第四章 〈グレムリン〉 -2-

 〈グレムリン〉たちが帰ってきた。

「たっだいまーっ!」

 〈空飛ぶ鍋〉の乗降口に現れた少年たちの元気な声が、薄明るい空に響き渡った。割れんばかりの拍手と喝采が、幼い二人を迎える。

 少年たちはタラップの前に集まっている隊員たちに応えると、その群れの中へ身を投じた。途端にたくさんの手が伸びてきて、子供たちをもみくちゃにする。

「こらこらっ。潰れちゃうじゃないか」

 雛を天敵から守る親鳥のごとく、アダルが慌てて二人を自分の両脇に抱え込んだ。彼が〈グレムリン〉たちに大甘だということは有名だ。数日ぶりに二人の顔を見て目を細めている副司令官に、思わず隊員たちは苦笑した。しかし少年たちにしがみつかれて気をよくしている少佐は、そんなことには気も止めず、嬉しそうに頬を緩めている。

 みんなが一歩ずつ退いてくれたお蔭で足を踏み出す余地のできた〈グレムリン〉たちは、アダルのエスコートによって司令部ビルへと向かった。そのあいだも将兵たちは子供たちに声をかけるのを止めず、口々に「あのイベント」の感想を捲くし立てている。声が重なり合って聞き分けられなかったが、それが非難の声ではないことは確かだ。

「みんな、すごく感動したみたいだよ。あのクライマックスには、僕も思わず見とれたぐらいだもの」

 アダルが隊員たちの言葉を要約した。

「ホント? でも『その後』が大変だったって聞いたけど、大丈夫だったの? システムは元通りになった?」

 ミルフィーユが不安げに眉を寄せて少佐を見上げる。しかし少年の言葉に、アダルは心外だとばかりに頬を膨らませた。

「ここは〈森の精〉ヴァルトガイストだよ? あれしきのことも処理できない隊員がいると思ってるのかい?」

 隊員たちの能力を信頼している――といった副司令官の台詞は、兵たちを再び沸き返らせた。

「そーだ、そーだ。バカにすんなー」

「あんなの訓練にもなんねーよ!」

 今度は正真正銘非難の声が、少年の上に降り注ぐ。

 自分たちは、あの〈天王星独立紛争〉を生き抜いてきたつわものなんだ。見損なってもらっちゃ困る――そう声高に訴えるが、目はからかうように笑っていた。

 少年は言葉の矢を避けてアダルの陰に隠れたが、隊員たちが本気で怒っているのではないと知ると、ちょこっと顔を覗かせて照れたようにはにかんだ。それだけで、将兵たちの目尻がさらに下がる。これがミルフィーユの「必殺技」だと判っていても、その愛らしさは全てを許す気にさせるのだ。

 一方――。

「確かにみんな、仕事はできるんだけどさー。もうちょっと日頃の行いをなんとかしとけば、〈森の精こんなところ〉で人生終わらせずにすんだのにねぇ」

 などと、うっかり口を滑らせたヴァルトラントは、それを聞き咎めた隊員たちにボコられていた。

「ヴァルティ、口は災いの元だよ。特に、この後の大佐とのやりとりは慎重にね」

 一語一語にそれ以上の意味を持たせて、アダルは少年に忠告する。

 拳固の雨を巧みに躱していたヴァルトラントは、ニヤリと笑って応えるが、ふと何かに気づいたように立ち止まった。ほんの数秒、耳を澄ますように首を傾げると、もう一度アダルと顔を見合わせる。どうやら少佐も同じものに気づいたのか、いたずらっぽく目を輝かせていた。

 つい――と、ヴァルトラントは司令部ビルを見上げた。視線は迷うことなく、五階の東サイドの一点に向かっている。

「どうしたの?」

 親友の奇妙な行動に、ミルフィーユが怪訝な顔をする。

「あそこに『彼』がいるんだって」

 嬉しそうにヴァルトラントが答えた。

「彼?」

 ミルフィーユは示された方を振り仰いだが、建物の窓は雲ひとつない空を映しているだけだ。しかしヴァルトラントには「彼」の位置が正確に判っているらしく、窓に向かって手を振っている。

「ホントに見えてるの?」

 胡散臭そうに鼻にしわを寄せて、ミルフィーユは訊いた。その真剣な様子に、ヴァルトラントは思わず吹きだした。

「んなわきゃナイじゃん。〈空飛ぶ鍋〉の機長が教えてくれたんだよ」

「あ!」

 からくりに思い当たって、ミルフィーユは声を上げた。目が無意識にヴァルトラントの左耳にいく。

 褪せたセピア色の髪に半分隠された耳朶には、小さなピアスが金の光を放っていた。普段ヴァルトラントが着けているプラチナのリングではない、彼専用の超小型端末である。

 〈空飛ぶ鍋〉は輸送機ではあったが、簡易の偵察用センサが装備されている。ヴァルトラントはそこで解析した情報を、この端末で受けとっていたというわけだ。

「こういう時、便利だよねぇ。僕も〈インプラント〉入れてもらおうかなぁ」

 ミルフィーユは羨ましそうに親友の耳を見た。

実験動物モルモットになりたいんだったらな」

 ヴァルトラントはにこやかに、だが皮肉のこもったひとことを返した。それは彼がよく見せる不敵な笑顔だったが、瞳はどことなく暗く沈んでいた。

 〈インプラント〉は〈機構軍〉において、特定の条件を持つ者だけに装着されるものである。ヴァルトラントはある事情から〈インプラント〉を持つことになったのだが、そのために〈機構軍〉に縛られている。これは彼自身が選んだことだが、軍による配慮の欠片もない実験まがいの仕打ちは、傍で見ている方も辛くなるものだった。

 月に一度、彼は泣き腫らしたように赤い目をして医療部から戻ってくる――という事実を、ミルフィーユは思い出した。どれだけ自分が無神経だったのかに気づいて狼狽する。

「ま、俺は気に入ってるし、自慢なんだけどね」

 ヴァルトラントは己を恥じて泣きそうな顔をしている少年に、今度は安心させるように笑いかけた。そして「気にしてないよ」というように軽く片目を瞑ると、おどけた調子で歩き出す。そしてスタスタとみんなを置いて、ビルの中へ消えていった。

 ミルフィーユは親友にかける言葉が見つからず、ただその背中を見送るしかできなかった。

 相手を傷つけることによって自分も傷ついてしまった少年は、そっと肩に手を置かれて我に返った。ゆっくりと手の主であるアダルを見上げる。少佐は小さくうなづくと、優しく背中を押してくれた。

 ミルフィーユは慌ててヴァルトラントを追いかけた。玄関前の階段を一段おきに駆け上がり、一〇歩分ほど奥まったところにある自動ドアまで一気に走り寄る。焦る気も知らずにのんびりと開くドアがもどかしい。結局全開するまで待ちきれず、半分ほど開いたところで玄関ホールに飛び込んだ。

 その時――。

 乾いた破裂音がホールに響いた。

 ミルフィーユは驚いて身を竦ませた。

 ヴァルトラントの身体がスローモーションで傾いてゆくのが見える。倒れゆく親友の前に、ヴィンツブラウト大佐が立っていた。大佐の右手が振り切ったように反対側へ回されていることと、その精悍なおもてに何の感情も表れていないことが、ミルフィーユを戦慄させた。

 大佐は普段から怒りっぽく、しょっちゅう険しい顔をして怒鳴っている。だが、本当に怒っている時ほど冷徹で静かになるのだ。

 そんな大佐の姿に、ミルフィーユだけでなくホールにいた誰もが縮み上がった。空気を乱すことを恐れるかのように、誰一人動こうとしない。

 数歩よろめいただけで、ヴァルトラントはなんとか倒れるのを堪えた。鳩に豆鉄砲といった顔をしていたが、すぐに自分の身に起こったことを理解したのか、彼の顔からいつもの小生意気そうな笑みが消えていった。慎重に体を起して襟元を整え、毅然とした態度で父親を振り仰ぐ。

「どうして叩かれたのか、理解ってるな?」

 ウィルは冷ややかな口調で、息子に問うた。

「はい、大佐」

 ヴァルトラントはウィルを「父」とは呼ばず、階級で呼んだ。

 大佐はわずかに片眉を動かしただけで、その先を促す。

 玄関ホールは俄かに「法廷」と化した。

 二人のやりとりをひと言も聞き洩らすまいと、隊員たちは固唾を飲んで見守っている。

 ヴァルトラントは記憶を辿っていたのか、少し間を置いてから、ウィルの訊問に答えた。

「俺――じゃなくて、自分は、〈森の精〉ヴァルトガイストシステムをクラックしました。そして勝手に飛行場灯火を消したり、管制設備や基地の照明をコントロールしたりして、えーと――『遊び』ました」

 少年はふてぶてしく、自分の犯した罪を「遊び」だと言い切った。

 もちろん航空隊で育ったヴァルトラントには、「飛行場の灯火を消す」ということがどれだけ危険な行為であるか、充分に理解している。

 ひとつ間違えれば大惨事。

 それを承知で、彼は自分の意地のために、着陸中の機体と隊員たちを危険に晒したのだ。

 本当なら「自分のエゴのために、機体と隊員たちを危ない目に遭わせた」といって、詫びるべきである。しかしウィルの求めているのは、そんな「詫びの言葉」ではないということも知っていた。だから敢えて「遊び」だと言ったのである。

「それだけか?」

 ウィルは念を押すように聞き返す。少年は父親から視線を外し、しばし考える素振りを見せたが、再び父親を見据えると、歯切れの良い口調で返答した。

「それだけです。遊んでる途中で接続が切れたので、再接続せずにそのままログオフしました」

〈森の精〉ヴァルトガイストのシステム自体をダウンさせるつもりで侵入したのか?」

「いいえ、そんなつもりは全くありませんでした。大体、そんなことをする意味なんてナイもの――」

 嘘はついていない。いま言ったことは事実だった。

 あの日最後の仕上げに取りかかろうとした時、突然端末が制御不能になり、回線が閉ざされたのだ。一旦そうなると無理に接続を試みるのは危険だということは、いままでの経験から学んでいる。だからそのまま諦めて撤収した。システム全体がダウンしたという事実は、帰りの機上で初めて知らされたことなのだ。

「解かった」

 心の中まで見透かすような目で息子の瞳を覗き込んでいたウィルは、充分な回答を得たのか、重々しくうなづいて訊問を打ち切った。そして間を置かずに判決を下す。

「では〈森の精〉ヴァルトガイストシステムへの不正アクセスの結果、システムがダウンして〈森の精〉ヴァルトガイストを危険に晒したのは、『故意』ではなく『事故』だったということだな。だが、その原因を作ったのはおまえらだ。その件に関しては、きちんと責任をとってもらう」

「……」

 厳しい口調で告げるられるウィルの言葉を、ヴァルトラントは黙って聴いている。

「まず、今回の件に関する全ての記録ログを提出すること。次に、ミルフィーユはシステム管理官のノール大尉のもとで、『正しいコンピュータの使い方』を学習しなおすこと。ヴァルトラントは、私が直々にその曲がった根性を叩きなおしてやる。期限は明日から一週間だ」

 ヴァルトラントは表向きは神妙さを保っていたが、内心では思いきり顔をしかめていた。これは実質上の軟禁である。いつも行動を共にしているミルフィーユと引き離されたばかりか、一週間もウィルという監視付きで過ごすのだ。常に〈森の精〉ヴァルトガイスト中を自由に飛びまわって隊員たちと戯れている彼にとって、これは拷問に等しい。

 だがいまはこの罰を甘んじて受けるしか、選択肢はないのだ。これはそういう「筋書き」なのだから。

「何か異存は?」

 有無を言わせない威圧感で、ウィルは返事を求めた。

「ありません」

 息子の答えに満足した父親は小さくうなづくと、周囲の隊員たちを意識してか、声を一段大きくして「閉廷」を宣言した。

「ではこの件に関して、今後は何人たりとも、私の許可なく少年たちを糾弾することを禁じる。以上だ」

 将兵たちは硬い表情で司令官の命令を受け止めた。大佐はホールを見渡してそれを確認すると、少年たちとアダルを引き連れてその場をあとにした。

 司令官たちの姿が見えなくなった玄関ホールは、一気に蜂の巣をつついたような騒ぎとなる。その様子を近くのエレベータホールでエレベータを待ちながら窺っていたウィルは、ため息まじりに呟いた。

「しばらくは仕事にならんな」

「この措置によって、オッズが変わりますからね」

 ウィルの呟きをアダルが受けた。

「オッズ? って、またやってるのか、トトカルチョ」

「もう恒例ですからね」

 目を丸くして呆れている上官に、少佐はクスクス笑いながら答える。

「しかしウチぐらいだろ。『新入隊員が何日もつか』なんて賭けがあるのは」

「それでこそ、〈森の精〉ヴァルトガイストって気もしますがね」

「まぁ、そうなんだが……。大体、ウチは『変り種』が多すぎる。これじゃ何も知らない新人が、そういった連中の言動についていけずにパニクるのも仕方ないが、もう少し何とかならんもんかな」

「難しいですね。そもそも司令官からして『変り種』ですから」

 アダルはいけしゃあしゃあとウィルを変り種だと言い、司令官の顔をしかめさせた。まあ、言われた本人もそれなりに自覚はあるようで、肩をすくめながら応じるのだが。

「ああ、何てったって〈グレムリン〉の飼い主だからな」

 忌々しそうに吐き捨てると、横目で子供たちを睨みつけた。そしてちょうど到着したエレベータに乗るよう、小さなお尻を叩いて追い立てる。これから「本当のお説教」が行われるのだと悟った少年たちは、おっかなそうに首を引っ込めた。

 大胆不敵なことをしでかしても、その本質はまだまだ子供。そんな二人を見て、ウィルは思わず目を和ませた。つと片手を伸ばすと、赤くなってるヴァルトラントの頬にそっと触れ、いつになく優しい声で我が子に囁く。

「痛かったか?」

 伸ばされた手に一瞬硬直したヴァルトラントだが、その手の温もりに肩の力を抜いた。うなだれて床に目を落としたまま、小さくかぶりを振る。

「大丈夫。理解わかってたから」

 先ほどの毅然さはどこへ行ったのか、ヴァルトラントは力なく呟く。ウィルはさらに手を伸ばして少年のセピア色の頭を絡めとると、自分の方へ引き寄せた。ヴァルトラントの顔がウィルの懐に納まる。

「……飛行場灯火を消して、みんなを危ない目に遭わせたことは謝る。でも『やったこと』は、後悔してない」

 くぐもった声が、ウィルの腕の下から聞こえてくる。

理解わかってる。エビネ准尉は、とても喜んでいたそうだ」

「――!」

 一番聞きたかった言葉に、ヴァルトラントは安堵の息を吐く。そして父親の腰に手を回し、力いっぱい抱きしめた。ウィルはそれに応え、少年の身体をあやすように左右に揺らす。そしてそのままの状態でミルフィーユに顔を向けると、「この展開についていけずに戸惑っている」といった体の少年に声をかけた。

「あの場では、ああするしかなかった。でないとおまえら、経理部長やミス・バーバラに吊るされてたとこだぞ」

「あ……!」

 ミルフィーユがかすかに声を洩らした。大佐の言わんとしていることが、何となくだが理解できた。

 先ほど玄関ホールで繰り広げられた「軍法会議ごっこ」は、大佐とヴァルトラントのパフォーマンスだったのだ。

 〈森の精〉ヴァルトガイスト上層部は今回の件を「事故」として処理するのだと隊員たちに示すとともに、先手を打って二人を処罰し、経理部長を代表とする〈グレムリン〉排除派への牽制としたのである。でないと二人は、一週間どころか、一生〈森の精〉ヴァルトガイストへの出入りを禁止されていたかもしれない。

 つまり大佐は、自分たちを守ってくれたのだ。それは、普段行き当たりばったり気味の大佐からは考えられない、「計算された行動」だった。

 あんな大勢の前でヴァルトラントを叩き、叱りつけて、彼の面子を潰すなんて、酷い――と、ウィルに対して憤りを感じていたミルフィーユだったが、「現時点において、大佐はより良い対処をしたのだ」と判り、彼に対する怒りを解いた。そして思わず、畏敬の念を込めて親友の父親を見つめた。

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