突然の別れ
二人並んで……なんてことないスズメに目を止めて、そしてそのなんてことない幸せを分かち合っているような……すごく仲睦まじいカップルじゃないか? 俺は俄かに曰く言い難い気分になって、二人のところにすっ飛んで行って、梶本に、お前はお母さんからしかバレンタインのチョコレートをもらわない男ではなかったのか、と問い詰めたくなった。でも実行に移すのはやめておいた。その代わりに二人に背を向け、図書館に戻ることにした。バスはもう一本遅らせよう。
歩きながら、俺はふと思った。何か既視感を覚えるのだ。こういう光景をどこかで見た……気がする。記憶を探りながら歩いて、俺は突然あることを思い出した。
「見た」、んじゃない。「読んだ」んだ。
それは梶本の書いた小説だった。短編で、余命いくばくもないヒロインがいる。主人公の男性はヒロインの家を訪ねる。今より少し昔の時代で、古い日本家屋の縁側に二人が並んで座る。
ヒロインは着物の寝間着姿。主人公も着物姿。縁側の向こうは日本庭園だ。そこにスズメが降り立つ。惹かれあっている二人は、スズメを見ながら、小さな幸せを噛みしめる――。
そのヒロインも、長くて綺麗な黒髪の持ち主なんだ。俺は二人の方を振り返った。菊川雪乃の美しい髪が見える。ヒロインは淑やかで可憐だったが、菊川雪乃もそうだ。
そしてスズメ。場所はバス停じゃないけど……。よくあるワンシーンと言えるかもしれない。でも俺は何故か胸が騒いだ。
フィクションの世界が、奇妙に現実に近づきつつあるような気がしたのだ。俺はもう一度よく、梶本の顔を見た。相変わらず笑顔だった。梶本はこのおかしな状況に気付いているのだろうか。気付いてはなさそうだったし、気に留めてもいなさそうだった。
――――
けれども数日後、事態は急変した。梶本が浮かない顔で、それはもう、とても浮かない顔で、登校してきた。俺は俄然、気になった。しかし梶本は理由を話そうとしない。ただ、今日は部活に行くとだけ言った。
放課後、文芸部の部室にて。俺と白石が梶本に早速質問する。一体何があったのか、と。梶本は最初ははぐらかしていたが、やがて折れた。一対二ではどうしようもないのだ。椅子に座り、視線を落として、梶本はぽつりと言った。
「ゆき……、菊川さんのことなんだ」
やはりそうか。俺と白石が黙っていると、梶本は言葉を続けた。
「遠くに行ってしまうっていうんだ。もう会えないかも……」
引っ越しでもするのだろうか。菊川雪乃についてはやきもきさせられた部分もあるが、しょげかえっている梶本を見ると、さすがに気の毒な気持ちになってきた。俺は、梶本を元気づけるために明るく言った。
「メールでも出せばいいじゃないか。会えないかもっていっても、そんなに遠くじゃないんだろ」
「いや、遠いんだよ。すごく遠くって言ってた。それにメールは届かないらしい」
どういうことなんだ? と俺は思った。メールが届かない場所とは? 今度は白石が声をかけた。
「メールが駄目なら、電話でも手紙でも……」
「それも駄目なんだ」
疑問がさらに大きくなった。メールどころか、電話も手紙も届かない。一体、菊川雪乃はどこに行くんだ……。俺と白石が黙っていると、梶本は暗い声で言った。
「ここには船で来たっていうんだ。船は故障していたんだけど、それが直ったので、仲間と共に故郷に帰らないといけないらしい。でもその故郷がすごく遠くて……」
船? 菊川雪乃は島か、もしくは外国から来たのだろうか。それにしても、メールも電話も手紙も無理とは、どういう場所なんだ。
「――俺にも来てほしいって、言うんだ。一緒に来てほしい、って」
浮かない顔で梶本は言った。来てほしいって……。菊川雪乃はそんなよくわからない場所に梶本を連れていこうとしているのか。俺が何と言ったものか困っていると、唐突に白石が声を上げた。
「そういえば! 今泉先生に、職員室まで来てくれって言われてたんだった! 池谷と一緒に」
「え、そうなの?」
一体何の用なのだろう。梶本のことが気になるが、とりあえずは先生のところに行けなければならない。俺と白石は部室を出た。
外の廊下に出ると、白石が腕を引っ張る。部室の扉から離れ、手すりの近くまで来て、白石は俺に言った。
「さっきのは嘘。ただちょっと二人で話がしたくて」
「何なんだ?」
よく晴れた日だった。遠くから、運動部の声がする。白石は真面目な顔をして俺に言った。
「さっきの梶本の話。どういうことなのあれは」
それは俺も聞きたい。遠くに行ってしまうという菊川雪乃。遠く。ずっと遠く。もう連絡さえもできないような……。まさか……。
俺はふと暗い予感にぶち当たり、それを白石に言った。
「……まさか、菊川雪乃は余命いくばくもない、とか」
「まさか」
白石がぴしゃりと否定した。「一度だけしか見たことないけど、元気そうだったじゃない。そんな病気には見えなかった……けど」
否定はしたものの、次第に自信がなくなったらしい。声が多少頼りなくなった。
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