星を観る、夜を描く(波山と白川)

 僕にとって夜は寝る時間だったから、星なんて碌に観たことがなかった。だから友人である白川世船に「夕方、少し寝ておいてくれ」と言われた時は、一体奴が何をしようとしているのか見当も付かなかった。夜の十一時を過ぎてもすっきり晴れた頭と、ワイドショーで特集されていたニュースを思い出し、合点がいった。奴は星が見たいのだ。

 数年に幾度か観測の機会が訪れる、流星群を観たいのだろう。

 夜更けに白川はアパートの前にやってくると「頼む波山、乗せてくれ!」と頼んできた。彼は車の免許を持っていない。なんだ足にされたかとげんなりしつつ、車を出してやると白川は鼻歌交じりに助手席に乗り込んだ。礼は、学生らしくもファミレスで一食奢ってくれるというささやかなものだった。まあ、僕だってそこまで気にしているわけではない。元々断る気はなかったし、気晴らしに丁度いいと思っていたのだ。陰気な性分なものだから、こうして切欠を貰えて、白川の気まぐれにラッキーだとすら思っていた。奴はなんだかんだで、僕に考えの拠らない世界を教えてくれる大事な友人なのである。

 甘やかしていると言えば、確かにそうなのだが。

 まあウィン・ウィンということにしておこう。

 脇に突き出た枝や転がる小石を照らしながら、夜道をミニが走る。小高い山の中腹に、道の駅があった。駐車場に車を停めて、自動販売機の遠慮のない照明から離れた所で、僕と白川は並んで空を見上げた。

 黒く、昏い天幕はどこの光を反射しているのか、薄ら白い靄が掛かっているように見えた。もしかしたら、夏の熱気で作られた細かい雲が集まってこようとしていたのかもしれない。いくつか光ってはいるものの、あまり星を見るには向かない天候かも知れなかった。

 兎に角僕らは、星を──流れ星を観ようとしていた。とはいえ、僕は先述の通りインドアな人間だ。天体観測なんて、義務教育の行事くらいでしかやったことがない。かといって、言い出しっぺの友人と来たら持っているのはスケッチブックくらいだ。カメラすら持っていなかった。なんて無計画な奴だ。

「馬鹿を言うんじゃないよ、ぼくを誰だと思っているんだい?」

 白川はスケッチブックを抱えながら、自信たっぷりに笑った。

「ぼくは絵を描きに来た」

 そう言って、頭上に円く拡がる夜空を観ていた。ちらちらと瞬く小さな星々。間に粉を吹いたようにまとまる星雲。目が慣れてくると、そのどれもがくっきりと見える気がした。いつのまにか靄も引いて、澄んだ夜空がそこにはあった。僕の住まいよりも数倍の星が顔を出していた。白いばかりかと思ったら、青みを帯びた大きなテンもある。あれが噂に名高いベガだろうか。夏の大三角は、果たしてこの空だったかしら。無知な僕は、いつか読んだ星座に纏わる本を脳内で開きながら、閑かな天蓋を眺める。

 白川は流星を待ちながらスケッチブックに鉛筆で何かを走らせている。勿論灯りなんてつけていなかった。流石にぎょっとしたが、完全に真っ暗というわけではないし、目が慣れてくればちょっとしたメモ描きができる、という事なのかも知れない。それにしても、こいつはインスピレーションが働くと描かないでは居られないのだなとしみじみ思う。こんな暗がりの中で鉛筆を走らせるという酔狂だとは思わなかった。絵を描くやつって言うのは、みんなこんな感じなんだろうか。

「目が悪くなるぞ」

 と、一応注意すると、白川は少し決まりが悪そうに肩を竦めた。唇は弧を描いているが、眉が下がっている。

「やっぱりそう思う? ぼくもちょっと描きにくいなって思っていた所さ」

 やはり無茶だったようだ。

 白川はスケッチブックを閉じて、駐車場の隅のベンチにタオルを敷いて寝転がった。ずっと首を上に傾けていると疲れてしまう。僕もそれに倣い、もうひとつのベンチに手ぬぐいを掛けて腰掛けた。野ざらしのベンチなので、細かい土埃が表面に付いている。準備していたのはこれくらいなものだった。

 そうしている内にひと筋、星が落ちていった。白川が「おおっ」と感嘆の声を上げる。この地域は観測地としてはそう頻繁に観られる訳ではないらしいが、ちゃんと見えるのだ。僕は少し胸が高鳴った。それから一時間くらい、僕らは駐車場で寝転んでいた。

 時たま素早く筋を引く光を待ちわび、言葉もなく見上げている。来るか来ないかの流れ星は、この宇宙が確かに僕らの思考の範疇を越えて、独自に蠢いているのだと思い知らせる存在だった。

 地上から観れば酷く静かな空間だ。音も光もたしかにあるのに、僕らの耳には聞こえない。光すらも何億光年もの距離を経て届く。その気の長さが、恐ろしくもあった。けれど、その瞬間は確かに存在するのだ。僕には見えないどこかで、轟音や炎を吹き上げ、巨大な岩石がぶつかって惑星が生まれる。今も尚膨張を続けているというその闇は、とてつもなく騒々しい。僕らが横たわるこの地球も、その片隅に存在している。

 否、絶え間なく拡がっているのだとしたら、きっと片隅はあっというまに中心になるのだろう。他の星星と一緒に。

 僕は途方もなく広く深い宇宙を夢想した。

 昼の熱をため込んだアスファルトは暖かい。僕らの住む町は標高が高く、流れる風は少し涼しくすらある。けれど、ベンチや地面から立ち昇る熱気が、深夜の空気を冷やし過ぎないでいてくれていた。


 後日、白川はナイトブルーを塗り込めたキャンバスに、満天の星を映し描いた。まるであの日の空をそのまま切り取ってきたような、忙しなく、賑やかな夜空であった。


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短編集 椚田ツルバミ @kunugi99

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