第三話 アントネエフ卿の困惑(3)

 アントネエフが常任委員長に就任して翌年、銀河連邦は大きな転機を迎えた。複星系国家三強のひとつであるサカの王が、公式にテネヴェを訪れたのである。


 建国当初よりスタージアと積極的に交流することで王制の権威を保ってきたサカだが、そのスタージアが銀河連邦に加盟してしまったために、国内で混乱が生じていた。銀河連邦におもねってサカを裏切ったスタージアとは決別すべしという革新派と、銀河連邦の存在を認めてもスタージアとの交流を保つべしという守旧派による対立が生じてしまったのだ。


 数年に及ぶ争いが決着したのは、ほかでもないアントネエフが常任委員長に就任したためである。


 現サカ王とは即位式以来友誼を深めてきたアントネエフはサカ国内でも知られた存在であり、彼が統べる銀河連邦であればということで国内世論は銀河連邦を認める方向へと傾いた。その結果、ついにサカ王のテネヴェ訪問が実現したのである。

 それまで複星系国家三強は銀河連邦と正式な交流を持たなかったが、ついにその一角が崩れることとなったのだ。銀河連邦はサカの承認を得ることで対外的にも公の立場を確保し、サカは今や国内の大勢を占める守旧派を納得させることが出来る。何より銀河連邦という巨大な取引先に真っ先に食い込むことで経済的な恩恵を受けるメリットを、老獪なサカ王は良く理解していた。お互いの思惑が合致した末に実現したサカ王のテネヴェ訪問は、アントネエフにとっても格好のパフォーマンスの機会であった。


「遠くこのテネヴェまで、よくぞお越し頂きました。銀河連邦市民を代表してこのバジミール・アントネエフ、陛下のご来訪を謹んで慶び申し上げます」


 テネヴェのシャトル発着港に降り立ったサカ王を、常任委員長はそう言って長身を折り畳みながら出迎えた。彼の姿に感激したサカ王は、豊かに蓄えられた髭を震わせながらアントネエフの面を上げさせると、長年の親交を確かめ合うように抱擁を交わす。ふたりが親しげに抱き合う様子は連絡船通信を通じて銀河系中に報じられ、その映像を見た人々は複星系国家と銀河連邦の間に張り詰められていた緊張感の雪解けを予感した。


 連邦史上のみならずテネヴェ史上においても最上級の国賓を迎えたとあって、国内は一斉に歓迎ムードに包まれた。シャトル発着港から歓迎式典の会場となる迎賓館までの道程は、沿道にひと目サカ王の姿を見ようという群衆でひしめいていた。オープン型のオートライドの後部座席に、アントネエフと肩を並べて座るサカ王は、押し寄せる人々に向かって鷹揚に手を振る。その度に湧き上がる歓声に見送られながら、ふたりを乗せたオートライドは迎賓館の敷地内に吸い込まれていった。


 サカ王が滞在中を過ごす迎賓館は、銀河連邦関連施設がひしめく連邦区に隣接した区画にある。歓迎式典をつつがなく終えた館内では、大広間で歓待の宴が催されていた。


「こうなるとエルトランザやバララトも、いずれ銀河連邦を認めざるを得ないだろうな」


 大広間の前室でシードルの入ったグラスを手にしながら、ロカはそう独りごちた。宴に参加するイェッタが会場内に入るのを見届けて、彼自身は前室で待機しているところだ。


「別に一緒に入っても、あなたなら誰も文句を言わないのに」


 イェッタはそう言ったのだが、ホスト側の評議会議員が秘書を伴って宴に参加するのは礼を失する、と言ってロカは断った。実態はイェッタの言う通りだろう。イェッタ・レンテンベリ自身が既に十分な存在感を放つ大物政治家としての地位を確立しており、彼女に常に付き従うロカ・ベンバも下手な評議会議員よりよほど影響力を持っている。

 ロカ自身はそんな評価に左右されることなく、あくまで主人であるイェッタへの貢献に徹してきた。秘書は何を置いても主人を念頭に置くべしというという哲学は、キューサック・ソーヤに仕えていた頃から培われてきたロカ・ベンバのアイデンティティとも言える。


 だがイェッタの下で働くことになった当初、その哲学は大きく揺らがざるを得なかった。


 人の心を読み取る能力を持つという人物を主人を仰いで、いったい自分はどのように振る舞えば良いのだろう。しかもイェッタは、かつて彼がキューサックの引退後に仕えようとしたディーゴ・ソーヤのパートナーであり、同時にその死に大きく関わった人物だった。ロカはキューサックの指示によってイェッタの秘書となったが、忸怩たる想いを抱えたまま彼女に従うのは、苦痛以外の何物でもなかった。

 そんな想いと決別するために思い出したのが、イェッタの中にディーゴが混じっているという彼女の言葉だった。イェッタや、彼女と《繋がる》というタンドラの中に、もしかしたらディーゴの面影を見出せるかもしれない。そう考えることで、ようやくイェッタに正面から向き合うことが出来たのだ。

 以来十年以上の付き合いの中で、イェッタやタンドラの表情や仕草、振る舞いの中にディーゴの名残を思わせるものを見かけたことは、実のところ一度もない。しかし今となってはむしろ、その方がロカにとっては自然な在り方なのだと言える。イェッタはイェッタだし、タンドラはタンドラなのだ。ふたりが《繋がって》いることは理解しているし揶揄することもあるが、実際に接する際には異なる人格として接してきた――


 グラスのシードルを軽く呷り、小さく頭を振る。周囲を見渡すと、ロカと同じように主人を待つ人々の姿が何人も散見された。自分が今、余計な独り言を呟きかねない心境であることを自覚して、シードルの残ったグラスをテーブルの上に置き去りにしたまま、ロカはその場を離れた。迂闊なことを口にせずに済ませるのが一番だが、万一の場合にも周りに聞かれない程度の注意は払っておきたい。宴の終わりにはまだ時間があり、しばらく建物の外にいたとしても問題はないはずだ。それにイェッタなら、自分がどこに居ようとも必ず突き止められる。少し夜風に当たってくる、と内心で呟いてから、ロカは迎賓館のロビーを通って外に出た。


 迎賓館の建物の外にはよく手入れされた庭園が広がっているが、既に陽も暮れて数刻経つという頃合いでは、見事な景色もせいぜい照明に照らし出された一部しか堪能することが出来ない。ロカは建物からあまり離れないようにしながら、その周縁に沿った小径をゆっくりと歩き出した。快晴だった日中に比べて、夕刻から曇り始めた空は、今やすっかり雲に覆われて星明かりのひとつも見当たらない。幸い、建物の中から漏れる灯りと庭園に配置された照明で、歩き回るには不自由はしなかった。ロビーの真裏、宴会場から大きく迫り出したテラスが目に入る辺りで足を止めたロカは、雲が低く押し迫る夜空を見上げて、小さくため息をついた。


 自身の精神状態が不安定である理由は、わかりきっていた。アントネエフの常任委員長就任から前後して、タンドラの体調が目に見えて落ち込んでいる。頭脳の働きに衰えは見えないものの、あの調子では遠からずモトチェアから再びベッドに戻ることになるだろう。タンドラは明らかに寿命を減らし続けている。そんな彼女を見舞う度にロカの脳裏をよぎるのは、彼女たちと同じく《繋がって》いたディーゴの死に様ばかりであった。

 突然目を剥き、膝をついて苦悶の表情を浮かべて、文字通り断末魔の叫びを上げるディーゴを前にして、ロカに出来たことといえばただ狼狽えて、彼の絶命の瞬間までその名を呼び掛け続けることだけだった。

 タンドラは自らの肉体の衰えによって死に至るのかもしれない。そうなったとして、残されたイェッタはいったいどうなってしまうのか。ディーゴが絶命したときと状況が異なるのはわかっている。だがイェッタがディーゴと同じ道をたどらないという保証もないのだ。今度はイェッタの名を呼び続けるしか出来ないのだとしたら、ロカは己の運命を呪うしかない。


 暗い表情を浮かべたまま闇夜に溶け込んでしまいそうなロカの耳に、談笑する男たちの声がおもむろに飛び込んできた。頭を切り換えて顔を上げると、いつの間にかテラスにふたりの人影がたたずんでいる。目を凝らさずとも、窓明かりに照らし出されたふたりの容貌は十分に見て取れた。ひとりは豊かな髭の気品溢れる紳士、もうひとりはオールバックの金髪の堂々たる体躯の持ち主。今夜の主賓であるサカ王と、ホストのアントネエフのふたりだ。

 社交辞令に塗れた会話に飽いたのだろうか。いくら迎賓館の警備が厳重を期しているとはいえ、ふたり揃って会場を抜け出して屋外で語らうとは、彼らの長年の親交とやらはどうやら本物らしい。テラス席で会話を交わすふたりの横顔は思いの外リラックスして見える。さすがにこの場にのこのこと顔を出すのはばつが悪く、ロカはふたりから見えないであろう位置まで音を立てないようにして引き下がった。建物の角に隠れるようにして、だが来た道を戻るのではなく、そっとテラスの様子を窺い見る。両首脳のふたりきりの会話に立ち会うという貴重な機会を前にして、その場から引き返すという選択肢はない。

 といって耳をそばだててみても、ふたりの会話を聞き取るにはいささか距離が離れすぎていた。遠目に和やかに会話する様子を眺めても、彼らの胸中を察することなど出来るはずもない。それこそイェッタが得手にしていることだと思い当たって、ロカは自分の振る舞いが不意に馬鹿らしくなってきた。

 やがて建物の中から呼び掛けられたのか、サカ王がアントネエフの側から離れて屋内へと姿を消す。後に残されたアントネエフは、右手にワイングラスを手にしたまましばらく夜の庭園を眺めていたが、その視線はロカが潜んでいた建物の角に向けられたところで停止した。

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