第30話
その日、六年生と一年生は合同で遠足に行っていた。その時、友里は昼食後の眠気のある教室で五時間目の算数の授業を受けていた。
異変が起きたのは、光國が問題に答えるために席から立ち上がったその瞬間だった。
「二分の三足す二分の一は二分の四になるので、答えは2です。」
「正解よ。青木君。」
ジリリリリリリリリ!!!
「きゃっ!?」
「何?」
唐突に鳴り響くベルの音と、児童の困惑した声。
友里は、本に栞を挟んだ。
『校内に不審者が侵入しました。繰り返します。校内に不審者が侵入しました。児童の皆さんは先生の指示にしたがって避難してください。』
スピーカーから出てくる無機質な男性の声。
「避難訓練?」
困惑した女の子がそんな言葉を吐く。
____違う。美咲先生も困惑している。本当に不審者が侵入してきたのだろう。
友里は、辺りを見渡してそう判断する。
窓の外を見れば、校庭で体育の授業なのかサッカーをしていた3年生がおろおろとしながら先生の回りで体育座りをしている。
ここは、教室棟の一階だ。校庭は窓のすぐ隣で、校門は教員棟を挟んで正反対。体育館は教員棟と教室棟の間に位置する連絡通路を通らなくてはいけない。
先ほどの放送では、不審者がどこから侵入したのか、今どこにいるのかを明らかにしていない。
____とりあえず、先生の指示に従おう。
友里はそう判断して、美咲の方を見る。
が、困惑していたのは、美咲もだった。
友里は思わず眉を潜める。
____こういうとき、体育館に避難するとか、校庭に一時的に集合するとか、決まっているのではないの?
美咲は辺りをキョロキョロと見回しているだけだ。
さすがに不安を覚えた友里は、黙って立ち上がる。
周囲の視線が一斉に友里の一挙手一投足に集まる。
音と視線を無視して、友里は教室の引き戸のつまみを下ろす。
ガチャン、と、いい音をたてて鍵はしまった。
「ちょ、友里さん、何をしているのですか!?」
美咲が思わず声を出す。
しかし、その音は友里に届くことはなかった。友里は、引き戸についている硝子窓から外の様子を伺う。
____何かがいる……。
ジーンズにパーカーの成人男性。不審者だろうか。
友里は目を凝らす。
申し訳程度に被られたパーカーから、醜悪な笑みと赤い瞳が覗いている。
「!?」
友里は騒音を立てる男子の声を無視して机を奪うと、引き戸が開かなくなるようにその机を再設置。
そして、校庭の方へ歩み寄ると、窓を開けて、上履きのまま校庭の砂を踏みしめる。
「友里さん!?」
美咲の叫び声が響く。その瞬間。
がっ、ドン、ドンドン!!
キャァァァァァァァ!?!?
ドアを開けようとする音と、凄まじい悲鳴。鍵と設置された机によって扉が開くことはなかったが、教室内は一気にパニックに陥った。
____何?何なの!?
美咲は最早冷静な判断が出来なかった。
ただ、呆然と扉を見つめて、棒立ちをする。
悲鳴を上げる少年、涙を流す少女。
光國はいち早く正気に戻って、机を引き戸の前に並べていく。
____こんな薄っぺらい扉、壊そうと思ったらすぐに壊せる!バリケードを作らないと!
先生も、友達も、誰一人手伝うことのないなか、光國は最善の判断を下した。
……ただ、その判断は、『最良』の判断ではなかった。あくまで、最善の判断でしかなかった。
バキャッ
木片が散って、扉の割れ目から赤い瞳が覗く。
「き、吸血鬼……!」
散々ニュースやパンフレットで見たその姿。瞳。
恐怖を覚えた児童は、光國をおいて我先に窓から外へ逃げていく。
「た、たっちゃん、置いてくなよ!」
光國は思わず悲鳴を上げるが、その声は周りの悲鳴で掻き消えた。
バキッ、バキッ!!
「ひっ!!」
光國は腰が抜けて座り込む。
吸血鬼は、醜悪な笑みを一層深めて、扉とバリケードを崩していく。
____恐い……
扉が完全に破壊される。光國は、ずるずると後ろに下がる。
____怖い……。
バリケードに蹴りを入れる吸血鬼。
金属の擦れ会う音と破壊音が教室にこだまする。
「たす、けて……」
バリケードを掻き分けて、吸血鬼が教室の中に入ってくる。
こつり、こつりと足音をたてて吸血鬼は光國の方へと歩み寄ってくる。
光國は思わず目を閉じる。
誰か、誰か誰か誰か、
「助けて!!」
手を伸ばす吸血鬼。
その手が、光國に触れるかと思えたその瞬間、凄まじい悲鳴が教室に響いた。
光國の声ではない。
他の児童の声でもない。
光國は恐る恐る目を開ける。
そして、今度こそ悲鳴を上げた。
吸血鬼の目に、鉛筆が突き立てられていた。
刺したのは、散々光國がいじめていた、転校生。
友里が、光國の前に立っていた。
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