選王侯たち

 出迎えに遣わした騎士ライダー達を従え父上は、粛々と凱旋を果たされた。

 正にドゥリトル最良の日といえたし……足掛け六年にも及んだ遠征も、これにて終結だ。

 この慶事に城の倉からエールや蜂蜜酒ミードの大盤振る舞いをした。

 そして街の人々も心得たもので、各々で思いおもいの料理を持ち寄って、さらに祝宴を盛り上げる。

 僕らは勝った訳でもないし、ましてや負けた訳でもない。

 でも、領主たる父上が帰還し、長かった戦争も終わり、ついには侵略者を退けた。

 それで十分だろう。いや、むしろ勝ち負けより大事だったり?


 しかし、果て無く続きそうだった宴も、日暮れと共に人が散っていく。

 まだ春先で夜は肌寒かったせいもあるけど……長く不在だった父上の無事が確認できて、誰も彼もが人心地ついてしまったのだろう。

 斯くいう僕だって――

「これで年相応に従士としての修練を開始……かな? なら、なにか師匠ウルスを誤魔化す算段を考えないと! ……いっそのこと姉弟子ブーデリカに泣き付いちゃう?」

 などと暢気していたし。



 が、そんな見通しは蜂蜜より甘いといわざるをえなかった。

 貴人用の談話室サロンへ落ち着くなり、父上が政治的発言をされたからだ。

「フィリップ王には御挨拶せず戻ったけど、それで良かったんだよね?」

 ……開口一番が、ですか、父上!?

 いや、さすがに僕ら親子の再会は、もっと情熱的だった。

 父上と母上なんて人目も憚らず熱い抱擁と接吻を交わし、僕なんて顔中にキスされまくっている。……さすが感情表現が豊かと名高いガリア人フランス男だ。

 でも、それからは公務に集中とばかり領民へのアピールに専念されていた。

 今日ぐらいはササっと自室へ籠って、私人としての時間を過ごしても罰は当たらないような!?


「冒険は避けるが正解じゃろうな。……フィリップ王だけは、いまだ考えを読めぬ」

 そうに受けたのは、マレー領が先代ソヌア老人だ。

 なんだってドゥリトルまでついてきたのかと思えば、この会合が目的だったらしい。

「気まぐれなだけであろう。あやつは、じっくり落ち着いて考えられんのだ」

 すげなく王を斬捨てたのは、ゼッション領が先代ロッシ老だ。

 どうやら老人達は、父上に話があるらしい。

 でも若夫婦の暫くぶりな逢瀬に水を差すなんて、少し涸れ過ぎてやしないだろうか?

「背の君が王都に足止めされては、せっかくの金策が水の泡です。吾子も苦労されたのですよ?」

 意外にも母上は、この招かざる客人達を迷惑とは思ってないようだった。

「ありがとう。苦労を掛けたね、二人とも。本当に助かったよ。

 ――嗚呼! 見て下さい、まだ少年だというのに、この利発そうな顔! 僕の! 僕の息子なんです!」

 またも感極まれたのか父上は、借りてきた猫の様だったフィクス領の騎士ライダートフチュを相手にひけらかす。

 ……父上? 僕が父上の息子なのは、この場の全員が知っておりますよ?

スペリティオ侯ベリエはどうしたのだ?」

「ライン南岸に、自分も城の縄張りをするといって聞かんかった。坊の真似をするつもりらしい。そのうち強欲で身を亡ぼすぞ、あやつは」

 なるほど。領内の独立騎士ライダーをライン南岸へ追い払いたい? ……そんな泥縄の手順で、上手くいくかなぁ?


「フィリップ王といえば……吾子、ドゥリトル宛に書状を頂いております。

 王太子殿下の課したトロナ税が未納な件と、借金の無心ですね」

「……はい?」

 父上の身代金を用立てられず申し訳ないとか、いつか必ず支払うとかでなく……借金を頼み込むの!? さらには自分は関与してないトロナ税を徴収!?

 僕の驚愕に、二人の老人は雄弁な溜息で応える。

「坊よ。わしらは王を選ぶ余裕を与えられなかったのじゃ。そうせねば、すぐにでも帝国が攻めてきそうな情勢だったでな」

「しかし、それで遅らせれたのは数年に過ぎん。やはり、我らは間違えたのよ」

 世代の近そうな騎士ライダートフチュも難しそうな顔をしてるあたり、即位を巡って色々あったのだろう。

 ただ、どうやら『最も揉めずに済む候補だった』が決め手の様で、残念ながら昏い結果を招きやすかった。史実でも、禍根となった例は多いし。

 そして知見の無い人を悪く評価はしたくないけど、しかし……――

 もしかしてフィリップ王は、『無能な働き者』タイプ!?

 いままでも狙ったかのように『すべきではないこと』や『しない方が良いこと』、『やったら駄目なこと』を固め打ちだったし!?

 だとしたら味方になるのは御免だ! 一蓮托生に足を引っ張られかねない!

 というか……それで、よくビゾントン帝国東ローマを追い返せたよね!? 『無能な働き者』かつ『ラッキーマン』とでも!?


「王太子殿下からは、吾子に北ガリア王即位の祝辞が……」

 ……どういう意図だろ? ブラフ? それとも嫌味?

ノワッセル卑劣者も、とんだ見込み外れよ。あれが真っすぐに育ってくれさえすれば、なにも問題はなかったものを」

 おそらくは王太子のことだろうけど、さすがに吃驚してしまった。

 いまや王太子は政敵だ。そして敵対者を汚い仇名で呼ぶ流儀もある。

 でも、なんというか武人然としたロッシ老には、相応しくない感じが……――

「……うん? もしや坊は、王太子の名を知らぬのか?」

「あー……はい、そうです。どうしてか誰も、その名を口に……――」

 ……まさか? ロッシ老は悪口をいったのではなく、ただ本名で呼んだだけ?

 つまり、本当にノワッセル殿下なの!?



 子供に汚い名前を付ける習慣も、散見できなくはない。……なんと世界規模で。

 しかし、それは悪霊の類から我が子を守る呪術的な祈りだ。

 また幼名を使用する文化圏に――大人になったら、名を改める社会に限る。

 そしてヨーロッパは違う。生まれた時に付けられた名は一生ものだ。

 いくら通名の習慣――本人の名乗りを重視な文化といっても、あまりに酷い。


 暗黒、腹黒、あくどい、卑劣――我が子に、そんな意味の名を与えるなんて、どういう了見だろう?

 厨二的キラキラネーム、幼稚な悪ふざけ、すべったギャグ……それらによく似ていて、微妙なズレに悪意すら疑いたくなる。

 もう常人には理解しがたい感性だったし、正真正銘の『名前を呼んではいけないあの人』か。

 ……暗黒殿下なんて呼び習わしてたら、不敬と思われ兼ねない!



「ノワtt……王太子殿下なら、厳重な抗議かと思うておりました」

「あの者は、読めたり読めなかったり……こちらを見透かされてる気分じゃ。

 坊よ、王太子は油断ならぬ御方ぞ?」

 ……ソヌア老人、貴方もか。

 こうなってくると父上に、王太子殿下の人物像を御聞きするのが怖くなってくる。

「どちらにせよノワッセルでは、我らに向かぬ。あれの本性は、なにもかもを焼き尽くす炎であろう。

 敵として焼かれるか、友として焼べられるか……どちらにせよ、近寄る者を焼かねば済まぬ性質よ」

 ロッシ老の人物評は、抽象的過ぎて難しかった。でも、その分だけ伝わるニュアンスもある。

 ……おそらく友として焼べられたのが、騎士ライダールーだろうし。


「で、どうするのじゃ、レオン? いまや決定権は、御身の手中よ」

「……我らとて、二度も王を選び損ないとうはないぞ?」

 老人二人の言葉に、やっと理解が追いついた。

 この場は王を選ぶ会議か!

 やはり有力領主の承認が無ければ、北ガリアなんて成立し得ないし……当然に口を挟んでくるに決まっていた。


 しかし、この場で父上は北ガリア王を辞されると思いきや――

「……そうですね。もう少しだけ、御時間を頂けたらと。どうやら僕は鈍ってしまっているようですから」

 と想定外なことを御答えになられた。……でも、鈍ってる?

「皆には『考えるまでもないこと』を――王に拝謁するべきかを、僕は真剣に悩んじゃってたからね、リュカ。

 そういうズレは、あまり好ましくないよ。特に重大な決断の折には」

 ……なるほど?

 まあ礼儀に則れば、王に御挨拶して当然だ。なんといっても主君な訳だし、政治的な大失点となり兼ねない。

 だが、いまや無用なリスクというか、何のメリットもない行為だろう。……下手をすれば逮捕や監禁すらあり得たし。

 そして明確な悪手に悩んでしまっていたなら、わりと大問題だ。

 なぜなら思考的に周回遅れの可能性がある。……『考えるまでもないこと』を重視とは、ようするに思考時間リソースを無駄使いの証拠だし。

「まあ、そのうちに勘は戻ることでしょう。これでも僕は、ドゥリトルの男ですしね。

 それに! そんなことより! まずは愛する家族との喪われた時間を取り返さないと!

 そうだ、リュカ! クラウディアディと一緒に鹿狩りへ行こう!

 僕は息子と鹿を狩りに行くのが、長年の夢だったんだ!」

 その尤も過ぎる父上の要求で結論は、いったん先送りとなった。

 ……残念ながら、もうしばらく北ガリア王太子(仮)でいなきゃ駄目らしい。

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