第六章 紅玉は砕けても輝く③

 その日はミニアルバムの打合せのために、泉ちゃんとヒスイちゃんとわたしで、レイニー・デイズさんの事務所にお邪魔した。


「こんにちは。失礼します!」

「あら、いらっしゃい!」


 わたし達を出迎えてくれたのはレイニー・デイズでボーカル&ギターを務めるSAYURIさんだった。


「ヒスイちゃんはこの前はライブ見に来てくれてありがとね」

「ヒスイ、見に行ってたんだ?」

「うん。すっごくカッコよかったです!」


 ヒスイちゃんが興奮気味に言うと、SAYURIさんは野性味のある笑顔を浮かべた。SAYURIさんの銀色の髪はサイドが刈り上げられ、襟ぐりの開いたシャツからは胸元や二の腕にトライバルタトゥーが覗いている。不健康そうなほど細いのに、色っぽい雰囲気もある不思議な女の人だった。


「独立発表は大丈夫だった?」

「はい。でも、ファンのみんなはやっぱり心配みたいで、SNSは少し荒れていました」

「そう……。なら、いいミニアルバム作って、安心させてあげないとね。ねえ、ICHIYA、みんなもう来たよ!」


 SAYURIさんが奥の部屋に呼び掛けると、体格のいい体にスキンヘッドとサングラス姿の男の人が現れる。ICHIYAさんはレイニー・デイズのベース担当で、個人事務所の社長もしている人だ。


「ICHIYAさ、若い女の子が来るからって、なにカッコつけてんの。それ外しなよ」


 SAYURIさんがニヤニヤしながら言うと、ICHIYAさんは渋々とサングラスを外した。意外なくらいつぶらで可愛い瞳が現れて、SAYURIさんが爆笑する。


「いつ見てもウケる。それギャグだよね」

「やめろよ」


 この二人はご夫婦でもある。バンドではSAYURIさんが主に作詞作曲をして、ICHIYAさんがバンド運営を担当。ライブやレコーディングではサポートのバンドマンを呼んで活動されている。


「で、話を戻すけど、ハピプリは今度のミニアルバムはうちのレーベルで出すってことで大丈夫なのか?」


 ICHIYAさんの確認に泉ちゃんが頷く。


「はい。是非お願いします! でも、わたし達みたいなアイドルのCDを扱ってもらっていいんですか? バッドウェザーレコードはレイニー・デイズさんのプライベートレーベルですよね?」

「全然構わないよ。前も一枚うちから出してるし。ねえ、ICHIYA?」


 SAYURIさんの言葉に、ICHIYAさんが頭を掻いた。


「あー、でも実はさ、あのシングル、最初はいつもどおりエンジェルハートさんから出す予定だったんだよね。でも、権利関係でちょっと揉めてさ」

「そうだったんですか?」

「話し合ってるうちにあの事務所の幹部の人と険悪になっちゃってね。それでこっちもムキになって『だったらこの曲は引き上げます』みたいな感じでさ。でも、仙崎社長が『いい曲だから絶対ハピプリに歌わせてあげたい』って、ゴリ押しで社内調整してくれて。それで、こっちの条件を飲んでもらって、うちのレーベルから出すことにしたんだよ」

「知らなかったです」


 目を見開く泉ちゃんの隣で、わたしとヒスイちゃんも同じような顔だった。


「ま、そんな経緯もあったけどさ、お互い納得できる仕事をしようぜ。SAYURIも言ったとおり、うちは歓迎だから」

「ありがとうございます!」

「じゃあ、早速、ミニアルバムの打合せを始めようか」


 わたし達は姿勢を正した。


「内容はどうするつもりなの?」

「ミニアルバムなので、五、六曲のつもりです。今までの『ハッピープリンセス』を踏まえつつ、これからの『ハピプリ☆シンドローム』を見せられたらなと思っています」

「なるほどねえ」


 淀みない泉ちゃんの言葉に、SAYURIさんとICHIYAさんが頷く。


「今までハピプリの曲を担当して頂いた戸田さんに連絡したら、一曲書いて頂けることになったので、それは今までの『ハッピープリンセス』王道路線を作って頂くつもりです」

「じゃあ、わたしが書くのはちょっと冒険した感じの方がいいわけね?」

「はい」

「お前、やりすぎんなよ」

「大丈夫よ。この前のだっていい塩梅だったでしょ?」

「はい! ファンのみんなにも、すっごく好評です!」


 ヒスイちゃんが嬉しそうに言うと、SAYURIさんは「ありがとう」と微笑んだ。


「実はわたしも『超アイドル王道路線』な曲もやってみたい気持ちはあるのよねえ」

「えぇ!」


 ICHIYAさんから驚きの声があがると、SAYURIさんは苦笑する。


「あのね、アイドルの曲を作るのってなかなか新鮮な体験だったわけよ。わたしの中にもこんなに可愛い女の子っぽい成分があったんだっていう驚き? ときめき?」

「アハハ! こんな可愛げない女のどこからあんな曲がひり出されたんだろーな?」

「うるさい。その可愛げない女を妻にした、マニアックな男はどこのどいつ?」

「なんだよ……」


 むくれるICHIYAさんを無視してSAYURIさんは話を続ける。


「だから、今回、わたしは二曲書くね。冒険作と王道作」

「安請負して大丈夫かよ。お前、タダでさえ曲作るの遅いのによ」

「大丈夫。わたしがやりたいの。前にハピプリのライブ見たらさ、アイドルファン独特のノリがあるでしょ。あれ熱いじゃない。ああいうのが入れやすい曲、作ってみたいの」

「ふーん。じゃあ、しっかりやれよ。他の曲は……そうだな、知り合いのバンドマンに声かけてみるか。楽曲提供に興味ある奴もいるしな」

「そうね。みんなはそれでいい?」


 確認の言葉に、泉ちゃんが頭を下げた。


「はい。よろしくお願いします。お願いついでなんですけど」

「なあに?」

「お二人に今回のアルバムのプロデューサーになって頂きたいんです。今もこうやって相談に乗って頂いていますし」


 泉ちゃんのお願いに、SAYURIさんがびっくりした顔をする。


「え? でも、わたし達はアイドルについては素人よ。ラピスちゃんはアルバムコンセプトがしっかり見えてるみたいだし、わたし達がそんなのやらなくても大丈夫でしょ」

「でも、わたし達は音楽の良し悪しについてはわからない部分が多いですし……」


 不安げに眉を八の字にする泉ちゃんを見て、ICHIYAさんが顎髭を擦りながら言う。


「じゃあ、俺らと君達で共同プロデュースって形にしないか? 曲がアイドル的にいいものかっていうのは君達に判断してもらって、音的なジャッジは俺らがするみたいな」

「わあ、それ素敵ですね!」


 嬉しそうなヒスイちゃんの言葉で、ミニアルバムの製作体制が決定した。それからわたし達は製作スケジュールを話し合い、気が付いたら二時間以上が過ぎていた。


「じゃあ最後に、制作費のことだが」


 そう言って、ICHIYAさんはパソコンを叩いてプリントアウトした見積書をわたし達に見せた。楽曲製作・CD製作・流通にかかわる費用が並んでいる。


「まだ概算段階だが、だいたいこのくらいは覚悟しておいてもらわないとな」


 泉ちゃんは紙を覗き込みながら難しい顔をする。


「捻出方法についてはちょっと考えます。きちんと目途がたったら契約を交わしたいと思うんですけど……」

「わかった。いい返事が来ることを祈ってるよ」

「ありがとうございます」


 わたし達は挨拶してレイニー・デイズさんの事務所を後にした。


 最近は必ずヒスイちゃんの移動には誰かが付き添うことになっている。今日は泉ちゃんがこれからイベンターさんと打合せに行くから、わたしが送ることになっていた。


「うーん。さすがに結構かかるな。クラウドファンディングかなあ、やっぱり……」


 別れ際、泉ちゃんは小さくそう呟いていた。



 ヒスイちゃんは最近、ツイッターもブログも更新を控えている。今まではライブの感想やリハーサルの様子を書いたり、ご飯やおやつやお気に入りの小物の写真を載せたりしていたけど、あのストーカー男がそこから個人情報を特定しかねないからだ。


 ヒスイちゃん自身もSNSを怖がるようになっていた。ストーカー男からの、ヒスイちゃんとの恋愛を妄想した気色の悪い文章が大量に来たから。そのアカウントをブロックしても別のアカウントですぐに復活する。


「コメントもリプも怖くて見れなくなっちゃった。ファンのみんなに申し訳ないな……」


 ヒスイちゃんは気に病んで悩んでいた。


 わたしは泉ちゃんに相談して、ヒスイちゃんのSNSの代行管理をすることにした。今はわたしがグループ公式アカウントの管理をしているからそのついででもあるし、少しでもヒスイちゃんのためになればと思った。


 ヒスイちゃんのSNSのプロフィール欄に「このアカウントは本人の他、運営スタッフも管理しております」と書き添えて、ブログへの不適切なコメントは削除。ツイッターで迷惑なメッセージを送ってくるアカウントは次々にブロックした。ファンのみんなへは「中傷に反応するのはご遠慮頂いて、アイドル本人への応援コメントを書いてもらえると嬉しいです」という文章も載せた。


「ヒスイちゃん……大丈夫。み、見て」


 コハクちゃんによるダンスレッスンの休憩中、レンタルスタジオの床にぺたんと座ったヒスイちゃんは、恐る恐るスマートフォンの画面を切り替えた。そこにはファンのみんなからの真摯で優しい言葉が並んでいる。ヒスイちゃんは一言もしゃべらないで、それを何度も何度も読み返していた。


 しばらして、ヒスイちゃんは顔を上げると、ポツリと言った。


「ルビーちゃん」

「ん……?」

「お父さんとお母さん、心配してね、わたしにアイドルやめてもいいんじゃないかって言うの」

「うん……」

「でも、わたしアイドル続けたいよ。やっぱり、みんなと一緒に活動したい!」

「うん……」


 ヒスイちゃんの目が涙で潤んで赤くなっていた。ヒスイちゃんはそれを隠すみたいに、顔を伏せてもう一度みんなの言葉を読み始める。わたしはヒスイちゃんのふんわりと柔らかなショートカットの髪を優しく撫でた。


 ダンスレッスンの帰り際には、ヒスイちゃんが泉ちゃんに話しかけていた。


「ねえ、ラピスちゃん。今度のミニアルバムだけど、わたしも何か……その……。できないかな?」

「え?」


 泉ちゃんが聞き返すと、ヒスイちゃんははにかみながら言う。


「わたしも……曲とか作ってみたい。最近はみんなに送り迎えしてもらったり、迷惑かけちゃってるから、何か役に立ちたいの」

「そんなの気にしなくていいよ。悪いのはあのストーカーだし。それに、今度のライブ用のオケ、いくつか作ってくれたでしょ。それだけですごく助かってるんだよ」


 泉ちゃんの言葉に、ヒスイちゃんは困ったように口をモゴモゴさせながら訴える。


「あの、あのね。それだけじゃなくてね、ファンのみんなに気持ちを伝えたいの。今は怖くてツイッターとか書けないけど、ありがとうって気持ちを曲で届けられたらなって」

「ヒスイ……。そっか。それは素敵だね」


 泉ちゃんは優しく微笑んで、でも、少し心配そうにヒスイちゃんの顔を覗き込む。


「でも大丈夫? 無理してない?」

「大丈夫」


 ヒスイちゃんは真剣な表情で頷いた。


「今、ライブのオケ作るのに戸田さんに色々教わってて、それで出来ることが増えてきたし、やってみたいの」

「そっか。うん。じゃあ、よろしく頼むよ、ヒスイ」

「うん!」


 パアッと蕾が花開くみたいにヒスイちゃんの顔に笑顔が広がった。


「ただし、メンバーとSAYURIさん達のジャッジは受けてもらうよ。お眼鏡に適うように、しっかりね」

「うん!」


 力強く頷いたヒスイちゃんがわたしの方に走ってくる。


「ねえねえ、ルビーちゃん、聞いて聞いて! わたし、今度ね……」


 今、目の前で決定したことを嬉しそうにわたしに話すヒスイちゃん。泉ちゃんもわたし達を見て微笑んでいる。

 ヒスイちゃん、本当に妹みたい。一緒にいると、心がほわほわ、くすぐったくて、なんだかとても心地いい。

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