第一話 海嘯(2)
「ミッダルト=トゥーラン間の
ホログラム・スクリーンに上半身を浮かび上がらせる自治領総督ラージ・ラハーンディは、太い眉の合間に深い縦皺を刻んで、静かな怒りを漲らせていた。
「連邦航宙局には即刻ミッダルト=トゥーラン間の敷設工事の中止と封鎖の解除を要求し、同時に
常任委員会ビル内の外縁星系開発局室で、ルスランは執務卓に着席したまま、怒気を抑え込んだ父の言葉に静かに耳を傾けている。
かつて連邦軍を蹴散らした戦力を、第一世代との境界宙域に差し向ける。それは自治領総督として最大限の抗議の意思表示であった。
「だがそれこそが《繋がれし者》の狙いだったとはな。
「父さん……」
父の上半身を見返すルスランの水色の瞳には、理性と感情がせめぎ合う苦渋が見て取れる。葛藤に喘ぐ息子の胸中を案ずるかのように、ラージはふと笑みを浮かべた。
「そんな顔をするな」
ホログラム・スクリーンの中のラージは、明らかにルスランの表情を把握している。
ラージの映像は、連絡船通信による一方通行のメッセージではない。父子は今、銀河ネットワークを通じた同時通信会話を交わしている最中であった。
「トゥーラン自治領は既に、全域が《繋がれし者》の手中に収まった。私ももはや彼らの意向に沿う者、後はただ座して待つのみだ」
「《オーグ》を退けることが出来れば、また元に戻る見込みはあるんだ。父さんまで投げやりになることはない」
懸命に可能性を説くルスランに、ラージはその大きな群青の瞳にたたえた穏やかな眼光をもって応えた。
「《繋がらぬ者》であるお前は全てをしっかりと見届けてくれ。もしその後があるのなら、必ずやその記憶は財産になる。お前には最後まで無理を言って済まんが、こんなことを頼めるのはルスラン、お前しかいない」
《繋がれし者》が言わせたわけではない、ラージ・ラハーンディ自身が発した言葉と信じて、ルスランは「わかったよ、父さん」と頷く。彼の父もまた息子の返事に満足そうに頷くと、間もなくホログラム・スクリーンと共にその姿は掻き消えた。
父の映像があった空間をなおも凝視し続けていたルスランに、頭上からまるで他人事のような声が振りかけられる。
「お陰様で、銀河連邦は自治領まで含めて全域を《繋げる》ことが出来たわ」
壁に背を預け、豊満な胸を持ち上げるように腕を組んだファウンドルフが、薄い笑みを浮かべたままルスランの金髪の頭を見下ろしていた。
「そいつはおめでとうと、祝福でもして欲しいのか」
彼女の顔を見返しもせず、執務卓の上に組んだ両手へと視線を落としたルスランは、今し方の父との会話を脳裏で反芻する。
「連邦全域が《繋がった》と言われても、僕には未だに実感がない」
己の口から吐き出されたその事実に、ルスランは暗澹とした。
テネヴェもローベンダールもミッダルトもスタージアも、トゥーランもジャランデールも、彼の知る連邦加盟国はその全てが《繋がれし者》の手の内に収まったという。ここで彼の発言をファウンドルフが見聞きすれば、それは《繋がれし者》全員に行き渡るのだ。そしてファウンドルフの回答は即ち、《繋がれし者》の総意にほかならない。
ただ、その総意にルスランは含まれない。
「余計な手間が省けて、いいことずくめだな」
やがて面を上げたルスランの顔には、その台詞とは裏腹に悄然とした表情が張りついていた。
「ファウンドルフ、君が《スタージアン》と融合した後もそうして普段と変わらない様子を見ると、父や自治領にとっても大した変化はないんじゃないか。そう思えるよ」
「あるいは《オーグ》に呑み込まれても?」
デスクチェアの背凭れに寄りかかって、ヘッドレストにたっぷりと後頭部を押しつけたルスランの顔を、ファウンドルフの青い瞳が見下ろしている。彼女の目を力なく見返しながら、ルスランは唇の端を微かに歪めてみせた。
「そうだな。それが《オーグ》でも、大した違いはないかもしれない」
「だからファナ・カザールは《オーグ》を選んだのかしらね」
「ファナの気持ちはわからないでもない。でも僕の場合は少し事情が異なる」
口端の歪みはやがて顔全体に広がって、いつの間にかルスランは泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「君たちが、この連邦全体が《繋がれし者》になろうというのに、僕はこうしてその埒外にいる。もしかしたら《オーグ》に呑み込まれても、取り残されたままなのかもしれない」
その言葉を口にした途端、不意に頬を一筋の熱いものが伝うのを感じる。一瞬の間を挟んで、ルスランは己の目尻から涙が零れたことに気がついた。
「こんな不安に襲われるとは、思いもよらなかった」
「何も可笑しいことじゃないわ。不安に感じて当然よ」
てっきり揶揄の言葉が返ってくるだろうと思っていたルスランが見返すと、ファウンドルフの瞳には憐れみが宿って見える。ルスランは右の拳で涙の跡を拭いつつ、理性的な表情を取り戻しながら口を開いた。
「君の口からそんな言葉を聞くと、目も醒めるな」
「この状況で不安を抱えない者はいないわ。たとえ《繋がれし者》であってもね」
思わぬ返事が聞かされて、ルスランは意外という顔で尋ね返す。
「《繋がれし者》が? 《オーグ》を追い払うためには手段を選ばない君たちも、不安を覚えるというのか」
「ことごとく裏を掻かれ続けて、ウールディとユタをクロージアに送り出すという本当に最後の手段に手をつけて、それでも私たちがのほほんと構えているとでも思った?」
腕を組んだまま上半身を揺らして、ファウンドルフは苦笑した。
「何十億人ものヒトが《繋がって》いるのよ。その全員が《繋がった》ことで状況を知って、むしろ不安しかない。《オーグ》と《繋がって》も変わりないという考えもあれば、もっと積極的に攻撃を掛けるべきという意見もある。そういった異論も反論も全て最大公約数的な思考へと、速やかに収斂させる。そこが《繋がれし者》とそうでない者の違いのひとつね」
精神感応的に《繋がる》人々の在り方というものを、これまでルスランは考察しようとしたこともない。今さらのようにファウンドルフに解説されるその内容は、この期に及んで新鮮ですらある。
「全員の思考が最初から一斉に右へ倣うわけじゃないのか」
「例えば私、カーリーン・ファウンドルフには、《クロージアン》の頃から抱え続けている、個人的な不安というものがあるわ」
ファウンドルフが不安を抱えている。それは《繋がれし者》の在り方という以前に、彼女を個人として見ても想像しがたい告白である。
「ファウンドルフ女史の個人的な不安か。そいつは聞いてみたいような、聞くのも恐ろしいような」
冗談めかして呟いたルスランが瞼を軽く伏せるとその瞬間、視界がふと翳った。再び目を開けばそこには天井の照明を遮ったファウンドルフの顔が、彼に覆い被さるようにして青い目を向けている。
「私は《クロージアン》を親に持ち、産まれたときから《繋がって》いる。オビヴィレから聞いたでしょう?」
他者に先んじて《クロージアン》に《繋がった》常任委員長がそんなことを言っていた、その記憶はルスランにもある。彼が頷くよりも先に、ファウンドルフは囁くように言葉を紡ぐ。
「有用なヒトを選んで《繋がって》きた《クロージアン》の中でも、私みたいな出生は例外。《クロージアン》が精神感応力を強化する様々な方法を模索して、様々な実験結果の末に生まれたひとりなのよ」
「実験結果とは穏やかじゃないな」
ファウンドルフの青い瞳の奥にたゆたう光は真剣であるだけでなく、何かそれ以上の告白があることを予感させる。果たしてルスランが感じた通り、彼女の唇はさらなる真実を打ち明けた。
「あの双子も同じよ」
「……なんだって?」
ルスランが訝しげに眉をひそめて、思わず尋ね返す。その単語はファウンドルフの告白とはなんの脈絡もない、聞き間違いにしか思えなかったのだ。
「まさか、ファナとユタのことを指しているわけじゃないだろう」
だがゆっくりと首を振りながら、ファウンドルフは彼の言葉を否定する。
「そのまさかよ。ファナ・カザールにユタ・カザール、彼らもまた、《クロージアン》の実験の末に産まれた子供たちなの」
そして彼女はその青い瞳に、映し出されたルスラン自身の顔が見えるほどに顔を寄せて、言った。
「そしてその実験には、あなたの曾祖父も大きく関わっている」
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