続・妻問い語り
この時代に薔薇なんてあるのかと、もしかしたら首を捻られるかもしれない。
しかし、薔薇は古代エジプトの頃から人類に愛されてきたし、かの暴君ネロなんかは薔薇狂いで有名だ。
まあ、さすがにモダンローズ――近代の改良種は存在しないけれど、オールドローズ――近代以前の園芸種は沢山ある。
中でも『ロサ・ガリカ』は、ずばり『ガリアの薔薇』を意味するし。
が、あらゆる薔薇は夏に入手が難しい。
なので秋咲きのガリカ種を急かして貰い、なんとか花開いてくれたものを。
そこから鮮やかな紅だけを――ポンドールの髪と同じ色のを選り集めた。
……なんと植木職人からは秋の売り上げ保障を求められ、ざっくり庶民の年収に匹敵している。
たかが花束に現代の価値で数百万と聞き、呆れた方も居ろう。けれど花束の真価を突き詰めてしまうと――
値段と入手難易度らしい!
その女性に喜んでもらう。
だだ、それだけの為に、どれだけ苦労を惜しまず、時間を注ぎ、散財をできるか。
つまり、問われているのは心意気であり、花束や指輪など贈り物そのものはオマケに過ぎない……という。
もちろん値段などの絶対的価値より『給料の三か月分』などの――相対的価値の方が重視されるし、贈り物も実用性が無ければ無いほどに高く評価される……そうだ。
もう最終的に『君が喜ぶまで、僕は散財するのを止めない』と腹を括ってしまえとすら!?
人に依っては無茶苦茶とも思えるだろうけども、しかし、却って僕には判り易かった。
何度も繰り返すようなことじゃない。とにかく一回かそこらの成功でいいなら――
持ち得る全てを注ぎ込んでしまえば済む話で、実に簡単明解だ。
しかし、渾身の花束にポンドールは蕩けかけるも、思い出したかのように口を尖らせる。
……拙いな。予想以上に状況は悪い。なんというか……これは大変そうだ。
「旅行にでも、いくところだった?」
間の悪いところを見つかったとばかりに、目も逸らす。図星か。
「……しばらく
薔薇の花に見蕩れながらもポンドールは、こちらがギクリとすることを口にした。
もしかしなくても間一髪だったり? 数日遅かったら、もう旅の空だった可能性すら!?
「な、なんで勝手に、そんなこと決めちゃうんだよ!」
「勝手に!? いちいちリュカ様にお伺い立てんでも、うちはうちの行きたいとこへ行きます! 召使ちゃうのやさかい!」
「それはそうだけど! だからってポンドールに居なくなられたら、僕は困る!」
一瞬、ポンドールは表情を綻ばせ掛けるも、また、すぐに俯いてしまった。
「……お金ですか? なら大丈夫です。準備はしときましたさかい。
リュカ様を――その鞘の持ち主を、
ドゥリトル中の――いえ、ガリア中の商人が、なんぼでも用立ててくれます」
衝撃の事実に腰を抜かしそうになったけど、いまは後回しだ。
「そんな話してないよ! いや、吃驚したし……それはそれで、ありがとうなのかもしれないけど……そんな話をしに来たんじゃない!
お金とか関係なく、ただ、そばにいて欲しいから! それでポンドールを迎えに来たんだよ!?」
「せやけど、リュカ様は、あの
……絶望させたのは、やはり僕自身か。
ポンドールは帝国寄りの教育を受けている。従って倫理観も、ごくノーマルな一夫一妻制だ。当地の慣習と説明されても、それで納得は難しいのだろう。
しかし、
……そう考えたところでポンドールにしてみれば、狂っているのは
「うちも、あの
堪えきれずに漏らされた嘆きは、僕を含めた当事者の全員を憐れむかのようで――
気付いたら抱き寄せていた。
それも驚き
「ポンドールが正しい。間違っているのも……そして悪いのも僕だ。でも、まだ君の気持を聞かせて貰ってない。
ねえ、ポンドール? 僕のことが嫌い? そう言わない限り……僕は諦めないよ」
互いの鼓動を聞かせ合う沈黙の末に、とうとうポンドールは泣き出してしまった。
それから静かに――そして泣き顔を隠すようにして、僕の胸へと埋める。
「……そんなん訊くのは……ズルい」
ポンドールが泣き止むまで、僕はジッとしていた。
もしかしたら僕らは、こんな風に身を寄せ合いながら、お互いに傷つけあったり、温め合ったりするんだろう。
おそらくは死が二人を分かつまで、ずっと。
今日という日を、僕自身の才覚だけで迎えていれば、それなりの自負ともなりそうだけど……当然に違う。
義姉さんから――
「ポンドールは何も言わずに身を引いて、どこかへ隠遁とかしちゃうタイプ」
との警告を受け、慌てて覚悟を決めた。
なんとも情けない限りだけど、それでポンドールを喪わないで済んだのだし、まあ感謝するべきか。
それに切っ掛けでもなければ、一生覚悟を決められなかったかもしれないし。
でも、こうなってくるとグリムさんについての忠告も信憑性を帯びて――
そこでポンドールに鼻を抓まれた。
……泣き腫らした目で下から見上げられると、かなりの迫力だ。
「いたひ、なにをすりゅんだよ!」
「し、仕方ないから……お、お妾さんになってあげますわ! 特別に! ついでに
せやから、うちとおる時だけは、他の
ポンドール的に譲れないことなのだろう。
しかし、早くも苦労させてるというべきか、それとも僕の教育が開始されたというべきか。なかなかに判断は難しい。
「わ、分ったよ。あー……善処する。でも、デュノーの面倒って?」
「どうせ、またお金が足れへんのでは? てっきり今日は、そのお話かと」
まるで甲斐性無しなヒモ男の如き扱いだ。
これでもポンドールが世界一の御金持ちになれるよう、色々と知恵を授けてるのになぁ。
……まあ、その稼ぎを当てにしてないといったら、それはそれで嘘になっちゃうけれど。
「そ、そりゃ……ちょっとだけ……手元不如意では、あるけどさ! 仕方ないだろ! この前に数えたら、王城を含めて十以上も築城するんだから! そんな大金をポケットに入れてる人なんて、いる訳がないよ!」
「せやけど、うちの懐にはあるはずと思うてますよね?」
関係ないけど『沈黙は金』って、実に名言だ。ポンドールにも「てへぺろ」と笑いかけて誤魔化す。
「嗚呼、お義姉はんの言う通りやった。いつかうちは、この笑顔で身を滅ぼすのや」
……ね、義姉さん!? というか僕は、女の子達の間でどんな評価なの!?
しかし、それをツッコんだら藪蛇か。ここは話題を変えるのが吉だ。
「そ、そんなことより! この鞘の持ち主を
「言葉通りの意味です。それを担保にすれば、少なくとも金貨十万枚は借り受けれます。どこの大店でも、それくらいは用意できるでしょうし」
「そ、そんな馬鹿な!? それに……一体全体、どうやって!?」
「うちが必ず返しに行くと、目ぼしいガリアの大店に約束しとるんです。
その……お義父はんみたいなことになったら、その鞘を質草に必要なお金を……」
そりゃ確かに現地で本人が融資を受けられれば、虜囚の憂き目に遭おうと帰ってこれる。
つまるところ原始的なブラックカードで、この小さな赤い宝石が飾られた鞘の値段というより、
さらに『エクスカリバーの鞘』を思い起こさせられた。
伝説に拠れば魔法のアイテムであり、その効能も「どれほど傷を受けても治る」とされ、持ち主に事実上の不死性を与える。
もちろん、そんな伝説上のアイテムに比肩はできないけど……ポンドールの鞘も一回や二回の負けなら、その融資能力で無効化できてしまえそうだ。
そう考えると、もはや魔法のアイテムにも近い。……下手に乱用したら、
しかし、宝剣エクスカリバーの鞘だから、こんなことを思い付いたのか……またも伝承の
ただ古くから『男の持ち物』は換金能力が全てともいう。
金ピカで趣味の悪い装身具だろうと、下賜すれば相手は喜ぶし、それで窮地を脱することだってある。
踏まえるとポンドールの鞘は、その究極な一つともいえて――
……もの凄く手柄顔なのが腹立つ! さっきまで泣いてたのが嘘のようだ!
おそらくは「自分が居なくなっても、この鞘が僕を守ってくれる様に」とか考えたに違いない。
そりゃ、ありがたいけど! でも、そんなこと考えるより、勝手に居なくなろうとするなよ!
「そういえば、まだ答えて貰ってない」
「へ? なにをです?」
「僕のことを『どう思っているか』にさ」
みるみる間にポンドールは顔を赤らめ、さらには自分が抱き寄せられたままなのも思い出し、やにわに
「き、嫌いやない! 嫌いやないですぅ!」
「答えとしては、曖昧過ぎやしない?」
「い、意地悪や! ホンマ、リュカ様はいけずばっかりで!」
顔を真っ赤にしての猛抗議は、しばらく続いた。
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