第四章 〈グレムリン〉 -4-

「で、どーするのさ?」

 親友に追いついたミルフィーユは訊ねた。行き先は判っている。もちろん広報部だ。

 広報部員たちはエビネ准尉を目の届くところに置いて、こちらの「攻撃」から准尉を守ろうとしているはずだ。自分たちと准尉を会わせたくないのだから、連中がすんなり部屋へ入れてくれるわけがない。それをどうやって突破するのかが問題だった。

「正面から行っても、入れてもらえないと思うよ」

「だろうな。だからって忍び込むにしても、通気孔はダメだ。前にその手を使って、エアダクトの中にセンサを取り付けられたから」

 自分たちが悪さをするたびに、〈森の精〉ヴァルトガイスト防衛機能セキュリティが強化される。恐らく現在いま〈機構軍〉で一番忍び込むのが難しい基地は、〈森の精〉ヴァルトガイストだろう。

 しかし、それでも〈グレムリン〉たちはまだ秘密の侵入口を確保していた。

「そこで」

 じっと自分を見つめる相棒に、ヴァルトラントはもっと近づくように手招きした。ミルフィーユが顔を寄せると、これからの作戦を耳打ちする。金髪の少年はその内容を難しい顔で聞いていたが、やがて愉快そうに声を立てて笑った。

 三〇分後、装備を整えた二人は広報部の床下にいた。正しくは五階の床下であり四階の天井裏である、高さ一メートルほどの空間だ。

 もちろんエアダクト同様、その空間にもセンサは取り付けられている。しかしエアダクトと違って、そこは広い。そのためセンサの死角があった。大人に対してなら死角になりえないが、小柄な少年たちならば隠れることができる。

 少年たちはヤモリよろしく、その空間の上部にへばりついていた。すぐ傍には網の目のごとくビル中に張り巡らされているケーブルの束。それは子供の胴回りより若干太い。そしてセンサはそのケーブルを避けて設置されていた。そこに死角が存在した。

 二人の両手足には、〈機構軍〉の特殊部隊がビルの壁面を登る時に使う粘着テープが巻かれている。空間の天井部に張りつくために武器庫からくすねてきたものだ。つまり、彼らは逆さになって、ペタリペタリと匍匐前進してきたわけである。

 ヴァルトラントは目的地点に到達するとドライバを取り出し、天井部にある金具を器用に外した。司令部ビルは、必要な時にケーブルのメンテナンスを行えるよう、一定の間隔で床の一部が開くようになっている。その床扉の留め金を外したヴァルトラントは、少しだけ板を持ち上げて外を窺った。

 確かこの開口部は、広報部室の隅にある未使用の机の近くにあって、外に出てもすぐに身を潜めることができたはず――そんなことを考えながら首を巡らす。

 と、目の前に蒼く輝く小さな瞳があった。

「――っ!」

 ヴァルトラントは上げそうになった声を呑み込んだ。

 瞳の主の全身を覆う毛が、ゆっくりと逆立っていく。それを見て、少年は慌てて首を引っ込めた。床板を引っ掻く音を聞きながら、しばらく「どうしたものか」と考えを巡らせる。

 そこへ、足元で待機していたミルフィーユが脛のあたりを突付いてきた。なかなか外へ出ようとしないので訝しく思ったのだろう。

 見つかる危険があるため声を出すことができないヴァルトラントは、指文字を使って相棒に応える。

『〈黒しっぽ〉がいるんだよ!』

 親友の指の動きを読み取ったミルフィーユは、思い切り鼻にしわを寄せただけで、それ以上なにも訊かなかった。

 〈黒しっぽ〉はルビン中佐の飼ってる猫である。本当は「コーデリア」という大層な名前があるのだが、〈グレムリン〉たちは尻尾が黒いので〈黒しっぽ〉と呼んでいる。

 その〈黒しっぽ〉は、〈グレムリン〉たちと相性が悪かった。彼女は以前彼らに追いかけ回されたことがあり、それを根に持っているのか、二人を見るとすぐに爪を出してくるのだ。

 激しさを増してゆく引っ掻き音に、ヴァルトラントは内心頭を抱えた。彼女がそこいると出て行くことができない。

 ここは諦めて、もう一つある開口部から入るか。だがそこは部屋の中央部で、近くに隠れるところがない。なので、できれば使いたくなかったのだが。

 と、少年が移動を始めようとした瞬間、勢いよく床扉が開き、見慣れぬ顔が覗き込んできた。突然のことに、お互いしばらくポカンと見つめ合う。

 相手は、まさかこんなところに人がいるとは思わなかったのだろう。初めは呆けたような目をしていた。しかし「目の前にあるもの」が何なのか判るにつれ、その目がコマ送りで驚愕の形に見開かれてゆく。

 それが妙に可笑しくて、ヴァルトラントは思わず吹きだした。すると向こうは、ようやく堰を切ったように悲鳴を上げた。

「わぁぁぁっ!」

 悲鳴とともに顔が引っ込むと、何かを床に落としたような音がした。

「もうっ!」

 見つかってしまったからにはしょうがない。ヴァルトラントは素早く外へ飛び出した。部屋内へ躍り出ると、続くミルフィーユのために脇へ転がって出口を空ける。

 姿勢を低く保ったまま顔を上げると、猫を抱えた隊員が尻餅をついて自分を見ていた。悲鳴と一緒に魂まで吐き出したような顔をしている。准尉の襟章がついた制服は、まだ新しかった。

 若干の修正を要したが、ヴァルトラントの記憶と目の前の顔が合致した。

「エビネ准尉?」

 期待に弾む声で訊いた。

「え?」

 ヴァルトラントの呼びかけに、准尉は反応した。彼は何か言いかけようとしたが、そこへ悲鳴を聞きつけた部員たちが血相を変えて集まってくる。

「エビネっ、どーした――って、ああっ! 〈グレムリン〉!」

 広報部の面々は、少年たちの姿を認めて気色ばんだ。

「ちっ!」

 ヴァルトラントは小さく舌打ちした。まだ目的は達成されていない。つまみ出される前に決着をつけなくては。

 少年はそっとジーンズの尻ポケットに手を差し込んだ。隠してあったものを掴むと、息を殺して飛びかかるタイミングを計る。

「猫が――」

 ヴァルトラントが動こうと思った時、おもむろにエビネが口を開いた。瞬時に部屋は静かになる。全員が准尉に注目し、彼の言葉を待った。

「猫が急に床をカリカリ引っ掻きはじめたんで見てみると、床板が少し持ち上がってたんです。それで変だなと思ってそれを外し、床下を覗いてみると、そこにこの子がいたんです――って、ええっ? 〈グレムリン〉っ!?」

 先任たちに対し、うわ言のように報告していたエビネは、再び驚いて目を丸くした。そして抱えていた猫を放り出し、身を乗り出して眼前の少年を覗き込む。さすがのヴァルトラントも気圧されて、思わず仰け反った。

「おまえ、冷静なんだか慌ててるんだか肝が据わってるんだか、全然判らんな」

 エビネのおかげで毒気を抜かれた先任たちが、呆れた声を上げた。当のエビネは言われた意味が理解わからず、きょとんとした目で先任たちを振り返る。

 その一瞬を逃さず、ヴァルトラントが動いた。

 勢いをつけてエビネの膝の上に乗りあがると、ポケットのものを取り出し、エビネの頬に突きつけた。

「はいっ、キュキュキュのキュ~っ」

 気の抜ける掛け声とともに手を動かすと、エビネの頬に文字が描かれてゆく。油性マーカーの臭いがあたりに漂う。

 サインし終わると、ヴァルトラントは手にしたマーカーを准尉の頬から離した。准尉を見下ろし、優越感に小鼻をうごめかせる。

 エビネは突然のことに目を激しく瞬かせていたが、まだ頬に残るかすかな感触に、ゆっくりと手を当ててみた。そして手を離してその掌を確認する。掌にはうっすらとまだ乾ききっていないインクの跡がついてきた。

「はい、どーぞ」

 まだ事が理解できない様子の准尉に、ミルフィーユが用意していた鏡を差し出した。エビネは素直にそれを受け取り、覗き込んだ。

 小さな鏡に映る自分の顔には、鮮やかなブルーで「GREMLIN」と綴られている。

 その文字の意味を吟味するように、エビネはしげしげと鏡を見ていたが、不意に「ああ、なるほど」と明るい声を上げた。そして誰に言うでもなく独りごちる。

「〈グレムリン〉というのは、『いたずら小僧』という意味なんだ」

 先任たちは、「『いたずら小僧』なんて可愛いものじゃないっ」と突っ込みを入れるのを堪えた。せっかく彼がそう納得したのに、また混乱させるのは気の毒だ。彼らはただ不安げに、疑問が晴れて清々しい顔をしている准尉を見ていた。

 いつもなら「攻撃」後すぐにその場を離脱しているヴァルトラントも、いままでの新人たちと違った反応を見せる准尉に気をとられ、准尉の膝の上から動けないでいた。

 その場にいる全員が、新人の次の反応に注目する。エビネはなにやら感心したようにしきりとうなづいていたが、おもむろに顔を上げると、自分の脚の上にちょこんと乗っかっている少年を見た。

「そっかー」

 そう言って、エビネはニッコリと微笑んだ。ヴァルトラントもつられて引きつった笑顔を作る。

「そーいうことならっ」

 いきなりエビネが身体を捻った。

「あっ!」

 次の瞬間には態勢が逆転し、少年の身体は床に押さえ込まれていた。ヴァルトラントは咄嗟に抜け出そうとするが、体格や力の差がそれを許さなかった。腕の自由を奪われ微動だにできないまま、少年は自分を見下ろすオリエンタルな顔に魅入った。夜空のような瞳に、なぜか温かみを感じる。

「エビネっ!」

 新人の突然の行動に、先任たちは慌てて制止の声を上げた。なんだかんだ言っても、相手は子供だ。しかもあの司令官の息子だ。怪我でもさせたら大事だ。

 しかしエビネは、意地の悪い、それでいて楽しそうな笑みを浮かべると、ヴァルトラントの手からマーカーをとりあげ、ゆっくりと少年の白い頬に自分の名前を書き入れた。それだけでなく、最後の一筆の勢いで鼻の下に髭を描き加える。

 エビネは書き終えてしばらくのあいだ少年の顔を眺めていたが、作品の出来栄えに満足すると上体をを起こした。そして目を白黒させている少年に、胸を張って告げた。

「ウチの家訓に、『やられたら、倍にしてやり返せ』っていうのがあるんだ」

 屈託のない笑顔がそこにあった。

 〈グレムリン〉に対しこのような反撃をしてきた新人は、彼が初めてだった。いままでの者は怒りこそすれ、直接その手で何かをしてくるようなことはなかった。だが代わりに、経理部長やミス・バーバラに告げ口するのである。少年たちはその卑怯さが許せなくて、彼らを追い出してやった。

 でもこの新米士官は違った。自分たちと同じ土俵に立って反撃してきた。

 もしかしたら、手強い相手を呼び寄せてしまったのではないか。

 そんな考えがヴァルトラントの脳裏をよぎった。しかし、これしきのことで弱気になる彼ではない。むしろ闘志が湧いてくるというものだ。

「いい家訓だね」

 ヴァルトラントは嬉しくなって、笑い声を上げた。エビネもニヤリとした。そして、お互いの顔を指差して腹を抱えた。

 呆気にとられて立ち尽くす隊員たちの中、ヴァルトラントとエビネの笑い声が、いつまでも広報部室に響いた

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