愛し愛され虚に堕ちる

千ヶ谷結城

愛し愛され虚に堕ちる

 呼吸するたびに白く見えるように息ができる。

 彼から電話をもらって公園に駆けつけたものの、公園には誰もいなかった。


『公園にいるから来て』


 そう言ったのは彼なのに。

 「来て」といった張本人がいないとは何事だ。

 ふつふつと小さな怒りが込みあげてきそうだ、と思った瞬間。


「だーれだっ!」


 突然目をふさがれ、ただでさえ夜で視界が暗いのに、今度は頼っていた街灯でさえ見えなくなった。


「えっ……えっ……!?」


 私は困惑し、私の目をふさいだ人物の名前すら言えなかった。

 しだいに目をふさいでいた手は私の首まで下りて、そのまま抱きついたかたちとなった。


「あったけぇ……。こんな早く来てくれるなんて思ってなかった」


 耳元で彼の声が聞こえ、肩に力がはいった。

 彼のものと思われる白い息が後ろから見えて、そこに彼がいることを実感した。


「そりゃ早く来るよ。……助けてなんて言われたら、さ。どうしたの?」


 少し固くなりながら私は応答した。

 すると後ろからため息が聞こえて白い息が再び見えた。

 少し彼の吐息が耳にかかり、私の心臓が跳ねた。

 と同時に、彼の腕が首から腰にまですっと落ちた。

 私は足の力が抜けそうになるのを必死に耐えた。


「最近おまえの声ばっかりで物足りなかったんだよ。どうしても今日会いたくなった」


 ぎゅっときつくなる彼の腕に哀しさを感じた。

 そこまで自分を必要としてくれているのかと嬉しく思った。

 同時に、彼が私に依存することによって私の逃げ場がなくなるのではないかと不安に思った。


「私は会いたいって言ってくれれば会いにいくよ」


 私の言葉が相当嬉しかったのか、彼は小さく「ありがとう」と呟いて、私の首に1回だけキスをした。

 突然で驚き、くすぐったいと感じた私は声は我慢したが白い吐息が漏れてしまった。

 彼は本当にキスを1回で止め、そのあとは私の肩に顔をうずめてしまった。

 私が思う5分が経過したころ、やっと彼は私の肩から顔を上げた。

 鼻をすすっていたから、きっと泣いていたんだと思う。

 誰にも見せたくない涙を私で拭ってくれた。

 今まで感じたことのないような嬉しさが溢れて、私は軽く握っていた彼の手を少し強めに握った。


「寒いのに、来てくれてありがと」


 水っぽくなった声で彼は言った。

 震えた彼の声を聞いて、私まで泣きそうになった。


「私が役に立つなら、いつでも力になるから」


 彼を励ますはずが、どこか自分を励ましている気がして悔しくなった。

 そして、申し訳なくなった。

 こんなにも彼は私を頼って愛してくれているのに、私は彼に宛てた言葉でさえ自分のものにしようとした。

 これ以上、彼をおいて先に進むことはできなかった。


「……ごめん」


 どうしても抑えられない。

 しっかりとした自分の気持ちを伝えなくては、彼と釣り合うことができない。

 今すぐに伝えるべきだ。


「私、キミが好き。だけど、もしかしたらどこかずれてるのかも。私なりに愛してるつもりだけど、違ったら言ってね。私、キミにちゃんと愛されたい。君をちゃんと愛したい。だから……」


 語尾が消えることが怖かった。

 伝えたいことが何も伝わっていない気がしたからだ。

 ちょっとした恐怖心に怯えていた私を一層強く抱き、彼は優しく言った。


「大丈夫。俺はちゃんと愛してるし、ちゃんと愛されてる。おまえと一緒にいないと、こんなこと考えられない。おまえがいるから、俺はおまえを愛してる」


 彼の水っぽい声はすっかり治り、元の優しく強い声音になっていた。

 彼は私を安心させるためにそう言ってくれたのだろう。

 例え私が安心できなくても、無理に安心するべきだと思った。

 彼を受け入れるべきだった。


「……うん」


 か細く返事をして、安心したことにした。

 安心したと考えることによって、急に彼のぬくもりが感じられて、本当に安心できた。


「そっか。私、キミに愛されてるんだね」


 事実を口にすると、だまされていた自分が正当化され、愛されている実感がしっかりと湧いた。

 寒くてかじかんでいるはずの手がどんどん熱を帯びて、彼にぬくもりを伝えていく。


「やっと安心した? おまえ、安心すると手あったかくなるよな」


 彼がくしゃっと笑うのが分かった。

 ここに来てまだ彼の顔を見ていなかったのに、彼がいつものように無邪気な笑顔を浮かべているのが見えるように感じられた。

 今の彼がどんな顔をしているのか見たくなった。

 許可を得て振り返るのもいいが、今は許可をとる時間さえも惜しい。

 彼の腕の力が弱くなるタイミングを測り、私は振り返った。

 眼前の彼の表情は驚きで染まっていた。

 しかし、すぐに彼は微笑み、顔を私に近づけた。


「我慢できなかったの? いけない子だなぁ」


 そう言って、いたずらっぽく笑い、口づけをした。

 本当は一瞬のキスでも、私には1分ほどの長いキスに感じられた。


「私、やっぱりキミ――」

「それ以上、言わないで。止まらなくなりそうだから。キスなんて、いつでもできる」


 5㎝の距離で彼が誘惑と理性を共にしている。

 私は彼の理性に従うことにした。


「そうだね、いつでもできるよね」


 今はこうすることが最善だった。

 彼と別れることは惜しかったが、また明日顔を合わせて手をつなげばいい。

 私たちには何回も明日が来るのだから。


「ばいばい、また明日」

「おう、また明日」


 私たちは惜しみながら体を離した。

 互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 彼の姿が見えなくなると雪が降り始めた。

 そして、哀しみなのか幸せなのか。

 涙が溢れた。

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愛し愛され虚に堕ちる 千ヶ谷結城 @Summer_Snow_

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