7-2 それが願うということだから


「……なぁ、セロア」


 湿り気ある下草と落ち葉が足音を吸い込む。

 時折聞こえる物音が葉ずれの音と鳥の声だけな森は、フリックにとって懐かしさを呼び起こされる場所だった。


「なんですか? フリック」


 泰然としているから気づかないでしまいがちだが、実はこの賢者、恐ろしく不器用だ。そのくせ好奇心は人一倍なので、悲惨だったのはフリックだ。

 見落として素通りしてくれれば良いものを、覗き込んで妙なモノをつつき出した事、数知れず。それでも運がいいからか逃げ足が早いからか当人は害を被らないのだから理不尽だ。

 ただでもアンラッキーな自分が相対効果でますます惨めに見えてくるという副作用も手伝って、とにかく往路は悲惨だったが、その割にあまり凹みもしないのは慣れの恐ろしさだろうか。


 過ぎたことはともかく、行きに教訓を得てか帰りの時間を気にしてか、さすがのセロアも今は余計なモノに見向きもしない。

 フリックは往路で書き付けた地図を時々確認しつつ、振り返らずセロアに話しかける。


「セロアはさ、ルベルちゃんのオヤジさんのこと、どれだけ知ってンだ?」

「ほとんど全く知らないですよ」


 賢者の口調は常の通り淡々と穏やかで、その心中をウサギが知る手立てはなかった。


「連れ戻せるって思ってるワケ?」


 自分自身の意志で戻って来ないという、ルベルの父親。

 その心理をフリックは理解できないし、だから可能性の程度を予測することもできないでいる。


「どうでしょう、難しいかもしれませんね」


 静かな声には動揺もあきらめも含まれていない、ように思えた。

 ただ事実を述べただけの平坦な抑揚。


「ルベルちゃんは、解ってんのかな」


 小さく呟いたら、胸が詰まって泣きたい気分に襲われた。

 セロアからの返答はなく、少しの沈黙と、湿った落ち葉を踏む微かな音が居心地悪い。


「……でも絶対、会えると思ってますよ」


 ぽつりと落ちた、小さな呟き。フリックは立ち止まり、振り返る。

 賢者は長い外套に手を突っ込むと、白い毛玉をふたつ掴み出して、ぽぅんと放った。白毛のイキモノはふよふよ漂い、セロアの方に二匹仲良く留まって黒い瞳をぱちりと瞬かせている。


「あの子は叶うまで、絶対にあきらめないでしょうし。闇雲に家出したわけでもないですしね。ルベルちゃんは、お父さんに会うため何が必要なのか解ってますから」

「なにって……?」


 親近感が湧く白毛玉のイキモノ––––確か幸運の妖精だったか、に目を奪われつつフリックは聞き返した。

 頭上の枝から勢いよく鳥が飛び立ち、一瞬だけ影を落として去ってゆく。


「幸運を引き寄せる方法、ですよ」


 どこかで聞いた覚えがある気がして、一瞬フリックは記憶を巡らす。

 ––––あの大賢者だ。


「ラッキーとかアンラッキーって、不確定なモンじゃねーの?」


 熱を帯びる動機を押さえつけ、軽めに聞き返してみる。

 わざとらしく聞こえてなけりゃいいけど、と思いつつ。


「日常に起きる些細な幸運不運は、そうでしょうね。それでも、何かの成功率を限りなく高める方法はあるんですよ」


 セロアはそう言い意味深に笑んだ。

 それがどんな含みなのか見抜けず、フリックは首を傾げる。


「魔法かなんかで、ってーコト?」

「魔法のように特殊な技能は必要ありませんね。それほど難しいことじゃないですから。単純に、他人の心を惹きつけることがつまり、幸運を引き寄せると同じことなんです」


 解るような、解らないような。

 難しいことを言われているのでない事は解るが、自分の解釈が彼の言わんとしている事と果たして一致しているのかどうか。


「たくさんのヒトが強く願えば、精霊や王たちが幸運ラッキーを授けてくれるって言いてーの?」

 セロアはゆるりと笑った。


「それもあるでしょうけど、そんなに漠然としたものではないですよ。人の数と同じだけ、知識や技術、経験は異なります。同じ目的の下に一致する人の数が多いほど、取れる手段は多岐に及びますよね」


 フリックは頷く。

 セロアは続ける。


「この件の場合、ルベルちゃんの願いがフェトゥース国王の心を動かしたので、国王陛下はルベルちゃんに監獄島の地図を貸してくれました。同じように後見人のルゥイさんを動かすことで、中位精霊である灼虎のゼオが旅の守護者として着いてくれました。出会いが偶然とはいえ、リンドがルベルちゃんに同情してくれたから、他にないほどの早さで私たちはティスティル王宮にいます。そしてフリック、あなたがルベルちゃんを助けたいと思ってくれたから、建国王と会って話すことができたんですよ。私一人でこの森を抜ける事は難しいですからね。……これが全部、ただの幸運な偶然だと思いますか?」


 じわ、と頰に熱が上るのを感じながら、フリックは黙ってセロアを見返した。

 自分の存在が確かに役立っていると面と向かって言われたのが、なんだか照れくさくって嬉しくて落ち着かない。

 セロアの言葉は続く。


「人と人の邂逅なんて、大抵が偶然の積み重ねです。だけれど、そんなわずかな幸運も見逃さない、それがルベルちゃんの凄さだと思いますよ。観察眼の鋭さはきっと、お父さん譲りなんでしょうね」

「……なるほどな」


 なぜ自分は少女を助けたいと思ったのだろう。

 ぼんやりと考えて、ふいと合点する。


「ルベルちゃんにじーっと見られると、ドキドキするよなー」

「そうですよね」


 賢者もそれに同意なのか、大きく頷いた。

 まっすぐ見上げる大きな瞳。まばたきもせず食い入るように見つめられると、なんだか心の中まで分け入って来られる錯覚に陥るのだ。


「ルベルちゃん相手じゃ、ガンコオヤジだろーと敵わなそうだなっ」


 頑なな父親の心は彼女でなければ動かすことができないのかもしれない、と思う。

 セロアは頷き、そしてふ、と彼にしては珍しい、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「逢ってしまえば最後ですよ。レジオーラ卿には、きっちり観念してもらわないと。そのために私たちは、ルベルちゃんを無事に連れて行くよう頑張らないといけませんね」

「おぅともさっ」


 とにかく頑張ろう、と思った。

 セロアの言葉の何割かが、希望的観測だったとしても––––。

 今、動くために必要な理由はそれでいいんだと、フリックは胸の奥ですうっと覚悟が決まったのだった。

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