15-2 少女の選んだ旅のはて


 食材探しに関しては菜食主義なアルエスと狩人なフリックの間で何かがあったらしく、持ち帰ってきたのは根茎や草の葉、木の実と少しのキノコ類だけだった。

 どうせ焼くとか炙るくらいしかやりようなかったが、見兼ねたロッシェが持っていた少しのパンと干し肉も出してくれたので、それなりに腹を満たすには間に合った。


 どうしても言葉少なになってしまうのは仕方ない。皆がロッシェの言葉を待っているのは明らかだったが、当の本人にそれを気にしている様子はなかった。少なくとも、表面上は。

 綱渡りにも似た危うげな緊張感の中、とりあえず朝食を終えて。

 自然と全員の視線を集めつつ、ロッシェは、全身を強張らせて見上げる娘の頭を撫でながら、言い聞かせるように囁いた。


「さ、ルベル。門まで送るよ」

「――っ、ヤダっ!」


 感覚的に意図を理解して、ルベルが父の袖を両手で掴む。同じく耳を浮かせて立ち上がり掛けたウサギの方は、ゼオに尾の先で小突かれ止められてしまったが。


「僕はおまえが大切なんだ、ルベル。僕にとっておまえは、この世界の絶対至上なんだ。だから、この場所に、一日だって居させたくないんだよ」


 今度こそロッシェは、まっすぐルベルを見据えて告げる。見返す娘の茜色の両眼に、みるみる涙があふれて零れても、逸らそうとはしなかった。

 誰も口を挟む資格はない。

 ゼオに止められるまでもなく、フリックだって、セロアやリンドやアルエスだって、そんなことは解っていた。


「じゃ、パパも一緒に帰ろ?」


 ルベルが震える声で言う。あふれる涙を拭おうとしないのは、両方の手がふさがっているからだ。

 少女は父の腕を掴んで離さないし、見上げる視線もそらさず言葉を待っている。


「一緒には帰れない。ライヴァンに戻るって事は、僕が逃げた全部のモノとまた向き合わなきゃならないって事だし、今の僕にはまだその覚悟がないから」


 静かにはっきり告げられ、ルベルは眉間に力を込めて唇を噛んだ。突き上げる嗚咽を、息と一緒に何度も飲み込む。ロッシェも眉間にしわを刻んだ表情で、じっと娘を見つめていた。

 嘘感知の魔法なんて使わなくても、本当の言葉って案外と判るものだな、とリンドは思う。それは瞳の動きだったり、声音だったり、表情の自然さだったりするけれど、最初に崖端で会った時と比べれば、彼の雰囲気がずいぶん変わったと解る。


 ロッシェは、決めたのだろう。

 ルベルが力ずくでも連れ帰りたいと望むなら協力するのにやぶさかでないけれど、それは本当に少女が望むならの話だ。

 多分その気持ちは、ここに居合わせた全員に共通しているだろうと思う。だから、皆黙って答えを待っているのだろう。

 うっく、とルベルが息を飲み込んで、口を開いた。


「でも、ダメ。やだ、……一緒がいいっ」


 理屈も言い訳も、結局は意味をなさない。

 聞き分けの良い子供でいても、望むものは少女の手をすり抜けていってしまったのだ。父への想いと気遣いと、全部を秤にかけて最後に選んだ望みは、初めから今に至るまでただひたすらにひとつきり。

 ルベルの答えは、変わらない。

 呆れるほどに頑固でまっすぐな瞳に射抜かれ、ロッシェの表情が緩むように変化する。じんわりと氷が解けるような、笑顔で、彼はルベルを見て言った。


「実は、パパもね。ルベルと一緒にいたいんだって、やっと解ったのさ」


 え、と驚いたように息を漏らした娘の頬を、彼の長い指が滑って涙を拭った。


「だから、こうしよう。今じゃなくもう少ししたら、パパは必ずライヴァンに帰るよ。もう、五年とかそんなに長くは待たせないから、先に帰って待っててくれるかい?」


 ルベルは頷かなかった。

 父の双眸から本意を見抜こうとするかのように、涙に濡れた瞳でじぃっと見据え、強い口調で聞き返す。


「絶対に、絶対に絶対に、帰るって。パパ、約束してくれるですか?」

「ああ。約束するよ。絶対に、ルベルのために帰るから」


 娘の瞳をまっすぐ見返し、ロッシェははっきり頷いて答えた。静かな沈黙が通り過ぎ、やがてルベルが、こくりと息を飲み込んで俯いた。

 ぱた、と涙が落ちて衣服に染みを残す。


「……それなら、いいです」


 固く掴んでいた指を離し、自分の袖でぐいぃと涙を拭って、ルベルは顔を上げ父を見た。


「ルベル、ちゃんと待ってるから、絶対帰って来てくださいっ」

了解ラジャー


 ゆるりと笑ってロッシェが答える。そして、てのひらで娘の顔を優しく撫で、額にキスを落とした。ルベルはくすぐったそうにはにかみ笑い、細い両腕を父の首に回してぎゅぅっと抱きつく。


「帰って来なかったら迎えに来るもん」


 強がりでも脅しでもない本気の宣言に、敵わないなとロッシェは笑い娘を抱きしめた。不満げな表情のフリックと複雑な表情のアルエスの視線に気づき、目を伏せ小さく笑ってみせる。

 こんなふうに決めたのだと、その表情は語っていた。


「いいのかな」


 わりかしすっきりした顔のリンドが、ひとりだけ反対方向を向いてるゼオに問う。

 ゼオはふぁ、と気怠げに欠伸を噛み殺し、ぺたぱたと尾を振った。


「いんじゃね? 本人たちがイイつってンだし」

「まぁ、そういうことですね」


 セロアの穏やかな笑顔もつかみ所のなさではロッシェといい勝負かもしれない。

 決して百パーセントこの結果に満足というわけではないのだろうが、そんな様子はおくびにも出さず、賢者は立ち上がってウサギの肩を叩いた。


「さて。私たちも帰る準備をしましょう」

「――おぅ」


 一番不満が顔に出ているフリックは、短く答えただけで外に行ってしまった。それを心配そうに見送るアルエスが、潤んだ瞳をリンドに向ける。


「ホントに、大丈夫なのかな?」

「卿の気持ちはもうライヴァンに向いてるのだし、大丈夫だと思うな」


 あまり心配してなさそうなリンドの返答に、そかと呟き、アルエスは頷いた。


「ん、そうだよね。大丈夫だよね」


 せっかくここまで来たのに。どこか納得しきれぬ思いは多分皆、感じているに違いない。

 ここで別れて、本当に彼は約束を守るのか。今は守るつもりでも気が変わって、あるいは踏み出せなくて、果たせない可能性は高くはないんだろうか。

 疑い出せばキリがないけれど、ルベルは待つと言って聞き分けた。なら、それでいいのだろう。

 父の性質を誰より理解しているのは、他ならぬルベル自身だろうから。





 歩き慣れるほど通ったわけでもないのに気分的にはすっかり馴染んだ岩場を通り抜け、歩きにくい道を下って『ゲート』へと向かう。


 昼の明るさと、行きにはなかった精神的余裕が手伝ってか、案外と面白い植物や鳥に遭遇することができた。

 もう二度と来ないと思えば気になるし、同じく好奇心を刺激されたらしいルベルに話しかけられたりして、すっかり元の調子に戻ってしまっているウサギだ。

 セロアも入念にメモを取ったり、余計なモノをつつき出して皆に迷惑がられたりと相変わらずで。全員が暗黙のうちにゆっくりペースなのは、父に寄り添ってあれこれ聞いては目を輝かせているルベルに、少しでも長く時間を過ごさせてあげたいと思うからだろう。

 ロッシェはセロアやフリックが想像していた以上に博識で、彼に反感を持っているフリックさえも、思わず語りに耳を向けてしまうほどだった。


 迷うほどに複雑な道でもなく、眼下に街並みを眺めながら丘を過ぎ、林を抜け、緩やかな坂をしばらく下ると、見覚えのある風景が見えてきた。

 丈の短い草が密生した丘の下に、磯のある入り江が見える。アルエスが魔族ジェマと遭遇し、攫われた場所だ。

 旅の終着地はもう、すぐそこに迫っていた。


「番人の門まで送るよ。その先は旅渡券無しじゃ立ち入り禁止だから、見送れないけど」


 ロッシェが言って指で示した場所には、不気味な魔獣が不動の姿勢で立っている。ルベルは指先ですがるように父の袖を掴み、首を振った。


「パパも券持ってるんだから、ちゃんと見送ってくださいっ」

「……了解らじゃ


 結局全部バレてるんだなぁと口の中で呟き、ロッシェは苦笑した。袖に絡む指をさり気なく外し、彼はしっかり娘の手を握って微笑む。


「行くよ」


 そこから先は皆、無言だった。

 魔獣の隣を通り過ぎ、石造りの建物に入る。入り口から先は通路が三つに分かれていたが、ロッシェは迷わず真ん中を選んだ。短い通路を抜けると開けた場所に出、彼はそこで足を止める。

 道の先は狭い部屋になっていて、床に魔法陣が刻み込まれていた。


「ここが、直通の門だ」


 父の言葉に応じるかのごとく、てのひらの中のルベルの指にわずか、力が込められた。

 簡単な魔法の言葉で、門はライヴァンの王宮へと繋がる。往路と比べて余りに簡単な行程は、ここが本当に旅の終着地であることを示していた。

 する、と。繋いでいた手が解け、ぬくもりが離れる。少女はまっすぐ魔法陣の中央へ進み、足を止め振り返ると、父に向き直った。


「早く帰ってきて、パパ」

「勿論さ」


 穏やかに笑んで応じると、ロッシェはセロアを振り返る。


「この転移陣テレポーターは非常に安定したゲートだから、事故や失敗はまずないけど、念のため発動の読み上げは王族の方がいいだろう。ティスティルの券だし、リンド姫が適任じゃないかな」

「解りました」


 セロアは頷いて、用意していた旅渡券をリンドに手渡した。

 ルベルの隣に行って肩に手を掛けると、少女の瞳がセロアを見上げ、にこりと笑う。アルエスに押されつつフリックが入って二人の後ろに立ち、ゼオもそれに続いて、最後に券を持ったリンドが陣の中に入った。


「行ってらっしゃい」

 すぐ隣まで、みたいな軽さでロッシェが言う。


「いってきます!」

 ルベルが明るく答え、それを聞くとリンドは旅渡券を掲げ持って、軽く息を吸った。


「それでは行くぞ。一応、テレポートの一種だから、慣れてない者は呼吸を合わせた方がいいかもな。では――……」


 表面に記された簡単な文を読み終えると、呼応するように床に刻まれた線が淡く発光し、魔法文字が浮び上がった。航路の門で見た物と同じ仕掛けかもしれない、とセロアは思う。



 ――その、一瞬を衝いて。



 ルベルがするりとセロアの手を抜け、光りだした魔法陣の外側に飛び出した。

 外にいたロッシェが驚きで、目を瞠ったのが判る。


「ルベル!?」


 リンドが茫然と声を上げた。少女は勢いのまま父に抱きつき、魔法陣を振り返る。その目に映る輝きと、口元に浮かぶ得意げな笑み。


「はは、やられましたね」


 セロアが笑って呟いた、と同時。発現した魔法は忠実にその効果を顕した。

 次の瞬間にはゼオを含めた五人とも、まったく見知らぬ部屋に――ライヴァン王宮の『ゲート』に、立っていたのだった。


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