宴
宴席も小さな村にしては頑張っていた。
まず各テーブルに主菜として羊や豚、鶏が鎮座している。
厳密な基準に照らし合わせれば控えめと言わざるを得なく、しかし、それでいて悲しくなるほどでもない。
……おそらく無理をしたのだろう。
春先だ。冬に減らしてしまった家畜を殖やしていく季節で、どこも台所事情は厳しい。
それでも全員の腹が満たせそうなぐらいは用意されている。心遣いを汲むべきだ。
しかし、ほとんどの参列者は、そんなことに気付けなかったと思う。
夕餉では珍しいことに各自へ焼き立てのパンが用意されていて、さらには――
どうぞとばかり、大きな器へ蜂蜜が湛えられていたからだ!
焼きたてのパンへ、たっぷりの蜂蜜!
現代の日本人ですら唾を呑むような御馳走なのに、この古代末期か中世初期の人々には夢のような高級料理だろう!
養蜂している村でもなければ、決して思いつけないような歓待だと思う。
そして貴賓席ですら「早う! 若様、早う!」と皆からのプレッシャーを感じる!
そんな重圧の中、パカリと割ったパンへ――それも小麦を奢った白いパンへ、匙代わりにと突き刺してある蜂の巣でもって垂らし込んでいく。
ああ、もう判る! これは間違いない! 絶対に美味しい奴だ!
「獲れたての
満足気な代官の説明は、まるで催眠術のように僕の心へ染み入ってきた。
なんだって? 蜂の巣も食べるの? 嗚呼、本当だ! まるでバターみたいに溶けて!
もう辛抱堪らずパンへ齧り付く!
口いっぱいに蜂蜜の甘さと、焼き立てパンの芳醇な香りだ!
そして何も考えられなくなって、ただ二口目を頬張る!
隣へ――母上へ蜂蜜の器を譲れていたのを褒めて欲しい。
もう次が母上でなければ、あやうく
それに感動と満足で呆然自失という他ない。
気付けば無意識に指へついた蜂蜜を舐めてたりで、さすがに顔が赤くなる。
まだ礼儀作法は確立していないといっても、やっぱり下品だろう。……誰も僕のことなんて見てないとしても。
なぜなら皆は蜂蜜を満喫しているか、その様子を羨ましそうに順番待ちしている最中だ。僕なんて風景の一部ですらない。
そして通常とは違う時間帯に蜂蜜採取していた理由も、朧気ながら予想がついた。
蜂の巣から絞らずとも自然に垂れ落ちる分は
もしかしたら新鮮な?
でも、蜂蜜って鮮度が味に影響するのかな? ちょっと村人たちは頑張り過ぎじゃ?
などと首を捻っていたら、大きな寸胴鍋と共に女衆が傍へやってきた。かなり重そうだし大変そうだ。
どうしてセルフサービスにしないんだろ? 僕を特別扱い?
考えている間にも僕用のお椀が取りだされ、なみなみと汁物が注ぎ入れられていく。
……しまったな。蜂蜜とパンで、かなり満足しちゃってるぞ。
失礼にならないよう、なんとか今からでも小盛りに――
あれ? この汁物……卵が入ってる! それも、ゆで卵が一個丸々!
田舎風?なのか野菜などの具が多いスープへ、ボロンとゆで卵だ。
さすがに転生して初でもないけど、実のところ数えられる程度しか卵は――特にゆで卵は口にしてない。けっこうな貴重品だからだ。
僕だけ特別扱い?
それは大いにあり得そうだ。
しかし、それでは城の方針と違う。どうしようと考えていたら、母上のもゆで卵入りだった。
いや、よくよくみれば
なるほど。むしろ一人に一つを実現するべく、わざわざ女衆が給仕に出向いているのか。
つまり、この宴へ供するのに卵を三百個!? そんな馬鹿な!?
この驚きは、詳しく解説しないと理解して貰えないかもしれない。
誰もが一度は口にしたことがありつつ、それでいて高級品とも認識している。それがこの時代の卵といえた。
まず牝鶏というのは、一日に一個だけ卵を産む。……ちなみに紀元前な頃のエジプトで毎日卵を産む品種へ改良済みだ。
そして季節にもよるけれど、冷蔵庫が無くとも三十日ぐらいは保存可能とされている。
……なんとも驚くべきことに、未開な時代だと卵は保存のしやすい方へ部類されるのだ。
しかし、備蓄しやすい方といっても、おそらく『北の村』全体で飼ってる牝鶏は十五羽程度だろうか。
よって一日に十五個しか収穫できない計算となる。最大限に可能な備蓄も四百五十個ぐらいだ。
また農村にとって卵は貴重な現金収入の当てで、この村の者も数日おきに領都へ売りに行く。
そして卵一個が質素な一回分の食事より高価だったし、それは近代まで続いた。
語弊を恐れず現代の価値へ換算すれば、卵一つが五百円ぐらいだ。もしくは庶民一日分の稼ぎで、二十個を買えるかどうかとなる。
つまり、卵三百個とは半月分の生産量であり、労働者半月分の賃金にも相当し、農村の数少ない現金入手機会と引き換えだ。
……あるいは「現代の日本人並みに卵を食べるには、ざっくり人口の倍ほど牝鶏を飼わねばならない」といえば、この問題を理解しやすくなるだろうか?
間違いない。
今日の宴は、紛れもなく御馳走だ。
蜂蜜と焼きたてパンには心を動かされたし、ゆで卵スープにだって感じるものはある。
王侯貴族へ供されてもおかしくない――といったら流石に違うけれど、勝るとも劣らない饗宴だろう。物が無いなりに心を尽くされている。
でも、この頑張りが遠因となって、冬に『北の村』が滅んでたりしたら拙い。
「意外と御飾り領主様でも責任重大では?」などと考えていたところへ――
僕のところへ代官のトマがやってきた。村人を二名ほど引き連れている。
とりあえず幽かに肯くような、肯いてはいないような――なんとも言い難い微妙な仕草をしておく。
これは『よく解らない時に相手へ言質を与えないで応える上流階級のテクニック』だ。……もちろん母上の真似ではある。
そして僕の態度を許可と考えたトマは、二人を紹介しだした。
「プォールとその息子にございます。この者達は近隣でも指折りの蜂飼いで、是非にでも御目通りをと願い出ておりました」
合わせて熊のようにずんぐりむっくりな太った男とその息子も、ギクシャクとお辞儀をする。
なるほど。シーツお化けの中身は、この二人だったらしい。よくよくみれば幾つか蜂に刺されて腫れあがった跡もあるし。
……うーん?
本日の殊勲賞というか、一番に私財を投入したとか……そんなこんなの理由で「褒めてあげて下さい」ってことかな?
けれど「そんなのお安い御用さ! 言葉だけならタダだし!」といかないのが難しいところだ。
時代や文化によっても違うけど、支配者階級にとって賛辞はタダではない。相応の褒美をセットにしなければならなかった。
茶碗とかバッチとか称号とか名誉紋章とか……なにか発明しちゃおうかなぁ。元手が要らないのに効果抜群らしいし。
とにかく、この場は素直に感動を伝えよう。
もし何かのルールに抵触していたとしても、真実から生まれたツケなら損害は小さい……と思う。
「あのように蜂蜜を口にしたのは初めてのことだったし、また非常に美味しく感じた。そして皆にも行き渡るほどの量、あれだけ集めるのは大変だったと思う。我が家は、この忠義に必ず応えるだろう」
母上は面白がっている御様子だ。
大きく間違えてはいない? ただ、しばらく予算を強請るのは厳しくなりそうだ。
トマとプォールは露骨なまでにホッとしたから、それなりの期待には応えられた……かな?
そして好都合でもある。後で呼び出すのもスムーズにいきそうだ。
「僕が聞いた話だと、蜂の巣は蔦を編んで作るものと聞いたんだけど?」
「おおっ!? 若様は御存じでしたか! あっしも昔は蔦で編んでましたが、いまでは箱一本やりでさぁ。木箱の方が収穫は楽ですからね。でも、その分だけ群れを捕まえるのが上手くねぇと! 下手糞の奴らは何度も罠を仕掛けるので、持ち運びしやすいのが便利と考えちま――」
「父さん! 失礼だよ! 若様の御前で!」
どうやらプォールは専門分野に関して饒舌となるタイプらしい。
巣箱作りにも一家言あり、実績も伴っているようだから……名人とかそんな感じかな?
……巣箱作り名人プォール。しかも、まるで熊みたいな感じで――
もしかして『プォーさん』!?
自分の連想に自分で噴出してしまいそうだけど、さすがに失礼だし堪える。
それに『くまのプーさん』と発言したところで、すべるどころか判ってすら貰えない。地味に転生者の孤独を感じさせる『あるある』だ。
……とにかく!
もう僕が村で過ごせる時間は少ない。
二人が挨拶に来てくれたのは、願ってもない僥倖だろう。今晩にでも時間を作って、是が非でも協力体制を築き上げねば!
そして打合せや作業もジュゼッペに関わって貰おう。
などと考えながら、なんとはなしに様子を窺えば――
深い溜息を吐いて、例になく暗い顔で沈んでいた。宴の最中なのに!
……ふふ。
鐙を作って貰った時は、居心地こそ悪そうなものの普通だったと思う。
それからたったの一日半! 一日半だ! あのおっさんは、なにを突然に黄昏ちゃってんだ!?
そして多分! おそらく! 問題の解決に介入しなきゃならないんだろうなぁ。これでもジュゼッペの殿様な訳だし。
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