転章・夜想
……なにが拙かったんだろう?
発想に間違いはなかったはずだ。
フィリップ王や王太子の動向、さらに最終的な目的も探れていない。諜報戦において、大きく後れを取ってしまっていた。
しかし、だからといって何もしないのは、最低最悪の選択だ。時間だけが無駄に過ぎてしまう。
そこで相手の意図や状況が関係しないことを始めた。
つまり、守備固め――あるいは陣組を。
攻めるより先に、まず自陣を整えておく。将棋などでは、当たり前すぎるほどの
また将来的に東部だろうと西部だろうと――どの勢力だろうと事を構えた時に、ゲルマンの南下が被ってしまったら最悪だ。
二方面作戦を強要され、実質的に挟み撃ちとなって絶体絶命の窮地へ追い込まれてしまう。
なので態勢を整えつつ、後顧の憂いも断つことにした。
誰だって
でも、結果は御覧の有様だ。
ライン河口をポンピオヌス君
それは「相手に――敵対的勢力にやられたら困ることは、先回りして自分がやってしまう」で――
ライン河口にゲルマン系の都市を築かれたくないのなら、先にガリア系で占めてしまえばよかった。
なんといってもライン河口は、一つしかない。ようするに早い者勝ちだ。
そして前々から考えていたライン川防衛構想とも連結させ、下ラインを疑似的な天然城壁とする。
この過程でポンピオヌス君
ドゥリトルも新参の各領に大きな貸しを作れるし、北部同盟での発言力も増す。
……僕の考えていたのは、その程度だった。しかし――
なぜか下ライン南岸の長たちは、こぞって僕と主従の誓いを求めて!
ライン南岸まで北部同盟の勢力を広げようとしたら、王様になっていた。
理解できないと思うけど、それは僕もだ! 嗚呼、父上に、なんとご報告すれば!?
この問題の厄介なところは、僕が王となっても、北部同盟に利のあるところか。
なぜなら、これからはライン南岸諸領がゲルマン南下の矢面へ立つ。そして北部同盟は、その後衛となるのだから――
手間や経費は変わらずとも、その実害は激減となる! 下ラインを緩衝地帯と見做せるからだ!
さらにラインより南が安全地帯となれば、それは好機到来といえた。
なぜなら北ガリアには、まだ誰のものでもない未開拓地が残っている!
構想通りにゲルマンの南下が止まるのなら、それは開拓の――領土拡張のチャンスに他ならない!
未曽有の――そして数十年は続くボーナスタイムを前に、有名無実の玉座なんて些事でしかなかった。
……いや、違うな。そうじゃない。それでは現実から目を背けている。
月明かりの下、硝子杯を眺めながら自分自身と向き合う。
北ガリアの玉座問題なんて、実は簡単な話だ。
もうすぐ父上が御戻りになられるし、僕も包み隠さず説明するだけでいい。
慎み深い父上なら、こんな流れでの即位は辞されるに決まっていた。
僕は僕で「父上が駄目ってゆったから」と都合よく年相応に涙目で通せば済む。
それで北部ガリアの困った新君主達も、自らを恥じつつ納得するだろう。
……そう。だから僕が沈んでいるのは、違う理由だ。
いままでも僕は、人を殺めてきた。誰かに命じてだけでなく、自らの手でも。
だが、全ては降りかかる火の粉を払ってきただけだ。正当防衛でしかない。
しかし、北方征討は違う。完全に自らの意思に基づいている。理詰めで価値ありと判断し、冷徹に侵略戦争を起こした。
ようするに僕は――
人殺しなだけでなく、勝手に他人の命を
最低最悪の人でなしだ。
しかし、それを悲しむ涙すら涸れ果てている。ただ鈍い痛みと共に、なにもせず酒杯を眺めるだけだ。
そして後悔もない。
この戦争で敵味方を含め、軽く千人は死んだ。……いや、僕が殺した。
そして五千人前後が、その身を奴隷に――長期に渡る
それらは全て、北部に平穏をもたらすためだ。
ざっと北部全体で五十万人ほどだろうか?
彼らの幸福や安全と、ライン南岸に住むゲルマンの命を……僕は天秤に掛けた。
それは多数を生かすために、少数を殺す――九十九を手にするために、一を犠牲に捧げたも同然だ。
ゆっくりと絶望で満たされていく。それが良く分かる。分かってしまう。
きっと僕は、また同じ選択をする。
細かな状況が違うだけで、やはり多数の為に少数を……いや五十一と四十九のような微差であろうと、きっと迷わない。
そうやって人間性をすり減らし続けるのだろう。いつの日にか、自分が少数として切り捨てられるまで。
心の無い怪物か、あるいは道徳マシーンにでもなれば、もっと楽かもしれない。
……数多の指導者が宗教を狂信したり、酒に溺れる理由が良く分かってしまった。
おそらく素面のままでは――なにかに縋り、そして狂わねば耐え切れなかったのだ。
月明かりに硝子の酒杯が美しく輝いてみえた。
どれだけ眺めていたことだろう。
気づくと硝子杯を取り上げられ、その中身も窓の外へ投げ捨てられてしまった。
誰かと思えば『西海の総領姫』ことネヴァン姫によって。
「ネヴァン姫!? このような夜更けに!?」
「何度か御声をお掛けしたのですけれど……御耳に入られなかったようで」
なぜか哀しそうな顔をしている。心配させてしまったらしい。
「まだ僕に晩酌は早いと思う?」
「そんなことは……でも、何か飲み物が御入用でしたら……」
答えを待たずネヴァン姫は、火鉢へ薬缶を掛けた。何か淹れてくれるらしい。
……なんであろうと睡眠薬としての酒よりはマシか。
未開の時代、人類は多相睡眠――回数を分けて眠る習慣を持っていた。
日没してしまったら何もやることが無いので、日出まで寝ている他ないのだけど、さすがに冬季は長い。朝まで起きないのは、むしろ才能が要求される。
それで真夜中に小一時間ほど起きていたというか……今生でも、一部の大人は起きてる。
おそらくネヴァン姫も夜の散歩と洒落込んだら、ぼんやりしていた僕を発見とかだろう。
「私、母を早くに亡くしておりまして……それで父は、遠縁の貴婦人に私の教育を頼ったのです」
突然に始まった身の上話に吃驚してしまったけれど、それでも励ますように笑いかける。
……それが礼儀というものだし、一目で一生懸命なのも分ったからだ。
「その御方には、一般常識から礼儀作法に至るまで――なにからなにまで御教授して頂けましたし、たいへんに感謝もしております。
ですが親しい仲も、あの御方が――御姉様が妻子ある殿方と、道ならぬ恋に落ちてしまわれるまででした」
もちろん中世の一般的な道徳観では男女関係なくアウトだし、
大らかそうなイメージの古代ローマですら、女性の不倫には厳しく当たっている。
「私は御姉様から御教え頂いた通りに、御二人を罰しました。
……まだ恋の熱情を知らぬ小娘だったのは、不幸中の幸いだったかも知れません」
親代わりに等しかろうと、未来の女主人として示すべき範がある。ネヴァン姫は何も間違っちゃいない。
しかし、僕が口を開くより先に、ネヴァン姫は言葉を繋ぐ。
「同情や慰めは結構ですのよ、リュカ様。然るべき務めを果たしただけですし……私の哀しみは、私だけのもの。
リュカ様のお苦しみを、私には分かり兼ねるのと同じで」
それはそうだろう。
もし「貴方の気持ちは分かる」なんて訳知り顔でいわれたら、納得できないどころか腹が立つまである。
「ですが寄り添うだけなら……私にでも叶うかもしれません」
挑むような表情でネヴァン姫は、淹れ終えた珈琲を給仕してくれた。
なにか答えるべきだったのだろうけど、思うように言葉がでない。ただ沈黙に身を任せる。
……珈琲は僕好みで濃かったのに、それでいて甘かった。
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