第3話

          *****




 部室。

ボクは漫画部だ。

漫画部の唯一の部員。

 ボクが漫画部の部室に入ると、漫画部の部室を間借りしている美術部のありあ先輩が、先に来ていた。

どうりで部室のカギが開いていたわけだ。



「漫画部の部室を美術部が間借りしているというのは人聞きが悪いわ。シェアよ、シェア」

「部室のシェアかぁ。って、ボクの心を読んだなっ!」

「そうそう。わたし、精神感応の異能力者なのよ」

「え……ありあ先輩って、魔法少女……だったりするの?」

「なにバカなこと言ってるの、まりん。そんな都市伝説の話よりも!」

 まりんとはボクの名前のことだ。ボクもありあ先輩も女子高生、ということになる。今は放課後。部活の時間だ。

「と、都市伝説……か」

 ボクは都市伝説という言葉に反応する。近くて遠い言葉だからだ。

 そう。魔法少女は、同じ魔法少女以外にはその正体を見破られたらダメなのだから、魔法少女は都市伝説でもいいし、都市伝説とは〈見えない魔物〉そのものとも言えるし、その認識でいい。

「まりん、あなたまた授業中、教科書が読むのが遅くて廊下に立たされたんですって。何十年も前のガッコウのエピソードみたいね。バケツに水でも入れて持ってれば傑作でしたのに」

「バケツ持たされたよ、ボク」

 先生も、そんなことで怒ることないのにな、と思う。

けど、仕方ないんだ。

「教科書読むのが遅くて廊下に立たされるって、どれだけ読むのが遅いのよ、まりん」

「ありあ先輩。ボクは漢字があまり得意じゃないんだよ」

「得意な科目がひとつもないのは学園内でも寮内でも有名でしょ。よく羽根月学園に入れたわね」

「よく言われるよ、裏口入学じゃないのって。違うのにね。このままじゃ学園を裏口から退場になるよ。そんなに言うならば、ありあ先輩が勉強をボクに教えてくれればいいんだよ」

「わたしは忙しいの」

「なんだか毎日こんな風な話ばっかりだね」

「あなたのポンコツエピソードの、ね! だいたいあのにゃーこ会長と学生寮で同室のあなたがなんで問題児なの、まりん」

「にゃーこ会長はほわほわしてるから」

「ほわほわ……?」

「さ、ありあ先輩、部活始めましょうよ」

「言われなくてもわかっているわよ。基礎的な文章力すら持たない漫画家志望さん」

「余計なお世話だよ」

「そうね。わたしは次の展覧会用の絵で忙しいんだから。まりんには付き合いません」

「美術部と漫画部、どっちも今は部員一名なんだから統合しちゃえばいいのに」

「無理よ」

「どうして」

「わたしが嫌だから。わたし、県下屈指の高校生美術家よ。女子高生アーティスト……ふふっ」

「……先輩、怖い。口だけで笑うのやめて」

「始めましょう、部活動」

「そうだね」

 ボクが基礎的な文章力を持ち合わせていないのは、周知のことだ。

みんな知っている。

ボクは魔法少女の異能の力の代償で、言語野と認知の能力に影響があるのだ。

魔法少女を続けていく以上、避けることはできずに、言語と認知の力は今後も低下していくことになるだろう。

 だけど、魔法少女になることを決めたのはボクだから。

きっと、悪魔と契約を結んだのは、ボクの意思だから。

「まりん。ぼーっとしてないで、手を動かす。ペンを走らすのよ。あなたがそれじゃテンション上がらないじゃないの!」

「はーい」

 ボクは鉛筆を取り出し、紙にネームを描いていく。

ネームは、欠かさず持ち歩いているネタ帳から作り出す。

ボクが描くのは四コマ漫画だ。




 ペットボトルのジュースを飲んでの休憩ついでにありあ先輩はボクがネームを描いた四コマを覗き込んだ。

「はい、ダメ。ボツ!」

「えー」

 いつもの流れ。

ボクの四コマはありあ先輩からボツを食らった。

「どこがダメなんだろ。わかんないや」

「自分でわからない時点でもうダメなのよ。わたしは自分の作業に戻るから」

 キャンパスの前に戻るありあ先輩。

油彩の絵を描いている最中だから、邪魔しちゃ悪い。

 ありあ先輩は有名人だ。

県主催の絵画の展覧会の常連。

展覧会に行けば、必ず先輩の描いた絵が展示されている。

女子高生アーティストって肩書は伊達じゃない。

 ボクは邪魔しちゃ悪いので、ちょこっと盗み見るようにありあ先輩のキャンパスに描かれた絵をこの瞳で覗いた。

目に焼き付いた。見たのは一瞬なのに。

静物画なのに、その色彩で目が眩むようだ。


静物画は静かという単語が入っているのに、動的で、きらきら輝いているかのようだ。

光が差し込む木目のテーブルに純白のテーブルクロス。

その上に果物がいくつも載っている。


説明するとそれだけだし、描きかけなのに。

ひとを惹きつけてやまない。


「ん? なによ、まりん」

「ありあ先輩、すごい」

「はぁ? なにが」

「その静物画」

「当然よ」

 当然と言い切るありあ先輩。

天才の名をほしいままにしている、羽根月学園高等部の誇り。

「美術部と漫画部を統合できないのがわかるでしょ。レベルが違うもの」

「うー。そんな、いじめないでくださいよぉ。本当のことだけど」

 ふふん、と鼻を鳴らして長くてロングの髪をかき上げるありあ先輩。

自信家な性格に、実力が伴っている。

こんなひとだから、下級生には人気がある。

同級生や上級生には目の敵にあっている部分があるみたいだけど。



「もうすぐ」

「なんです、先輩?」

「絵具切らしちゃって。画材屋を呼んだの」

「絵具切らすなんてはじめてじゃないですか」

「そうなのよ。で、画材屋ちゃんが来るの」



 一瞬、脈動が激しくなった。


 画材屋……? それって。


 部室の前方の扉が開き、誰かが入ってきた。



 その誰かは、予想通りの人物で。

 緊張。

 ボクの口からぴゅーっと息が漏れ出した。


 現れたのは、あの紅い悪魔・大槻弥生だった。


「ごきげんよう」

 悪魔が悪夢のようなお辞儀をした。

 紅い悪魔はボクを一瞥すると、シューズの音を鳴らしてありあ先輩の元へ歩いていく。

紙袋を持った手を伸ばして、ありあ先輩の顔の目の前に突き付ける。

「高くつくわよ」

 悪魔は先輩に囁く。

ありあ先輩もそれに応戦する。

「身体で払ってなんて言うんじゃないわよね」

 悪魔は口に手を当てて笑む。

「わたしがアンタにはどう見えているのかしら。わたしはただ、絵具の対価が欲しいだけ。このビリジアンだけで抱かせてもらえるのかしら」

「冗談」

 ありあ先輩は肩をすくめる。

「ええ。聞かなかったことにするわ。展覧会でアンタと並ぶのを楽しみにしてる」

「おかしいわねぇ。足元にも及ばないやつが口にする言葉なの、それは」

 ありあ先輩は紙袋を奪うように手にすると、紅い悪魔はくすくす笑って、口元を手で隠す。

全然隠せていない。

 弥生が品定めでもするかのように目を細める。

「かわいいわね」

「あなたはわたしの趣味じゃないわ、画材屋ちゃん」

 爪を噛む先輩。イライラが見てとれる。

 イライラに喜び、弥生はさらに付け加える。

「友達が多いほうが勝つのよ、今の社会では」

「画材屋ちゃん。あなたの場合は友達じゃなくて全部身体の関係、じゃなくて?」

「解釈はご自由に」

「いつか、奪い取るから」

「ご自由に」

 ありあ先輩はなんでこんなにいけ好かないはずの大槻弥生をこの場に呼んだのだろう。

 ボクにはわからない。

 なにかがあるんだと思う、二人には。ボクとこの悪魔にも関係性があるように。

 画材屋と呼ばれていた大槻弥生はすぐに部室を出ていく。

 ボクはたまらずにその後ろ姿に殴りかかろうとすると、ありあ先輩は振り上げたボクの腕を掴んで制した。

先輩は首を左右に振った。

 部室の外で振り返らず、

「画材が欲しければいつでも言いなさい。画材屋さんはいつでもアンタたちを見ているから」

 と言い残して去る。

殴るのを止められたボクは腕を下ろし、大槻弥生の姿が消えてから黒板に向けて拳を軽く打った。

 ありあ先輩はボクの行動を不審がらない。

しばらく自分の手の親指の爪を噛んで、それからイーゼルに乗ったキャンバスに向かった。

その日の先輩の筆さばきは、いつも以上にキレていたのだった。



 一体、なんでありあ先輩はあのオンナをここに呼んだんだろう。

 それがまるで必要不可欠であるかのように。それはどうして……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る