最初の記憶
そこは大広間だった。
表向きのこと――賓客の歓迎、内政におけるセレモニー、農閑期の裁判などにしか使わないので、いつもは閑散としている。
だが、その日は無数の松明が掲げられ、燃え盛る炎で蒸し暑いとすら錯覚させた。
もちろん、この石造りの冷たい城が暖まるようなことはない。例に覚えのないほど大量の篝火を使おうとも。
そう、これほどの松明は珍しかった。
ありとあらゆる燃料は貴重品だ。その備蓄で生命が左右されるほどに。
さらには女性が差配する城らしく、臭いの染みつく松明は最低限度に絞られていた。間違っても室内で使わさせたりしない。
けれどこの日ばかりは禁も破られ、あたりは松脂の焼ける臭いで噎せかえるほどだ。
しかし、そんな豪勢な散財も、ただ大広間に集まった人々の陰影を濃くするに留まっていた。
……さらには奇妙な能面の如く、炎の揺れは列席者たちの表情を歪ませて。
この日の為だけに用意された円卓へ――盟約の円卓へ、それも最上位席へと僕は座らせられていた。
列席者は皆、全員が自他ともに認められた君主であり有力者だ。
城の留守を預かる母上ですら、特別に僕の後方へ椅子を用意されるだけで――つまりは同席を許されていない。
なぜなら、これは古くから続く盟約の儀式だからだ。
家督を継ぐ男子は、数えで七歳となったら代々の同盟者を集め、その友誼を新しく結び直す。
まだ国や領などへ発展せず、各々が部族の長や戦士だった頃から続くしきたりだ。
そして武家にとっては相互な軍事同盟であり、生命と名に懸けて守るべき契約でもある。
……つまるところ、これこそ武門の本質だ。集団へと束ねられた暴力装置という。
そんな盟約の円卓には、所狭しと仔羊の丸焼きが――約定の仔羊が並べられていた。
一党の長に対し、一頭の仔羊。
それが決まりであり、多くても少なくても許されない。
決まって春先に行われる盟約の儀式は、いつでも仔羊の手配に苦労するという。僕の年は冬も遅れ、特別に難儀したそうだ。
しかし、誰も仔羊の味や大きさに関心は持っていない。
大切なのは「新しき盟友から仔羊を振舞われた」こと。そして自分や信頼する腹心達が「口にする」ことだ。
……あるいは「口にしない」ことか。
緊迫した雰囲気な君主達を見守るかの如く、円卓から一段下がって長テーブルが支度されていた。
そこでは親族、近隣の領主や族長、その名代、留守居役の
悲しげな表情の老人は、西のマレー領が先代だったか?
仏頂面で考え込む雰囲気なのは、東のスペリティオ領が領主その人だ。
……自ら訪れるとは、
そして妙に陽気で、時折に意地の悪い笑顔すら見せるのは――大叔父のギヨームだ。
こちらに含むところは無いので、それなりに客観視できていたと思う。実際、この時の僕にとって、全ては他人事に他ならなかった。
しかし、大叔父上以外のドゥリトル領の者たちは、一様に悲しげだった。
差し迫る悲劇に――予想される残酷な結末に、耐えきれそうもなかったのだろう。
……
おそらく約定の子羊は受け取られない。
そう予想するのは難しくなかった。
盟友に認めるということは、その為に戦うという意味を持つ。当然に命懸けだ。
べつに賢くなくてもいい。同盟を理解できる頭さえ付いていれば十分だ。
例え腕の一本や二本なかろうと、君主として――旗印として支障はないのだから。
だが、虚ろな者では駄目だ。
なるほど『魂が神の国へ行った子供』は珍しくもない。しかし――
帰ってきた子など、数えられるほどではないか!
育てるにしろ、どうにかするにしろ……それは好きに判断すればいい。
ただ、棟梁に据えるのは諦めろ。虚ろな者では、一党の焦点となり得ない。
その子以外なら盟友と認める。実子がいないのであれば、血縁から養子でも迎えれば済む。
これが君主達の常識であり、なんといっても正しかった。
どう考えようと弱さは罪で、負ければ死ぬより酷い結末も珍しくない。
結局のところ武門の究極目標は負けないことであり、可能ならば勝つことだ。
それだけが自分達を肯定していた。だからこそ民草もついてくるのだし、従いもする。
よって虚ろなる者は――『魂が神の国へ行った子供』である僕は、同盟者として受け入れられない。
つまりはドゥリトル領の嫡男として失格ということだ。
そして、それは母上の――僕と母上の破滅をも意味する。
なのに母上は背筋を伸ばし、静かに耐え忍ばれていた。
大広間に独り、いまだ諦めずに顔をあげ……最後まで運命に抗うと決心されて。
しかし、悲劇は避けようもなく、いまにも無慈悲に手折られんと。
僕には、それを認められそうもなかった。
世界で一番美しい
だから心からの言葉を! 全身全霊の意志を傾けて!
「どうか母上、お泣きになられないで! リュカが傍におります!」
と初めて言葉を口にした。
……これが
残念ながら伝聞となるけれど、あの後に盟約の儀式は大荒れとなったらしい。
全員が「奇跡だ!」とか「御曹司が御戻りになられたぞ!」、「そんな馬鹿な! ワシは認めん! 認めんぞ!」などと半狂乱で阿鼻叫喚な有様だったとか。
……肝心要の僕が何をしていたかというと、もの凄い発熱と頭痛に目を回していた。
おそらく知恵熱の一種だろう。
それまで外界とは硝子の膜に遮られていたかのようで、ぼんやりと白黒なテレビでも見ている風だった。
しかし、その硝子を打ち破って――母上へ話しかけて以来、世界は突然にフルカラーのように新鮮で、あらゆることが現実味を帯びる。
大広間が「松脂の焼ける臭いで噎せかえるほど」と思ったのだって、実のところ頭痛に悩まされながらだ。
そして大量のフラッシュバックにも溺れた。
寝ていたところを抱き上げられ、思わず泣いてしまった時にみせた父上の顔。
思うように動けなくて苛々しているのを、夜通し抱きあやしてくれた母上の歌声。
どこだか判らない、暗いけれど温かくて落ち着く狭いどこか。
大きくなっても反応の薄い僕へ、辛抱強く話しかけ続ける母上。
どんな時でも泣き止むまで抱きしめてくれたレト
少年ながらもサム義兄さんは、僕を見る度に決意の表情をみせる。
母上達の及ばないところで守ってくれたのは、いつもダイ義姉さんだ。
無口で無反応な僕を、どうしてかエステルは不思議そうに見ていた。
すべては盟約の儀式以前の日々だ。
ほとんど母上との記憶で――それは家族との記憶でもある。
……母上の献身と家族の注いでくれた愛情の、と言い換えてもいい。
そして時系列的に盟約の儀式の日以前だから、どれかが二つ目の一番古い記憶となる。……最初の記憶が複数ある理由だ。
また全てを一緒くたに思い出したから、脳へ過負荷となったのかもしれない。
それで発熱と頭痛を引き起こされ、一週間も寝込む羽目となったのだろう。
……この世界の一週間は五日間と七日間の二つを併用しているけど、これは現代日本と同じ七日前後という意味でだ。
そう現代日本と同じで。
勘の良い人ならお気付きと思われるが――
僕は現代日本からの転生者だ。
なので限定的に前世の記憶がある。
しかし、その記憶はあやふやな部分が多くて、頻繁に「自分を日本からの転生者と信じているアレな奴」と疑ってしまうほどだ。
なぜなら当時の名前や年齢――もしくは享年、そして死因すら思い出せない!
……本当に日本は存在するのか? いや、もしくは……存在した?
おそらく学生ではない。
いや、当然に学生だった頃はあるけれど、それ以降の知識も――部分的に社会人の常識も理解している。
だけど結婚生活や子育ての知識などは、まるで思い出せない。
となると未だ結婚適齢期前か……適齢期を過ぎても独身だったかの、どちらかだろう。
そして多分、独りで生きていた。
なぜなら家族のこと――最低限いるはずな父親と母親に関しても、まったく思い出せないからだ。
かといって特殊な生まれ――出自から独りであるとか、早い段階で片親だったというイメージでもない。
普通に両親はいたが、そのどちらとも死別。確信こそないけれど、そんな印象が強い。
なぜなら独立していたと考えても、まるで両親に対して心残りを覚えないからだ。
しかし、この未練や無念という点において、我ながら虚無感すら感じてしまう。
誰だろうと死んでしまえば、やり残しやら後悔などあるはすだ。
なのに、それがなかった。
思い出せないのではなく、全く感じない。
驚くべきことに社会人であったはずなのに、自分の職業すら思い出せない有様だ!
もう漫画に出てくるような記憶喪失より酷い。
個人につながる情報は全く思い出せなくて、一般常識などだけ覚えている。
しかし、それは事故などのショックが理由ではなくて、自分自身で大した価値を認めていないからだろう。
おそらく僕は現代日本を生きた。生きて、死んで……それだけらしい。
まあ、それでも一番古い記憶はある訳で、ちゃんと『生家の窓』を覚えている。
なぜに
これで最初の記憶が幾つもある理由を判って貰えただろうか?
しかし、僕にとって重要な最初は、初めて母上へ話しかけた瞬間だ。
……あの笑顔は忘れもしない。忘れられるはずもなかった。
「吾子よ、私は泣いてなぞおりません」
と母上は、お答えになられたけれど……その頬には一筋の涙が流れていた。
それを美しいと感動しながらも、密かに母上へ永遠の忠誠を誓う。
……もしかしたら僕はマザコンなのかもしれない。それも相当に拗らせた。
だとしても、胸を張って問い返そう。
「マザコンですが、なにか?」と。
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