少年トガリの夢

 連休とはなんだったのか。

 十一年間、トガリは未だに充実した休日というものを過ごしたことが無い。父親である千石縄史、母親である千石汐子は家族旅行という名目の元、ことある毎にトガリとその姉である茅乃を様々な場所へ連れ出した。茅乃は好奇心旺盛で広範囲に楽しんでいたようだったが、トガリといえばホームでもアウェーでも心境は変わらなかった。姉と同じように関心は持てなかった。

 かといって詰まらなかったのかと問われれば、そうではない。トガリにはどこに行っても見つけることのできる、素敵な仲間がいた。それは石である。トガリは石には興味が持てたのである。思い起こせば石を拾っては観察し、小さなものなら家に持って帰った。その繰り返しの記憶しか残っていない。

 その分、自分一人だけ石にばかり夢中になっている事に対する罪悪感が積もっていた。縄史たちはきっと、訪れた山々の悠然とした景色を眺めたり、海に行けば海水をすくってはしゃいだり、その様な素直な遊びを期待していたのではないだろうか。記憶を掘り起こしても見つかるのは、ごつごつとした細石に至上の喜びを見出す己の感情のみである。水場に行けばつるりとした那智石、洞窟に行けば固まりかけた牛乳ゼリーのように垂れさがる岩氷柱に夢中になり、それ以外の印象は欠片も存在していない。言い方を変えれば、石以外には興味が持てなかったのである。

 トガリが石を抱えて振り向けば、茅乃と汐子は写真を撮ったり、なにやら楽しそうにお話をしている。そのうち縄史もその輪に加わった。誰も石のことなど注目しなかった。山がきれいだと話す3人の言葉には、トガリは曖昧にしか頷くことができなかったのである。

 その不調和をとがめられないことが、尚更に歯がゆい。

 構ってほしいわけではない。断じて。

 「ぼかぁ、ふわふわしていて、なんだか落ち着かない。風船みたいに軽くって、足場が無いよ。飛んでっちゃうよ。重さがないから、中に石を詰めないといけないのかなあ。だからぼくは石が好きなのかなあ」

 拾った花崗岩のかけらを見ながらせつなくなり、トガリは腐りそうになった事がある。

 縄史の趣味の為、近くの湖への散歩につきあわされた時の事。ある日ニジマスが食べたいと呟いた父は、次の瞬間トガリを助手席に押し込み、近くの山中へとワゴンを走らせた。しばらくして着いた先は、針のような葉の木々に囲まれた静かな湖畔である。土と葉の影に隠れて小石がぽろぽろ転がっていた。トガリは真っ先に地に這いつくばったが、餌を針に食わせて湖沼に投げ込む縄史を見、ふと自分に対して不安を覚えたのである。父の娯楽が、トガリには理解できない。

 「一緒にいるからといって、同じ目的で行動する必要などないよ。トガリは石が好きなんだろう。それなら、石の為に来ればいい。いろんな所の石を集めればいいのだよ」

 湖の縁に釣り糸を垂らす縄史の姿を見ながらぶすくれていたトガリに、縄史はやんわりとそう言った。タイミング悪くも、ダウンジャケットが強風にあおられて、紙袋が擦れるような音を出していた。風もびょうと鳴っていてとても五月蝿い。もっとぶちぶちと長い言葉だった気がしたが、トガリが聞き取れたのはそれだけだった。それだけでもなんとか、トガリの心は小石と同程度の重さくらいは、持つことができたのである。

 「ぼかぁ、石になりたいな」

 ぽつりとごちて、手の中の花崗岩を見つめた。ざらついた乳白色に混じる黒雲母は、汐子が夜食や弁当に作ってくれる胡麻塩の握り飯を彷彿とさせた。

 「なってもいいよ」

 縄史が相槌を打つと、釣り糸がふるふると動いた。トガリは石をポケットに入れると、竿を握る父の動きをじっと見る。

 その日縄史のクーラーボックスには、四尾のニジマスが納められた。


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