第24話 音痴

 突然、歌いだしたジンに女性は戸惑っていた。


「あ、あの…………え?」


 ジンの歌を聞いた女性は、口を半開きに開けたまま黙ってしまった。知らない異国の歌だったが、明らかに音程もリズムもバラバラだということは分かった。


 つまり、その歌を知らない人が聞いても分かるほど、ジンは音痴だったのだ。


 その音痴は恥じることなく最後まで歌い切ると女性に向けて微笑んだ。


「ほら、私だって歌ったんだから、この前の歌を聞かせてよ」


 ジンの言葉で現実に戻った女性は我に返って周囲を見た。いつもと同じように木々と花々が風で揺れているだけで人の気配はない。


 女性は決心したように両手を握るとジンを睨みつけた。


「分かりました。ですが、今は楽譜と歌詞を書いた紙を持っていませんので、来週またこちらでお会いした時でもよろしいですか?」


「えー、そう言って逃げない?」


「そのような恥知らずなことをするつもりはありません。それにお願いもあります」


「何?」


「先ほどの歌ですが、歌詞を書いてきてもらえませんか?できれば、他のご存じの歌も。私は異国の歌をあまり知らないので、教えて頂ければ嬉しいのですが」


「あんまり歌は知らないんだけど……まあ、覚えているのだけでいいなら、いいよ」


 ジンの了承に女性は華やかに笑った。その顔は闇夜で雲に隠されていた月が姿を現したように優しい輝きを秘めている。


「ありがとうございます」


 女性から素直に出た言葉と表情にジンが黙る。そのまま固まってしまったジンに女性が首を傾げながら声をかけた。


「どうかされましたか?」


「いや、ちゃんと笑えるし、礼も言えるんだなって思って。いっつも上辺だけの笑顔だったし、礼も促されないと言わなかったからさ。てっきり言えないんだと思っていた」


 ジンの言葉に女性の顔が再び赤くなる。


「し、失礼ですね!礼ぐらい言えます!」


「上辺だけの笑顔は否定しないんだ」


「そ、それは……」


 気まずそうにゴニョゴニョと言葉を濁す女性の頭をジンがポンポンと撫でる。


「上辺だけの笑顔も必要だけど、たまには心から笑うのもいいよ。じゃあ、また来週ね」


 そう言ってジンは女性を残して歩いて去っていった。

 女性はしばらく呆然とジンの後ろ姿を見送っていたが、何かを思い出したように小走りで去っていった。


 中庭に誰もいなくなったところで男女の声が響いた。


「来週もここでランチを食べましょうか?」


「奇遇ね。私もそう思ったところよ」


 そして軽く指を鳴らす音が響いた。すると先ほどまで誰もいなかった中庭の芝生の上にファツィオとリアの姿が現れた。

 ちなみに二人がいる場所はジンと女性が座って話していたベンチの真ん前だ。


 リアが空になったバスケットを持って立ち上がる。


「それにしても、ジンがあんなに音痴だとは思わなかったわ」


「あそこまでくると一種の芸術品ですね。マネしたくても出来ませんから」


「まさか、ファツィオも音痴なの?」


 思わぬ疑いにファツィオが軽く肩をすくめる。


「まさか。歌は人並みですよ」


「でも、その声だと普通以上に聞こえるでしょうね。けど、私以外の前で歌わないでよ」


「当然です」


 ファツィオの答えにリアが満足そうに笑う。


「なら、いいわ。じゃあ、来週もランチを持参するわ」


「私的には毎日でもいいのですけどね。ですが、本当にジン殿は私たちの存在に気がついていなかったのですか?」


「ジンが言うには私の魔法は特殊らしくて、うまく感知できないらしいの。だから、魔法で姿と気配を消した私たちには気付いていなかった、というより気付けなかったと思うわ」


「そうですか。では、もう少し二人の様子を観察させて頂きましょう」


 そう断言したファツィオの表情はどこか優れなかった。


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