魔女と吸血鬼

Oz

第0話 前夜

 ……ある、嵐の夜だった。

 柔らかなベッドの中で眠りに就いていた少女は、窓の外からの大きな雷の音で目を覚ました。


「ん……」


 少女は、小さな声を漏らしながらゆっくりと体を起こす。

 夜闇にうごめく少女の背は、小さかった。せいぜい、7、8歳といったところだろう。しかし、その小さな体に見合わず、彼女の艶やかな黒髪は腰までの長さだった。


__喉が、乾いた。


 そう思った少女はベッドからずるずると体を抜き出ると、ほとんど光のない廊下を、足の感覚を頼りにリビングの方へと足を進めた。


◇◆◇


 随分と騒がしい夜だった。

 窓に叩きつける雨水に、ガラスと地面を揺らす雷。そして、風の通り抜ける大きな音。音がない瞬間が一時たりとも存在しない夜だった。


 少女はそんな中、暗いリビングにたどり着いた。

 強い風の音が窓を叩き、バンバンという音を、通り抜ける風の音が、ひゅうひゅうという高い音を奏でている。

 彼女の一軒家はリビングとキッチンが半ば繋がった作りになっている。そのため、食器棚はリビングのキッチンに近い壁のところ、窓のすぐ横に位置していた。いつもは、朝日をガラスが反射させて、目を覚ますたびに眩しい日差しをリビングの中に提供していたのだが、今夜はその限りではないらしい。

 雷の振動のせいなのか、何か他の要因があるのか、食器棚のガラスは割れ、たくさんの食器がフローリングの上に転がり、割れて、落ちていた。


 __水、どうやって飲もう……。


 現実逃避なのか、起きだばかりで夢見心地だったからなのか、そんなことを思いながらシンクの方へ近づく。

 綺麗に掃除されたシンクには、幸いにも洗ったばかりのコップが二つと白い大きな皿が一枚残っていた。

 少女はそれを使ってのどを潤していく。

 冷たいミネラルウォーターが喉を通っていくに連れて、だんだんと彼女の頭が冴えていく。


 そして、気がついた。


 食器棚のすぐ近くの窓。そこが、大きく割れていたことに。

 そして、その風に乗って、鉄くさい異臭がこちらに漂ってきていることに。


 ……びゅうびゅうという音が少女の耳にまとわりつく。

 少女は、恐る恐る食器棚の方へと近寄る。

 粉々に砕けて、割れて、白や赤や青の陶片を散らばせたフローリング。ヒビの入ったガラスのコップ。そして、黒々と広がる血の海に、そこに浮かぶ、かなり大きなボロ切れをまとった人形。


 いや、人形ではない。それは、「ヒト」だった。


 ……ゴソッ


「?!」


 動いた。が一瞬。

 少女はそれに駆け寄ると、そっとの手首に触る。


 とくん、とくん、とくん


 指先を伝わり感じられる、小さな鼓動と、体温。

 そして、乱れてはいるものの、確かに行われている呼吸。


__生きている!


 少女は、すぐに行動を起こした。

 バタバタと大きな足音を立てながら部屋に駆け戻ると、母から譲ってもらった救急箱を取り出す。

 そしてまたバタバタと足音を立ててリビングに駆け戻り、救急箱をその人のそばにおいてから、次は二階に駆け上り、お風呂場から大きなタライを一つと風呂場近くの棚から大きな消毒液を1瓶掴んで、転がるようにリビングに降りる。

 タライにはミネラルウオーターを入れ、消毒液の瓶とともにその人のそばにおいた。


 そして、その人をしっかりと見る。


 その男性は、腕には焦げたような小さなやけどに、太ももには裂けたような切り傷など、全身に大小様々な傷を負っていた。

 一番大きいのは、腹部の裂傷だ。

 脂肪の層を軽く超え、筋肉の層すら切り裂き、内臓が見えていないのが奇跡であるような大怪我。


「……っ!!」


 少女はあまりの光景に思わず目をそらし、目を閉じた。

 この人はもう、死んでしまうのではないか。今更私が何をしようと、無駄ではないか。そんな思想が心に巣食う。


__ダメだ。思い出せ、母から教えてもらったこと思想を。私が覚えたこと技術を。


 目を見開き、倒れた人の傷をみる。


__先ずは、優先順位の確認。


 一番大きな傷は、先ほども見た腹部の裂傷。出血もひどく、傷口もお世辞に綺麗とは言えない。


__出血がひどいところはまず止血から。血には感染病の病原菌が含まれている可能性がある。絶対に直接触ってはいけない。


 救急箱から清潔なガーゼと薄いビニール手袋を取り出す。

 手袋をしっかりとつけてから、傷口にガーゼを当てた。

 圧迫止血だ。


__次は、傷口の洗浄で……


 少女は、ただがた7、8歳の少女だ。

 できることなど、限られている。


__よし、腹部の傷の処置が終わった。次は、腕の火傷。


 できることなど、限られている。


__火傷は切り傷に比べて放っておくと病気の原因になりやすい。洗浄してから消毒と冷却。


 できることなど、限られている。

 それが、であれば。


「でき、た。」


 少女は、その場に倒れこんだ。

 を終えたのだ。たった一人で。



 できないことを、すべて終えた。少女は、彼女は、だった。



 男性の呼吸はいつの間にか一定になっており、脈拍もほとんど正常になっていた。


__なんとか、なった……!


 安心したせいなのか、疲れからか、フローリングから立ち上がる気力すら起きず、やがて眠ってしまった。




 5月16日、台風2号が日本列島を通過したその日。少女、秋田友里が救った命は、吸血鬼だった。

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