もう一つの民族大移動

 冬にしては珍しく晴れ渡り、日差しの気持ち良い朝だった。

 ……僕の心象風景と裏腹に。

 あの後、賠償金に金五百キロ――前世史の貨幣価値へ換算して十億円前後を約束した。

 もちろん戦後賠償金などというものは、基本的に踏み倒される。

 今回だって後払いとなった分は、なんだかんだと言い逃れるつもりだろう。

 それでも半分以上は用意しなければ、まとまる話もまとまらない。

 しかし、困窮を理由に戦争を始めたベザグモウ・ホラーツの連合が、半分としても金二、三百キロ相当の大金を用意できるのか?

 そう思われる方も居られるだろう。

 可能だ。それも一般的な見解として。



 かなり乱暴な査定ではあるものの古今東西、奴隷一人の値段は庶民の年収で半年から一年分に相当した。

 前世史の貨幣価値へ直すと二百万円前後だろうか。

 そして賠償金の半分――約五億円相当を奴隷の売却で捻出しようとしたら、約二百五十人となる。

 もちろん、相場二百万円は普通の――特別に優れていたり、特殊技能を有していない成人男性の場合だし、売却価格は市場価格より常に低い。

 ……反対に見目麗しい女性などは、この十倍以上の高値で取引されることもあるが。


 そして今回の戦争をホラーツ族の立場で考えると、実は傍観も許された立場だったりする。

 確かに南征と聞いて魅力は感じたかもしれないけれど、結局のところベザグモウ族の持ち込み企画だ。彼ら自身に強い動機はない。

 それまでの友誼や同胞の苦境を思いやったりもあったのだろうが、しかし、敗戦となったら話は変わる。

 彼らも冬を越さねばならない。賠償金を半分受け持つことすら、拒否したいぐらいだろう。

 ただ幸か不幸か、両部族間の格付けは済まされている。……考えるまでもなく故郷を追われ根無し草なベザグモウ族の方が、圧倒的に立場は弱い。

 おそらくベザグモウ族の壮健な男は、ほとんどが奴隷として売り払われるだろう。……女子供の安全という約束手形と引き換えに。

 だが、そこまでして残された彼らも、そう大切には扱われぬだろうし、代を経るごとにホラーツ族へと吸収されていく。

 つまり、ベザグモウ族は滅ぶ。

 いや、滅ぼされた、が正しい表現か。……他ならぬ僕によって。当初の予定通りに。


 結局のところ『奴隷制度』と『人を動産と見做す考え』はセットであり、なんとしてでも慣れねばならなかった。……カーン教が必死に改善しようとしていてもだ。

 なぜなら世界全人類の七割以上が奴隷かそれに類する身分な時代だし、その前提で世の中も回っている。

 中世の感覚では民衆ですら土地に付属するであり、実際に売り買いもなされた。

 この観点だと人口十万のドゥリトルは、資産だけで一千億円は下らない規模だ。

 経済学という観点からも、この人身売買から目を背けるのは、むしろ危険ですらある。

 ……気に食わなかろうと『ある』のだから、対応せねばならない。



 ついには同胞を売る羽目へ追い込まれるのなら、焼き払われていても故郷へしがみついて、なんとか一族を存続させた方がマシだった。

 しかし、暖かい南の新天地という希望は、魅力的に映ってしまう。誰しもの目を眩ませるほどに。

 手持無沙汰に大天幕の解体を眺めながら、そんなことを考えていた。

 ……シスモンドのいう通りだ。

 戦争なんて下らない。どこまでいっても馬鹿比べだ。喪う色々を嘆いていたら、とてもじゃないけど正気じゃいられない。

 ……それでも負けられないのが、武家の宿業か。

 レイルの街は渡せなかった。

 直接にドゥリトルへの侵略ではないといっても、結局のところ同じだ。看過すれば、より多くを喪う。守る以外の選択肢はない。

 ……その結果として敵が――ベザグモウ族が滅びようとも。

 行きは煩いぐらいにシスモンドが話しかけてきて、色々と思い悩まず済んだのに、帰りとなった途端に静かだ。

 なんだろう? ああいうのはビジネス問題人物とでも呼ぶべき?

 ……意外と、まだ恥ずかしがってたりして? だとしたら見かけに拠らずナイーブなおっさんだ。


 気持ちを紛らわすのに足元の小石を蹴りかけ、僥倖にも落とし物に気付けた!

 いつの間にか指揮杖へ結わい付けられた御守りを落としている!

 しかし、慌てて拾ったものの、なぜか見覚えがない。特徴的というか、けっこう大きいので見間違えないはずなのに!?

 念の為、とりあえず指揮杖へ結わい付けられた分を数えてみる。

 義姉さんの、エステルの、ポンドール、グリムさん、ヴィヴィとミミ、どうしても贈り主を思い出せない分……あれ? 全部あるぞ?

 首を捻っていたら、ちょうどな?タイミングで義兄さん達がやってきた。

「こんなところで何をしてたんだ、リュカ? ブーデリカ様が探してたんだぜ、リュカも少しは従士の仕事を――馬の面倒を見るべきだって」

 ルーバンと二人して馬用のブラシを持っているから、従士の日課――自分と師匠の馬を世話してきたところだろう。

「一応、いまの僕は父上の名代で総大将様だからね。馬丁から仕事を取り上げることになっちゃうよ」

 肩を竦めてお道化ておく。

 これでも中身はおっさんな訳で、熱心なブーデリカには悪いけど道徳教育は間に合っている。

「それより! 見覚えのない御守りを拾ったんだ! 二人とも、貰ったのを落としてない?」

 何気ない日常会話に過ぎなかったはずなのに、しかし、義兄さんとルーバンからは白い目で応じられた。……どうして!?

「いや、サムソンは貰えたんだろ! その……ダ、ダイアナから!」

 ……ルーバン少年!? なぜ義姉さんの名を呼ぶだけで顔を赤らめる!? このことは覚えておくからな!

「そりゃ、貰えたけど! 貰えたけど……明らかに失敗作の方だったんだぞ! そんなの嬉しいか? それにルーバンだって……その……ジャ、ジャンヌさんから!」

「うちの姉さんが、そんなこと俺にする訳ないだろ!」

 ……ちょっと待って? そのジャンヌとかいう女は初耳なんですけど!? それと義兄さん! どうして顔を赤らめてんの!? 僕は許さないぞ!

「うん? リュカ様? これは御守りではありませんよ? ちょっとばかり出来は悪いですけれど、おそらく人形では? 小さな女の子が持つような?」

 粗末な木片や石に穴をあけ、それを糸で結んだ『ナニカ』だったんだけど……言われてみれば人形ひとがたに見えなくもない。

 それに指揮杖へ結わい付けられたのと見比べてみると、確かに全くの別物だ。素材は似たようなものでも、なんというかルールが違う。

 が、この何気ない動作は義兄さんとルーバンから顰蹙を買った!

「リュカ……凄い沢山の御守り……貰ってたんだな……」

 二人とも満面の笑顔なのに、その瞳には輝きが無くて……なんというか……怖ろしい! 非常に怖かった!

「リュカ様? あちらで騎士ライダーブーデリカが探しておられましたよ?」

 ニコニコとルーバンが指さす先には、かなり遠くなもののブーデリカがいた。

 念の為に自分を指さしてみると、当然とばかりに二人も肯き返す。

 ……仕方がない。今日の朝は、馬のブラッシングに精を出すか。なんといっても自分の馬なんだし。



 こんな風に日常へ――我が家へと戻っていくものと思っていた。

 なにより任務は無事に果たし、あと数日で城だ。全員が油断というか、弛緩していたのも仕方がないだろう。

 しかし、斥候からの急報が、そんな甘い考えを吹き飛ばしていく。

「前方に! 正体不明の集団を確認! 即座に対応されたく!」

 単なる習慣なのかもしれないけれど、手抜かりをしなかったシスモンドに感謝だ。やはり歴戦の兵士は心強い。

「相手の数は? いま、どの辺にいるんだ? どこの奴らか判ったか?」

 矢継ぎ早の質問へは、僅かに帰還の遅れた二人目が答えた。

「総数は約千! ゲルマンです! ドゥリトルへの支道で発見しました!」

 ……最悪だ。よりによって僕らの帰路に、敵性集団がいるなんて。 

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