第三章 到着 -4-

「エビネ士官候補が到着しました」

 基地司令官の次席副官であるクローチェ二等軍曹がコム越しに伝える。間を置かず入室を許され、エビネは司令官の執務室へ通じるドアの前に立たされた。

 感動のイベントから一時間、彼はそのまま機内で待たされた。詳しい理由は告げられなかったが、しばらく基地の照明設備が機能しなかったことに関係しているらしい。だが興奮醒めやらぬエビネはさほど気にもかけず、夢見ごこちでその一時間を過ごした。

 このような歓迎を受けたのは初めてだった。こういった粋な計らいをするヴィンツブラウト大佐とは、一体どんな人なのだろう。

 エビネは間もなく行われる着任式に、期待を膨らませた。

 司令官のオフィスへ案内されてからも、気持ちの昂ぶりは収まらなかった。といってもそれは、先ほどとはまた違う昂ぶりなのだが。

 彼は緊張していた。〈森の精〉ヴァルトガイスト基地のトップとの面会である。緊張するなという方が無理だ。

 副司令官であるクリストッフェル少佐との出会いは意表を衝いたものだった。だからこういった緊張感はなかった。しかし今回は、相手が誰かを知っている。知った上で顔を合わせるのだ。考えただけで心拍が早くなるのを感じた。

 エビネが思わず深呼吸する。士官候補が息を吐くのを見計らって、クローチェ軍曹はドアの開閉スイッチを押した。自動扉が機械音をたてて開かれた。

 ぽっかりあいた空間に気後れした士官候補は、戸惑いの目で軍曹を見遣る。目尻をわずかに下げた下士官が小さくうなづいた。それに励まされ、エビネは思い切って一歩を踏み出した。

「失礼しま――」

 口を開きかけて言葉を呑んだ。

 部屋には三人の男たちがいた。みな佐官用の、特別に仕立てられた濃紺色の制服を着ている。

 長いプラチナブロンドをうなじで一つに束ねた男と、顔の半分を短く整えた髭で覆った男。その二人を両脇に従えて執務机に座っている男。デスクの男は淡い色のついた眼鏡をかけ、頬杖をついてエビネに顔を向けている。彼が基地司令官のヴィンツブラウト大佐だと、エビネは直感した。

 三人の佐官は無表情だった。

 いままでと流れる空気が違った。その重苦しい雰囲気に圧倒される。エビネはその場に立ち竦みかけたが、日頃の訓練の成果か、身体が勝手に反応した。直立不動の姿勢をとり、素早く敬礼する。言葉をつまらせながら、大声で名乗った。

「エ――エビネ・シロウ・カゲキヨ士官候補、ただいま到着しました。着任許可をお願いしますっ!」

 必要な台詞を言い終えると、胸を大きく上下させた。瞬きを忘れて見開かれた目は、誰にも視線を合わさないよう中空を睨んでいる。でないと足が震えそうだった。

 彼はそのまま微動だにせず、反応を待った。時間の流れがゆっくりに感じられる。

「ご苦労」

 よく通るバリトンの声で、座っていた男が言った。軽い身のこなしで立ちあがる。左胸にずらりと並んだリボンは、手に入れた勲章の数を示している。その上部につけられたウィングマークが、眩い金の光を放つ。エビネは無意識にその動きを追った。

「基地司令官の、ウィルドレイク・ヴィンツブラウト大佐だ」

 エビネの直感は正しかった。キナ教官いうところの〈竜の巣窟の英雄〉が、いま目の前にいる。その存在感にエビネはたじろいだ。

 ヴィンツブラウト大佐は、淡々とした調子で彼の着任の許可を下す。

「エビネ・シロウ・カゲキヨ士官候補。本日付をもって准尉に任命し、〈森の精〉ヴァルトガイスト基地広報部に着任することを許可する。なお、明朝〇九〇〇時をもって、その任務につくように」

はい、大佐!イエス・サー

 ひっくり返った声でエビネは答えた。

 基地司令官の頬がわずかに動いた。だがエビネにはその変化は見取れなかった。大佐は軽く俯くと、ゆっくりと右手を上げた。かけていた眼鏡を外し、無造作に机の上に置く。そして顔を上げ、射抜くような樫色の瞳でエビネを見る。

 若い――!

 エビネは目を疑った。副司令官のクリストッフェル少佐が二〇代後半にしか見えなかったので、司令官も普通よりかは若いだろうと予想はしていた。がしかし、その予想以上に彼は若かった。どう見積もってもせいぜい三〇を過ぎるかどうかというところだ。

 エビネはヴィンツブラウト大佐から目が離せなくなった。整った顔立ちではあるが、目を見張るほどの美形ではない。しかし人を惹きつける何かがあった。冷静で鋭い目の奥に、激しさが隠れている。左目尻を走る傷痕がその印象をさらに強めていた。クリストッフェル少佐が「爽やかな風」ならば、大佐はその名のとおり「旋風ヴィンツブラウト」――そういったイメージを抱かせる。

 ふっ――と、大佐の目の奥にあった激しさが和らいだ。

「エビネ准尉」

 唐突に、大佐はこぼれんばかりの笑顔を見せた。明るい声が部屋中に心地よく響く。

「ようこそ〈森の精〉ヴァルトガイストへ。我々は君を歓迎する。これから〈森の精〉ヴァルトガイストの隊員として、がんばって欲しい」

 そう言うと、エビネに向かって敬礼した。

 エビネは打たれたように身を震わせた。敬礼は相手に最大の敬意を示す行為だ。そして通常は部下に対して上官の方からするものではない。なのに大佐は自分に向かって敬礼しているのだ。

 何が起こったのか解からなかった。頭の中が真っ白になる。エビネは返礼するのも忘れて、棒きれのように突っ立った。

 大佐はそんな彼を、笑顔のまま興味深そうに見ている。エビネはただ、司令官の顔を見つめ続けた。

 エビネは准尉に昇進し、〈森の精〉ヴァルトガイストへ着任した。

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