第六章 体験飛行 -4-

「ご遺体のご到着ーぅ」

 〈森の精〉ヴァルトガイストに帰投した〈パック〉の乗務員たちは、コハネッツ曹長のお茶らけた言葉で迎えられた。言葉自体は「撃墜」を皮肉る内容だが、口調には過酷なフライトから無事に帰還したことに対する労いと、戦いに敗れた少年への気遣いがこもっていた。

 ヴァルトラントはそんな曹長の優しさに、拗ねた顔で睨み返す――それが負けた時のお約束だ。

 しかし今日はそれどころではなかった。

 少年はキャノピーが開くや否や、ハーネスを外すのももどかしく、シートの上に立ち上がって後部座席のエビネを覗き込んだ。

「准尉、じゅんいっ! しっかりして!」

 土気色になったエビネは、ぐったりとシートに身体を預けている。少年の呼びかけに対し、かすかな呻き声で反応するところをみると、完全に意識は失っていないようだ。とはいえ、かなり具合が悪いことには変わりない。

医療士官メドテク! 准尉を早く診て!」

 コハネッツ曹長に続いてタラップに上がってきた医療士官に、ヴァルトラントは訴えた。しかし医療士官が真っ先にしたことは、〈インプラント〉を通して〈パック〉の乗務員看視モニタに記録された、ヴァルトラントの生体データを回収することだった。

「んなこと、あとでもイイじゃんっ。先に准尉を診てよっ!」

 ヴァルトラントは黙々と作業するメドテクの服を掴んで、エビネに向くよう引っ張った。だが当の医療士官は無視を決め込み、自分の仕事に没頭している。

「診ろよ、ばかぁっ! 准尉が死んじゃったら、どーすんだよっ」

 少年は半泣きになりながら、なおも任務に忠実な士官を揺さぶった。

「お、活きのいい死体だなぁ」

 見かねたコハネッツが、ひょいと少年の胴をすくい上げた。振り向きざまに、ヴァルトラントを無造作に放り投げる。

「ほらよ、ゾンビ一丁!」

 一瞬の出来事に、少年は声を上げることもできなかった。きょとんとした顔で、放物線を描いて落ちてゆく。そのままでは地面に激突するところだが、ぬかりなく地上で待機していた別の医療兵が受け止めた。

 だがヴァルトラントも、それくらいで諦めるつもりは毛頭ない。医療兵が気を緩めた隙を衝いて、その腕をすり抜けた。自由になると、再びタラップに向かって走りはじめる。若い医療兵は慌てて腕を伸ばし、今度はしっかりと少年の襟首を掴んだ。

「君は〈研究所ラボ〉で検死解剖ね」

 仔猫よろしく首根っこで吊り下げられたヴァルトラントは、不服そうに医療兵を睨みつけた。しかしこれはいつものことなので、睨まれた方はそ知らぬ顔だ。

 それでも少しは、准尉を心配する少年を気の毒に思ったらしい。

「大丈夫。彼だって身体は鍛えてるはずだから、アレぐらいじゃ死にゃしないよ」

 素気ないが気休めにはなる言葉に、ヴァルトラントはようやく大人しくなった。しばらく不安そうに機上のエビネを見つめていたが、基地内移動用のカートが到着すると、無言のまま後ろの座席に乗り込んだ。

「よっ」

 後部座席にいた先客が手をあげた。嬉しそうに吊り上がり気味の目を細め、口の端を持ち上げる。アラムだった。

「何でいるんだよ」

 自分を撃墜した同い年の友人に、ヴァルトラントは仏頂面で応えた。アラムの方は、好敵手がご機嫌斜めなのを察していながら、わざと神経を逆撫でする。

「何でって、負けた方の基地でデブリーフィングする決まりだろ。負けた方の基地で!」

 合同演習の後は、ヴァルトラントとアラム――どちらか敗れた方の少年が所属する基地で、反省会デブリーフィングを行うのが通例となっていた。

 もちろんネットワークを使えば、お互いの基地にいながらでも会議はできる。なのにわざわざ出向いていくのは、その後に開かれる「飲み会」こそが真の目的だからだ。飲み代はおろか、帰りの燃料まで負けた方の奢りとなれば、少々の寄り道など大した苦労ではない。

 どうして大人は、なんだかんだと理由をつけてお酒を飲みたがるんだろう――と、ヴァルトラントは時々思う。まあ彼自身もアラムと遊べたり、ご馳走にありつけたりと、それなりに恩恵を賜っているので、あえて疑問を口に出すことはなかったが。

「負け負けいうな」

 アラムの小憎たらしい返事に、ヴァルトラントは少しだけ鼻にしわを寄せた。

「いいか、今日はわざと負けてやったんだよ。たまには負けないと、ミルフィーが『僕だって、アラムと遊びたいのにー!』って怒るし――『客』も積んでたからな」

 ヴァルトラントは強がってみせたが、成功してるとは到底言えなかった。どう解釈しても、立派な負け惜しみにしか聞こえない。案の定、アラムに鼻で嗤い飛ばされた。

 返す言葉もなくヴァルトラントがふて腐れていると、〈菩提樹の森〉リンデンヴァルトの少年は、さらに意味ありげな笑みを浮かべた。

「その『客』って、土星から来たっていう〈ヒヨコ〉だろ?」

「そーだよ」

 ぶっきらぼうにヴァルトラントは応える。

 エビネのことは、おしゃべりなパイロットたちによって早々に〈菩提樹の森〉リンデンヴァルトに伝わっていた。だからアラムが彼のことを知っていても不思議はない。

「彼、最初の接近の時、俺を見た」

 アラムの言葉にヴァルトラントは目を丸くした。普通なら落下と衝突に対する恐怖で、目など開けていられないはずだ。

「准尉には、いつも驚かされる」

 〈森の精〉ヴァルトガイストの少年はしみじみと呟く。

「おまえを驚かせる〈ヒヨコ〉か。なるほど、いままでとはちょっと違うみたいだな。だからか?」

「まあね」

 ヴァルトラントは肯いた。

 エビネに、自分が戦闘機を操る姿を見せた――。

 これは、いままで来た新人たちには決して見せることのなかった姿だ。

 少年たちの関わっているプロジェクトは、〈機構軍・航空隊〉ではある程度知られている。しかし、だからといってあまり大っぴらにしていいというわけもない。

 〈森の精〉ヴァルトガイストにくる新人は、「諸々の事情」ですぐに他所へ行ってしまう可能性がある。そのため相手を見極めるまで、このプロジェクトに関することは極秘とされていた。他へ行って余計なことを吹聴して回られるのを防ぐためだ。

 そしてその配慮はいままで正しかったといえた。これまでの新人たちはみな、半月ともたずに逃げ出したのだから。忠誠心の欠如した者の口は軽い。

 でもエビネは違った。そろそろひと月になるというのに、逃げだすどころか、どんどん興味を持って〈森の精〉ヴァルトガイストや〈グレムリン〉たちに接しようとする。

「彼は絶対裏切らない。〈森の精〉ヴァルトガイストに留まってくれる」

 どんなに凄い地位を与えると言われたとしても、エビネは〈森の精〉ヴァルトガイストを選ぶはずだ。

 それは単なる少年の希望だったのかもしれない。だが、ヴァルトラントは彼の「〈森の精〉ヴァルトガイストへの忠誠心」を信じて疑わなかった。だから今回秘密を見せることにしたのである。

 アラムは、ライバルの真剣な横顔をじっと見ていた。しかし伝えなければならないことを思い出して口を開く。

「ところで、あとで見せたいものがあるんだ。ミルフィーも一緒に」

「見せたいもの?」

 ヴァルトラントは首を傾げた。そんな彼にアラムは身を寄せ、カートの運転手に聞こえないよう囁いた。

「土星から『客』がくる」

 その意味をヴァルトラントは瞬時に理解し、息を呑んだ。驚愕に染めた琥珀色の瞳をアラムに向けた。


 激しい頭痛に耐え切れず、エビネは目を開いた。

 初めは自分がどこにいるのか判らなかった。記憶が混乱していて、どこまでが現実で、どこまでが夢なのかも区別できない。ヴァルトラントの半狂乱な声が、耳にこびりついていた。しかし、それも夢の中で聞いたものだろうか。

 エビネは痛む頭をなんとか動かし、周囲を見回してみた。

 天井や壁は淡いグリーンで統一されている。自分の横たわっているものの他に、空の寝台がもう一つと、調度は小さなサイドテーブルとスツールだけという、シンプルな部屋だった。空いているベッドの向こうには大きめの窓があったが、いまはブラインドが下ろされていて外の様子は判らなかった。それでもかすかに漂う消毒用アルコールの匂いから、エビネは医療部の病室だろうと見当つけた。

 部屋は自分一人だった。勝手に起きていいものか分からず、「さて、どうしよう」とエビネが思案に暮れていると、誰かが病室のドアをノックした。返事をすると、看護兵が入ってくる。

 だがそれよりも続いて入ってきた人物に目をやって、エビネは面食らった。

「クリストッフェル少佐! ――に、ペイズ中尉……」

「ああ、寝てていいよ」

 アダルは、エビネが慌てて身体を起こそうとするのを止めた。スツールを二つ持ってきて、一つをペイズ中尉に勧めると、自分もエビネの枕元に座る。そしてそのまま、看護兵がエビネの検診と投薬を終えるのを無言で待った。

「あの、何か?」

 副司令官の突然の訪問に、エビネは頭痛も忘れ、戸惑った目を向けた。よもや、ぶっ倒れた新人なんかを見舞いにくる副司令官がいるとは、思いもしない。

「まあ、こうなった責任は僕にあるからね。ああいうことになるのが判ってて、君を〈パック〉に乗せた。それを謝ろうと思ってきたんだ」

「あ、いや、そんな、謝っていただく必要なんか――」

 エビネは跳ね起き、慌てて手を振った。

「実は、フライト前の検査で、『何かの実験対象になってるな』とは思っていたんです。それに、滅多にない体験ができたと思っています。まあ、もう一度体験したいとは思いませんが」

 准尉は率直に述べた。

「正直でいいね」

 アダルは破願した。自分をごまかさないエビネを好ましく思う。

「とりあえず、骨折や内臓の損傷といった異常はないから、安心してくれていい。単に疲労と酔いが激しいため一時的に入院することになっただけで、それが治まればすぐに退院できるからね」

 副司令官の言葉に、エビネは安堵の表情を見せた。

「しかし、あれでよく意識を失わずに降りてきたもんね。しかもコクピットを汚さなかった。准尉、あなたすごいわ。パイロットの素質あるわよ!」

 それまで黙っていたペイズ中尉が声をかけた。感心したように、しきりとうなづいている。

 彼女の話によると、どうやら自分は地面に足をつけるまでは起きていたらしい。大地に一歩踏み出した途端、ぶっ倒れたのだという。

「そうなんですか? なんか頭の中が混乱していて、あまりよく覚えてないんですが。なんか、時間が前後してるというか、夢を見ていたみたいで……」

 すごいと言われてもピンと来ず、エビネは困った顔をした。

「そりゃ、あんなハードな体験したら混乱もするわよ」

「はあ」

 教育係の言葉に、生徒は不安げな声を洩らす。不意に話が途切れ、静寂がおとずれた。が、それも長くは続かなかった。エビネには訊きたいことがあった。

「ヴァルティはどうしました?」

 エビネは、一番気にかかっていたことを訊ねた。夢うつつで見た少年の不安そうな顔が、脳裏に浮かぶ。

「ヴァルティ? 元気よ。〈グレムリン〉なんだから、殺したって死にゃしないわよ。いまはデブリーフィングも終わって、おやつでも食べてるところじゃないかしら」

 中尉はそう言うと、少佐と顔を見合わせて笑い合った。

 少年が無事だと判って、エビネはホッとした。しかしすぐに顔を引き締めると、話の接ぎ穂を失わないよう質問を続けた。

「あの、もう一つ訊きたいんですが」

 中尉は一瞬怪訝な顔をする。そして素早く少佐に目配せしてから、准尉を促した。

「どーぞ?」

 部屋の中が張りつめた空気に充たされてゆく。エビネはその空気を肌で感じ、思わずためらった。だがクリストッフェル少佐の穏やかな表情に勇気づけられると、思い切って今回の件に関する根本的な疑問を吐き出した。記憶が混乱していても、これだけははっきりと覚えていた。

「ヴァルティが言ってたんですが、〈WW〉ヴェーヴェーとは一体何ですか? それに、どうして彼は戦闘機なんかに?」

「ああ――」

 上官たちは小さく息をついた。「エビネの質問はすでに判っていた」といった反応だった。

「准尉、僕とペイズ中尉はそのことを話しにきたんだ。あ、もちろん謝りにきたというのも本当だよ」

 慌てて取り繕う少佐に、エビネは小さくうなづいた。少佐の誠意を疑うつもりなど全くない。

 准尉の意思を確認したアダルは、いくぶん真面目な顔つきになって言葉を続けた。

「僕は基地司令官であるヴィンツブラウト大佐の代わりとして、〈森の精〉ヴァルトガイストが携わっている航空隊の一級機密を君に伝えにきた。中尉は君の教育係として、それを見届ける義務があるために、同行してもらったんだ」

「一級機密……ですか」

 想像以上に重大な事実を知らされるのだと気づき、エビネはうろたえた。聞いてしまうと、あとには引けないことになる。頭の片隅でもう一人の自分が訴える。しかし好奇心がそれを抑え込んだ。覚悟を決めた目で、少佐を見た。

 〈森の精〉ヴァルトガイスト基地副司令官は、話しはじめた。

「まず、〈機構軍・航空隊〉では、『より有人に近い動きをする無人戦闘機』の開発が、密かに進められているんだ。無人機といっても、単にプログラムされた行動をするのではなく、敵を欺き、その場その場で臨機応変に対応できる、人間のような『思考力』を持ったものだ」

 アダルはいったん言葉をおき、エビネの反応を窺った。

「つまり〈自律型システム〉といわれるものの、もっと進化させたようなものでしょうか?」

 准尉は想像力を働かせ、自分の理解しやすいものに例えてみた。その呑み込みの速さに、少佐は満足そうに目を細める。

「うん、そう思ってくれていい。で、人間の場合、その時どういった対応をするかは、それまでの経験の中から瞬時に選ばれる。繰り返し体験することによって成功例や失敗例を学び、それを次の問題に活かすんだ。そこで〈機構軍・航空隊〉は、その『経験を積み重ねていく』という段階から、〈自律型航法システム〉を作り上げようと考えた。そしてそのデータを得るために、ヴァルティを含む数人の子供たちが選ばれたんだ。子供の学習能力は、大人よりも優れているからね」

「そんな――」

 エビネは言葉を失った。少佐の言っていることは、あまりにも衝撃的だった。

 早い話が、〈機構軍〉の研究者たちは、経験のない子供たちを訓練し、その訓練データをシステムに移植しようと考えているのである。

「まさか〈機構軍〉が、子供を使って兵器開発をしているなんて」

 そんな非道徳的なことが許されるのだろうか。エビネは軍のやり方に疑念と怒りを感じた。

「開発しているのは兵器だけとは限らないよ。たとえば〈アウストリ〉――あれにはヴァルティのデータを元にして作られた、〈WW〉ヴェーヴェーというシステムが積んである。でもあれは、ごく普通の人員輸送機だ。他にも〈ヴェストリ〉という旅客機もあって、それは〈菩提樹の森〉リンデンヴァルトのアラム・プーキン――さっきヴァルティとやりあった少年なんだけど――の、〈AP〉アーペーというシステムが使われている。いずれもパイロットを必要としない航空機だ。それも自動操縦なんて子供騙しじゃなく、必要な時には自分で目的地を設定して、乗員の安全を図ることができるものだ」

「それって突き詰めて考えれば、兵士を目的地まで運び、待機中も状況を判断して危険を回避することができ、最終的には兵を回収して撤退するためのものじゃないんですか?」

「頭イイね、君!」

 批判的だが的を射たエビネの言葉に、少佐は目を瞠った。まさかこの説明で、そこまで考えが及ぶとは思わなかった。

「まあ、最終的にはそういったことに使われるんだろうけど、いまはカリストで『平和的』に使われる予定だよ」

 少佐は不謹慎にもくすくす笑う。エビネはその態度に思わず反感を抱いた。不満そうにむっつりと黙り込む。少佐はその様子を見て、くすくす笑いを苦笑に転じた。

「その反応が普通なんだよね。だけど僕たちの感覚はもう麻痺してしまって、ヴァルティを使うことに抵抗さえ感じなくなっている。しかし准尉、これが〈森の精〉ヴァルトガイストの主な任務なんだ。それに耐えられなきゃ、ここで仕事はできないんだよ」

「では、どうして初めに教えていただけなかったのですか? いずれ知らなきゃいけないことなら、いままで隠す必要なんてないと思いますが?」

 意識したつもりではなかったが、エビネはつい刺々しい声で批難してしまった。相手が相手なだけに内心「まずい」と思ったが、いまさら撤回などできるわけもない。「これで少佐の機嫌を損ねて咎められても、別にいいや」と、開き直って少佐を見据えた。

「それは、お互いを知る時間が必要だったから」

 しかしアダルは相変わらず穏やかな表情を保ち、ムキになりはじめた准尉に根気よく説明した。

「正直に言うと、いままでの経験上、僕たちは新しくやってくる者に対して、少なからず警戒心を持っている。特に新卒の士官にはね」

 アダルは少し気まずそうに肩をすくめた。だがエビネはわずかに眉を顰めただけで、何も言わなかった。

「初めに言ったとおり、これは航空隊の一級機密だ。それも一朝一夕で片づくようなものじゃない。機密保持のためには、人の出入りが少ない方がいいというのは、理解わかるだろう? だから〈森の精〉ヴァルトガイストの隊員としては、長く留まってくれる者が好ましい。その点、ある程度場数を踏んだベテランなら、どんな部隊でもそれなりに馴染むことができるし、ここに骨を埋める覚悟もできる。でも、将来への夢と希望を抱いてここへきた〈ヒヨコちゃん〉は、出世街道とはほど遠い〈森の精〉ヴァルトガイストの姿を見て、大慌てで逃げ出してしまう」

 アダルの口元が皮肉に歪んだ。そして逃げ出した連中に対する蔑みの色を目に浮かべ、苦々しく呟いた。

「それにそういう連中は、〈森の精〉ヴァルトガイストと〈グレムリン〉を端から理解しようとしない。〈グレムリン〉――ヴァルティがいるからこそ、〈森の精〉ヴァルトガイストが存在するようなものなのに……」

 これはかなり核心に迫った言葉だった。〈WW〉ヴェーヴェーシステムの開発は、カリスト司令本部から与えられた「表向きの任務」である。だが、ある部分で「本当の任務」にも密接に関わっていた。

 しかしアダルはまだ、この「本当の任務」についてエビネに話すつもりはない。エビネは思った以上に言葉の先を読むことができる。いずれ彼の方から、「本当の任務」に近づくだろう。いまはこれだけ言っておけば充分だった。

 ところが、エビネは受けとるべき部分を間違ったのだ。

 新人は信用できない。簡単に任務を放り出す――。

 この部分だけに囚われてしまった。

 自分は信用されていなかったから、任務の内容を知らされなかったのだ。だからいままで、どうでもよさそうな使い走りや資料整理しかさせてもらえなかったのだ。

 それなりに楽しんでやっていた仕事のはずなのに、いったん負の感情が芽生えると、エビネは何もかも否定したくなった。

 自分は求められて、ここへきたのではないのか。では、何のために、はるばる土星からやってきたのだ。

 エビネの頭の中に、疑問と不信感が渦巻きはじめた。

「だから僕たちは、慎重にならざるを得なかったんだ。すぐに他所の部署に行ってしまう者に、機密なんて教えられないからね。でも、君は積極的に〈森の精〉ヴァルトガイストと関わろうとしてくれた。だから今回、明かすつもりになったんだよ。まあ、ちょっと荒っぽいことになってしまったけど」

 少佐の言葉も、言いわけにしか聞こえなかった。

 真っ白い紙の上に落ちた小さなしみが、ゆっくりと広がっていく。

 エビネは、表面上は納得したように笑ってみせた。


 整備工場の二階にある休憩室に飛び込んだ幼いパイロットたちは、先に用意を整えていたミルフィーユに迎えられた。ここの主である整備士たちは、〈菩提樹の森〉リンデンヴァルト機の整備に駆り出されて留守だった。いまなら人目を気にすることなく内緒話ができる。

「で、見せたいものって?」

 ヴァルトラントは部屋に入るなり、〈菩提樹の森〉リンデンヴァルトからきた友人を急かした。「土星から客がくる」というアラムの言葉が、気になってしょうがなかった。アラムはエビネ准尉に関係する何かを知ってる――そう思うと落ち着かない。

「まあ、慌てんなって」

 せっかちなライバルにアラムは苦笑した。そしてわざと焦らすようにのんびりと携帯端末を取りだし、ミルフィーユに声をかけた。

「そっちはイイか?」

「うん、準備できてるよ。でも〈カリスト〉システムのサーバを模倣エミュレートしてどうすんの?」

 事情がよく呑みこめないまま作業していたミルフィーユは、眼鏡の奥で大きな目をくりくりさせた。

 だがアラムは意味深に笑うだけで、彼の質問に答えようとしない。金髪の少年は首を傾げてヴァルトラントを見た。しかし、アラムの目的が分からないのは彼も同じだ。「さあ?」とばかりに、手を広げるだけだった。

「これでよしっと」

 ミルフィーユの端末に自分の端末を接続したアラムは、二人を手招きした。呼ばれた少年たちは、好奇心もあらわに友人の手元を覗き込む。それを確認して、アラムは端末を操作した。

「見てな。俺の端末にあるこの一通の〈惑星間通信パケット〉を、そっちに送ると――」

「あっ、増えたっ!?」

 ヴァルトラントとミルフィーユは目を疑った。一通だった〈惑星間通信パケット〉が、転送後にはいくつかに増えていたのだ。ちょうど圧縮して一つにまとめたデータを解凍した時の動作に似ている。

「面白いだろ? この〈惑星間通信パケット〉は、〈カリスト〉システムのサーバの情報を取得すると分裂するんだ」

 友人たちを驚かせることに成功したアラムは、得意そうに胸を反らせた。

 〈森の精〉ヴァルトガイストの少年たちは、モニタ画面に釘づけになった。増えた〈惑星間通信パケット〉は暗号処理されていて、どういった種類のデータなのかは判らない。ただ一通のメールを除いて。

「これ、うちの父ちゃん宛じゃん」

 唯一暗号化されていないメールの宛名を見て、ヴァルトラントは目を丸くした。思わずアラムを振り返る。すると友人は顎をしゃくって「読んでみろ」と促した。

 ヴァルトラントはミルフィーユと顔を見合わせた。相棒の目が肯くのを確認すると、飛びつくように手を伸ばした。横から端末を操作し、メールを開く。二人は身を乗りだして、モニタに現れた文字を読んだ。

 さほど時間もかからず読み終えると、ミルフィーユはうわ言のように呟いた。

「ヴァル、これ――」

「ああ」

 ヴァルトラントは唸るように応えた。わずかに眉を寄せた難しい顔で、唇を噛む。

 父親宛のメールには、「エビネを即刻土星へ返せ」といった抗議文が記されていた。署名はタイタン司令本部のロメス大佐で、発信された日付は二週間ほど前だ。

 ウィルが見れば「最後の抗議文」だと判っただろうが、何も聞かされていなかった少年たちには知る由もない。

 ヴァルトラントは発信元を確認するため、画面を切り替えようとした。しかしアラムはそれを止めた。

「無駄だよ。経由したサーバ情報も、分裂と同時に書き換えてしまうんだ。見るんだったら、こっちのオリジナルの方がいい。といっても、肝心なところはやっぱり暗号化されてんだけどな」

 すでにできる限りのことはやっていたのだろう。アラムは顔をしかめた。

 そんな彼に、ヴァルトラントはニヤリとして言った。

「〈機構軍〉の暗号なら解けるだろ? アラムたちもいろいろ解析ツール持ってんじゃん」

 クラッキングに精出しているのは、なにも〈森の精〉ヴァルトガイストの少年たちだけではない。アラムも、自分の相棒であるフィリップ・ブライトンとともにあちこち覗きまわっている〈菩提樹の森〉リンデンヴァルトの〈グレムリン〉なのだ。

「それなんだけど、俺とフィリーのじゃダメだったんだ。でさ、おまえらのはどうかなぁと思って見せたんだよ、実は」

 アラムはバツが悪そうに頭を掻いた。普段「どこそこを攻略した」といって張り合っているだけに、素直にライバルに助けを求めるのは体裁が悪いのだろう。しかし彼は、暗号を解くプロセスを楽しむよりも、通信の内容を知ることの方に意義を見出していた。だから、恥をしのんででもヴァルトラントたちの手を借りようとしたのだ。

 そんなアラムの気持ちを、ヴァルトラントたちは充分理解できた。自分たちが彼と同じ立場になったら、やっぱりライバルたちに助けを求めるだろう。

了承わかった」

 ヴァルトラントがひと言だけ応えた時には、ミルフィーユはもう動いていた。アラムと入れ替わって自分の端末に向かう。アラムの端末からオリジナルを取り込むと、自作のツールを使ってコードの解析をはじめる。

 ヴァルトラントはアラムをつれて相棒の傍を離れた。自分たちの解読方法をそう簡単に教えるつもりはない。アラムは少し残念そうな顔をしたが、素直に従った。

「ところで、どうやって分裂する前の〈惑星間通信パケット〉手に入れたんだよ」

 ふと思いついて、ヴァルトラントは訊いた。あの〈惑星間通信パケット〉は〈カリスト〉システムのサーバに届いた瞬間分裂するのだ。分裂する前のものを手に入れようと思ったら、中継サーバから抜くしかない。

「それは言えない」

 間髪容れずアラムは答えた。きっぱりとした口調だか、なぜかヴァルトラントと視線を合わせようとしない。やはりよからぬ方法で入手したのだろう。

「他にも同じような〈惑星間通信パケット〉はあるの?」

 ヴァルトラントはもう少し突っ込んでみた。

「ない。たまたま見えたのがあれだけだった」

 答えた直後、アラムは自分の失言に顔をしかめた。

 おそらくアラムたちは第4衛星カリスト近辺にある中継サーバの攻撃クラックを試みたのだろう。だが入ったはいいが完全な制御下におくまではいかなかった。見つかりそうになって逃げる際、行き掛けの駄賃とばかりにひっ掴んだのが例の〈惑星間通信パケット〉だったというところか。

 その時の状況がなんとなく想像ついたヴァルトラントは、もうそれ以上アラムを追い込まなかった。自分たちだって同じ経験を何度もしている。

「なるほど」

 揶揄するように笑うにとどめ、話題を変えた。

「それはそうと、何であれだけで『客』がくるって思ったのさ」

 ロメス大佐の抗議文には、「奪い返しにいく」とは書かれていない。どういう根拠でアラムがそう思ったのかが気になった。

 ヴァルトラントの追求から解放されたアラムは、ほっとした表情で質問者に目を向けた。しかし答える前に確認する。

「ほら、前に俺が土星方面軍司令部の動きを観察してるって言ったろ?」

「ああ、あそこの幹部連中が、ややこしいことになってるってやつだろ」

 いま土星方面軍司令部では、壮絶な派閥争いが水面下で繰り広げられている。アラムはその情報を土星へ赴任していった仲良しの下士官から入手し、以来、興味本位から自分なりに情報収集を続けていた。

 そのおかげで、ヴァルトラントは「エビネの出国が甘くなる」という予想を立てることができたのだ。

 アラムは友人の答えに満足すると、言葉を続けた。

「で、さっきのメールの差出人がタイタン司令本部のロメス大佐ってのが引っかかってさ、大佐のことを調べたんだよ。そしたら、どうやら木星こっちに向かってるらしいのが判ったんだ」

「マジかー」

 痛烈な一撃に、ヴァルトラントは顔をしかめて天を仰いだ。

 ロメス大佐が木星へ向かっている。

 これが何を意味するのか、少年はあまり考えたくなかった。

 そこへ、ミルフィーユが声を上げた。

「うそっ!? 解けた!」

 この言葉に、二人の少年パイロットは駆け寄った

「えらいっ、ミルフィー!」

 しかしミルフィーユは、踊りださんばかりの親友たちを、強張った表情で振り返る。さっきまでは確かにバラ色だった少年の頬は、透き通るように白かった。

「どした?」

 そんな相棒の様子に、ヴァルトラントは眉を寄せた。

「解けるには解けたんだけど……」

「けど?」

 歯切れ悪く言葉を濁す少年に、パイロットたちは声を揃えて問い質す。

 ひとつ深呼吸すると、ミルフィーユは困惑と驚愕がない交ぜになった表情で、一気に吐き出した。

「解除コードは、あの〈鍵〉だったんだ。あの〈ワーム〉を起動させる〈鍵〉!」

「ウソだろ……」

 意味が解からずきょとんとするアラムをよそに、ヴァルトラントは茫然と呟いた。何か大きな渦に巻き込まれていくような、そんな気分だった。

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