第三話 スタージアン(1)

 巡礼研修三日目のシンタックは、前日までと対照的な穏やかな時間を過ごしていた。

 午前の講義が選択制となり、たまたまリュイともヨサンとも同じ講義を取っておらず、別行動になったからである。食事時もこちらからイヤーカフを通じて呼びかける気も起きず、また呼びかけられることもなかった。元々友人が多いとは言えないシンタックは、昨日と同じ公園の中庭にあるテラス席でひとり昼食を済ませると、さて午後はどうしようかと考えた。

 本当なら今日も夕食の時間一杯まで展示エリアに入り浸っているつもりだった。だが昨日の出来事の後だと純粋に楽しむ気持ちが萎んでいるのが、自分でもよくわかる。シンタックは磨き抜かれたタイル張りの中庭から離れて、公園内の緑道に足を踏み出した。


 穏やかな陽光の下、緑に覆われた広大な公園の敷地の周縁部を縁取るようにして、緑道が緩やかな曲線を描いている。幅広い緑道の両脇には広葉樹が等間隔に立ち並び、見事な緑のトンネルを形作っていた。


 広葉樹はミッダルトでも見受けられるものに似ているが、よく見ると葉が少し大きいように思える。銀河系に散らばる有人惑星に生える植物は全て、このスタージアから持ち出されたものだから、きっとミッダルトに生い茂る木々の方が長年を経て変化を遂げたのだろう。スタージアのここ博物院がある地域は、シンタックが生まれ育ったミッダルトの田舎町よりも気候が温暖だ。

 緑道をしばらく歩くと、公園の中央広場に向かう横道が現れた。広場には大きな屋外型のステージが設けられている。三日後の巡礼研修最終日にはこのステージでセレモニーが催される予定だそうだが、シンタックがいる緑道からは木々の緑に遮られてよく見えない。横道の入口を通り過ぎて、シンタックはさらに奥へと足を進めた。


 公園の中では途中、多くの人とすれ違う。

 地元の住人であろう家族連れや子供たちから、シンタックと同じ研修中と覚しき学生たちなど。だが最も多く見かけたのは、ここを訪れる人々の大半を占めるという巡礼者たちだった。そのほとんどは巡礼とは名ばかりの物見遊山に訪れた観光客だが、中には《原始の民》を讃える詩歌を詠唱しながら、列を成して行進する人々もいる。《原始の民》への畏敬の念はシンタックも相応に持ち合わせているつもりだが、讃歌を唱えながら歩き回る気はしない。彼らを無条件に信仰の対象に祭り上げるのは、かえって失礼ではないかと思う。


 長い緑道の突き当たりには、それまでの横長に広がる風景から一変して、深緑の森が深い奥行きを見せる。

 この森はスタージア随一の植物園を兼ねており、中には博物院が管理する農場や研究施設、また博物院そのものの歴史が綴られているという記念館もある。木立の陰から聳えて見える建造物が、その記念館だろう。ちょうどそこに向かうと思われる小径の入口を見つけて、シンタックは森の中に入っていった。


 木々の葉に覆われて薄暗い小径の足元を、木漏れ日の明かりがまだらに照らす。時折り聞こえる鳥の囀りが、かえって森の中の静寂を印象づけた。さして時間をかけることなく、シンタックは記念館の前に辿り着いた。


 記念館は博物院の主要な三棟やその他の施設に比べるとやや時代がかった外観で、趣があるとも言えるし古臭く感じる人もいるだろう。歴史を感じられる建造物はもとよりシンタックの好奇心の範疇だが、それよりも静かな森の奥に構えられた秘密基地めいた建物という情景は、いかにもリュイの好みに合う。当てもなく気儘に散歩しているつもりでいながら、自分が無意識に目的地を定めて歩みを進めていたことに、シンタックは気がついていた。


 昨日の今頃、ヨサンはとっておきを見せると言って、リュイをここまで連れ出したのだ。


 事前の下調べが効を奏して、リュイはこの場所をいたく気に入った。ここまではヨサンの狙い通り。記念館は場所が奥まっているせいもあって、なかなか足を運ぶ人もいない。昨日もふたりの周りには人影はなかった。

 森から突き出す尖塔を見上げるリュイの整った横顔に見惚れそうになりつつ、ヨサンは本来の目的を思い出し、勇気を振り絞って口を開こうとした――


「シンタック」


 記念館の正面に佇んでいたシンタックの回想――彼自身のものではない、他者の経験をなぞることをそう呼んで良いのならば――は、聞き覚えのある声に打ち破られた。振り返るとそこには、昨日泣き顔のまま去っていった少女の姿があった。肩まであるはずの金髪は、初めて会ったときのように頭の後ろで結わえられている。


 どうしてここに、とは聞かなかった。きっと彼女の目的も、自分と同じだからだ。ドリーもまた、シンタックがここにいる理由を尋ねようとはしない。彼女が口にしたのは別のことだった。


「『シンタックも連れてくれば良かった』」


 ドリーが芝居がかった口調でそう言うのを聞いて、シンタックは少しだけ表情を曇らせた。


 彼女の台詞は昨日、リュイがここで口にしたものだ。リュイが不意にそんなことを言い出したのでヨサンは出鼻を挫かれてしまい、用意していた言葉を声に出すことが出来なかった。


「あのリュイって子は、結構計算高いのね。彼女、ヨサンが告白しようとしてるのをわかって、わざと言ったのよ」


 そう言ってドリーはシンタックのそばにゆっくりと近づいてきた。

 剥き出しになった土肌のところどころに舞い落ちている木の葉を踏みしめる音が、森の中の静寂に静かに響き渡る。シンタックの胸元の前まで近づいたドリーの顔は、心持ち薄く笑っているように見えた。


「ヨサンの気持ちには応えられない、でも彼との友人関係は失いたくない。だからヨサンが告白する機会を奪うことにしたのね。ヨサンもまんまと彼女の思惑に乗っちゃった」

「……そのことを確かめるためにわざわざここまで足を運ぶ君も、結構趣味が悪いと思うよ」

「ここで鉢合わせている以上、悪趣味なのはお互い様でしょう」


 シンタックの慣れない皮肉に対してドリーは小さく鼻で笑うと、そのまま彼の脇を通り過ぎて記念館のすぐ傍で立ち止まった。古代の煉瓦造りを模したと思われる外壁は苔むした上に分厚い蔦が覆いかぶさっている。シンタックが振り返ると、彼女は彼に背を向けたまま、半分以上緑がかったその外壁に向かって口を開いた。


「ちょっと羨ましかったの」


 壁に向かって発せられた声は、それまでの口調から少し険が取れたように思えた。


「リュイみたいな計算なんて誰だってすることだって、あれだって彼女なりの優しさのつもりなんだってこともわかってる。それがベストかどうかはなんとも言えないけど、そういう風に相手のことを気遣える友達が羨ましい」

「ドリー」

「《繋がった》あなたならわかるでしょう?私にはリュイやヨサンみたいな友達はいないから。家族だって似たようなもんだわ。一人娘なら愛情たっぷりに育つだろうなんて、とんでもない。せいぜい成績が良いことを上辺だけ褒めそやすか、見えないところで蔭口にふける人ばかり。そりゃあ、私の性格に難があるのは自覚してるけど」


 そう言って振り返るドリーの顔からは挑発的な笑みは影をひそめ、代わりに力ない自嘲が浮かんでいた。


「あなたが羨ましくて、ついあなたの友達の行動を探るような真似をしちゃった。ごめんなさい」


 そんな表情で謝られるとシンタックは何も言うことができない。足元に視線を逸らすのが精いっぱいだ。頭を掻きながら、どこかに座るところでもないかと見回して、記念館の正面玄関に続く階段を発見する。階段には土埃がうっすらと積もっていたが、シンタックは気にせずに腰を下ろした。


「もういいよ。君の言う通り、ふたりの行動をトレースしてたのは僕も同じだ」

「それはでも、仕方ないじゃない。だって」


 壁際から離れたドリーが、慰めるように言う。


「リュイがああ言ったのは、あなたのせいみたいなものなんだし。気にするなっていうのが無理でしょう」

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