第3話 腹話術

 数日後。


「すみませんね」


 優男がすまなそうな視線を青年に向ける。一方の青年は苦笑いを浮かべただけで何も言わない。


 二人は赤い絨毯が敷かれている廊下を歩いていた。

 堅牢な造りの建物だが壁に絵画や骨董などの装飾品があり、質素な中にも彩りがある。窓は目線より高いところにあるため外は見えないが、差し込む光で天気が良いことがわかる。


 優男は廊下の先にある豪華な扉を見ながら言った。


「仕方がないとはいえ、身元不明の不審極まりない私がこのような場所に来て良かったのかい?」


 青年は肩をすくめながら口を動かした。


『声が出ないのですから、読唇術が使えるあなたが通訳しないと事情も説明できません。責任は私が取りますから、あなたは心配しないで下さい』


 普通に口を動かしているのだが、まったく声が出ていない。口から音がない空気が出るだけなのだが、優男は青年の言いたいことを口の動きだけで理解して頷いた。


「それにしても、君も物好きだよね。こんな状況に……」


 優男の言葉を切るように青年が足を止める。

 目的地をこの廊下の先にある豪華な扉の中だと思っていた優男は、足を止めて不思議そうに青年を見た。


「どうしました?」


『ここ』


 青年が声の出ない口を動かして指さす。そこには普通のドアがあるだけだった。


「そこ?」


『はい』


 青年は頷くと軽くノックをして口を動かした。


『ファツィオ・アントネッロです。命に従い参上しました』


 ファツィオと名乗った青年の口の動きとほぼ同時に優男が声を出して代弁する。しかしファツィオの声は一度聴いたら忘れられないほど特徴がある。


 部屋の中の主が怪訝そうな声で訊ねた。


「声が違うようだが、風邪でもひいたのかね?」


『声が出ないので、代弁をさせています』


 ファツィオが話すのと、ほぼ同時に優男が話しているが、その光景は部屋の中の主には見えない。


 少しの間を置いて部屋の主が返事をした。


「……ふむ。厳重な警備を抜けて、ここまで入って来られたのだから貴公が偽物ということもあるまい。入れ」


『失礼します』


 ファツィオがドアを開けて室内に入った。その後ろを優男がついて行く。


 室内の主は書類が積み上げられた机の前に座っていた。

 金糸のように細く輝く金髪と空のように澄んだ青の瞳をしており、年齢は三十歳前後で整った顔立ちをしている。はっきり言えば美形であり、社交界では女性から注目を浴びる目立つ存在であろう。


 室内の主は瞳を鋭くしたまま口元だけで笑みを作ってファツィオを迎えた。


「確かにアントネッロ卿だな。だが……後ろにいるのは誰だ?見たことがない顔だが」


『こちらはジン殿です。今は私の声が出ないので、代弁をしてもらっています』


 ファツィオは口を動かしているのだが、声は隣に立っているジンと紹介された優男から発せられているという奇妙な光景に部屋の主は少し顔をしかめた。


「ふむ。いろいろ聞きたいことがあるのだが……とりあえず、ジン殿といったな?何者だ?アントネッロ卿の新しい部下か?」


 部屋の主の問いにファツィオが軽く首を横に振る。


『部下ではありません。ジン殿は旅人です。私が領地を荒らす大熊を追いかけていたところ、その先にジン殿がいまして力添えをしてもらいました。ジン殿のおかげで領地には被害なく大熊を退治できましたが、その時に声を……』


 と、そこでファツィオが少しだけ顔を伏せる。その姿は哀愁が漂っているようにも見えた。


 女性だけでなく男性をも魅了してしまうファツィオの声は一部のファンから国の宝とまで言われて崇拝されかけている。


 その声が出なくなったことにファツィオが心を痛めいていると判断した部屋の主は、同情するように少しだけ表情を崩した。


「そうか。その時に喉を傷めたのだな」


 その言葉にファツィオは肯定も否定もせず黙っている。だが部屋の主は気にした様子なく、ジンに鋭い視線を向けた。


「では、次の質問だが、どのようにアントネッロ卿の意思をジン殿が話しているのだ?よく見るとアントネッロ卿が話すとほぼ同時にジン殿が話しているようだが、これはどういうカラクリだ?」


 ファツィオが顔を上げて説明をする。


『ジン殿は口の動きだけで相手の言葉を読む読唇術というものを習得しているそうです。そのおかげで、私は普通に話すだけでジン殿が言葉にしてくれますので、余計な手間と時間がかかりません』


「確かにそれは便利だな。だが、それだけでここまで連れてくるのは、どうかと思うぞ」


『何かありました時は、私が全ての責任をとります』


 断言したファツィオに部屋の主が青い瞳を丸くする。


「そこまで信用できる男なのか?それとも、他に何か策を講じているのか?」


 部屋の主の質問にファツィオは笑顔のまま答えなかった。

 こうなると、これ以上のことは何も話さなくなることを知っている部屋の主は、諦めたように軽くため息を吐いた。


「まあ、よい。アントネッロ卿がそれだけ信用に足る人間だと判断したということにしよう」


 部屋の主の言葉にファツィオは軽く頭を下げた。

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