地方での物理的な権謀術数
病床というのものは、否応なく人を憂鬱な気分にさせる。……その主が元気一杯であろうともだ。
「ちょっ! 義兄さん! 横になってなよ! 怪我してるんだから!」
「でも
いつのまにやらサム義兄さんは、社会人的な礼儀を身に着けていた。
……ほんの少し前までは、どこにでもいる腹ペコ小僧だったのに。なんだか自分だけ置いていかれたような気分だ。
しかし、さすがに動けるような状態ではなく、身体こそ起こしたものの胸を押さえて呻きと涙を堪えていた。
折られた肋骨が痛んだのだろう。あれはジッとしてると平気だったりするから、安静が習慣となるまでは地獄だ。
「……大人しく寝ておれんのか」
見舞うティグレは呆れた様子で弟子を窘めつつ、無言でレト義母さんへ頭を下げる。
そして義母さんも義母さんで、無言のまま頭を下げ返す。
ティグレは謝らなかったし、レトも責めなかった。それが
生死に係わろうと結果を黙って受け入れる。これが
「事情は覚えておるか?」
「もちろんです。頭は打たれませんでしたから! 相手は二人組で、どちらもローブで顔を隠してました。そして主従なようで――というのも一人は、身なりが良かったからです。あと、まだ若いように思えます。俺とたいして背丈が変わりませんでしたから」
「つまり、貴人? 貴族? 貴公子? ……あるいは王族?」
王族は拙すぎる。色々と符丁が合い過ぎていて、不吉な予感しかしない。
「その『謎の貴公子』ですか?については、後で考えましょう、若様。――して、もう一方は?」
「そいつも品のない感じではありませんけど……とにかく腕が立ちました。さらに左利きだったんです! そして……そして、おそらくは
「確かか?」
「亡き父の名誉に懸けて!」
この時代、まだ流派なんてものは存在しないけれど、お国柄というか――ルーツ程度の特徴は存在していた。
そして剣匠の弟子たる義兄さんが断言するのであれば、少なくとも相手は同国人となる。……正直、厄介だ。
「しかし、左利きでサムソンを打ち倒す腕前? それも近隣の出で?」
左利きを忌避する風潮はキリスト教の影響も強いのだけれど、それ以前からも歓迎されていなかった。
なぜなら戦列を組むには、全員が利き手――剣や槍を持つ手を合わせる必要があるからだ。
よって矯正されずに左利きのままな
「ま、
「なにが問題なくだい、この馬鹿息子! あれを見てごらん、みっともない大穴を拵えちゃって!」
我慢も限界とばかりな義母さんの指し示す先には、脇腹の辺りを大きく切り裂かれた鎖帷子が掛けられていた。
それは軍事用というより着込み――服の下へ隠し着るようなタイプで、軽めで薄いのが特徴だ。
鋼鉄の針金を量産できるようになったばかりだし、まだ試作品の域を脱してないけど……義兄さんに預けておいて大正解といえる。
「このような薄い鎧でも……サムソンのように、常に御屋形様や若様の御傍に控える者達には、役に立つのかもしれませぬ」
専門家の顔でティグレは首を捻っているけれど、実際、着込みタイプの鎖帷子は中世末期に衛兵などが愛用したという。
圧倒的な効果は見込めなくとも、今回のように死亡を怪我へ変えられるのなら、それなりに価値はあるはずだ。
「そうかもしれませんけど……肝心の本人が、功に焦って若様から離れてちゃ」
「功に焦ってたりするもんか! 俺はただ、二階から飛び降りる人影を目にしたから! 他には誰も気づかなかったみたいだし!」
「だからって勝手に若様の御傍を離れたら駄目じゃないの! いざという時、誰が若様を御守りするのさ!」
……これは手厳しい。やはり紛う方なくレトも
「御母堂殿の御指摘は正しい。そして俺と従士サムソンは、また一から修練の積み直しだ。このような失態、繰り返す訳にはいかぬ」
「はい、
なぜだか師弟二人組も、妙な方向へ張り切っちゃてるし!
そしてティグレが引き上げ、腹が減ったと騒ぐ息子に根負けしたレトも席を外したかと思ったら、今度は少年達が押し掛けてきた。
「思ってたより凹んでないな。元気そうだ」
「元気な訳ないだろ、肋を折られちゃってんのに。それに手ぶら? 見舞いの品ぐらい持参するものだろ、礼節を弁えてれば」
同僚たるルーバンの憎まれ口に、義兄さんも負けじと言い返す。
「義兄さんの冗談だよ、ポンピオヌス君。外交大使じゃあるまいし、親しい仲に贈答品なんて不要だよ」
真に受けてモジモジしだしちゃったので助け舟を出しておく。
「ところで何を食べてんだ?」
「よく分からないけど、リュカが食べておけって。まるで味がしないというか……蝋燭みたいな感じというか……何針も縫われたり、沁みる薬で何度も傷口を洗われたり……けっこう散々なんだぜ」
義兄さんは不満たらたらだけど、この時代にあっては貴重な天然抗生物質――蜂ヤニだ。文句を言うのは、ちょっと贅沢過ぎるだろう。
「沁みる薬で傷口を洗うのは……あー……悪い風が傷口から入らないようにね。薬の方は敗血症の予防で……うー……ようするに万能薬だよ」
抗生物質は事実上の万能薬だから、まあ嘘でもないだろう。
「万能薬だって!? もしかしたら貴重な物なんじゃ!? 俺なんかに使わず――」
「ああ、いいから! そんなに量が無いのは事実だけど、まあ何とかなるよ! 口からも血を吐いてただろ? どこか内臓――おそらく肺から出血してるだろうし、念の為にね」
といっても重度の肺挫傷だったら呼吸に異常が発生している。おそらく軽傷だろう。
それでも色々な合併症が怖いので、やはり投薬はしておくべきだった。
「……ありがたく賜っとけ。悪い風が入ったり、血を吐いたりは……あまり良くないんだ」
ルーバンも武門の子弟らしい忠告を口にする。親族が専門家だらけだと、そういう事例も目にして育つのだろう。
「血塗れのサムソン殿を見た時には、肝を潰してしまうかと。しかし、どうやら命には別状なき御様子。安心しました」
「
またルーバンの意地悪な混ぜっ返しかと思いきや、そうではなさそうだった。
「なんで
「若様の
「しかし、相手は
ポンピオヌス君の指摘には、全員が首を捻らざるを得なかった。
そうなる……のか?
確かに『左利きの達人』が
「ティグレが引き摺りだしてくれた死体……あれは『銀鳩屋』の番頭らしいんだよね」
不審者の洗い出しに評判の悪い酒場を強制捜査したら、そこで『謎の貴公子』や『左利きの達人』、王と親交の厚い商人の手代と……色々と符丁の合い過ぎる組み合わせと鉢合わせになった。
そしてフォコン達が捕まえてくれた破落戸も、ようするに政治犯罪の常習者で、無関係ではないはずだ。
今回が
正直、きな臭すぎた。もう不穏でしかない。
まだ素性は知れないものの、おそらく相手は国内の勢力だ。
しかし、すでに非公式な調査や内偵などの範囲からは逸脱してしまっている。
なにより放火や武力行使すら厭わないのだから、相手は本気だ。……あるいは本気にさせてしまった。
宮廷内の政治に絡み、父上が何かされてるのだろうか?
そうだったとしても、ここまでやりたい放題に暴れられては、僕だって黙ってはいられやしない。
義兄さんの分だけでも、この落とし前は……――
「リュカ、怖い顔になってたぞ?」
皆を代表した義兄さんに窘められてしまった。
「……ごめん。考え込んじゃってたよ」
「まあ、いいけどさ、いつものことだし。でも、独り占めは駄目だからな? きょうだいは何であろうと分かち合うべきだ」
そう義兄さんはお道化るけれど、いわんとすることは分からないでもなかった。誰が一番に腹を立てているかといえば、やっぱり義兄さんだろう。
「全然懲りてないのな! そういうのは治ってから考えろよ」
「しかし、意気込みとしては、正しいのではないでしょうか? かえって治りも早まるかと!?」
例の如くなポンピオヌス君の発言に、堪らず僕らは吹き出してしまった。……義兄さんは痛みに呻きつつ。
でも、確かに意気込みとしては正しい。必ずや相手には報いを受けさせよう。絶対に。
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