
「確かにその可能性もある。だが第三者が絡んでいる可能性があるといっても、手がかりが少なすぎる。土星に信頼できる
元々、木星に入ってくる土星関係の情報は少ない。木星と土星が連合して対等の立場にあると言っても、〈機構〉の中心が木星にある以上、情報量は木星から土星へ向かうものの方が圧倒的に多いのだ。
さらにここ一〇年あまりは〈機構〉世界住人の関心も、〈地球へ還る者〉といったテロリストや〈連邦政府〉の動向、いまなお不安定な情勢にある天王星などにあって、裏ではともかく、表面上は何事もなく振舞っている土星にはない。
それでも二〇年ぶりに土星との距離が縮まってきたせいか、近年になって人々の関心も土星に向きはじめたらしく、じわじわとだが「土星ブーム」なるものが広がりつつはあった。とはいえ「最接近は三年後」ともなれば、まだまだ盛り上がりには欠けると言えよう。
「アラムも、もっと調べてみるって言ってたよ」
「ったく、おまえらは。いまに〈機構軍〉から放り出されるぞ」
懲りもせず「軍内部の情報を引き出します」と宣言する少年たちに、ウィルは呆れた声を上げる。しかしヴァルトラントはニヤリと笑うだけだった。
「ま、とにかく、いまある手がかりを頼りに、先の見えない糸を手繰り寄せるしかないってコトだ。先っちょに何がくっついてるかは、お楽しみってな」
怒る気も萎えたウィルは、投げやり口調で吐き捨て、出勤の仕度に取りかかった。
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