1-1話 終わりの始まり
もう すこし まって
そう涼さまに頼まれたので、私は言う通りに静かに様子を伺い一日が過ぎました。
その間、涼さまは特に変わった様子はなくいつも通りの振る舞いでした。それは昨日の事はすべて私の夢かと疑ってしまうほど穏やかな態度だったのです。
しかし残念ながら夢ではなかったのでした。
涼さまが倒れてから翌日の夕方、本殿に私たち皆を集めたのは涼さま自身でした。
こうして本殿に私やミコト様、涼さま、玲さま、宗治さまが揃って顔を合わせるのは初めてのことです。私は緊張が隠せず、正座をする足が強張りました。
「皆に謝らなければ、話さなきゃいけないことがあるんだ」
最初に沈黙を破ったのは涼さまでした。
玲さまと宗治さまは何用で呼ばれたのか分からないといった顔で皆の顔を見回しておりましたが、その言葉に反応し眉間に皺を寄せたのでした。
「なんだよ、改まって」
「うん……まあね」
そう曖昧に答えて笑った声は力がありませんでした。
「実はね、ずっと皆に隠してた事があって」
「隠すって」
「うん……」
どうも言い出しにくいのか涼さまの言葉は歯切れが良くありません。唸る声にだんだんと玲さまの眉間が深く刻まれてゆきます。じれったいのでしょう。
私はどうする事も出来ずひやひやしながら見守っておりましたが、やがてその背中を押すようにミコト様が言葉を続けました。
「いつからじゃ? わらわたちが見えておったのは」
「は?」
一番に反応したのは玲さまで、ミコト様をギロリと睨みました。私が睨まれたわけではないのに、背中に嫌な鳥肌がたってしまいました。怖い顔です。
当の本人は涼しい顔で無視し、ただ涼さまの返事を待っているようでした。
「だんだんと、ね。はっきり見えるようになったのは先月くらいかな」
「なっ……なんで隠してたんだよ!」
「落ち着け玲、話が進まん」
涼さまはハッキリとミコト様を見据えて返事をしました。やはり私たちの事が見えていたようです。しかし先月ともなると長い間隠していたことになります。私は昨日までまったく気が付きませんでした。
そして隠し事をされていたことに一番腹を立てているのは玲さまでした。今にも掴みかからんとするのを、宗治さまが右手で制止します。
さすがに彼には逆らえないのか、玲さまはそこでやっと静かになり腰を下ろしました。
私はほっと胸を撫で下ろしました。
「事情があるのじゃろ」
「ええ、見つかってはいけなかったので」
「まさかお主まだ……!」
「おいお前ら、話には混ぜろよ」
途中から二人の世界に入ってしまって、私たちは置いてきぼりにされているようでした。
たまらず玲さまが口を挟むと、「あ」と我に返ったようです。苦笑いでこちらへと目を向けました。
「ううむ、なんというか」
「とある理由でね、力があるということを表に出したくなかったんだ。でも、そうもいかなくなってしまって」
「理由がなんだってんだよ」
「さて、どこから話そうかのう……
ああいや、きちんと説明する気はあるのじゃぞ? そんな顔をせんでも」
「……チッ」
ミコト様に苦笑いでなだめられても、玲さまの気は一向に収まる気配はありません。でも、その気持ちも少し理解できるような気がします。
涼さまは言わば自分の片割れなのですから。そんな人間が大事な問題を秘密にしていた事に、苛立ちとやるせなさが隠せないようでした。
「なんで俺が蚊帳の外なんだよ……」
「ごめん、でも俺はそのままでも良いと思ってたんだ。隠したままでも」
「良かねえだろが」
「あ、あの」
今度こそ収拾がつかなくなる、そう思った私は気がつけば声を上げていました。皆の威圧的な視線が集中して少したじろぎましたが、姿勢を正して言葉を続けます。
「昨日、私が見た夢と関係があるのでしょうか」
「夢?」
「ええ、昨日の昼に。きっと涼さまも同じような夢を見たと思います。……推測ですが」
そこで私はあの夢について事細かに説明したのでした。
森の中の小さな池、立つあやかし、呼ばれる幼い少年……
すべて話終えたあと、しばらくの重い沈黙が流れました。
皆も何か言いたいことがあるようでしたが、言うことがまとまらないのか口を動かしかけただけで、そのまま俯いてしまいました。
唯一ミコト様だけが、変わらない表情で前を見据えておられました。私には、その表情からこの御方が何を考えているのか、どんな感情なのかは読み取る事ができません。
「そっか、神使様も同じ夢を見てしまったんだね」
いつもの優しい微笑みではなく自嘲気味に笑って頭を掻く涼さまが、私の眼には知らない人のように映りました。私はそれがなんだかひどく悲しく思えました。
「強大な力はあやかしにとって莫大な養分でもある。涼は約束も契約もしておらぬのに、長い間捕らわれ続けておった。……そういうことじゃな?」
「はい。あまりに昔のことだったので、俺自身も力が戻るまで忘れていましたが。」
「なあ、おい涼。待ってくれよ」
小さく震えた玲さまの呟きが、二人の会話を遮りました。何かにすがるように頼りない声は、私まで息苦しくなるほど悲痛なものでした。
「戻ったってなんだよ。それじゃあ、まるで、昔はあったみてえな言い方、」
「玲」
「俺がどんだけお前のために、」
「物心つく前に、失ったみたいなんだ。俺も当時のことはあまり覚えてなくてさ」
「……そうかよ」
「ごめん玲」
「まあ、いいよ。もう」
再び本殿に沈黙が訪れました。まあ、本来ならばここは静かで当たり前の場所なのですが。人がいるのに静かで張り詰めた空気、というのはやはり居心地が悪いです。
「一旦話を整理したいのじゃが」
「あ、お願いします」
ふう、とわざとらしいため息をつきながらミコト様は話を変えたのでした。私も便乗して話を促します。
このままではお二人の関係に亀裂が入るばかりです。なんとかして本題に戻らなければ。
「涼は少し前からわらわ達が見えるようになっていたが、悟られないようにしておった。
その理由は、力が戻ると同時に幼少期に目をつけられたあやかしのことも思い出したから。
しかし先日倒れたときに気を抜いた途端、
……こういうことじゃろう」
「その通りです」
「寂しいのう。気付かれなければ、ずっと隠し通すつもりじゃったのか」
「すみません」
そう謝って俯く涼さまの横顔が、とても頼りなく見えました。
(本当にそれだけでしょうか)
私たちに隠していたのは、本当にそれだけの理由だったのでしょうか。それだけでしたら、きっと迷うことなく涼さまは私たちに、特に玲さまに悩みを打ち明けていたのではないでしょうか。
私には、涼さまにとってもっと重要なことがあったのではないかと思わずにはいられませんでした。
「なあ涼」
「はい」
「其奴に見つかったのは昨夜で、今も呼ばれ続けておるのじゃろ」
「……頭の中でずっと、声が響いています」
「ええ!」
想像よりも深刻だったので、思わず間抜けな声が漏れてしまいました。玲さまも黙ったままでしたが、視線だけ涼さまに向けて片方の眉だけ動いたのが見えました。
「実家の山からずいぶん離れたこの場所でも、こんなに長い間忘れていても、強い力で呼ばれ続けているんだ。きっと……」
涼さまは言いかけた言葉を飲み込むように、目を閉じて深呼吸をしました。緊張か恐怖か、震えた息の音が響きます。
「逃げられぬじゃろうな」
はっきりと絶望の言葉が言い放たれました。
「わらわが感じている気配と、先程の涼の話で一つの結論が出ておる」
「結論……」
ミコト様は皆さまの顔を一人一人確認するように見回したあと、ゆっくりと告げました。
「うむ。この尋常でない力、ただ者ではない。きちんと対処せねば涼は持って行かれるじゃろうな」
「もっ、持って行かれる!?」
「騒ぐな神使サマ、予想ついてただろ」
いつの間にか冷静さを取り戻した玲さまが私の口を手で塞ぎ、無理矢理黙らせました。親切にも鼻は塞がれなかったので呼吸経路は無事です。下手に刺激しないよう私はそのままの姿勢で、なすがままでいようと思います。
冷静になったとはいえ、玲さまのこめかみには未だ血管が浮き出ています。いつまた大爆発するか分かりませんので。
「何か策はあるんだろ。なあ、間に合うんだろ」
「もちろんじゃ。大事な後継者をそう易々と奪われてたまるものか」
安心させるようにミコト様は大きく頷き、笑顔を見せました。それで玲さまの緊張が幾らか和らいだのが分かりました。肩の力を抜いて長く息を吐き出します。
「ひとつ、確認したい」
長らく沈黙を守っていた宗治さまが口を開きました。重い声です。
ミコト様は目線だけで「どうぞ」と話を促しました。
「其奴はもしや、ーーか」
最後がよく聞き取れませんでした。実際に声に出したのではなく、唇だけ動かしたようにも思えます。
「察しが良いのう」
「そうか」
お二人だけは静かに見詰め合うだけで、互いの言いたいことが分かるようです。
しばしそうしたあと、宗治さまは悪戯っぽく鼻で小さく笑いました。その悪い顔は玲さまにそっくりだと思いました。
「貴女のしたい事はだいたい分かった。準備をしてこよう」
「すまないのう」
「なに、今からやらねば間に合いそうもないからな」
そう言うや否や宗治さまは立ちあがり、本殿から姿を消してしまいました。あの短い会話の中ですべき事を理解したのでしょう。それは阿吽の呼吸とも言えるものでした。
またひとつ、静寂が重くのし掛かります。
「と、いうわけじゃ」
仕切り直しと言わんばかりにミコト様はパン、と両手を叩き一際大きな声を出されました。
「涼にはすぐにでもその山に向かってもらおうかの。付き人は……ほれ」
「え、私ですか?」
予想外の人選に自分の耳を疑いましたが、聞き間違いではなかったようです。ミコト様は私を見てにっこり笑顔を作りました。
「今回は例外中の例外じゃ。神の使いよ、そなたに特例の任務を与える」
「任務、ですか」
「じきに分かる。安心して行ってこい」
「なあ俺も」
「なにを言うか玲。お主はここに残らねばならんのじゃ。
生身のお主が会ったら、涼と同様に気に入られてしまうやもしれんからのう」
「っつっても神使サマじゃ」
「わらわに任せておけ、な?」
それからミコト様は有無を言わさぬ力強い声で、今後の計画を私たちに言い聞かせたのでした。
明日にでも涼さまと私は出発をする事、玲さまは残って神社の奉仕をする事、宗治さまは何かの準備と、必要であれば玲さまの手助けをする事。
玲さまは顔こそ不機嫌な仏頂面でしたが、異論はないのか大人しく奉仕の続きを再開しておりました。
涼さまは出発の準備のため早々に切り上げることにし、私はお見送りをするためにそのあとをついて行くのでした。
その背中は、今何を考えているのか読めませんでした。涼さまを見てこんなに不安な気持ちになったのは初めてです。
私は先程の話の間ずっと疑問に思っていたことを、その背中に投げ掛けてみました。
「どうして、今まで黙っていらしたのですか」
私の問いかけに涼さまは立ち止まって振り返りました。無視をされなくて一先ず安心です。
そして少し考えるように視線を泳がせて、ゆっくり言葉を選ぶように呟きました。
「思い出したくなかったのと、認めたくなかったんだよね」
「そうだったのですね」
「ごめん。余計に迷惑をかけてしまったみたいだ」
「いえ、迷惑だなんて! 皆さまは心配していただけで……」
そうやって自嘲気味に笑う涼さまは心身共に弱っているように見えました。早くこの問題が解決して、またいつもの日々が送れるようにと願うばかりです。
再び涼さまは私に背中を向けて歩き始めました。
会話はこれで終わりだと思っていたのですが、神社と永代家の間の生垣、つまり私と涼さまが別れる時に、ぽつりと涼さまは呟きました。
それは私に聞こえるように言いながら、私と話している体ではない独り言のようでした。
「思い出さない方が良かった。俺は玲に顔向けできない、本当の事が怖くて言えない。きっと、幻滅されるだろうから」
まるで何かにすがるような、懺悔をしているかのような声でした。
私は涼さまの姿が見えなくなっても、この生垣から動くことができずにただ立ち尽くしておりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます