第16話 「洗礼」

「よろしかったのですか」


 と、ミヤシタの秘書は言った。本国から来て日が浅いが、書類整理やスケジュール管理の天才とも言うべき男だ。おまけに目上というものに対する忠誠心がどういうわけか高い。それが問題かどうかはともかく、利用するには問題ない。


「何がだ」


「あの機体と彼の件です。むざむざ失うこともないと思いますが……」


 そう言われて、ミヤシタは意地悪く笑った。確かに、むざむざ失うように見えるのだろう。だがそれは必然のことだ。あんな機体ではどうしようもない。それは軍事的には素人のミヤシタでも分かることだった。商人的感覚を持ち合わせていれば、当然の理論の帰着である。もちろん彼は無能なのではなく、その再確認のために言ったのだろう。


「もちろん、アレを失うのは損にはなるだろう。しかし後生大事に持っていてもアレを運用するだけの予備パーツや整備の費用が馬鹿にならん。メーカーは海の向こうだからな。なら機体を捨てればいいが……大っぴらにそれをやれば本国から大目玉だ。だが実戦で撃破されたとなれば問題あるまい。そうだろう?」


 そもそも、だ。とミヤシタは言う。


「そもそも、あの機体を本国はどうするつもりなんだ? 『モデル97』の焼き直しに過ぎないあんな時代遅れ極まりないものを売るつもりなら、俺はまず設計からやり直せと言いたいね。コンセプトからしておかしいんだ、時代遅れだよ」


「そんなに古いのですか」


「……お前、本当に見る目がないね」


 部下のあまりの機装巨人に対する定見のなさに嘆きそうになった。彼の大きな欠点だ。商人としてはそれなりに成功するかもしれないが、男のロマンといえる機装巨人という兵器に対する興味があまりに薄い。実はミヤシタは自衛の傭兵部隊の機体更新の際にこの男に何となく任せたのだが、流通ルートや値段だけを考えて、ルメンシス皇帝軍からとうの昔に退役したド低性能の旧世代機を選定しやがった。スペックがよく分からない、結局見た目だけで全て同じではないか、とまで言い放った。もちろん、それでは以前の機体と性能が変わらなかったからミヤシタの独断で別の機体を選んだのだった。


 だが、この男はそれだけではなかった。何とその上この男は紅茶も嗜まなかった。これが一番許せないところだ。紅茶が好きでないというのは致命的だ。これを好まない東方商人は絶対出世しない。そう相場が決まっている。仮に機装巨人を扱わない商人になったとしても、紅茶の呪いは凄まじいのだ。


「――お前、魔導銃とナイフだったらどっち選ぶ?」


 これはミヤシタには珍しいことなのだが、そのロマンと紅茶を解さない野蛮なる部下にも分かりやすく説明してやる気になった。部下は意図を掴みかねたのか、頭に少しクエスチョンマークを浮かべたようだが、上司からの答えろという無言の圧力を感じたのか、「魔導銃ですね、間違いなく」と答えた。


「これでナイフとか言われていたらお前を迷いなくクビにしていたが――じゃあ、それはどうしてだ?」


「間合いの問題でしょう。どこで戦うかにもよりますが、剣よりは槍が、槍よりは魔砲がものを言ってきたのは歴史的事実です――それがどうかしたのですか」


 その歴史的事実の先に機装巨人のロマンがあるのだがなぁ、とミヤシタは小さくぼやいた。が、部下には聞こえなかったようである。


「何でもない。何、簡単なことだよ」


 本当に簡単で、開発者の常識を疑ってしまいたくなるほどだ。


「アレ用の射撃武装はないんだ――ない訳じゃあないが少ないしそもそも送られてきていない。近接性能にのみ特化し、近接戦闘のみで考えられた歪な機体なんだよあれは。補給云々以前に、アレじゃあマトモに戦えないのさ」


 銃は剣よりも強し。ならば、いかに高速で移動し、有利な立ち位置を得るか――それこそが機装巨人の戦いであり、その駆け引きこそがコロシアムの利益となるのだ。故に格闘戦というのは最終手段、試合の最終段階であって、初めから狙うものではない。岩場の陰をすり抜けるように近づいて射撃しあった結果として存在するのだ。それを最初から狙いに行くというのは、戦術の幅を狭めるということでしかなく、手練れ相手なら反撃もできないまま――「射程外」という言葉も正しくないまま一方的に落とされるだけだ。


 部下は驚きもしなかった。なるほど、とは呟いたのだが、それは無関心に話を聞いていた結果のようである。明日この会話の内容を聞いたら間違いなく忘れているだろう。が、納得はしたようだった。


「では、あの男はどうなるのですか」


「今更人間としてのあり方がどうとか抜かすつもりか?」


「いえ。しかし殺すにしては少し惜しくはないでしょうか」


 へん、とミヤシタは秘書を鼻で笑った。


「別にそんなことはないな。理由なら簡単だ。俺はアイツが嫌いなんだよ。死んで損をすることはまずない。ヨハナにも頭を下げればいいだけのことだ。そんでもって、しばらくしたら返済を迫ればいい。それはそれ、これはこれだ」


「何故嫌いなのですか」


「あ?」


「私には純朴で騙しやすそうな子供に見えました。なら利用してやればいいだけのことではありませんか。アナタは利用できる人間は大好きだったではありませんか」


「随分言ってくれるじゃないか、いつからそんな偉くなったんだ、え?」


 ミヤシタはそう凄んだが、あまり効果はなかったようで、細かなハンドル操作や眉の動きにすら動揺の兆候はなかった。それを不満げに見てから、ミヤシタは端的に答えた。


「利用出来る人間は好きだ、ならばアレには利用価値がない。それだけのことだ……何だ、不満そうだな」


「いえ」


 車は最近治安が悪化したというルメンシスの街を事務所まで戻っていく。治安悪化の原因はよく分かっていない、と民草は言っているが、実のところ何もかも手遅れになってしまっているから分からないのだ。なので同様に解決策も見つかるはずがない。全ては何百年も続いた帝政の疲弊と、独立戦争頃から目立つようになった皇帝と教皇との衝突によるものだ。ルメンシスが一度滅ぶぐらいのことがなければ改善されることはない不治の病であろう。


 仮にルメンシスが滅んでも、それほど自分には関係ないとミヤシタは考えていたから、思考を移した。


 ――レイイチを嫌いな理由、か。


 利用価値がないから、というのは完全に嘘だ。何の変哲もないただの棒にも梃子としての使い道がないわけではない。逆に、どれだけ貴重な東方由来の絨毯でも、何もなく誰もいないような、南方大陸の砂漠にあっては意味があるまい。万物は流転し、時には嘘が本当になるときすらある。そもそも、今や全ての取引の根底にある金というのはただの鉱石であって、それそのものがただそうあるだけでは何の価値もなかったではないか。


 では、何が嫌いか。と言われると、ミヤシタは少しばかり困る。一言で言ってしまえば、気味が悪い、という端的に過ぎる言葉になってしまうからだ。秘書に言わなかったのはそれ故でもある。どの辺がと深く進めていくと話が長くなるのだ。やたらと商売と関係のない長話をする商人は結局ただの暇人であり、三流だ。ミヤシタは一流ではないと自覚していたがしかし実際に自ら三流に成り下がれるほど謙虚でも愚かでもなかった。


 人は誰しも背骨を二つ持っている、とミヤシタは考えている。一つは言うまでもなく物理的物質的背骨であり、もう一つは精神的思考的背骨である。特に後者は全ての行動の指針にして全ての思考のルールにして全てを統制するシステムである。例えば、ミヤシタのような商人であれば、それは金と利益でデコレーションされているのだ。彼の場合、金になると分かれば、信用を失うような矛盾を回避しつつ、かつ継続的に稼ぐように行動する。


 対して、レイイチにはそれがない。確かに、一見、彼にも行動の指針や思考のルールや統制するシステムが存在しているように見えるが、それは幻影でしかない。それは他者から与えられたことだけを反復する魔導機械のようなものだ。しかも悪質なのはそれが部分的なことだ。アイツが戦うことを選んだとき、それがはっきりした。


 アイツは、確かに、道徳や精神的何かに則って戦うことを選んだだろう。しかし、自己防衛だとかの必然性もないのに戦うことそのものは――しかもその舞台の背景の色まで考えれば、紛れもない不道徳である。だのに、戦う理由に挙げたのはヨハナと孤児院――それを救うという涙が出るぐらい「正しい」ものだ。だがはっきり言おう、何度でも言おう、これは矛盾だ。そして奴はその矛盾に気づいてすらいない。


 奴は、他人が正しいと言えば、多数が賛成すれば――それが絶対に正しく、矛盾なく、全てを擲ってでも守らねばならぬものだと認識する。これは文字通りだ。身投げすることが正しいとされたらそうする。つまり正しさを守らねばならぬという強迫観念を持つが故、レイイチは歪さを露呈する。


 例え過ちを犯してでもその正しさを守護する。例えば聖人を殺してでもその正しさ・尊さを証明しようとする。そこに後悔も葛藤もない。例えるならまさしく機装巨人だろう。


 他人の正しさに支配され、その奴隷として生きる。


 この気持ち悪さが、経験を積んだ商人をしても利用する気をなくさせるのだ。そもそも、正しさという金貨よりも不確かなものに身をゆだねる人間は、言わば価値変動が大きすぎる――ハイリスクハイリターンが過ぎる。それは商業ではなくギャンブルでこそ賞賛されるべきことがらだろう。


 だから、あの歪なまでに確かな円形をした処刑場の中で人々の歓声に化けてこの世から消えてくれれば、と、ミヤシタは本気で思っていた。


 ――今後ずっと関わるのは、本当に御免だ。




 礼一少年は視界がゆっくりと回復していくのを今まで味わったことのない高G環境下で感じていた。礼一少年は、遊園地には何回か行ったことがあったが、そこにあるどのジェットコースターでも経験したことのない感覚だった。遠のいていた音が、腹に力を入れ、姿勢を立て直すとゆっくり回復していくのだ。魔導エンジンの甲高い駆動音、機体の足が地面を何度も踏みしめて加速する音――そして、敵の砲撃音。目に見えないほど素早いのか、そもそもがシースルーなのか、その明確な姿はよく見えないが何かがあるのだけは分かる20mmの術弾は機体の遙か後ろで着弾の土しぶきを上げていた。急機動が功を奏したのだ。そのせいで実のところ何発かは観客席へも流れているのだが、それはバリアーのようなもので一発も中へは通らない。


 ……これが戦場! 礼一少年は戦慄した。自分の甘さにほとほと呆れるばかりであった。


 しかし、驚いたのは彼だけではなく相手側もであった。腰だめの姿勢で、バラまくように撃ったとはいえ、こうして全て外れたとなると、相手の加速性能が異常で、それを見誤ったのだとしか考えられなかった。


 あのような小型の機体は、一般的には、大型高出力の魔導エンジンを作れなかった結果として評される。その工房と、ひいては国の魔導力の低さの象徴として考えられる。小型高出力エンジンでもあればそれでもよかろうが、そんな都合のいいものは存在するまい。建国時に各国の魔導力の高い部分を吸収することで世界最高のそれを発揮できるようになったコロンボ共和国においてもそんなエンジンは作ることが出来なかったのだから。神聖帝国でもだ。そしてルメンシス教国は機体設計はともかくエンジン製造に関しては弱い。東方の事情など知ったことか。


 しかし、何事にも例外というものはある。それこそ東方の機体だったとして、ひょっとすると何かの奇跡で未開のあの連中が小型高出力エンジンを生むかもしれない。ルメンシス教国が他国の技術を吸収してよいエンジンを作り出すかもしれない。だとするならコロンボの機体ではなさそうなのが残念である――が、これはあくまで仮定の話であり、分析結果が戦闘にそれほど寄与することはない。敵が予想以上の性能ならば、それに対して機体の動かし方を変えればいいだけのことだ。それで対応できるだけの慣れはこの機体に対してある。


 とにかく、目の前の機体はぴんしゃかよく動いていた。何が背景にあろうとそれが何よりの問題であることが変わるはずがない。自分の勘を頼りに射撃し続けた。何年この機体に乗っていると思っている、この武装もこの直径300mの円の中では砲身の短い分使い勝手のいい方だ。が、その全ては的の加速性能故か、全て後落して、土煙に変わった。


 ……確かに、機関魔砲はこれのようにポピュラーなエンジン直結型ならば弾切れはないのだが、無駄弾は精神衛生上よろしくない。GU4は、距離を取りながら、移動しながらの腰だめ射撃から切り替えるために、一気に後ろに跳ねて障害物の後ろにその4m近い胴体の大部分を隠すと、歩兵がそうするように機関砲を肩に構えてより精密に射撃した。何発かをまとめて、敵の移動先に置いて撃つような射撃法だ。照準用のスコープも、砲身の上についていて、それは他機種より広めのコックピットのヘッドレスト部の専用ゴーグルに直結しているのだが、そうすると視界が狭くなるのでGU4のパイロットはそれを選ばなかった。何よりパイロットとしてのプライドがそれを許さなかった。


 その判断をあざ笑うかのように敵はその加速性能・旋回性能を生かしてかわしてみせた。その度に礼一少年は、練習のときにはなかった高Gに晒され、胃液とその他を予備のモニターに吐きかけそうになるのだが、そんなことをGU4側が知るはずもない。しかし、知ることは出来なくても、見抜くことは出来た。


 敵は避けるばかりで、撃ち返してはこない。かといって何らかの近接武装を抜いて格闘戦に来るわけでもない――恐らく中身は余程の素人だ。戦いのやり方を知らないらしい。逃げ方はどんな動物でも知っているが狩り方は肉食動物だけが知るのだ。


 GU4はもう一度撃ちっぱなし射撃に切り替え、礼一少年に何度も回避を強いた。対して礼一少年はギリギリではあるが回避を繰り返した。GU4はその回避の方向に合わせて射撃の狙いを巧みに変えているように礼一少年は感じたが、しかし被弾することは全くなかった。反撃(そもそも武装があるのかもよく彼は知らない)するほどの余裕はなかったが、自分が弾を避けているというよりも、弾の方が自分を避けていると思ったぐらいだった。しかし、それもそのはず、構えこそ変えざれど、GU4は全く狙いをつけていなかった。狙いは全く別のところにあったのだ。


 突然、礼一少年の目の前に何かが投げつけられた。あまり大きくはない円柱状のものだったが、本能的にそれを弾き飛ばし、その上で機体を真後ろの岩陰まで移動させた。さっきまでいた位置に砲撃が走り、円柱は爆発物だったようで爆発し――そして、礼一少年はようやくハメられたことに気がついた。この岩陰から別の岩陰まではかなり距離があって、敵は岩を挟んで反対側にいる――つまり、ここから出たところを撃たれるだろうということだ。


 絶体絶命、である。

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