パリスィの戦い(二)
とにもかくにも街道へと引き返す。
しかし、鬨の声や幾条にも立ち上る煙などが、事実を突きつけてくる。
最悪の事態だ! 後詰のシスモンド達が襲撃を!
どうやら街道内へ立て籠もるように布陣し、なんとか持ち堪えてはいるけれど……戦力比二対一は、即座に撤退を検討レベルといえた。
もう策や戦術で誤魔化せる限界だし、隘路へ立て籠もろうと、いずれは支えきれなくなる。
しかし、それでも一呼吸。それが僕らには必要だった。
軍馬ですら息を切らしているというのに、徒歩の兵は尚更だろう。窮地の味方を目前に息を整えるしか――
「陛下! ジンクウ百人長が!」
ほとんど同時に顔見知りの兵士が、僕の前へ跪く。誰かと思えばシスモンドの副官、ジンクウ百人長だ。
「急いで戻ってきてくださったんですね? シスモンド閣下は、
……予定……通り?
おそらく僕は、マヌケな顔をしていたと思う。
しかし、驚愕の一瞬が過ぎたら、別の見解にも気付かさせられた。
確かにシスモンド達は、倍の兵力で攻め立てられている。
だが、その寄せ手は、僕達へ背中を見せ無防備だ。
紛れもない好機といえる。……シスモンド達が持ち堪えられている間は。
この指示の為に、あらかじめ副官を戦場の外へ?
「これより敵を
――アンバトゥス殿は右辺を!
――フォコン、左辺の細かな指示をお願い」
「陛下! わざわざ逃げ道を作ってやるんですか!?」
不満そうなリゥパーを、厳しくたしなめておく。
「『囲師には必ず闕く』だよ、リゥパー。僕は窮鼠に噛まれたくない」
もし完全包囲すれば、相手は弱いところへ突破を図ろうとする。
が、それはつまり疲弊してるシスモンド達のことだ。
ここは半包囲で敵へ打撃を与えつつ、確実に味方を救援するべきだろう。
しかし、逃げ道を与えたというのに、敵兵は粘りを見せた。明確に兵数が削れていくにも関わらずだ。
またも意味が解らない。どうしてか相手は決戦の覚悟で挑んできている。でも、なぜ?
ただ、それでも陽が傾いて、やっと撤収を始めた。
なにか勝負を急ぐ理由が? あるとしたら、なにを見落としているのだろう?
本陣へ再合流を果たすと、得意顔のシスモンドに出迎えられた。
「早く戻ってきて下さって助かりましたよ、陛下」
「……参謀長の予想は、今日じゃなかったの?」
嫌味のつもりで混ぜっ返したら――
「早くても明日の朝、おそらくは昼過ぎになるかと」
と真顔で返答された。……忘れてたけどシスモンドも大概な軍人脳だ。
「むこうの後処理を放り投げてきたんだよ! あとで誰かに行って貰わないと。
というか
「いや、いくら小官でも、主君を囮にとは申し上げれませんから」
そのニヤニヤ笑いで気付いた。説明されなかっただけで、僕達
釣りだしたパリスィ救援部隊を、手堅く全力で仕留める。相手にすれば、そちらも選択肢の一つか。
そこで両天秤に掛けつつ、安全な方へ僕やアンバトゥスを。さらに万が一の時は逃げられるよう、騎兵を中心とさせたのだろう。
「なにより小官は、負けない戦いなら十八番ですから。適所適材ということで街道の担当を」
「そりゃ負けはしなかったけどさ……」
悔しさに唇を噛みしめる。こんなに兵を喪ったのは、初めてだ。
我ながら驕っていた。これまで常勝でいられたのは、常に自軍を多勢へ置いたから。それを自分の実力と混同してしまっては、駄目な将帥という他がない。
「……被害規模は?」
何人もの報告を裁くフォコンが、片手間に答えてくれた。
「死者を含む戦闘不能が五〇〇、後詰へ回す他ない者達が同数といったところでしょうか」
二割だ! 二割もの損害が出てしまった! 通常なら大敗ラインであり、撤退も視野に入る。
だが、この程度で済んだのを幸運と考えるべき?
危うく各個撃破されかけたのを、シスモンドが逆手にとってはくれたけど……少しでも間違ったら総崩れだ。
「でも、奴らの方が損害は多かったです! これで懲りて尾っぽを巻いて逃げだすかもしれませんし……まだ諦めねぇというのなら、今度こそ思い知らせてやれば良いのでは?」
まだ昂ぶりが治まらないのか、鼻息の荒いリゥパーをティグレが窘める。
「それは、どうであろうな? それに後背からの見立て故、確実とはいえぬが――
彼奴等めは、シスモンド筆頭百人長の陣を抜く気だったのでは?」
「半包囲されていてか?」
なるほど。そう考えると妙な粘りにも納得はいく。でも、なぜ?
「ティグレといい、フォコンといい……皆、上品すぎる!
奴らにすれば突破で半数の兵を喪おうと、半分は王太子の元へ送れるだろうが?
それに俺達と相打ちでも良いんだ。
自分達が全滅しても、こっちを撤退させれば、また元通りに街道が使える。
それで万々歳だろう、補給なり増援なりが届くようになれば?」
この極論めいたリゥパーの主張を聞いて、なんとティグレとフォコンは恥じいった!
あまり口を挟まないアンバトゥスとトフチュの主従すら、感心してるし!
しかし、これこそ戦士階級の恐ろしさだ。
主君や勝利の為に、いつでも命を懸ける覚悟というか……明確に優先順序が決まっているのというか。
「ありがとう、リゥパー。父上に代わって忠心に感謝を」
顔が真っ赤な
相手は我が家と同じく数え切れないほど
そしてゲルマンが軟弱とは言わないけれど、ガリアの将兵は帝国相手に揉まれてきた歴戦の勇士でもある。
だが、それはこちらも同じことで、相手にとって不足はない。
そして夜更けには、相手が焦る理由も判明した。
「……信用して良いのですか、その男は?」
『盾の兄弟』の役得で僕と寝所を分かち合うルーバンは、跪く男に疑わしげだ。
「証の指輪は、確かにマレー家が好んで使う意匠かと」
意外にも慣れているのかポンピオヌス君は落ち着いていた。
「……ポンピオヌス君、顔赤くない? 寝酒でも飲んだ?」
「いえ、それほどは! その……まだ火照っているのかも知れませぬ」
まあ日中は戦場で人殺しに勤しんでいたのだし、そうそう平常運転へは戻れないか。
「義兄さんも! そんなに寝起き悪かったっけ?」
「んあー……大丈夫だ」
眠そうな応えが返るも、その手には剣が握られている。
用心の為なんだろうけどトリスタンの案内だし、身体検査済みなはずだ。……寝ぼけてるのかな?
「食欲は衰えてないですから平気でしょう」
ルーバンの軽口へ肩を竦めつつ、ポンピオヌス君から指輪を受け取る。
間違いなく本物だ。ソヌア老人に教えて貰った識別の印――傷に見せかけた秘密の印もある。
ガリア各地へ潜伏中なマレーの密偵が、なにか伝えに来てくれたのだろう。
僕なんかは女商人ミリサや交易商人のダウウド、あとはローマ人のガイウスくらいしか伝手がない上、あの三人は味方でも配下でもない。
もう自前の情報網が羨ましくてしょうがないけど、まあ今は後回しか。
「……それで? この場にいるのは『盾の兄弟』と信頼に足る近衛のみ。秘密が漏れる心配はないよ」
僕の言葉に一瞬だけ躊躇したものの口上を始める。……かなり訓練されてる人材のようだ。
「我が主ですが、南部の調略は順調とのことです。
また、いくつか密約も結びましたので、後日に承諾が欲しいとも。
御
「さらに陛下の大叔父上様――ギヨーム様が、
「……え? 挙兵じゃなくて? 東部を目指しての?」
「建国に御座います。また軍事行動は確認されず、と」
……まるで意味が解らない。
いや、建国はできる。それこそ誰にでも。
時代の下った絶対王政と違い、血筋や教会の承認などの必要条件はない。
力と支配地域さえあれば、誰でも好きに王を名乗れる。……他の王に分らせられるまでの間は。
「さすがはギヨーム様に御座います! ついに本懐だった旗揚げを為されるとは!」
……なにいってっだ、ポンピオヌス君? でも、しかし、そうなの!?
どちらにせよ王太子との決別を意味する。
いや、東部への作戦を放棄してだから……明確な敵対行動?
そしてドゥリトルに――
だが、そうすると王太子は敵中で孤立した上に、退路と補給を断たれた状態では?
しかし、その思い付きを検討する間もなく、立番中の
「シスモンド筆頭百人長が御目通りを願い出ております。御通ししても?」
……こんな夜更けになんて、おそらく悪い知らせだろう。いやな予感しかしない。
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