第9話 「勝軍の奴隷、自由を語れず」

「……エンターテイメント?」


 礼一少年は暫時は困惑していた。しかしその内に自分の体が熱くなるのが分かった。アルファーノの目をしっかり見た。あの意識から吐き出され冷たい床を転がった目と違って、何かどす黒く汚いもので濁っているようにも見えた。


「エンターテイメントだって!?」


「えっと、何か問題だったでしょうか……?」


 何が問題かだと?


 何もかもだ、と言いたくなるのをこらえて、礼一少年は理屈に自分の感情を依拠させた。


「――人が死んだんだぞ、殺されたんですよ!? 何で、何で、エンターテイメントなんて言えるんだ、おい撮るの止めろよでくの坊!」


 しかし押さえ切れなかった。それもそうだ、他人というのは礼一少年にとって神に等しいものであるのだから、命がけで守ったそれを侮辱されるのに耐えられるはずもない。礼一少年は、アルファーノを押し倒し、その勢いでカメラマンに殴りかかろうとした、が、例の大男ニッキーに飛びかかられて、その目論見は失敗した。あのときみたいに床に押し付けられ、あのときと違って身じろぎも出来ないように後ろ手に組み伏せられた。


 そのとき、礼一少年は、わずかながら既視感を覚えていた。この腕の捻られ方、というよりは、何というかニッキーの体の使い方に対するものだった。まず礼一少年は取っ組み合いの喧嘩というのは人生で数回もやったことがない。意見がぶつからないように極力努力するし、万一ぶつかってもすぐに折れるようにしていた。だから、誰かの体の使い方など、ろくすっぽ覚えていない。しかしながら、となればこうして覚えのある身のこなしとなれば一人も――いや、一人、否、「一体」だけいる。


 そしてそれは、礼一少年と同じ高度たる床にまだ炎の余熱をもって横たわっていた巨人である。


「まさか遠隔操作か……! なら、あなたが殺したんでしょ! クソっ、離せよ!」


 ニッキーは軽蔑と不可思議の混ざり合った顔であった。自分が殺したのは事実だ、と認めて、その上で何故こんなに自分を負かしたこの少年はいきり立っているのだろう、と真剣に考えていたためだ。


「あー……レイイチ君レイイチ君、少し落ち着いていただけないでしょうか。お互い何か重大な勘違いをしているようですな」


「重大な勘違いならしてるだろうさ、あなた方がはるかに間違えて……っ!」


 腕関節が外れるのではないかというほどの強さでニッキーが締め上げたので、礼一少年は言葉に詰まった。その隙を逃さないのがアルファーノという男だった。


「うーんと、間違っているってそこまで言うんなら、出来れば教えていただきたいな。どこが間違っているんだい?」


 アルファーノは、大変難しい哲学の問題を投げかけられた純朴な少年のような顔をしていた。床に縛り付けられた礼一少年に高さを合わせてしゃがんでいた。優しそうにも見えなくはないが、礼一少年にとっては、言うまでもなく全く逆だ。


 対する礼一少年も、彼の方も彼の方でアルファーノのような表情をしていた。まるで目の前の人間が化けた宇宙人だったときのような心持ちだった。


 どうして?


 どうして、だと?


 そんなこと、「当たり前」だろうに――!


 礼一少年はますます体が熱くなって、その体で受け切れない分は震動として現れた。怒りでわなわなと震えるのも、実のところ礼一少年には初めてだった。


「人だったんだぞ、死んだんだぞ! 僕は見たんですよ! それをあなたはエンターテイメントなどと!」


「人?」


「人だ! 人間だ! この男に殺されたでしょ!」


 アルファーノは頭を傾げるばかりだった。その仕草が抵抗されないのをいいことに煽っているように礼一少年には見えたから、彼は拘束をふりほどこうと体を揺すって代わりに腕を痛めつけられた。


 しかしアルファーノはちゃんと考えていたようで、ああ、と得心いったような声を出した。


「ひょっとして、あれらを人間だと思っていらっしゃる?」


 今度は礼一少年が頭を傾げる番だった。


「どうも理解が足らなくて申し訳ない! そりゃあ最初は勘違いなさいますよね、でもご理解いただきたいのですが、こうして巨人が撃破されるような事態に至ったのも数えること百年ぶりのことでして――はい」


 ニッコリ、とアルファーノは笑う。誰もが礼儀正しく、好青年だと判断するように。


 その分、ゾッ、と礼一少年はするばかりだったのだが。


「これはね、テレビ番組なんですよ――ああ、テレビって分かります? あの映像伝達魔法を駆使した……そうだ、あそこに板みたいなの見えます? アレに映るものを作るってことなんですが――その企画の一つがこれなんですよ」


 仕方なく説明してやろうというような語気でアルファーノは語り出した。


「太古の昔から、人は戦いが好きでした。そりゃ、するのが好きというのはコロシアムの中にいる連中だけでしょうが――見るのは大概の人間が好むものです。事実、コロシアムに観客として足を運ぶ人間は数多くいるのです。しかしあれだけでは人は飽きる。それに、アレには視聴者の入り込む隙がない。あくまでプロ同士の殺し合いで、その技巧の素晴らしさを問うばかりで――判官贔屓の余地がないんですよ」


 だから、「これ」が生まれた――と、アルファーノ。


「特定のフィールド――あるときは街中に、あるときは草原、そして、またあるときは……病院――に、丸腰の奴隷を詰め込んで、そこに圧倒的な力をもったゴーレムを、それも軍用型を放り込む! スポンサーはメーカーがやってくれるから何とでもなるのだ! 何と残酷なことだ! 何と惨いことをする! しかしただただ無慈悲なのではない。巨人を見事に撃破せしめれば、市民と同等の権利を与えると約束したのだ! 強き者は巨人に思いを馳せ、弱き者は奴隷に祈る! ああ――その絶望する様、その上で一縷の希望に縋る様こそこの世の何より美しい! そして、その先で華々しく散る様など絶頂すら覚える!」


 ――もちろん、軍用とはいえ、飛び道具は第四百三回放送から外しましたそうですけどね、と少し恥ずかしそうにアルファーノは笑った。雄々しく語ったところからいきなり調子を落としたから、礼一少年は気持ちがつんのめるように思った。


「しかしこの方法はあるとき破綻を迎えます――小イグナティウスと呼ばれる魔術師が、異世界からの召喚法を確立してしまったのです。奴隷制は間違いだったとされ、時の皇帝にすぐに廃止されました。確かに、奴隷を使うことは間違っていました。奴隷が人間でないなどと、一体全体誰が言い始めたのでしょう。しかし先人はやはり偉大です、何故なら、間違いを認めてみせたのですから!」


 立ち上がり、大仰に身振りをするアルファーノを――先の性格からの急な変調を気味悪そうに礼一少年は見ていた。きっと、さぞ機嫌がいいに違いない。それを見ていると、怒りや義憤よりは恐怖が先行して、あらゆるやる気が失われた。


「奴隷の代わりに入ってきた異世界人を、こうして、奴隷時代と同じ条件で使ったのですから!」


 礼一少年は、いつの間にか泣き出していた。自分がだんだんに情けなくなってきたのだ。結局、この男たちの手のひらの上で転がされていただけじゃないか。何で、命を懸けて戦ってしまったのか。


 いや、まだだ、きっと希望が――命を懸けただけの価値はきっとあるはずだ。礼一少年はそう信じていた。


「……あの人たちはどうなるんですか」


「あの人たちとは?」


「僕のいた病室の人たちはどうなるんですか? と聞いているんです」


 出来れば、生き残った以上自分と同じように市民権を与えると言ってほしかった。


 もちろん、そうはならない。


 アルファーノは失笑した。


「ま、北の炭坑か、あるいは東への交易で売っ払われるかですな」


 奴隷の立ち位置を取って代われるのは奴隷的立場だけ。つまりはそういうことだった。


 一度は止まっていた涙が、もう一度流れ始めた。こうして封じられている以上、戦うことももう出来まい。彼に出来るのは嘆願だけだった。僕はどうでもいいから彼らを助けてくれ、というようなことを繰り返した。最初の内はアルファーノも馬鹿にしたように笑っていたが、しばらく聞いている内に不愉快になったのだろう、ずっと礼一少年の背中に乗っていたニッキーをどけると、礼一少年の胸ぐらをつかんで恫喝した。


「それはもう飽きたんだよ――あ? もう面白くねぇのそのジョークは。なあ、大人になれよ、騙してたのは悪いと思うが、でもそうグチグチ言うなよ助けてやったんだから。暗い野郎だな、お前友達いねぇだろ」


 いかにも柄の悪い言葉ばかりだったが、おおよそこういう内容だった。何しろ礼一少年はもう何も考えたくないから、それを言葉でなく音、下手すれば震動としか理解・解釈しなかった。


 これでは、救った意味がない。


 自分が幸せになるために戦った訳じゃないのに、これでは。


 無気力そのまま、結局流されるままに市民権のための各書類を――礼一少年の手をもってアルファーノが書いたようなものだったが、書いてしまった。一人だけ勝手に自由の身になってしまった罪悪感からか、礼一少年はそれからしばらくのことは何もかも覚えていなかった。


 だから、次に目覚めたときにはもうヨーロッパ風の街の隅で膝を抱えていたのだった。今までの出来事が全て夢だったならいいのに、そう考えながら、ボロボロになったワイシャツを引きずるように行く宛もなく彼は歩き始めた。

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