金鵞城・上

 やっと片付いてきた天守キープからは、軍団兵の訓練風景がよく見えた。

 本日のカリキュラムは近くから木を伐りだし、それを木材へと仕上げるつもりらしい。……いや、今日も、かな?

 まだ支城の半分も囲み直せてないし、城壁の修復には大量な資材がいる。

 そこで現地調達の練習とばかりに伐採し、枝を払い、皮を剥き、ある程度に整形し……ほとんど木樵か大工だ。

 でも専業かつ常設な軍人――それも歩兵の部隊には、拠点設営が可能になってもらわねば困る。

 もはや伝説レベルに名高いローマ帝国兵には負けるだろうけど、全くできないとか苦手なようでは、甚だしく不利になってしまう。……相手が、そのローマ軍なんだし。

 ちなみに技術指導のジュゼッペがいうには、本来なら乾燥の工程も必要らしい。

 しかし、そんな暢気なことを戦場でやれる訳もなく……本職の工兵は、どうやり繰りしていたのだろう?

 ……これは泥縄で軍団を立ち上げた報いか。

 いまのところジュゼッペが面倒を見てくれているものの、根本的に戦士ではないので、偶に生温い話をしてくるし。

 顕著だったのが、装備類を置いてくるよう助言された時か。

 確かに作業をするだけなら剣や槍は要らない。荷物になるだけだ。

 職人のジュゼッペにしてみれば当たり前の発想だろうけど、あくまでもの訓練だ。

 数年の修練を経て、僕にでも分かったことが幾つかある。

 そのうちの一つが『武器とは相手を攻める為だけでなく、相手を脅かして自分を守る為の道具』だ。

 下品であろうと武力の誇示は、なによりも雄弁に矛を止める。

 いずれは戦場へ送り出す兵士達に、甘っちょろい考えを植え付けられない。文字通りの死活問題だし。

 やはり細かなプロの知恵やノウハウが必要か。なによりも歩兵専門の指揮官が要る。


 また支城も軍団駐屯地とするには、廃棄されて久し過ぎた。

 そもそもドゥリトル城とゼアマデュノの中間地点に位置し、両者間の中継地点として――あるいは、どちらかを攻めるための足掛かりとして――利用されていたそうだ。

 ようするに王国内での戦争用といえる。

 そして国内情勢が落ち着いて――というより紛争は常に国境沿いで起きるようになって棄てられた。

 踏まえると再建は無価値だ。なんの戦略的意義もない。

 しかし、『硝石丘』には最高の立地といえた。

 まず低くても立派な丘だ。

 極めて水に溶けやすい硝石を生産する『硝石丘』は、やはり同じく水に弱かった。床下浸水でも起きたら、その一回が壊滅的被害となる。

 史実でも『硝石丘』の跡地調査で、何ら痕跡を発見できなかったケースも多い。……管理し続けてないと雨漏りなどで、全て洗い流されてしまうからだ。

 やはり僅かでも高地への設営が望ましかった。


 そしてドゥリトル城とゼアマデュノの中間点というのも都合がいい。

 まず城下に『硝石丘』の設置がありえなかった。

 対策するといっても糞尿の最終処理施設だ。一般の居住地域と隣接させたら、即座に揉め事が起きる。

 しかし、いずれはドゥリトル城下全員分。さらにはゼアマデュノの分もなのだから、半端な施設で足りるわけがなかった。

 そもそも金の卵を産むガチョウが手に入るのなら、誰だって大きくて立派なのを望むだろう。

 むろん僕だって、限度一杯まで注ぎ込む。むしろ当然というものだ。


 これは『硝石丘』のヤバさ加減を理解してないと、少しピンと来ないかもしれない。

 まず中世オブ中世といえる江戸時代、成人一年分の糞尿は、現代の価値にして二万円ほどで買い取られていた。

 ……買取価格で、だ。それも買い付け側が争うレベルで。

 そしてドゥリトルの人口は十万人だから、糞尿の回収を始めると日本円換算で二十億。

 これは仕入れ価格に相当だから、最終加工を経れば倍から数倍が販売価格となる。

 ……ざっくり五十億だ。

 ドゥリトル領の総生産の四分の一、ドゥリトル家の年間予算なら二倍強に匹敵する。


 

 この査定は『生命活動とは窒素化合物の奪い合い』という観点を持たねば、やや納得しかねるかもしれない。

 植物は生物の死骸から。草食動物は植物から。肉食動物は動物から。

 人間を含め、ありとあらゆる全ての生命は、他者から奪うことで自己を存続させている。例外は存在しない。

 これらの一般に食物連鎖と呼ばれる生命活動は、化学的に言い換えると窒素化合物の奪い合いに他ならなかった。

 そして文明レベルまで規模を拡大すれば、領土の奪い合いだ。

 富み栄えるとは、より多くの穀物や家畜――窒素化合物の入手を意味したのだから。

 前世では最終的に『空気から窒素化合物を抽出』という偉大な発明――ハーバー・ボッシュ法によって、それまでの常識が覆されるまで続いた。

 もちろん領土の奪い合いが、エネルギー資源の奪い合いへ変わっただけとの指摘はあろう。

 しかし、それでも窒素化合物の安定供給は、文明のあり方そのものを変えるほどに強烈だった。

 そしてベストではなくともベターな『硝石丘』による硝石――窒素化合物の生産だって、それまでとは桁違いの実りをもたらしてくれる。

 ……あるいは完成された『腐葉土および肥溜めの技術』と言い換えるのもありか。



 ようするに僕は、切り取らず領地を数倍と――いや、十数倍としたのにも等しい。

 なぜなら、これからは値段分以上に穀物が実るからだ。

 約五十億円分の肥料が投下されるのだから、それ以上の実りとなるのが当然だろう。史実にも成果のあったことなんだし。

 さらに輪栽式ノーフォーク農業や農具改良の相乗効果も加味すれば、食料自給力は十倍以上だ。

 ここまでくれば近世レベルであり、ドゥリトル領だけで百万の人民を養える。

 そして人口が十倍に増えるということは、労働力もさらに十倍であり、それらも十倍となった食料自給力で成果をもたらす。

 最終的にドゥリトルは国家レベルの勢力と生り得る。たんなる一地方都市に過ぎないのに!


 ……まあ、すべては時間さえあれば、だけど。


 人口が増えるのには少なくとも十年、できれば十五年は必要だ。

 逆にいうと、むこう十年以上に渡って戦線に小康状態を保ってもらわねばならない。

 ……ローマ帝国とゴート諸族、フン族、さらには民族大移動と――四つの大勢力と戦争けんかしながら。

 前世史では、フン族侵攻&民族大移動の合わせ技で僕のいる辺り西ローマ帝国が滅んだのだっけ?

 この世界線でローマは東西分裂しなかったんだから、その代わりは僕らだろう。……より処し易くみえるだろうし。

 ただフン族は非常に動きが読み辛かった。

 活動範囲が広すぎることもあるけど、そもそも思想の根底が定住民僕らとは異なる。そして価値観が違うので、戦争観も独特だ。

 また僕のいる辺り西ローマ帝国が滅んで原始フランスフランク王国が生まれた。動乱は再生や変革の好機とも見做せる。

 つまり、可能な限りにだけは避ける立ち回りが吉? 「フン族は、帝国の方へ行けー!」と念じながら?


 そうなると真に恐ろしいのは、依然として帝国の方か。

 ちなみに僕が帝国の指導者であれば、なりふり構わずにガリアフランスを攻め落とす。

 依然として拡大政策が国家成立の要だろうし、あの国は常に新領土を必要としているはずだ。

 そしてガリア戦記の記述から考えると、帝国は三方面作戦を遂行できる。

 実際、カエサルはフランスガリアを半分征服したところで、干渉するなとドイツゲルマニアとも戦端を開き、その過程で敵対勢力が逃げ込んだとイギリスブリタニアとも開戦した。

 ……さらに何か理由をつけてスペインイスパニアともだったような? つまりは四方面作戦!?

 さすが冷静に考えるとツッコミどころ満載な大英雄カエサルといえる。

 全て勝ったから許されているだけで、その戦術や戦略は疑問視されることも多い。

 しかし、その無茶苦茶を支えたのがローマだったし、今生の帝国も当時と大差ない版図を維持している。

 ……つまりビゾントン帝国は、単独で西ヨーロッパ全土と戦争可能だ。

 その国力で東部と南部海岸線、大西洋を大回りして北部海岸線と――三方面から同時侵攻されたら、僕らは押し返せない。少なくとも一ヶ所は陥落する。

 大国ならば、その暴力的なまでの戦力差で野蛮人バーバリアンの群れなんて蹴散らしてしまえばいいのだ。

 そして国内問題が色々あったとしても、大勝利が全てを解決してくれる。


 逆に考えると、それのできない理由がありそうだ。

 ここは思案どころか。もしかしたら思いがけない名案を閃けるやもしれないし。

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