第七章 ロメス来襲 -2-

 愛人のマンションがある〈ヴァルトマイスター〉から〈森の精〉ヴァルトガイストの官舎街へ戻ったウィルは、ヴァルトラントを預かってくれているイザーク宅の玄関を叩いた。

 ウィルは寡男、イザーク夫婦は不本意にも別居中と、お互い父一人子一人の生活である。そのため夜勤などで子供一人にさせることのないよう、できる限りどちらかの家で子供たちの面倒を見ることにしているのだ。

 いつもならイザークが朝学校へ送り出すところまで世話してくれるので、こんな夜中に息子を迎えに行くことはない。だが今夜は事情が違った。急ぎイザークと「明日のこと」を相談する必要がある。

 だがそんな事情など知ろうはずもないイザークは、眉間に深いしわを刻み込んで、一七年来の親友を迎えた。

「おまえな、時間を考えて迎えに来いよな。こんな時間に起こしたら、子供も俺もかわいそうとか思わんか?」

 超低音の声が玄関の空気を不気味に震わせる。不機嫌も極まれりといったところか。まあ、寝入り端を叩き起こされたのだから無理もない。

「悪い。でも迎えにきたんじゃなくて、おまえに急用だ。明日、将棋好きのオヤジが来るぞ」

「なに?」

 眠気のため頭の回転が鈍くなっているイザークは、ポカンと口を開けて間抜け面を晒す。しかし間もなくその意味に気づいて、素っ頓狂な声を上げた。

「ハフナー中将が来るだとーっ!? 何で? 何しにっ?」

「静かにしろよ。子供らが起きるだろーが」

 ウィルは親友の声の大きさに顔をしかめると、玄関先であたふたしている彼を放ってリビングへ上がりこんだ。

 ウィルは脱いだコートをソファに放り投げると、酒瓶の並んだ棚へ向かう。そして躊躇することなくラム酒とグラスを取り出し、一口注いで一気に飲み干した。トニィとの会話でむしゃくしゃしていたため、飲まずにはいられなかった。

「ふぅ」

「勝手にひとの酒飲まんでくれ」

 人心地ついたウィルは何食わぬ顔でグラスを掲げ、親友の抗議に応えた。しかし目敏くテーブルの上のクッキーを見つけると、これまた家主の許可なく手を伸ばした。慌ててイザークが、その行儀の悪い手を叩く。

「だから勝手に食うなよっ。コリーンの手作りなんだぞ」

「四〇の男がみみっちいコト言うなって。もうちょい辛抱すれば、好きなだけ彼女の手料理が食えるじゃないか」

「まだ三七だ!」

「四捨五入すれば四〇。俺、まだ三〇、へへん!」

 事実なだけに、髭の男は反論できなかった。涼しい顔の親友を恨めしげに睨みつけ、唸るばかりだ。

 イザークの妻であるコリーンは、下の息子を連れて木星の第3衛星であるガニメデで暮らしている。別に夫婦仲が悪いというわけではなく、彼女の仕事の都合上、やむを得ずの別居であった。

 ディスクリート家では、そんな一家離ればなれの生活がもう四年も続いている。しかしミルフィーユは自分からイザークについてきたため、滅多なことで母や弟に会いたいなどと口にしない。父のような整備士になりたいという夢のためでもあるが、ヴァルトラントとの刺激的な〈グレムリン〉生活が楽しい、ということもあるのだろう。むしろイザークの方が、「コリーンや弟のバルケットに会いたくないか」としつこく絡んでは、ミルフィーユに鬱陶しがられているほどだ。

「そう拗ねるなって。それより、これを見てくれ」

 クッキーの皿を取り返してぶつくさ言っているイザークに、ウィルは苦笑しながら自分の携帯端末を差し出した。端末にはトニィからもらったメディアが入れてある。小さな画面には、そのデータの一部であるハフナー中将からのメッセージが表示されていた。

 イザークはむすっとしたまま受け取った。しかしメッセージを読み進むうちに、拗ねてなどいられなくなった。彼は驚きに目と口を丸くして、端末の所有者を見返す。

「おい、ロメスが〈ヴァルハラ〉にいるってどういうことだ? 二週間前の通信は、タイタンから送られてたじゃないか」

 木星と土星の接近に伴い、二点間の移動時間は短くなりつつある。しかし現在の宇宙船技術では、最接近時でも移動に二〇日は優にかかる。どう考えても二週間前にタイタンにいた人間が、いまのこの時間、カリストに存在できるはずがないのだ。

「知るかよ。現にいまカリストにいて、明日中将と一緒に〈森の精〉ヴァルトガイストへ来るって言ってるんだ。とにかくそんなことより、明日の対策を練るのが先だ。いまのうちに、来客用の官舎や整備士なんかを手配しとかないと。それとロメスへの対応も」

 ウィルはもう一度グラスを空けて景気づけると、親友から返却された端末を操作して、スケジュールを調整しはじめた。

「そ、それもそうだな」

 その様子を見て、イザークも寝室に置いてある自分の端末を取りに行こうと立ち上がる。

「えーと、ハフナー中将なら〈アルベリヒ〉を使うだろーから、整備にはコハネッツとマルローの班を待機させて――と、ヴァルティ!?」

 独りごちながら顔を上げたイザークは、リビングの入口に寝ぼけ眼で立っている少年を見つけた。息子の名前に反応して、少年の父親も振り返る。

「お、どーした? 怖い夢でも見たか?」

「あ、父ちゃん……」

 父親の姿を認めた少年はとことこと歩み寄ると、おもむろに父の膝の上に乗り上げた。そして父の存在を確かめるように、しっかと首にしがみつく。ヴァルトラントは数瞬の間そうしていたが、やがて身体を起こすと不安そうな目を向けてウィルに訴えた。

「ロメス大佐は、准尉を連れて帰っちゃうの?」

「……聞いてたのか」

 ヴァルトラントの言葉に、大人たちは顔を曇らせた。

 ひとつ溜息をつくと、ウィルは我が子を抱きしめ、軽く額にキスした。その行動には確かに愛情がこめられていた。だが、心細そうな息子の目を覗き込む樫色の瞳は厳しかった。

「俺は、ロメス大佐の思うままにさせるつもりはない。しかしな、ヴァルトラント。もしエビネ自身が土星へ帰ることを望んだ場合、それを妨げることはできないんだ。彼の進む道を勝手に変えてしまったのは、俺たちなんだから。理解わかるな?」

 ウィルは大切なものをなくすことを恐れる息子に、気休めの言葉はかけなかった。約束できないことに期待を持たせるのは残酷だ。

「うん、それなら『しょうがない』って思えるけど、でも……」

 ヴァルトラントは歯切れ悪く口ごもると、項垂れた。

 エビネの口から「帰る」という台詞は絶対に出ない、とヴァルトラントは信じている。しかし彼はもっと幼い頃に、大きな権力ちからによって人の意志が握り潰されるところを何度も見ていた。そして、その後の悲惨な結末も――。

 エビネの場合、大きな権力が働くことが彼にとって悪い結果になるとは限らないが、それでも少年は不安にならずにはいられなかった。

「ロメス大佐は、卑怯な手を使ってくるかもしれない。そうしたら、准尉がいくら〈森の精〉ヴァルトガイストにいたいと思っても、無理やり土星に返されちゃうよ」

「どういう意味だ?」

 意味を掴みかねて、ウィルは怪訝な顔で聞き返した。たったいま立ち聞きしたにしては、息子は妙に事情を知りすぎている。

「ロメス大佐は、二週間前には木星に着いてたんだよ。二週間もあれば、いろいろできるでしょう?」

「なに!?」

 ウィルとイザークは言葉を呑んだ。しかし絶句する大人たちをよそに、少年は続ける。

「父ちゃん宛に送られたロメス大佐のメールは、ヘッダが書き換えられていたんだ。実際は木星へ到着する直前に、大佐はあのメールを送ってたの。で、どういうつもりか知らないけど、発信した時間と発信地を誤魔化すよう細工してあったんだ」

「ヴァルトラント」

 俯いた息子の顔を、ウィルは強引に自分の方へ向けさせた。両手で少年の頬を挟み込んで目を合わせると、ひと言ひと言を区切るように、ゆっくりとした口調で問い質す。

「どうしてそんなことを知ってるんだ? ロメス大佐のメールのことは誰から聞いた?」

 ロメスのクレームに関しては、〈森の精〉ヴァルトガイスト幹部の中でもアダル、イザーク、マックスの三人にしか知らせていない。当然、各人には絶対子供たちの耳に入れないよう釘を刺しておいたし、彼らも〈グレムリン〉に情報を洩らすリスクを痛いほど理解しているので、しゃべるはずはない。

 また子供たちが何かやらかしたのか――と不安になるウィルに、ヴァルトラントはアラムが入手した〈惑星間通信パケット〉のことを話しはじめた。事態はもう、少年たちの手に負えないところまできている。だから朝一番にウィルに報告するつもりだったヴァルトラントは、ちょうどいい機会だとばかりに、知っている限りの情報を〈森の精〉ヴァルトガイストの司令官たちに伝えた。

 その〈惑星間通信パケット〉は、カリストのサーバ情報を受け取ると、ヘッダのログを偽の情報に書き換えること。複数のメールやプログラムが一つのメールに見えるよう細工されていること。書き換えられる前のヘッダデータは暗号化されていて、その解除キーがあの〈ワーム〉を起動させる〈鍵〉と同じものだったこと。発信元は〈機構軍〉の高速船〈アハ・イシュケ〉だったこと。

「で、ロメス大佐の乗っていた船が判ったから、その船――〈アハ・イシュケ〉が何処にいるか検索したんだ。そしたら二週間前に、エウロパのステーション〈スクルド〉に入港してたの。そのあと大佐が何処へ行ったのかまでは判んないけど」

「十中八九、統合作戦本部エウロパだろうな。恐らく、調査と根回しってところか。一応こちらの非が実証できなきゃ、エビネを連れて帰れんからな」

 途切れたヴァルトラントの言葉を、ウィルが補った。それを受けて、渋面のイザークが発言する。

「じゃあ、ようやく乗り込む気になったということは、こっちの尻尾を掴んだってことか」

「それは何とも言えんが……」

 断定を避けてウィルは言葉を濁したが、肯定したも同然だった。

「しかし、カリスト司令本部だけじゃなく、統合作戦本部エウロパまで引っ張り出されるとなると、ちょっと厄介だな」

 奇襲とも言えるロメスのやり口に、ウィルは顔をしかめて舌打ちした。

 これまでのヴァルトラントの言葉が事実なら、一通目の抗議文が届いた時には、すでにロメスは木星圏の近くまで来ていたことになる。つまりエビネがタイタンを発って一週間も経たないうちに、ロメスもタイタンを発っていたのだ。しかもそれをギリギリまで隠し、こちらの対応を遅らせるよう細工をした。その狡猾な行動力と素早さは、「何が何でもエビネを取り戻す」という意志の表れともいえる。

 ロメスへの対応は慎重にせねばならない。この一連の手口から見た限り、相手は相当の食わせ者だと思っておいた方がいいだろう。舐めてかかると痛い目を見る。

 〈森の精〉ヴァルトガイスト基地司令官は、気を引き締めた。

「しっかし、あいつも相当粘着質だな。マジでお上まで引っ張り出すなんてよ。よっぽどエビネを気に入っているのか、それとも、まさかとは思うが、おまえにすっぽかされたのが、そんなに気に食わなかったのか」

「え、ロメスを知ってるのか――ってか、すっぽかした? 俺が? あいつを?」

 ロメスと自分が以前から知り合いであるとでも言いたげなイザークの言葉に、ウィルは目を白黒させた。

 自分の記憶に自信をなくす。彼とは一度も会ったことはないはずだ。なのに、それを否定する声がずっとウィルの頭の片隅でしていたのは事実だ。しかし、何かの約束をする付き合いのある者を綺麗さっぱり忘れてしまうほど、自分が耄碌しているとは思いたくない。

 一体、どこですっぽかしたというのだ?

「おいおい」

 思い出せず真剣に頭を抱えるウィルに、イザークは呆れた。そして大きく溜息をつくと、苦悩する親友を救ってやる。

「フェルナンド・ロメスは、一三年前の〈機構軍〉チェス大会チャンピオンだ。そしてその大会の準決勝で、おまえがデートを優先して試合をすっぽかした相手だ」

「一三年前、チェス大会、デート……デート!?」

 与えられたキーワードを使って、ウィルは全速フル回転で記憶を手繰り寄せた。しかしその記憶は引き出しのずっと奥にしまいこまれているらしく、取り出すのにかなりの時間を要した。それでもようやく断片を掴むのに成功したウィルは、一気にそれを引きずり出し、嬉しそうな声をあげた。

「ああ、アリシアと付き合いはじめた時の! そーいや、そんなコトもあったあった」

「付き合った女の名前を辿らんと、思い出せんのかっ。大体、あん時は軍内でも結構話題になってたじゃねーか。当時〈トロヤ〉にいた俺でも知ってるんだからな。奴が、『不戦勝で決勝に進むのは納得いかない』と言ってごねたとか、最終的に優勝してもまだ文句つけて、実行委員会を困らせたとか何とかって」

「え、そーだっけ? あのころの俺って、何かと忙しかったからなぁ」

「そうだな。女絡みで左遷とぱされたぐらいだしな」

 とことん男には関心の薄いウィルに、イザークは力なく突っ込んだ。だが親友の嫌味も、ようやく疑問が晴れてすっきり顔の色男には、痛くも痒くもなかった。都合の悪い部分は聞き流し、ふむふむと何かに納得できたとばかりにしきりと頷く。

「そうか、なんでチェスのスコアなんか添付してあるのかと思ったら、これは奴の記録なんだな」

 ウィルはテーブルの上の端末を取り上げ、そのスコアデータを呼び出した。そのまま画面を見つめ、何やら考えに耽る。が、すぐに面倒になって端末を放り出すと、欠伸まじりに呟いた。

「ま、ロメスの〈惑星間通信パケット〉と〈ワーム〉の〈鍵〉との関係も気になるところだし、その辺の裏が取れるまでは丁重におもてなしして、のらりくらりやり過ごすことにしますか」

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