第20話 「オーバーホール」

 もしもハヤブサに意識があるのなら、昔の刑事ドラマのように腹を押さえながら叫んでいたに違いないのだが、今は礼一少年の方がそうしたかった。具体的には何じゃこりゃ、と大声で、小文字の母音を沢山ぶら下げて、そこに感嘆符を十個ぐらいトッピングして叫びたかった。もちろん、往来でそうするわけにもいかず、礼一少年はただただあんぐりと口を大きく開けるだけに留まった。


「お、どうしたねレイイチ君。そんなに驚くことがあったかね」


 と、衝撃的正面の、そのドアの縁からミヤシタが顔を出した。手には新聞――その一面は、ついこの間起きた、多数の身元不明の遺体が山奥に遺棄されていた事件を報じているが、ところで、紙の新聞は識字と資本の証である――を持っていて、相変わらず不健康そうで不機嫌そうな顔を暑さに歪ませている。……暑いなら熱い紅茶じゃなくてアイスティーでも飲めばいいのに、と礼一少年は思ったのだが、きっと彼のこだわりがそれを許さないのだろう。


 礼一少年はそのガレージのドアに近づきながら言った。


「えっと、あの、すみませんどうなってるんですかアレは」


「どれだね」


「ほら、アレですよ、その、アナタの後ろの……」


 何と言うんだったか、そもそも礼一少年は知らなかった。死線を共にした機体の名前を知らないこと、いや、練習のときに知ろうと思えば知れたことを知ろうともしなかったことがどれほど異常なことかを彼は当然知らない。


「ああ、『オスカー』のことか」


 と、ミヤシタは振り返って見上げ――るほどの高さは今はない。全高三メートルの機体は尻餅をついたような体勢で鎮座しているからだ。修理中に自立させられないのは、装甲に外骨格としての役割も負わせる近年の設計の唯一のデメリットだった。


「えっと、どういうことです? 一発も被弾しなかったはずでは……?」


 そう、礼一少年はあの20mmの弾幕の中一発の直撃弾をも食らわなかった。後半の挑発的射撃はともかく、前半の攻撃的射撃すら一発も機体に突き刺さってはいないはずだった。「ここまで追究するとは狂っている」とも言える加速性能と運動性能が全てを補ったはずだ。まさか一戦でぼろが出るはずもあるまい、だから分解はまだ必要ないはずなのだ。そうじゃないですか、と礼一少年はミヤシタにそのようなことを言って聞いてみた。


「残念ながら、その『まさか』だ」


 ミヤシタは礼一少年の素人考えを鼻で笑ってからそう言った。それから、トントン、と近くにあった机を二回つついた。一人の作業員が機体から離れてこちらに来た。


「チャアタイ、説明してやれ」


 どうやらこの男はチャアタイという名前らしい。ふくよか、というよりは脂肪の迷彩の下に筋肉という武器を隠しているような体型で、腕の太さと硬さの比は筋肉でしか成立し得ないもののようだった。大胸筋に至ってはボディビルダーも顔負けの大きさで、舗装に使われているどの石畳よりも大きく、恐らくはどれよりも硬い。その反面で足腰が貧弱なまでに細い……何てこともなく、彼が整備している機装巨人なんか比べものにならないほど凶悪であった。彫りは深い方だが、それらを包む肌はこの辺りの人間としては浅黒く、多分東方からルメンシスに来た口だろう。ルメンシス教国は「元の世界」で言うところのシリアだとかインドの辺りなども押さえているのだから不可能ではあるまい。朗らかな笑顔もあって、全体的な印象は好漢と言ったところである。


 ただし、問題が一つ。彼は裸だった。


 裸。


 ああ何と短い響き、たった一文字で現されるその情景は、彼こそが肉体美と労働美の象徴だという意味をここでは持つ。姿形こそ違えど、ダヴィデ像に匹敵するある種の均整の取れた体、何故彼はルネサンス期のフィレンツェに生まれなかったのか?


 ……いや、訂正、ダヴィデ像と違い、「ほぼ」裸だった。流石に下着は履いている――ただ、褌だから、多分ミヤシタが履くよう命令したものだろう。つまり、命令しなければ履かないということだ。


 礼一少年は一瞬目をそらす。ミヤシタを見て、本当にコイツはお前の呼んだ人物であってるか、近所の不審者が迷い込んだのではないだろうなと目で確認を取る。ミヤシタは安心しろと言いたげな目を――いや、完全に面白がって、からかうような目をしていた。


「さて、君があの機体のパイロットかね? 確か名前は――」


「レイイチです、ナカジマ・レイイチ……」


「そうか、君の機体のメンテナンスと修理を担当するチャアタイ・サーマニだ、よろしく」


 そう言って差し出された手を礼一少年は握り返した。かなり礼儀正しい人物で、どこぞの商人よりは遥かに信用できそうである。たっぷり蓄えてある髭のせいか厳しそうな印象も与えるのだが、握手の瞬間のわずかな笑みは、それを打ち消すぐらい優しいものだった。


 だが裸だ。


「さて、君の機体だが……君はどこまであの機体を知っている?」


「何というか、速くて軽くて動かしやすいぐらいにしか……すみません」


 礼一少年が謝ると、大声で笑いながら、別にいい、そんなものだ大抵は、と言った。大らかな人物だ。ますます好感が持てる。


 だが裸だ。


 その笑いが収まった辺りに礼一少年は口を挟んだ。


「それで……僕の機体はどうなっているんですか? どうして分解を?」


 この豪傑がこうして下がっても秩序的に整備が続いているのは彼の教育のせいだろう。しかし、それはつまり、複数人でするような複雑で大掛かりな整備がなされているということの裏返しだった。素人目であるが、装甲板を取り外し、内部の骨格を交換しているようにも見える。


 それに対して、チャアタイは少し難しげな顔をして、それから髭をなぞっている手はそのままに話し始めた。


「まあ、何と言えばいいのか――多分、君は悪くないと思うんだが……簡単に言うと、あの機体が脆すぎるんだろうな」


「脆すぎる?」


 豪傑は苦笑いした。


「ああそうさ。一発も食らっちゃいないが、これは対弾性の問題ではなくて――いや、確かに装甲は薄いしそれも原因だが、それ以上に減量のしすぎなんだよ」


「肉抜き、ってことですか」


「ああ、そうなる。エンジンパワーが低いのを無理矢理に補おうとするなら、俺だってああするだろうが……その代償がこれだ。計算上のスペックは悪くないが、そのフルスペックを発揮すればこんな風にオーバーロードで骨格構造が見事にイカレる。机の上だけで作ったような機体だよアレは」


 戦闘機動では、前述の通り、4Gから7Gがかかる。人体への影響ばかりが考えられがちではあるが――しかし、それは機体にものしかかるものである。むしろ、コックピットで座ってるだけのパイロットと違って、装甲板のついた腕を振り回したり、その上で武装を手放さないだけの握力を持たせたり、足を何度も何十センチも振り上げて加速したりと、局所的には比べものにならない遠心力や衝撃、圧力が加わる。人体は作られるものではないから変な言い方にはなるが、「人体よりも強靭に作られねばならない」のだ。


 最も簡単な解決法は、そこの構造に重量を割いてしまうことだ。というより、これがほぼ唯一と言っていい。黎明期から軽量化の試みは繰り返され、現在では内部骨格を少し弱くする代わりに外部装甲と組み合わせることで機体そのものを大きな骨格構造とするのがポピュラーになっている。セオリーがあるのなら、それを強くするだけのことである。


 が、言うまでもなく、それは重量を伴う。金を払ったから金がなくなったというような、水を飲んだから水がなくなったというような、至極当たり前のことだ。いかにオリカルクムといえども、その物理的現象から逃れられることはない。一番マズいのは、強いエンジンならいくらでもそれに耐えうるが、残念ながらオスカーのエンジンにはそれほどの力はないということだ。


 ならばどうするか。簡単だ。


 「解決しなければいい」。


 標準的な軽い構造を採用した上で――それを強化しない。逆に、ギリギリまで性能を引き出せるよう、ギリギリまで重量を削る。例え弱いエンジンでなくても、軽い機体がいいに決まっている。


 ……その結果がこの虚弱体質であるから、やりすぎの部類なのだが。とにかく、オスカーのそれはそういう理屈であった。


「しかし、オスカーか。我ながら本来のとは似ても似つかない名前だな」


 ミヤシタが新聞を開きながら言った。礼一少年は振り返って聞き返した。


「どういうことです?」


「オッデン王国だと別の呼び名なんだよ。『ハヤブサ』って言って、肉食の鳥の名前なんだとよ。ただ、異国語だからな。登録の時にそれらしい名前に変えたのさ。俺はオスカーの方が呼びやすいからそう呼ぶが……君はどうする?」


 と、チャアタイが補足した。礼一少年は何となく、それなら「オスカー」で統一した方がいいな、と考え、そう伝えた。昔の大衆迎合的性格が、こういうところで顔を出したのだった。


「それで、どれぐらいかかるんですか」


 礼一少年はチャアタイに聞いた。チャアタイは少し髭をなでて考えた後、呟くように言った。


「どんなに頑張っても一週間……だな。だがあくまで今のと同じパーツに取り替えるだけだから、根本的にやるならパーツを取り寄せるんでもっとかかる」


「取りあえず、動けるなら充分ですよ」


 一週間だけでも戦えないというのは、かなりの不安だった。休みたいのは確かに礼一少年の感情としてあるのだが、何というか漠然とした未来への不安があった。戦って戦って、もっとお金を稼がないといけないんじゃないかという危機感だ。


 しかし、チャアタイは首を縦には振らなかった。


「いや、これは俺の職人としての意地だ、あまりいい機体ではないかもしれないがそれでも最高の状態に仕上げたい。少なくともコロシアムには出せんな」


 そんな、と礼一少年から小さく声が出た。少しうつむき加減になったところから、その言いようのない不安を読み取ったのか、チャアタイは笑いながらその頭をなでた。


「確かに焦るのは分かるが、待つのも重要だ。待てばもっと稼げる。逆に今出ても稼げるかは分からん、そうだろう? ……それに、そんなに不安なら、機体は違うが、俺も元傭兵だ、戦い方を教えてやってもいい。それなら休みも無駄にはならないんじゃないか?」


 優しい顔だ。孫をあやすようになでられているのはちょっとだけ気に障ったが、礼一少年はヨハナとは別の安らぎをそこに覚えていた。


 だが裸だ。


 ……何故裸なんだ。

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