第7話 姪と美波と休日デート。
「ただいま……」
なにやら重い空気を背負った貴大が帰宅する。リビングに入るなり、身を投げるようにしてソファーに深く腰を掛けた。
「なあ、紗月。良い知らせと悪い知らせがあるんだ、どっちから聞きたい?」
仕事で何かあったんだろうか。こちらに向ける表情に生気が宿っていない。
「どっちから……って言うか、良い知らせしか聞きたくないんだけど……」
まだ月曜日だと言うのにこんなに疲れ切っている貴大を見るのは初めてだ。悪い知らせなんか聞くのも恐ろしい。
「いや、すまん。実は悪い知らせしか持ち合わせていない」
「そう……なんだ」
突っ込みたい気持ちもあったけど、とりあえずそっとしておこう。私は夕飯を食卓に並べるために台所へ移動した。
「とりあえず次の週末、またうちで飲み会やるから」
「げえ!? マジ!!?」
あのときの惨状を思い出す。皆さんが帰宅した後、貴大は酔いつぶれ、散らかり放題になった部屋を私は一人、深夜二時過ぎまで片付けする羽目になった。あの歴史をまさか繰り返そうと言うの……? これは思った以上に悪い知らせだった。
「まあ、とりあえず、この前の様な事にはならないから安心しろ。用意する酒の量は制限するし、最後は片付けてから帰ってもらう。俺も酔い潰れないようにセーブするつもりだ。紗月に負担はかけさせないよ」
「そう……ならいいけど……」
口で言うほど、いいと思ってないし安心もできていない。今度は自室に引っ込まずにちゃんと監視をしておいた方がいいかもしれないな。メンバーは前と同じなのだろうか? 美波さんと佐口さん、あと……生ゴミみたいな男の人。
「あ、今回はメンバー一人増えるから」
「え!!? そうなの!!?」
「今日から新人が俺の部署に異動してきたんだよ。今回はソイツの歓迎会ってところだな」
新人? 移動? こんな十一月の中途半端な時期でも新しい人ってくるものなのかな?
「っていうかアイツなんなんだよ!!? 皆の前では猫かぶって良い子ぶりやがって~~……それが出来るなら最初からそうしてろよ!! 俺の前では相変わらず生意気な事言うくせに!! そうだと思ったら、ちょいちょい「せんぱ~い、さっき教えてもらったトコ、ちょっとわからないんですけどお~」とか言って邪魔してくるし!! そんなに難しい事は教えてねえ! お前なら大丈夫だよ!
漆原は漆原で初めての後輩に変なテンションになって面倒臭いし、佐口さんは佐口さんで飲み会の口実を見つけて、水を得た魚の様になって面倒くさいし本当になんなんだよ!! 月曜日からこんなんじゃやってらんねえよ!!!」
貴大は独り言の文句を言い続ける。どうやら相当溜まっているらしい。
次の飲み会にくる新人さんに振り回されているって感じなのかな。
なんだろう……なんとなくだけど、次の飲み会も不安でいっぱいだ。
「まったく…………アイツは疫病神か、ってんだよ……」
ガシャーーン!!!
私が取り皿を床に落としてしまい、割れたお皿が散乱する。
「紗月! 大丈夫か!?」
音を聞いて駆けつけた貴大が台所へ顔を出す。
「う、うん……大丈夫」
私はしゃがんで割れたお皿の破片を拾おうとする。
「危ないから止めとけって。手、震えてるじゃねーか。俺が片付けるから紗月はそこから動くなよ」
「う、うん……ありがと」
そう呟いて私はその場に立ちつくす。
手の震えを止めるために、胸の前で両手をギュッと強く握った。
疫病神――――
呪いの様にのしかかるこの言葉は――未だに私の心を開放してくれてはいなかった――
***
松永の歓迎会から二週間程経った金曜の夜、少しモジモジした様子の紗月が俺の元にやってきた。
「明日……買い物行きたいからお金欲しいんだけど……」
「ん、いくら欲しいんだ?」
「五千円……くらいあれば足りると思うんだけど……」
「五千円? またえらい大金だな。何を買うつもりなんだ?」
「えーっと…………ナイショ」
「何買うか分からねーのに五千円は渡せないな。それにどこまで行くつもりなんだよ?」
「隣駅のショッピングモール」
「実愛ちゃん達と行くのか?」
「そう言いたいところだけど、実愛ちゃんのお母さんに聞かれちゃうとバレちゃうから、実は一人で行くつもり……」
「じゃあ、俺が一緒に付いてくよ。金ならそんときに出せばいいだろ?」
「ダメ!!! 絶対付いてこないで!!!」
激しい拒絶を示す紗月。一体何に使うつもりなんだ? 悪い事を考えてなければいいが。
「何を買うか分からなければ金は渡せないし、あのショッピングモールだって土日は人でごった返すんだ。そんなところを一人で行かせるわけにはいかないだろ」
「見逃してくれない……の?」
紗月は上目遣いでねだってくる。そんな可愛い顔を向けられてもダメなものはダメだ。
「何か話せない理由でもあるのか? 正直に話してくれればそれでいいんだぞ」
すると紗月は顔を真っ赤にして「うううう~~~」と唸って俯いた。
「じ……実は…………最近ちょっと、胸のあたりが擦れて痛かったりするから、そういう下着が欲しいかなー……って…………」
「お、おう……」
聞いたこっちも思わず赤面する。先月、アクシデントでその柔らかさを感じてしまっているせいか、なんか生々しい想像をしてしまう。
「ブ、ブラジャーとかはまだ早いんだけどね……ちゃんとそういう保護する下着があるらしいから、出来れば数枚買っておこうかな…………って、なんで私がこんなこと貴大に話さなきゃいけないの!!!!???」
「俺もそこまでは聞いてねえよ!!」
「うわ~~~~~恥ずかしい!! 死にたい!!!」
どうやらデリケートな部分に足を踏み込んでしまったらしい。いや紗月が勝手に地雷を踏んだだけなんだけども。このくらいの歳の女の子って扱いが難しいな。
「とにかく!! そう言う訳だからさっさと五千円出せばいいの!!」
「カツアゲみたいになってんじゃねーか!」
いや、理由は分かった。そういうことなら金を渡すことに抵抗はない、しかし――
「金は出すけど、俺は一緒に行くぞ。一人で行かせるわけにはいかねーからな」
「そんなに小学生の下着選びに付いて行きたいの!!?? このヘンタイ!!!」
いや、付いて行く理由はソレじゃないんだけどな。一人で行かせるのが心配なだけだ。
息を荒くしていた紗月の呼吸が急に落ち着く。何かを思いついた様な顔をしたと思ったら、次第にニヤニヤし始めた。
「美波さんも誘ってくれるなら、貴大も付いてきていーよ」
「おい、美波さんは関係ないだろ……」
「いやー私もそういうの買いに行くの初めてだしー、やっぱり女性の意見っていうのは必要だと思うんだよねー」
イタズラにニヤニヤし続ける紗月。
しかし、提案としては真っ当なものだ。俺は女の子の下着選びのアドバイスなんて出来ないし、その領域に足を踏み込むのさえ躊躇われる。そういうのに適切な人材は確かに必要だった。
「分かったよ。美波さんを誘えばいいんだろ……」
そう言って俺はスマホを取り出す。メッセージアプリにてお誘いの文章を送った。
〈明日、お時間があれば一緒に買い物に行きませんか?〉
送ってからしばらくその文章を見つめる。
なんかデートの誘いみたいになってるじゃねーか!!! しかももう既読付いてるし!! どーするんだよ、コレ!!!?
ああ……やっちまった……なんの脈絡もない明日の予定を確認するためだけの文章。これで変に勘違いされたら誘いを断られるどころか嫌われるまであるぞ。いきなり男から買い物に誘われても困るだけだよなあ……
俺は必死に内容を訂正、補足するための文書を打ち直す。言い訳がましく長文を打ち続けていると、美波さんからの返信の方が早かった。
〈明日は特に予定ないから大丈夫だよ(グッドのスタンプ)何時から行くの? 私と買い物ってことは何か紗月ちゃんの物を買いに行くのかな?〉
そう! そう言う事なんです! 説明不足の文章なのに変な誤解を生まず、正しい方向へ理解してもらって本当に助かります!
俺は事の詳細を簡潔に述べた文章を返す。
〈土曜は混雑するので、出来れば十時の開店から行こうかなと思っています。紗月の下着を買いに行く予定です。俺だとそういう成長期用の物の知識は疎いので、是非アドバイスをお願いしたいと思っています。〉
予定時間の提示、買い物の内容、美波さんにお願いしたい事、今度は不備のない内容の物が送れただろう。これで一安心だ。
予定はないようだし、とりあえず誘いを断られるという線は薄いだろう。俺は少しドキドキしながら返信を待った。
通知音が鳴り、スマホの画面を確認する。
〈紗月ちゃんと下着の話なんかしているの? その位の歳の女の子は本当にデリケートな時期なんだから、もっと気を遣ってあげなきゃダメだよ〉
さらにポン、ポン、ポン、と怒った顔のスタンプが三連打――
なんてこった!! めちゃくちゃ怒ってる!! 紗月のせいで美波さん怒らせちゃったじゃないか!!
終わった――――これ、絶対嫌われた――――
ここ最近、どこぞの後輩に仕事中もデリカシーが無いと連呼され、蔑まされているせいか、どうもそういった配慮が欠落しつつあったようだ。いや、それはあくまであの面倒な後輩を扱うための一つの作戦であって、本当の俺は誰よりも紳士的な男だと自分では思っていた。
しかし、美波さんにまでそういう指摘をされてしまったということは、本当のデリカシーナシ男に成り下がってしまったようだ。
紗月……ごめんな。明日、美波さんは来てくれそうにもないわ……
しょぼくれた俺は謝罪文を美波さんに送るためにスマホの画面を見る。怒りの三連スタンプの後に追加のメッセージが入っていた。
〈それで待ち合わせ場所はどこに行けばいいかな?〉
イケる! まだイケるぞ!! すかさず俺は返信する。
〈十時くらいに敷居駅の改札前でどうですか?〉
〈大丈夫だよ(ピースのスタンプ)じゃあ明日、楽しみにしてるね(ニコニコのスタンプ)〉
〈はい! よろしくお願いします!〉
きゃっほーーい!! 美波さん明日来てくれるって!! いや~、一時はどうなるかと思ったけど、あんまり怒ってなかったみたい!!
俺は嬉しさのあまり、その場で小躍りをする。
「焦ったり凹んだり踊ったりなにかと忙しいみたいだけど……その様子だと美波さんは来てくれるみたいだね……」
小躍りする俺に紗月は冷たい視線を送る。ハッと我に返り軽く咳払いをした。
「ま、まあ……そんなところだ……」
「良かった! 明日はデートだ!」
「デートぉ!? お、俺は美波さんとデートだなんて思ってないぞ!!」
「何言ってるの? 私と美波さんのだよ」
ああ、そうだな。どうせ俺は紗月の財布でしかないよ。
それでも――休日に美波さんとどこかへ出掛けられるのは楽しみで仕方がない。
ふとスマホに目をやると、未読のメッセージが一件残されていた。
〈お説教はまた明日ね(ハートのスタンプ)〉
うん……楽しみだよ……ホント。
そして翌日、待ち合わせの場所へ行くと既に美波さんが待っていた。時間はまだ十時二十分前。少し早い到着のつもりだったが、一足遅かったようだ。
「美波さん!!」
紗月は美波さんの姿を見つけるなり、駆け寄ってそのまま腕に抱きついた。
なんかえらい懐いてるな。この前宅飲みした時も、なにやらずっと二人でおしゃべりしていたようだし。
「遅くなってスミマセン。結構待ちました?」
「大丈夫。私も今来たところだよ」
いつものように眩しい笑顔を向けられ目が眩む。
美波さんはチェック柄のミニ丈ワンピースにロング丈のアウターという思ったよりも大人コーデ。アウターからちらりと見える生足が艶かしい。大き目のアウターで萌え袖になっているのもポイントが高い。
控えめに言って、美波さんの私服姿最高。
こんな機会を与えてくれた紗月に素直に礼を言いたい。
「ほら! 美波さん、行きましょ!」
紗月は無邪気な笑顔で美波さんの手を取って歩き出す。
そんな顔、俺に向けた事ないだろ。
それを少し寂しく思いつつも、仲睦まじく歩く二人を見て、どこか嬉しい気持ちも湧いてくる。
俺はそんなことを考えながら、紗月と美波さんの少し後ろを歩いた。
駅から五分程歩いたところでショッピングモールへ到着した。このショッピングモールはここらへんの地域でもかなり大型のもので、二百以上の多種多様の店舗が並んでいる。映画館やスポーツジム、スパなども入っていることから、その利用用途は買い物だけに留まらない。
俺たちはその一角の大衆向けファッションショップへ向かった。そこなら大人から子供まで幅広い服が手に入る。
「貴大はそこで待ってて」
紗月は店舗前の通路に置かれているベンチソファを指差す。
「店舗の中にも入るなって事か。まあ、別に俺は何も買う予定ないからいいけど……」
仕方なく俺はベンチソファに腰を掛ける。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
美波さんはそう言いながら軽く手を振って、紗月と二人で店舗へ入って行った。
俺はその様子を見送ってから、適当にスマホをいじって時間を潰す。
「あら? 橘くんじゃない」
誰かから声を掛けられたのでスマホから視線を外し、顔を上げる。
「皆藤主任……実愛ちゃんも」
「貴大さんヤッホー!」
実愛ちゃんは相変わらず元気の良い笑顔で手を挙げる。
「皆藤主任も買い物ですか?」
「いいえ。私たちは映画を観に来たのよ」
「そう! ジェラシーパニックを見に来たの!」
ジェラシーパニック? なんだそれは。ジュラシックパークとかじゃないのか? すげードロドロした内容な気がするけど、そんなもの小学生が見て大丈夫なのか?
「橘くんは紗月ちゃんと買い物?」
「えー? でも紗月ちゃんいないよー?」
「紗月はあそこで美波さんと買い物中です」
俺は二人が入っていった店舗を指差す。
「は……? 美波と……?」
低い声色で皆藤主任の表情が激しく歪む。只ならぬ負のオーラを解き放ち、周りの空気が凍りつく。職場でもここまでは無いと思うくらいの怒りの感情を感じた。
「えーっと……なのであまりここに長居はしない方がいいかと……」
きっと実愛ちゃんと居るところを美波さんに見られるのが困るのだろう。今までひたむきに隠していた母親像がバレてしまう。皆藤主任の放つプレッシャーに気圧されつつも、この場からの撤退を促した。
「そう……そんなに私がお邪魔ならこんな所、早く去った方が良さそうね」
フイっと踵を返した後、皆藤主任は実愛ちゃんの腕を掴んで歩き出す。
「ちょ……お母さん! 痛いって! 腕がちーぎーれーるぅー!」
皆藤主任は実愛ちゃんを無理矢理引きずる様な形で、あっと言う間に見えなくなった。
あんなに怒るくらい、よほど私生活がバレするのが嫌なんだな。
俺は紗月達が入っていった店舗の方を見る。二人は奥まで行っているのかこちらからは姿を確認出来ない。恐らく皆藤主任たちの姿は見られていないだろう。
それにしても怒りすぎじゃないか? 少し久しぶりに全身が斬り裂かれる感覚が蘇ったわ。例の如く、一瞬で冷や汗全開だよ。
俺は一呼吸入れて気持ちを落ち着かせつつ、再びスマホに目を落とした。
「あれえ? 先輩じゃないですか?」
どこかで聞いた様な声が、こちらに向けて何かを言っていたような気がする。いや、きっと空耳だ。俺はそのままスマホでゲームを続ける。
「ちょっと先輩。無視しないでくださいよ」
誰かが俺の隣に座り、ジーっとこちらを窺う。あんまり知らない人をジロジロ見るもんじゃないよ。と注意してやりたいが、ゲームが今いいところなんだよ。
「はあ……仕方ないですね……」
隣に座った誰かが立ちあがる。そうそう、知らない人なんか相手にしないでさっさとどっかに行った方がいいよ。と思ったけど、あれ? なんか俺の背後に回ってない?
「よいしょっと」
という声と共に俺の頭が重くなる。なんかとても柔らかくてボリューミーな何かが俺の頭の上に乗ったようだ。
「なななな何をするんだ、松永!!」
俺はとっさにベンチソファから離れ、松永と距離を取る。
「あー、もう、なんで離れちゃうんですか。これから後頭部を挟みこんで悶え死にさせようと思ったのに……」
「社会的に死ぬからそういうことはやめろ!!」
クソっ……あれほどまで大きいと、こんなにも柔らかいものなのか……って違うか。
皆藤主任の次は松永かよ……こんな場所でこうも知った顔と続けて出会うということは、何か作為的なものを感じるぞ。話の流れ的に。
「そういえば先輩。今日は紗月ちゃんは一緒じゃないんですか?」
松永はキラキラした目つきで周りを見回す。
先日行われた松永の歓迎会と言う名の飲み会。まあ、例のごとく俺の家でやることになったのだが、その席で松永は紗月のことをえらく気に入っていた。松永曰く、子供好きらしい。その本人も見た目は子供とあまり変わりないが。
その飲み会で松永は終始、紗月とひっついていた。胸に埋もれて窒息しないか心配だった。
「紗月は美波さんと買い物中だ」
「はあ? 美波さんと?」
先ほどの皆藤主任と同じように豹変する松永。いや、お前はプライベートを美波さんに見られても困る事ないだろ。
「美波さんを誘ったのは紗月だ。そういうお前はここに何しに来たんだよ?」
「私ですか? 私は友達がいないので、一人寂しく映画を見に来ました」
「別に自虐的にならなくていいよ!」
しかし映画か……先ほど皆藤主任が行ったばかりだし、このまま行かせると鉢合う可能性は高いな……
先ほどの皆藤主任の態度から見ても、バレるのは余程嫌みたいだし、ここはなんとしてでも鉢合わせることだけは俺の手で防がないといけない。そんな使命感が俺を支配した。
「松永……悪いことは言わない……今日は映画は辞めておけ」
出来るだけ真剣な表情で重い雰囲気を漂わせる。
「え? なんでですか?」
「実は……ここの映画館に爆弾が仕掛けられているという噂を聞きつけてな……秘密裏に捜査が進められているらしい。だから、今日は危険だ。近寄らない方がいい」
「そんな今作った様なくだらない話で私の予定を変えないで下さい。私はこれからジェラシーパニックを見に行くんです」
ジェラシーパニック人気だな! マジでどんな話なんだよ!?
しかしコイツは冷静だな……まあ、ちゃんとしていれば頭はキレる奴だから、こんな話では騙すことは出来ないか。
「とにかく今日は映画は辞めた方がいい。というか辞めて。お願いします」
「なんでそんなことお願いされなきゃいけないんですか? 理由があるならちゃんと説明してください」
「なんでもいいから映画に行くなって言ってるんだよ!」
「嫌ですよ! そんな言い方されると余計に行ってやる! ってなるじゃないですか!」
「子供か! そうやって我儘ばっかり言うんじゃねーよ!!」
「いくら私でも今回は間違ってない自信はあります! 先輩の方が横暴ですよ! おーぼー!!」
「よーし! 分かった!! とりあえずそこのカフェでコーヒーでも飲みながらゆっくり話し合おうじゃないか!!」
***
「美波さん、ありがとうございます!」
私は衣服が入った袋を両手に抱える。
インナーだけではなく、色々見て回って服も何着か買ってしまった。美波さん、服選びのセンスも良いし、インナーに対しても成長に合わせてこういうのがいいといくつかアドバイスを貰った。話しも盛り上がって、ついつい長くなってしまうのは女性特有なのかな。
ちなみに代金は後で貴大に払ってもらおう。
さて、私は目的を達成したので、ここからは二人の時間だ。
美波さんは謙虚だし、貴大は甲斐性なしなので、このまま自然に任せていると二人の距離が縮まるとは思えない。なのでこうやって私が、恋のキューピット的な事をやってみようと思ったわけだ。恋のキューピットってよくわからないけど、なんかやってみたかった。
私たちは並んでファッションショップを出る。
「あれ? 橘君いないね」
「ホントだ……どこに行ったんだろう?」
私が待機を命じたベンチソファに貴大の姿はない。確かに少し長くなったかもしれないけど、それでも待ちくたびれでどこかへ行ってしまうような時間じゃないはずだ。
「うーん……連絡も来てないね。トイレかな?」
美波さんはスマホの画面を見つめる。
私はあたりをざっと見回した。やっぱりトイレかな?どこにも見当たらな…………居たわ。カフェで誰かと仲良くお茶してるよ、あの野郎。相手は女の人……? あ……ロリ巨乳、じゃなかった。確か松永さんだったかな。その人と一緒になにやらエキサイティングしてるみたいだった。側から見たら、ただの痴話喧嘩にしか見えない。
せっかく美波さんと一緒の時間を作ってあげようとしたのに、なんで他の女とイチャイチャしてるかな、あの男は。
私は血相を変えてカフェへ突き進む。
「ちょっと! 何やってんの!!?」
「うおう!紗月!? いや……これには深い訳が……」
「あー! 紗月ちゃん!!」
松永さんが私に飛びつこうとしたので、それを軽く躱す。なんか来る気がしてた。あの人、柔らかいんだけどホントに苦しい。なんていうか息が。
「ふーん……相変わらず仲よさそうだね」
私の後を付いてきた美波さんが冷たい目で貴大と松永さんを見る。
ほら! さすがの美波さんもおこだよ! ていうか、相変わらずってこの二人いつもこんなんなの!? さすがに節操なさすぎるんだけど!
「あ……いや、美波さん……コイツとはそこでたまたま会って、ちょっと色々ありまして……」
「あー美波さん、紗月ちゃんと一緒にショッピングなんてズルイです」
「松永さんもお買い物?」
「いえ、本当は映画を観に来たんですよ。そしたらそこで先輩を見かけたんですけど「映画なんて観に行かないで俺の傍に居ろ。コーヒーくらいなら奢ってやる」というので、仕方なくこうしてお茶をしていたと言う訳です」
「大きく間違ってないけど、紛らわしい言い方をするな!!」
映画か……そういえば実愛ちゃんが今度行くって言ってたな。ジェラシーパニック。私はどんな話なのか知らないけど。
「紗月! ちょっと来い!」
貴大は私の腕を掴んでカフェの奥の方へ連れて行く。身体を屈め、二人に聞こえないような小声で話し始めた。
「(実はさっき、実愛ちゃんと皆藤主任に会ったんだよ。映画に行くって言ってたんだけど、後から来た松永も同じ映画を観ようとしてたんだ。このまま松永を行かせると実愛ちゃん達と会う可能性があるからこうやって引き止めてたんだが、紗月の方からもなんとか松永を映画に行かせないように言ってもらえないかな?)」
なるほど、そういうことか。確かに美波さんにも、実愛ちゃんのお母さんの事は絶対話さないように口止めされている。職場の人達にはナイショなんだとか。
だとしたらこの状況も多少は致し方ないと思うし、さっとと邪魔な松永さんを排除したいという気持ちもある。
私は足早に二人の元へ戻り、松永さんと向き合った。
「あの……実は、この映画館に爆弾が仕掛けられてるという噂があるんです……映画なら明日でも観れますし、今日のところは早めに帰った方がいいかなと……」
言いながらも私は、今作ったばかりのくだらない話で何とかできるとは思えなかった。
「うん! 紗月ちゃんがそう言うならそうするね!!」
でも松永さんはチョろかった。
「扱いの差がヒドイ! 絶対お前俺の事嫌いだろ!?」
「はあ? 先輩の事なんて大嫌いに決まってるじゃないですか。でも、まあ…………今日のところは紗月ちゃんに免じて一時撤退してあげますよ」
松永さんは飲みかけのコーヒーを持って立ち上がる。
「紗月ちゃん。今度は私の事も誘ってね!」
松永さんは、私に向かって笑顔で手を振る。
「では先輩、美波さん。また仕事で」
そう言うと松永さんは、意外とあっさりとこの場を後にした。
「うーん……結局…………何があったの?」
完全に話題から取り残された美波さんが首を傾げる。
「あ! いや! なんかたまたま通りかかった松永さんに捕まっちゃったから、どうにかして助けて欲しいって言われたので……」
実愛ちゃんのお母さんの事は隠しつつ、一応貴大の尊厳も守っておく。
「そうなの?」
「あ! はい! そうなんです! 買い物中なのに、一緒に映画に来いってしつこいもんですから困り果ていて……」
そこは適当に頷いておくだけの方がいいような気がする。こういうときはあんまり余計な事は言わない方がいいんじゃないかな。
「松永さん強引だからねえ。橘君も毎日振り回されて大変だね」
美波さんは深く気にする素振りも見せず、笑顔で貴大を気遣う。絶対気にしてる筈なのに、なかなか大人な対応だと思った。
「いや……ホントですよ……俺の事、先輩呼ばわりするクセに、全く敬ってないですからね。虫けらかなんかだと思ってますよ、きっと」
「それは言い過ぎじゃないかな」
美波さんのクスクス笑う仕草はとても可愛らしい。
「あ――ちょっとトイレ行ってきていいですか? コーヒー飲んでたら近くなっちゃって……」
カフェを後にし、貴大はトイレへ。私と美波さんは先ほど貴大が待っていたベンチソファへ並んで腰を掛ける。
「それにしても……貴大と松永さん、いつもあんな感じなんですか? すごく仲よさそうなんですけど……」
美波さんとの会話と比べても砕けてるって言うか、じゃれ合ってるというかそんな感じ。確かに貴大からしたら年下の後輩だから、美波さんと同じような感じにはならないとは思うけど、それにしても最近知り合ったばかりにしては打ち解け過ぎじゃないだろうか。
「うん、いつもあんな感じだよ」
「美波さんは気にならないんですか? その……他の女の人と仲良くしてるのとか……」
「うーん……全くないわけじゃないけど、そんなには気にしてないかな。だって――それが橘君だから」
「え? どんな女の人とでも仲良くしちゃう最低野郎ってことですか?」
「ふふ、違うよ。相手の等身大と純粋に向き合える人……って感じかな」
ちょっと難しい表現だったので私は少し首を傾げる。でも、なんとなく言いたいことは分かる。
私といる時もそうだけど、貴大は基本的に見返りを求めない。下心とかそう言ったものを全く感じないのだ。貴大の事を好きな人から見たら、そういうのは安心材料なのかもしれない。
でも――時として、そういうのが私を苦しめるときだってあるのだ。
「スミマセン、お待たせしました」
トイレから帰ってきた貴大が私達の前で立ち止まる。
私は手に持っていた袋を貴大に手渡した。服でも結構重いのだ。
「もう買いたいものは買ったんだよな? じゃあ、そろそろ帰るか?」
「帰らないよ!! 何考えてるの!!?」
色々あってゴタゴタしたけど、まだ私の目的は半分しか果たせてない。むしろこれからが本番だと言うのに、こんなんで帰るわけにはいかないでしょ!
「まだ、どこか行きたいトコあるのか?」
「え……? 私は特にないけど……」
だってここからは二人が行きたいトコに行けばいいかなーくらいにしか考えてなかった。
「美波さんはどこかあります?」
「私も特にないよ」
「ほら、帰るしかないじゃないか」
なんてこと! 二人共もっと積極的になってよ!! 折角一緒にいれるチャンスなのに、小学生の買い物に付き合っただけで帰宅ってどういうこと!? ノープランで挑んだ私も私だけど。あれ? もしかして……これって私の一人相撲……?
「じゃあ、時間も丁度いいしお昼でも食べてこっか? 橘君にしなきゃいけない話もあるしね」
「俺にしなきゃいけない話って……例のヤツですか……?」
「そ。例のヤツ」
「はは……お手柔らかにお願いしますよ……」
それから私たちは三人で大型のフードコートへ向かう。ちょっとお高めの店舗が連なるフードコートで、土曜の昼時ともなればその混雑は相当なものだった。
注文するのに三十分かかったけど、後ろにどんどん人が並んできたからきっと私たちはマシな方だったと思う。
私はちょっと贅沢にスキヤキ定食を注文した。今半のお肉美味し過ぎる。
食事中は終始、美波さんによる『成長期の女の子との関わり方について』講座が繰り広げられていた。
身内が男の人ともなると、今後そこら辺が非常に不安なところではあったけど、そんなもの美波さんが完全に吹き飛ばしてくれた。
というか結論として、貴大はそこら辺に触れない。私は身近な女の人や友達に相談する。ということで話がまとまった。妥当なライだと思う。私ももう恥ずかしい思いしたくないし。
昼食を食べ終えると結局解散の運びとなった。私もこれ以上引き止めても無駄な気がしたし、次はちゃんと作戦を立てて臨みたいという教訓も得たので、渋々帰ることを受け入れた。
美波さんは来た時と同じように電車、私たちはバスで帰ることになった。
私達も電車で帰れば途中まで一緒なのに!
美波さんを駅の改札で見送った後、貴大と二人でバスに乗り込んだ。マイナーな沿線のバスの中はガラガラで、私たちは一番奥の席に座った。
「なあ、紗月。もしかしてお前、俺と美波さんの仲を取り持とうとかしてないか?」
美波さんの気持ちに気付かないクセにそう言うトコは気付くんだ!? まあ、私も孔明の様な策士だったらそこら辺も気付かれることはなかったんだろうけど。
「別に……そんなんじゃないよ」
私はどこか拗ねたような態度を取ってしまう。
「お前はそんな余計な事考えなくていいんだよ。もっと子供らしく気楽にしてろって」
やっぱり――――私のしていたことは余計な事だったのか――
貴大の真意も汲み取ろうともせず、言葉のそのままの意味を受けとってしまう――
男の人の一人暮らしなんて、不衛生で寂しいものだと思っていた。
私が来た初日、確かに部屋は散らかり放題で目も当てられない状態ではあったけど、それはあくまでもここ数日、バタバタしていただけだったということだった。
しばらく生活を共にして気付いたけど、貴大は家事全般を進んでやりたがらないけど、決して出来ない人ではなかった。
私に言われればキチンと部屋は綺麗にしてるし、土日の食事の大半は貴大が準備してくれている。
そこらへん、私に依存しているということはなかった。
でも彼女も居ないし、誰もいない家に帰るのは寂しいはずだ。私の存在がその寂しさを少しでも埋め合わせることが出来れば――――
そう思っていた時期もあるけど、最近はちょっと変わってきている。
さっき美波さんが言っていた事でもあるんだけど、自然と貴大の周りには人が集まってくる気がする。貴大は誰にでも隔たりなく接している。松永さんのことだって、文句は沢山言うけど決して蔑にしたりしない。
そこが貴大の魅力であって、美波さんも松永さんもそういうところに惹かれているんじゃないかなって思う。もしかしたら実愛ちゃんのお母さんだってそういうのがあるかもしれない。
だからきっと、私なんかいなくても貴大は寂しい生活なんて送ったりしない。
私は貴大に何も求められていない。ただそこにいるだけの存在。
私は貴大と生活するアイデンティを失っている――――
私はただ――貴大の重荷になってるだけじゃないんだろうか――
それこそ――まるで疫病神のように――――
私はもう――――他に行く場所なんてない――――
そう思った時、あの人の存在が脳裏をかすめた。
そう――そうなんだ――
貴大はあの人の事――どう思っているんだろう――
気にしている素振りは見せないけど、全く頭に無いわけはないはずだ――
もしかしたら――今の生活はそう長くは続かない――
私は、そんな予感がしてならなかった。
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